野蛮なゲリラエルフは、如何にして平和なデータセンターを焼き払うに至ったか 作:とちがら
第一次大森林戦争の開戦時期をいつとするかについて、歴史家の見解は今もって一致していない。
長く通説とされてきたのは、越境暦七十九年六月十二日の第三七号林区
ただ、一つだけ確かなことがある。
六月十二日の朝、森を出た二十三人の老人たちは、自分たちが戦争を始めるとは夢にも思っていなかった。多くは杖をつき、何人かは弁当を持っていた。
その年の秋には、工区に火薬を詰めた
話は、老人たちが森を出る前日の朝から始めたほうがよい。
◇ ◆ ◇
ボルの家は、大森林北縁の村の、そのまた外れにあった。
樹皮と
この数年は、その雨音も、北の尾根から夜通し届く低い唸りに紛れるようになった。ボルは雨の夜も、目を開けたまま横になっていた。
人類の会社は、村の家々に、音を通さない二重の窓を配った。窓を閉めると、唸りは小さくなった。雨の音も、聞こえなくなった。ボルの家の窓は、今も納屋に立てかけてある。
「爺ちゃん、またそれ食べてんの?」
朝の卓で、孫のリュカが笑った。
「うめえがらな」
ボルは人類製の小瓶を逆さにした。赤い、粘り気のあるものが、ゆっくりと黒パンの上へ落ちていく。瓶の口にこびりついた分を、ボルは指ですくって
「最初、赤い泥って言ってたじゃん」
「苺ジャムだべ」
「覚えたんだ」
「もうねえな」
「昨日、爺ちゃんが半分食ったからだよ」
「買ってこ」
「俺の給料なんだけど」
リュカが声を上げて笑った。
人類が来てから、この孫はよく笑うようになった、とボルは思う。
リュカは二十一歳になる。人類の会社の青い作業着を着て、第七北方データセンター第三七号工区で資材を運んでいる。去年、母親が肺を悪くしたときは、会社の医療保険で人類の診療所にかかった。村の薬師が三度首を振った病を、白い錠剤が十日で治した。
「今日、遅くなる」
「また箱が」
「箱って言うなよ」
「箱だべ。窓もねえ、煙突もねえ、でっけえ箱だ」
「中はすごいんだぞ」
「見だごどあんのが?」
「ない。俺、資材運んでるだけだもん。中に入れるのは人類の技師だけだよ」
ボルは黒パンを置き、孫の尖った耳をじろりと
「耳まで丸ぐなったが!」
「なってねえよ!」
リュカが慌てて両耳を押さえた。指の間から、ちゃんと尖った耳の先がのぞいている。ボルは満足して、パンの残りを口へ放り込んだ。
ボルはジャムを食った。人類の放送局が流すラジオを聞き、半分も分からないまま天気予報だけは覚えた。孫が持ち帰った古い地球の映画も見た。森の小さな毛むくじゃらの連中が、槍と縄で帝国の兵隊とやり合う話だったが、ボルは途中で寝た。
「あれ、最後はどうなったんだ」
「毛むくじゃらが勝つよ」
「
孫は昔ほど、ボルに物を訊かなくなった。食える
「そういや、姉ちゃんから荷物来たよ」
リュカが思い出したように言った。
「元気が」
「たぶん。菓子入ってた。地球の、甘いやつ」
「仕事は」
「接客だって」
リュカの姉は、二年前から地球へ
姉の仕送りで、家の屋根は半分、人類製の防水材になった。雨漏りはなくなった。同じ二年のあいだに、村の祭りで踊る若い娘の数は、目に見えて減った。
その日の昼、ボルは森がなくなったことを知った。
知らせを持ってきたのは、茸採りに出ていたヤラ婆である。第三七号林区の境の
ボルは杖をつかんで森へ入った。
第三七号林区は、ボルが生まれる前から、ボルの一族が罠を掛けてきた森である。樹齢三百年を超える楡の大木が一本、林区の真ん中に立っていた。ボルの父はその根元に罠を仕掛け、母はその樹皮から染料を採った。妻のミナと初めて口づけを交わしたのもその木の陰だった。
その楡も、もうなかった。
焦げた土の匂いがした。切り口の白い株が、墓石のように並んでいる。昨日まで林区の外にあった工区の柵が、一晩で、森の側へ二百歩ほど押し出されていた。その向こうを、黄色い重機がゆっくりと
「
ボルは切り株を杖で叩いた。乾いた音がして、杖の先が少し欠けた。
後から追いついてきた老人たちが、ボルの背中越しに灰色の建物を見上げた。
