幼馴染の勇者を庇って女になったボク、見た目が勇者の好みど真ん中らしい 作:本郷カキツバタ
ボクは画集を閉じなかった。
閉じなかったけれど、手が机の端で止まっていた。
居間の灯りが頁を照らし、紙の白と描かれた銀髪だけが、止まった指のそばで明るく見えた。
「これ、覚えてる?」
ボクが頁を指すと、カイルは視線を戻した。
「ああ」
「この人、綺麗だって言ってたよね」
「言ったな」
「こういう顔が好きなんだ、って聞いたら、そうだって」
カイルは返事をしなかった。
居間の向こうでは、リゼットが明日の出発時間を相談している。
ガレスは直した戸を何度か動かしていた。
ボクたちの画集に気を留めている人はいない。
なのに、カイルは誰かに聞かれるのを警戒するように、一度そちらを見た。
面白い。
そう思ってしまった。
「もしかして、ボク、似てる?」
自分の髪を指へ巻きつける。
絵の中の髪と同じくらい淡い。目の色も顔そのものも違うけれど、全体の雰囲気は、確かに近い気がした。
「……髪の色は」
「髪だけ?」
「リオ」
名前を呼ばれる。
その声が少し低かったので、ボクは口を閉じた。
怒ったわけではなさそうだった。むしろ、怒れないので困っている顔だ。
カイルが、こんなふうに返事を選ぶところを、ボクはあまり知らない。
王都で知らない人に囲まれても、騎士に無理なことを言われても、こいつは大抵それらしく答える。
どう返せば相手が落ち着くか、自然に分かるのだろうと思っていた。
そのカイルが、ボクの前で困っている。
ボクは画集を閉じ、膝へ載せた。
「だから、最近おかしかったの?」
「おかしいか」
「肩を借りると固まるし、こっち見ると返事が遅いし」
「……それは」
「顔が好みだから?」
言った瞬間、自分の耳まで熱くなった。
何せ、自分の顔について話している。昨日までなら、誰の好みだと言われても、どうでもよかった。
けれど、カイルはごまかさなかった。
「そうだよ」
短い答えだった。
あまりにまっすぐ返されたので、今度はボクが黙った。
負けた気がする。
それは嫌だった。
椅子を半歩ぶん寄せる。
カイルの膝がわずかに引いた。
「へえ」
「何だよ」
「ボクの顔、そんなに好きなんだ」
「言い方」
「違う?」
「違わないけど」
カイルの耳が赤い。
見つけた。
ボクはさっきまでの照れを忘れて、もう少し顔を近づけた。
「じゃあ、ちゃんと見れば?」
「リオ」
「さっきから、見ては逸らしてるでしょう」
「分かっててやってる?」
「今、分かった」
カイルが片手で額を押さえた。
「調子に乗るな」
「乗るよ。二十年以上一緒にいて、こんなにカイルを困らせる方法、初めて見つけたんだから」
言い切ったあと、自分の言葉にまた顔が熱くなる。
カイルがそれを見逃さなかった。
「リオも赤い」
「うるさい」
「先にからかったのはリオだろ」
「それとこれは別」
子供の頃、川へ落とした靴をどちらのせいにするかで言い合ったときと、ほとんど同じだった。
違うのは、ボクが髪を耳へ掛けただけで、カイルの視線がそこへついてくることだった。
ボクは、髪から指を外し忘れた。
巻きつけた毛先が引っ張られ、それでようやく手を下ろした。
そうなのか。
本当に、そうなのか。
頷くだけでは、何だか負けた気がした。
「……見る目、あるじゃないか」
カイルは一瞬だけ目を丸くしてから、笑った。
「自分で言うのか」
「ボクが選んだ顔じゃないし」
カイルが笑う。
胸の奥に残っていた力が抜けた。
その隙間に、もう少し困らせてみたい気持ちが入り込む。
魔王のせいで変わった身体だ。
戻らないし、面倒もある。
ロッカでは、見た目だけの話ではないことまで思い知らされた。まだ、鏡を見るのが嫌な朝もある。
けれどこれでカイルを慌てさせられるのなら、全く悪いことばかりでもないのかもしれない。
そう考える自分は、ずいぶん現金だった。
◇
翌日の支度を終え、廊下へ出ると、カイルが窓辺にいた。
村の外には灯りが少ない。夜の川の音が、家の中まで届いていた。
「まだ起きてるの」
「リオもだろ」
「ボクは本をしまってた」
「俺は靴を乾かしてた」
カイルの足元には、泥を落とした靴がある。
その隣へ立つと、カイルが身体を半歩ずらした。
今なら、その理由が分かる。
分かったつもりになれる。
