一番隊・特別地下特訓場。
薄暗く重厚な石造りの空間に、前回の講義を受けた面々——山本元柳斎重國、卯ノ花烈、浦原喜助、四楓院夜一、隠密機動総司令・砕蜂、そしてトラウマでガタガタと膝を震わせるポンコツ三人組(京楽春水、朽木ルキア、平子真子)が集結していた。
「……はぁ……またこの地獄の地下室かい……」
「平子隊長、震えが止まらんのだが……」
「ワイなんか吐きそうや……」
そんな三人組をよそに、教壇に立つ市丸ギンがふっと口端を上げた。
実は——この講座を始める直前、ギンは山本元柳斎重國と極秘の交渉を行っていたのだ。
『藍染惣右介を、一度だけこの場に召喚させてほしい』
流石の元柳斎も「冗談も休み休み言え」と激怒し難色を示したが、ギンは一切の迷いなく言い放った。
『万が一、あの人が暴れたり反乱を起こしたら……ワイの命、山じいに捧げますわ』
ギンの覚悟と、あえて藍染をこの講義に巻き込むことの計り知れぬ教育的価値を推し量り、元柳斎は特別にそれを許可したのである。
ズズズ……
特訓場の中心。空間が歪み、重厚な拘束具を解かれた藍染惣右介が、静かにその姿を現した。
「「「「「「「………………っ!?!?!?」」」」」」」
場内に走る激震! 京楽は帽子を落とし、ルキアは呼吸を忘れ、平子は腰を抜かしかけた! 砕蜂は即座に雀蜂を構え、元柳斎すらも流刃若火の柄に手をかける!
「……やあ、ギン。一体どういう風の吹き回しだい? こんな場所へ私を呼び出して」
突如として引き出された藍染は、しかし一切の動揺を見せず、静かに周囲を見回した。
「あはは、藍染はん。今日の初講座は『実践編』にしたい思って呼び出させてもらったんですわ」
その一言で、藍染は一瞬にしてすべての状況とギンの意図を察した。
「……なるほど。私を『教材』にしようというわけか。フフ……で、どういう状況で戦うんだい?」
「鏡花水月は無しどす。あれ使われたら実戦編もクソもあらへんからねぇ。今日は【高度な心理戦】の実践編どす。ワイも卍解は無し。その他は……なんでもアリでええわ」
【実践編:極限の心理戦】
両者が一定の距離を保ち、すっと構える。
瞬歩も使わず、ただ互いの視線と微細な霊圧の揺らぎだけが交錯する。
((((((な……なんだ、この空気は……!?))))))
観覧席の全員の肌が、ピリピリと物理的な痛みを覚えるほど張り詰めた。
市丸ギンが、微かな笑みを浮かべながら一歩踏み出す。
その瞬間——。
(!……ギンの軸足が右に傾いた……! 踏み込みか!?)
ルキアが息を呑む。
だが、浦原喜助の目には全く違う景色が見えていた。
(……いいえ、違います。市丸さんの目線は左……しかし霊圧の指向性は後方……! 藍染さんの『間合いの認識』を狂わせるための重層的なハッタリ(誘導)です……!)
「……藍染はん。南の島で見たバカンスの景色、ごっつ綺麗でしたわ。あんたも無間の暗闇に飽きたら、いつか一緒に行きましょか?」
ギンがヘラヘラと笑いながら、あえて雑談で相手の意識を一瞬だけ逸らそうとする。
同時に、右足の親指に微かな重心を乗せ、視線をわずかに藍染の左肩へと向けた。
(! 雑談での揺さぶり……! だが同時に視線と重心で『左』へのアタックを誘導している……! ブラフか、真実か……!?)
観客席の砕蜂が全身から汗を吹き出させながら注視する。
しかし、藍染は静かに笑みを崩さない。
「それは魅力的だね、市丸。だが……君が左を意識させる時、本当の狙いは『相手の右脇腹』だ。過去に何度も私に見せた誘導のパターンだよ」
藍染が右脇腹を庇うように、すっと半身になる——まさにその一瞬。
シュ……ッ!!