「第七北方データセンターだど」
「でーたせんたあ」
「
「なんだべ、それは」
「計算する箱だ」
ボルが答えた。
「何ば計算する」
「いろいろだ」
「いろいろって?」
「……いろいろだ」
二か月前、東の林区が切られたときには、若い者が測量の杭を抜き、叱られて終わった。
老人たちは、切り株の前で車座になった。
「いっきだ」
最初にそう言ったのは、トビ爺だった。
「なんだど?」
「一揆だ、一揆」
「何さ一揆すんだ」
「あの箱さだ」
「箱さ一揆してどうすんだ」
「焼ぐ」
誰かが乾いた声で笑った。笑いはすぐに途切れて、切り株を撫でる風の音だけが残った。
「神さまは、何してらんだ」
ヤラ婆が空を見上げた。
「世界ば歌い出したっきり、寝でらんだべ」
「おらだぢさ、節だげ残してな」
世界は最初、一つの歌だった。神が種族ごとに分けて渡し、エルフには旋律だけが残ったという。老人たちは、歌詞のない節を口笛で子供へ伝えてきた。
「ボル、どうする」
トビ爺が言った。車座の老人たちが、揃ってボルの顔を見た。
ボルは、とっさに返事ができなかった。
寄り合いで「どうする」と訊かれるのは、いつ以来だろう。二十人を超える老人の目が、ボルの口元を待っていた。
少し、胸が鳴った。
ボルは、それを怒りのせいだと思うことにした。
「神さまが何もしねんだら、おらだぢがやるしかねえべ」
そこへ、車座の輪を割ってリュカが駆けてきた。青い作業着のまま、額に汗を浮かべている。リュカの持ち場は工区の反対側の資材置き場で、朝の搬入路から林区は見えない。昼に噂を聞き、抜けてきたらしかった。
「爺ちゃん! 何やってんだよ」
「一揆だ」
「分かんねえよ!」
リュカは祖父に詰め寄りかけて、その肩越しに伐採地を見た。そして、しばらく何も言わなかった。
この林区で、ボルは孫に弓を教えた。あの楡の根元で、孫は初めて弦を引いた。
「おめも知らねがったな」
「……第三七号林区まで切るとは、聞いてなかった」
「ほれ見ろ」
「でも、契約はあるんだ。評議会が土地の使用に同意してる」
「おらは同意してねえ」
「村には補償金も出る。人間が来て、悪いことばっかりじゃなかっただろ。仕事ができた。薬も来た。道路もできた。母さんだって助かった。爺ちゃんだって、毎朝ジャム食ってるじゃないか」
「んだな」
「だったら——」
ボルは、切り株の一つにゆっくりと腰を下ろした。まだ温かかった。
「んでも、それど、森ば勝手に取っていいがは、別だべ」
リュカは黙った。
「好ぎな相手だば、何されでも黙ってねばなんねのが?」
「……そうじゃないけど」
「んだら、話っこさ行ぐ」
「一揆は?」
「話して、返してけねがったら考える」
村の道端で、ボルはセインの母親に呼び止められた。
「うちの息子まで仕事なぐなったら、おめ、責任取れるのが」
セインはリュカの幼なじみで、同じ工区で働いている。子供のころは二人して、ボルの罠を勝手に見て回っては叱られていた。セインの給金で、セインの家は去年、井戸を掘り直した。
「仕事ばやめろとは言ってねえ」
「工事が止まったら、運ぶ物もねぐなるべ」
「森ば残して、別んとこで——」
「どこの森だ」
ボルは、道の先を見た。自分の罠のない森ならよい、と言いかけていた。
「明日、向こうに聞ぐ」
「ボル。聞ぐだけだぞ」
女は、ボルの杖を握った。
「うちの子ば、おめの一揆の人数に入れねでけろ」
「入れねえ」
杖が離れた。明日集まる者だけの話ではない。ボルは寄り合い小屋へ戻った。
その夜、寄り合い小屋には、二十三人の老人が集まった。
「何ば持って行ぐ」
「弁当だべ」
「旗っこも要るべ。一揆には旗だ」
ヤラ婆が、古い敷布を引っ張り出してきた。誰かが
「村の名も書ぐが」
「書がねえ。森ば返せ、それだげだ」
セインの母親との約束を、ボルはそれで守ったつもりだった。
ボルは、敷布の真ん中に、エルフ文字で大きく「森ば返せ」と書いた。字は震えて、右へ傾いた。老人たちは、立派だ、立派だと言い合った。
そこへ、仕事帰りのリュカが顔を出した。