「慣れたらいいと思うんだけど」
言うと、カイルの視線が戻ってきた。
「何に」
「この顔。毎日見るんだし」
顔を指す。
カイルは、あまり面白くなさそうな顔をした。
「そう簡単じゃない」
「他人じゃないんだから、そんなに気を遣わなくてもいいのに」
カイルの前で、髪を耳へかけた。
カイルの視線が、指の動きについてくる。
髪を耳へかける指を、わざと少しゆっくり動かした。
ボクは窓の下へ置かれた低い箱に腰掛けた。カイルも、隣の椅子へ座る。
立っているより、顔の高さが近い。
ちょうどよかった。
「ほら、ちゃんと見てみて」
身を乗り出す。
カイルが息を止めたように見えた。
「リオ」
「顔だけでしょ。喋ったら、ボクだって分かるじゃないか」
もっと近づけば、そのうちおかしくなって笑うと思った。
いつもなら、調子に乗るなと額を押し返されるくらいのことはあった。そうされたらボクも文句を言って、それで終わりにできた。
けれど、カイルは笑わなかった。
琥珀色の目が、ボクを見ている。
目元から、頬へ。髪のかかった耳の辺りへ。それからまた、目へ戻る。
何を見られているのか、急に分からなくなった。
口を開こうとした。
用意していた言葉が、出てこない。
「……そんなに、見なくても」
「見ろって言っただろ」
「言ったけど」
自分から身を乗り出したのに、膝の上へ手を戻したくなった。
どうしてだろう。見慣れてもらえばいいだけのはずなのに、視線を外してほしいのか、もう少し見てほしいのか、まだ決められない。
カイルが先に目を伏せた。
「リオだから、困ってる」
声が近かった。
ボクは姿勢を戻した。
親友が好みの女の姿になったら、混乱する。
それは、確かにそうかもしれない。
ボクだってカイルが突然、好みの姿になったら――そこまで考えて、自分がどんな顔を好むか、すぐには思いつかないことに気づいた。
分からないことを比較しても仕方がない。
「……そのうち、慣れるよ」
「そうだといいな」
カイルは靴へ手を伸ばした。
ボクは立ち上がり、先に部屋へ戻ることにした。
扉へ手を掛ける直前、つい振り向く。
カイルはまだ、こちらを見ていた。
◇
鏡は、荷物の底にしまったばかりだった。
わざわざ取り出すのも変だと思ったのに、結局ボクは寝台の上へ袋を引き寄せた。
蓋を開く。
銀灰色の髪。
緑の目。
少し疲れた顔。
これが、カイルの好み。
そう考えると、昨日までとは違うところが気になった。髪が片側だけ跳ねている。
袖口に隠していると分からないけれど、首元は前よりずっと細い。
カイルは、どこを見ていたのだろう。
顔を少し横へ向けてみる。
その動作を自分でしていると気づいて、鏡を伏せた。
何をやっているんだろう。
あいつが見慣れるかどうかの話であって、ボクが見てもらうために確かめる必要はないはずだ。
しばらくして、もう一度だけ鏡を開いた。
今度は、髪を整えるためだった。
そういうことにした。
◇
翌朝、宿の前には父と母、それからローディンさんとエリナさんも見送りに来ていた。
エリナさんはカイルへ食べ物の包みを二つ持たせ、母はボクの鞄の留め具を一度確かめた。
「次は、もう少し早く顔を見せて」
「カイルにも言って」
「俺?」
「おまえにもだ」
ローディンさんに言われ、カイルが黙る。
父が横で笑った。
アルトも飛行灯を置いていっていいと言ってくれた。
「今度、ちゃんと飛ばせよ」
「今ならできる」
「昔も言ってた」
「今度は、本当に」
カイルが隣で笑う。
ボクは、次に来るまでに部品を考えておくと約束した。
馬車には、昨日と同じ席が空いていた。
ガレスとリゼットが前方へ座り、カイルは窓際へ腰を下ろす。向かい側にも、十分に場所がある。
ボクはカイルの隣へ座った。
隣へ腰を下ろした途端、横顔がこちらを向いた。
「そっち、空いてるぞ」
「知ってる」
「……そうか」
袋を膝へ載せ、いつもより近くへ寄る。
カイルの肩が、ゆっくり固くなるのが分かった。
「慣れた方がいいでしょ」
小声で言うと、カイルは窓の外へ目を向けた。
返事がない。
耳が赤くなっている。
ボクは、こっそり笑った。
昨日の夜には、こちらも散々困らされた。
でも今は、向こうの方がずっと困っている。
それを知っていて隣へ座るくらいなら、許されてもいいと思った。