何の掛け声も、特別な霊圧の爆発もなく。
ただ息を吸って吐くような自然さで、市丸ギンの手元で『神殺鎗(かみしにしにのやり)』がしれっと解放され、音速の500倍の超速で藍染の胸元を穿った!
「(((((((なっ……!?!?!?))))))))」
「ま……卍解……!? 掛け声も無く、しれっと放ちやがった……!!」
平子が目を見開いて叫ぶ!
伸縮マッハ500。回避不可能な一撃。
しかし——!
バシィッ……!!
「ぐ……っ!?」
藍染惣右介は、驚く素振りすら一切見せず、放たれた神殺鎗の刃を、左手の指ふた本で平然と挟み込んで止めていた。
「……いい一撃だ、市丸。言葉で右を意識させ、動きで左を誘い、そのどちらでもなく『直線』を、文字通り無言の卍解で突く。……相変わらず隙がないね」
「……あはは、流石どすなぁ。しれっと卍解使ったのに、平気で素手で受け止められてまうとは……」
神殺鎗の刃をすっと引き戻すギン。
超ハイレベルな「ルール破りの不意打ち」と「それを当然のように受け止める圧倒的強者」のやり取りに、観客席の全員が息を呑み、寒気を覚えた。
だが——真の絶望は、その直後に訪れる。
【衝撃の結末】
パリン……!
ガラスが割れるような清脆な音。
「……え?」
次の瞬間、藍染が指で挟んでいたはずの神殺鎗の刃も、目の前にいた藍染の姿も、かき消えるように消失した。
そして、ギンのすぐ背後にスッと立ち、その首元に浅打の刃を突きつけている本物の藍染惣右介の姿があった!
「——『砕けろ、鏡花水月』。……そこまでだ、市丸」
「「「「「……えっ!??!?」」」」」
場内が一瞬で凍りついた。
「卑怯だぞ藍染!!」
砕蜂が激昂して教壇を叩く!
「『鏡花水月は無し』というルールだったはずだ! 市丸もしれっと卍解を使ったが、貴様は最初から鏡花水月を使っていたのか!? 条件違反だぞ!!」
観客席からも「約束が違う」「やはり藍染か」と動揺の声が上がる。
しかし——首元に刃を突きつけられた当事者である市丸ギンは、ハハ……と力なく笑うと、首をゆっくりと横に振った。
「……砕蜂さん。……これが、本当の『実戦』なんや」
「……何……!?」
ギンは振り返り、全員を見回した。その表情には、いつものふざけた空気は一切無かった。
「ワイがルールを破ってしれっと卍解を使おうが、どんなに速い心理戦を仕掛けようが……相手が最初からルールを守っておらんかったら、全部無意味どす。誇りや矜持も、確かに大事や。山本総隊長や天理さんを見てると、ホンマにワイもそう思いますわ。……けどな、砕蜂さん。命をかけた勝負に、2度目は無いんやで」
ギンは静かに藍染を見つめ、それから受講生たちへと言葉を紡ぐ。
「ワイがそこの藍染はんに教えられたのは……『無能な者ほど、勝負の是非やルールにこだわり、本来優先すべき【任務】より己の【誇りや矜持】を優先する。いわゆる“滅びの美学”だ』ということどす」
「「「「「…………っ!!」」」」」
「……これはね、ワイらが天理さんと出会う前の話や。……けど、その後、天理さんが亡くなった後……藍染はんは、この教えを『たった一つだけ』修正しはりました」
「『七瀬天理だけは、私の言う“滅びの美学”が当てはまらない絶対的強者だ。己の誇りと任務を両立し、完遂できる。……たとえその先に“死”しか無かろうともね』……とな」
ギンの声が、地下特訓場の奥深くまで重く響き渡る。
「……しかし、皆さんも知ってるはずや。あの天理でさえ……最後の瞬間、己の誇りよりも【任務(護廷の勝利)】を最優先したということを」