「それ、エルフ文字じゃ門の人に通じないよ」
老人たちは顔を見合わせた。この中に、人類の字を書ける者は一人もいなかった。
リュカはしばらく黙っていたが、やがて筆を取り、敷布を裏返して、人類の字で大きく書いた。
《森を返せ》
「おめも一揆さ加わるのが」
「加わらないよ。通じないと、爺ちゃんたちが余計に怒るだろ」
リュカはそう言って、筆を置いた。
寄り合いから帰った後、リュカは祖父の寝床の前で長いこと立っていた。
「明日、俺も行く」
「おめは仕事だべ」
「仕事は休む。爺ちゃんたちだけで行かせたら、何するか分かんないだろ」
ボルは寝返りを打って、古い屋根の下で目を閉じた。その夜、雨は降らなかった。
翌朝、二十三人の老人が森を出た。リュカは二十四人目になった。
一行が着いた第七北方データセンター第三七号工区の外周柵は、高さ二・四メートルの金網でできていた。
柵の向こうでは、砕石を敷いた平地に、太い管が何本も伸びていた。管は林の奥、川のほうへと続いている。
警備員が三人いた。二人は門の前に、一人は門の内側に立っていた。
門の前の、年かさのほうを見て、リュカは小さく声を上げた。
「マルコさん」
第三七号工区の警備主任、マルコ・ディアスは、毎朝、資材搬入の車列に手を振る男だった。四十を過ぎた地球人で、娘の写真を端末の待ち受けにしている。去年の冬、搬入口で凍えていたリュカに、自販機の温かい缶を一本くれたことがある。
「リュカか。今日は休みだったな」
「すみません、この人たちがちょっと話をしたいと」
マルコは、老人たちとリュカを見比べて、困ったように笑った。
「悪いが、ここから先には入れられないんだ。規則でな」
「分かってます。話を聞いてくれる人を、呼んでもらえませんか」
「わかった。だが、時間がかかるかもしれん」
リュカは祖父のほうへ振り返り、それを共通語に訳した。ボルは、まだ納得していない顔で頷いた。この工区の警備員で、共通語を話せる者は一人もいなかった。
門の内側にいたもう一人、二十二歳の地球人アルバイト、ノア・ベネットは、杖をついた老人の一団が近づいてきたときから、手の中の端末を老人たちへ向けていた。
《BeNow》の通知が来ていた。一日一度、その瞬間の自分と周囲を撮って投稿する、地球で流行の交流サービスだった。ノアは老人たちを背景に、自分の顔を画面へ入れた。
《今日バイト先にエルフのデモ来てる》
投稿は、データセンターの建設に伴って敷かれた通信網を通り、海峡の島にある越境門から地球へ届いた。
「森ば返せ」
ボルは門の前に立ち、マルコの隣の警備員に向かってそう言った。
警備員は困った顔でリュカを見た。リュカが訳すと、警備員は訓練どおりの丁寧さで答え、リュカがそれを祖父へ返した。
「担当者は、もう呼んであるって。ここで待ってくれって」
「中で話す」
「……工事区域だから、入れないって」
「昨日まで、おらだぢの森だ」
「今は工事区域だって」
「いづから、おめだぢの土地になった」
リュカは、それを訳さなかった。訳したところで、警備員には答えられなかっただろう。答えを知らなかったからである。
第三七号林区の土地使用契約は、異世界開発公社と北方諸族評議会との間で、越境条約に基づき適法に締結されていた。補償金の額も、支払い先も記されている。
評議会は、診療所や学校を人類側から引き出してきた。その交渉の力は、北縁でも認められていた。だが、ボルたちは、自分たちの森を明け渡す代表だと思ったことはなかった。都市の若い議員たちは、村が共同で使う林の慣わしを十分には知らなかった。手続きに
十分が過ぎた。二十分が過ぎた。三十分が過ぎた。
担当者は来なかった。
正確に言えば、来ようとはしていた。だが第三七号工区の現場責任者は、同じ時刻、冷却設備の基礎に施工不良が見つかったという報告を受け、その対応に追われていた。総事業費二十一億ドルの工事において、門前に座り込んだ二十三人の老人の優先順位は、決して高くなかった。
老人たちの何人かは、持ってきた弁当を開いた。ヤラ婆は腰をさすっていた。
リュカはマルコに、もう一度無線で呼んでくれと頼んだ。マルコは呼んだ。返事を聞くうちに、その顔から笑いが消えた。
「今日は帰って、明日また来ねえか」
戻ってきた孫が言った。
「明日だば、来るってが」
「……明日も、呼んでもらう」
「その間も、切るんだべ」
一時間が過ぎたころ、ボルの中で何かが擦り切れた。
「話っこするって、言ったべ!」
ボルは金網を両手でつかみ、揺すった。
「柵から離れてください!」
「離れろって、爺ちゃん!」
「担当者ば出せ!」
リュカが訳すと、警備員は声を張り上げた。
「呼んでいます!」
「いつ来るんですか」
「分かりません」
リュカは、その答えを訳せなかった。
「なんて言った」
ボルが訊いた。孫は答えず、金網を握るボルの手を外そうとした。
「また待てってが。おめまで、そっちのことばかり言うのが」
「俺は、爺ちゃんに怪我してほしくないんだよ!」
孫を困らせたいわけではなかった。だが、ここで手を離せば、孫に連れられて帰る年寄りに戻る。
「んだら、入る!」
「爺ちゃん、待てって!」
リュカが祖父の腕をつかんだ。そのとき、老人の一人が門扉を押し、警備員が押し返した。誰かが砕石に足を取られて転んだ。門扉の
「やめろって! みんな下がって!」
リュカが、老人たちと警備員の間へ体を割り込ませた。人類語と共通語の両方で、双方に向かって叫んだ。
ヤラ婆の掲げた旗が、門扉にぶつかって裏返った。人類の字で書かれた《森を返せ》が、門の内側へ向いた。
ノア・ベネットはまた、端末を向けていた。
「おい、撮るな!」
同僚が怒鳴った。その直後だった。
マルコ・ディアスが、腰のホルスターから非致死性電撃投射器を抜いた。
「下がれ!」
リュカが振り返った。銃口に似た黒い器具が、まっすぐ孫の胸へ向いていた。
ボルには、それが何なのか分からなかった。人類の道具のことは、いつもたいてい分からない。
分からなくても、一つだけ分かった。
孫へ向けられている。
「リュカ!」
ボルは孫を突き飛ばした。リュカが、砕石の上に尻から転がった。
乾いた破裂音が、二度した。
胸に、何かが打ち込まれた。
「爺ちゃん!」
空が、ゆっくりと回った。
◇ ◆ ◇
マルコは、一発目の電極針が厚い毛織りの上着に阻まれたと判断し、二発目を撃った。今度は、針が二本とも上着を抜けた。一本は心臓のすぐ上に、もう一本は脇腹に刺さった。筋肉の自由を奪うための電流が、その間を流れた。
成人の地球人への使用を前提として認可された、非致死性装備だった。エルフに対する安全性の試験は、行われていなかった。
警備主任マルコ・ディアスに殺意はなかった。後の聴取記録によれば、彼は門扉が押し破られる危険を認め、規定に従い、手持ちの装備の中で最も致死性の低いものを選択した。拳銃を抜かなかったことを、彼は聴取の場で三度繰り返している。器具を向けた先にいたのが、毎朝手を振っていたエルフの青年だったことについては、一度も語らなかった。
ボルは人類側の診療所へ運ばれ、夕刻に一度、意識を取り戻した。白い部屋で、腕に何本も管を刺されていた。
それより少し前、診療所の廊下で、リュカは人類の医師の説明を母親へ訳していた。若い女の医師で、言葉を選びながら、しかし正確に話した。
「心臓の電気信号が、乱れたままです。エルフの方の心臓にこの種の電流が流れた場合のデータが、私たちには、ほとんどありません。できることは全部しています。ただ、今夜から明日が山です」
リュカは、少し間を置いてから、母親のほうを向いた。
「心臓がびっくりしてるだけ。明日には落ち着くって」
「んだら、おめ、なんで泣いでら」
母親に訊かれ、リュカは口元を袖で拭った。
「びっくりしたから」
「お医者さん、ほかにも言ってらべ」
リュカは医師を見た。何も聞き直さず、母親へ向き直った。
「ここにいてくれって。今夜は」
母親は病室の扉を見て、それから頷いた。医師は何も言わず、リュカの肩に一度だけ手を置いて、病室へ戻った。
枕元の椅子には、それからずっとリュカが座っていた。
「爺ちゃん」
「なんだ」
「分かるか」
「わがる」
「痛い?」