ギンの言葉に、山本元柳斎重國の瞳が大きく見開かれた。
「——『終極・百花繚乱滅殺陣(しゅうきょく・ひゃっかりょうらんめっさつじん)』」
ギンがその技の名を口にした瞬間、地下室の温度が氷点下まで下がりきったかのような錯覚を全員が覚えた。
「ただ無慈悲に、一切の美学も誇りも捨て去り、敵を皆殺しにするためだけに放たれたあの凶悪な卍解……。天理さんは、己の名誉も誇りもすべて泥に塗れてでも、護廷を守るという『任務』を完遂しはった」
ギンは砕蜂を、そして京楽たちを静かに見つめた。
「……ルールを破られたと怒り、勝負の是非にこだわるのは簡単どす。けどな……『ルール通りに戦って死にました』『誇りを守って任務に失敗しました』……そんなもんに、一体何の意味があるんですか?」
【全員の衝撃と反応】
完全なる静寂が特訓場を支配した。
「……くっ……っ…………!!」
砕蜂は突きつけられた現実の前に、言葉を失って拳を握りしめ、ガタガタと震えた。
しれっと放たれた神殺鎗の超速すらも平気で受け止められ、さらにその上をいく『ルール無視』の鏡花水月で詰まされた事実。ルールを守り、正々堂々と戦うことこそが自分の誇りだと思っていたが……もしそれが『任務の失敗』に繋がるとしたら……自分はただの「滅びの美学に酔いしれる無能」だったのではないか。
「……やれやれ」
京楽春水が、帽子の庇を深々とかぶり直し、重い溜息をついた。
「……刺さるねぇ。天理ちゃんのあの最後の卍解……僕らの胸に、一生消えない傷として残っているよ。どれほど凄まじい一撃を持っていようが、誇りを捨ててでも任務を遂行する……それが『本当の強さ』か」
ルキアは涙を浮かべながら、己の手を見つめていた。
「……私は……私は『正しい戦い方』に囚われていただけだったのかもしれない……。勝負の是非ではなく、何を成し遂げるか……」
平子真子も、苦い顔で頭を掻きむしった。
「……藍染の奴、ルール破ってドヤ顔しとるのが最高に腹立つけど……言っとることはぐうの音も出んわ。ワイらの青臭さを完璧に粉砕しよったな」
そして——山本元柳斎重國が、静かに歩み出た。
「……市丸」
「はい、総隊長殿」
「……見事な講義であった」
元柳斎の目が、藍染惣右介へと向けられる。
「……藍染。お主の歪んだ思想、断じて許す気はない。……だが、お主が説き、天理が証明した『誇りを超えた真の完遂』……護廷十三隊の者どもの胸に、確かに刻ませてもらったぞ」
藍染惣右介は、フッと口端を吊り上げた。
「……光栄だね、山本総隊長。……いいかい、君たち」
藍染は最後に、正座する若き隊長たちを見下ろし、静かに言った。
「誇りを抱いて死ぬのは容易い。だが、誇りを泥に塗れさせてでも生きて任務を成し遂げること……それこそが、本当の地獄であり、強者の歩む道だ。……忘れないことだね」
シュン……
拘束の霊圧が巻き戻り、藍染惣右介の姿は再び無間の闇へと姿を消していった。
講義が終わり、誰もが無言のまま立ち尽くしていた。
「あはは! 皆さん、重い顔しはって! 実践編講義はこれでお終いどす!」
市丸ギンがいつものヘラヘラとした笑顔に戻り、手をパンパンと叩く。
しれっと卍解を繰り出す底知れなさを持ちながらも、藍染惣右介の真の洗礼を受け、天理の教えを伝える男——市丸ギン。彼が授けた「あまりにも重く、リアルな教え」は、護廷十三隊の志を根底から塗り替えていくのであった。