「うるせ」
それを聞いて、リュカが泣いた。
「ごめん」
「なしておめが謝る」
「俺が前に出たから」
「馬鹿こぐな」
「でも」
「孫ば庇うのに、理由っこいるが」
ボルは息を整えた。胸の奥で、何かがうまく噛み合わずに空回りしている感じがした。人類の機械が、枕元で小さな音を立て続けていた。
「仕事、明日、あるんだべ」
「行くわけないだろ」
「行げ」
「爺ちゃん」
「ジャム作ってる奴ど、おら撃った奴は、別だべ」
リュカは答えなかった。
「リュカ」
「なに」
「耳、まだ、尖ってらが」
リュカは泣きながら笑った。両手で自分の耳の先をつまんでみせた。
「尖ってるよ」
「んだば、いい」
それが、ボルが孫に残した最後の言葉になった。翌朝、ボルは死んだ。
人類企業は、治療費の全額負担と弔慰金の支払いを申し出た。警備会社は「現場における不幸な事故」として遺憾の意を表明した。異世界開発公社は、第三者調査委員会の設置を発表した。
工事は、止まらなかった。
◇ ◆ ◇
ボルが死んだ翌朝、リュカは台所の卓の上に、空になったジャムの瓶を見つけた。祖父が、あの朝に指で舐めた瓶だった。瓶の口には、まだ赤いものが少しこびりついていた。リュカはそれを洗うことができず、棚の奥へしまった。
葬儀の日、村の広場は、妙に広く見えた。
集まったのは、親族と、老人仲間と、近所の者だけだった。データセンターで働く若者は、リュカのほかには、セインしか来なかった。
「気の毒だとは思うよ。でも、工事を止められたら困るんだ」
「それ、今言うことか」
セインは、手にした香を下ろした。
「昨日、村の人たちが、うちにも工区へ行くなって言いに来たんだ。辞められないって、伝えてくれよ。妹が、来年から地球の学校なんだ。俺がここを辞めたら、学費が払えない」
リュカは香を指さした。
「先に、それ。爺ちゃんに」
セインは頷いて、香を手向けた。目を閉じると、しばらく開かなかった。
「言っとく」
帰りかけた背中へ、リュカは言った。セインは振り返り、何も言わずに頭を下げた。
人類企業から届いた弔花だけが、場違いなほど立派だった。白い百合を何十本も束ねたもので、村の誰も、その花の名前を知らなかった。
その日の夕方、墓の前には、百合とは別に、黄色い野の花が一束置いてあった。子供のころ、リュカとセインが、ボルの罠を見に行く道で摘んでは振り回していた花だった。
ノア・ベネットの投稿は翌日には削除されていた。同僚に止められても撮り続けた動画は、すでに転載を重ねていた。《森を返せと訴えた老人が死亡》。映像は北縁の村々と地球へ広がった。
葬儀の夜、リュカは家に戻った。弔いの客はもう帰り、土間には、トビ爺とヤラ婆だけが残っていた。
家の壁には、祖父の弓が掛かっている。狩りのための古い弓で、握りのところが祖父の手の形に擦り減っていた。子供のころ、リュカもこの弓で狩りを教わった。最初に教わったのは、弦の引き方ではなく、弓を向けてはならない先のことだった。
「
壁には、人類製の青い作業着も掛けたままになっていた。リュカはそれを下ろして、胸に刺繍された白い社名を、しばらく見ていた。
あの日まで、その社名は少し誇らしかった。森しか知らなかった自分が、人類の会社で働いている。金を稼ぎ、母親に薬を買い、知らない料理を食べている。自分は未来へ進んでいるのだと思っていた。
リュカには、何を憎めばいいのか分からなかった。
引き金を引いた警備主任か。警備会社か。人類の会社か。勝手に契約を結んだ評議会か。あの灰色の箱か。それとも、祖父を門まで連れていった自分か。
ただ、爺ちゃんがいない。朝の卓で、ジャムの瓶を逆さにする者がいない。その事実だけは、どうしようもなく分かった。
「いっきだ」
帰り支度をしていたトビ爺が、土間で
誰も笑わなかった。
ヤラ婆が、口笛で創世の節を吹き始めた。
歌詞はなかった。拍子も一定ではなかった。途中で息が続かなくなり、節は何度か途切れ、また途中から始まった。ただ、旋律だけがあった。
「いっきだ、いっき」
トビ爺が、もう一度言った。
リュカはただ、壁の弓を見た。