先祖返り半人外TS娘をいじめ抜く異世界生活24時 作:生後半年の猿
第一話
気付いたら産まれ直していた。
よく聞く話だ。あまりない話でもある。
ただ、そういう輪廻転生という概念は、アジア圏なら大昔から広く知られていたし──今回、そのあまりない話の当事者となった彼が生きていた現代日本でもそうだった。
仏教、ヒンドゥー教、オルペウス教にドルイド教。はたまた創作、つまりはサブカルチャー文化。
その形態にいくらか差異はあろうが、魂という核を引き継ぐことにかわりはない。
そこに記憶が付随するのであったり、意識の連続性が保たれるだとか、姿すら引き継ぐだとか、あるいは余分なプラスアルファを付け加えられたりだとか、様々なオプションだってある。
どうして、どうやってなぞ、わざわざ脳に汗をかいて考える必要はない。
少なくとも、当事者にとって意味のないことだからだ。無意味だ。非建設的だ。
既に起こった結果に、過ぎ去った奇跡に、手で掴めなくなったものに思索を馳せて何になる?
知恵の輪のようにこんがらがった世の摂理の解明なんぞ、徳の高い僧侶にでも任せればいい。
……ともかく、たった今。
おぎゃあと産声をあげてこの世に産まれ直した彼にとっては、転生とはそういうものだった。
生前の彼は、そう、現代日本では極々普通の成人男性だった。
両親共に生粋の日本人で、姉が一人いる。四人家族の末っ子。
黒髪黒目で、少し色素が薄い。顔立ちやスタイルは並程度で、頭の出来も同様。
普通に小学校から高校までを卒業し、何となく社会人になりたくなかったから、とりあえず適当な大学に入った。
"普通"というものに恵まれきった男だった。
特にやりたい仕事もなかったけれど、とりあえず遊ぶ金は欲しいと思うだけの私欲はあったから、ほんの僅かな期間だけ大真面目に企業選びに心血を注いで、程々に給料の良さそうな会社を選んで、外面を取り繕って面接を受けて、採用された。
……大手ではなかった。
かといって小さい訳でもなく、準大手と呼べる程度に大きな会社だった。
程々で十分だと、当時の彼は家族や友人達に満足気に語っていた。
それから同期間では上から3番手から4番手程度の成果を出しつつ、出世を嫌い、適当に媚びへつらいながら趣味に生きる。
中立にして中庸。
あらゆる人間の平均値そのもの。
そういう、熱のない、けれど真っ当ではある人間として生きて。
けれどある時、珍しく外れ値を引いて、交通事故であっけなく死んだ。
後悔はなかった。
やり直したいとも思わなかった。
彼はその人生に満足していた。
産まれたから生きただけで、産まれてないのに生きたいと願うほどの熱はなかった。
つまり、逆に言えば。
彼はまた産まれてしまったのなら、また生きることを選ぶ程度には、真っ当な人間だとも表せる。
輪廻転生、大変結構。興味はない。
なぜなにどうして、そんな事を深掘りするほど真面目でもない。
ただ、それが世の摂理ならば疑わずに従うだけだった。
「産まれたのか? 無事にか? あぁ、どうなんだ、教えてくれ……!」
「大丈夫、大丈夫ですよ。奥様もお子様もどちらも健康です。さ、部屋に入ってください旦那様。お子様がふっくら泣きながらお待ちですよ」
それは、彼の両親や、産婆すらも同じで。
知らないのだから当然だけれど、赤子が産まれてきたことを当然のように祝福して、喜びの涙と笑みで顔を彩った。
だって、そんなどうしようもない法則があるだなんて想像すらしていないのだ。
だから彼は混乱しつつも能天気でいられたし、新たに得た金色のおめめを泪で濡らして、おぎゃあおぎゃあと泣いていられた。
少なくとも、人生の始まりは普通そのものだった。
本当に、本当に。
怖じ気が走るほどに、まっとうな始まりだったのだ。
◇
「カナ! カナリア!? どこにいるの、ゴハンですよ!」
彼は、新しい名前を与えられた。カナリアと名付けられた。それが、産まれてから数えて4番目に理解した単語だった。
ちなみに最初に理解した単語は「ママ」、次に「パパ」、「まんま」と続く。
自身を見る人々を見つめ返して、彼らが口にする単語の関係性を読み解き、推理して、おそらくこういう意味なのだろうとあたりをつけた成果だ。
言語の獲得は面倒だったが、文法的には日本語によく似ていたのが救いだった。
日本語話者が韓国語を覚えやすいのと同じように、彼もスムーズに新たな言語を学習できたのだ。
「カナリアー! 早く来なさいな!」
カナリア。新しい名前。
それはどこかの地方に住まうらしい、とても澄んだ声で歌う小鳥の名前でもあった。
前世と今世で変わらぬ立ち位置にあって、同じ名前をもつそれのことを、彼はとても好んでいる。
両親にペットとして飼いたいと願い出るほどであった。結局、その願いは聞き入れられなかったけれど。
「早く来ないとおやつ抜きにしますよ!」
それは良くない、大問題だ。
ともかく新生カナリアは、自身を呼ぶ母に返事を返し、とてとてと歩き出した。
齢は7歳。
自宅の周囲ならば、普通に出歩いても何も言われないぐらいの年齢だ。
カナリアは長閑な草原のすきまを揺蕩いながら、中天に座す太陽の日差しから目元を隠した。カナリアの目は、強い光が少しだけ苦手だったからだ。
出来たての木工細工よりも綺麗に整った指先は、日傘にするには少しばかり小さかったが、無い物ねだりをするほど子供でもない。
……外面は、どうしようもなく、疑いようもなく、ただの幼い子供のそれでしかなかったけれど。
「ほら、カナリア。手を洗ってきなさい。汚れた手で掴まれてはパンも悲しくて湿気ちゃいます」
カナリアはまた了承の意を返して、手洗い場に向かった。
子供でも持てるサイズの水瓶から椀に注ぎ、手を突っ込む。ぬるかった。
今朝、井戸から汲み上げられて、もう何時間も経過しているせいだ。
そのおかげでおっかなびっくり手を伸ばす必要はなかったけれど、少し気落ちする。
冷たい水に触れて背筋を震わせる時間も、別に嫌いではなかったのに、なんて。
椀から手をあげて、ため息をひとつ。
濡れた自分の手にそっと息を吹き込む。
……もちろん、乾かない。
生暖かい温度があるだけだ。ジェットタオルが無性に恋しくなる。
あれは画期的な発明だったと、今になってしみじみと思い返した。
職場やショッピングモールのお手洗いは大体それだったから、今との落差が浮き彫りになって、ことあるごとにふっと郷愁の念が浮かんできてしまう。
ジェットタオルだけではない。電子レンジや冷蔵庫、テレビ、そのいずれもないのだから堪ったものではなかった。
特に水洗式トイレが無いのだと理解した瞬間の絶望といったら……もう、筆舌に尽くしがたいほど。
思いっきり顔をしかめたカナリアを見た母親が、心底不思議そうに首を傾げていたのは記憶に新しい。
……つまり、そう。
カナリアが産まれた世界は、文明レベルが著しく低かった。
電気はもちろん、蒸気機関もない。工業は未発達で、カナリアが手に届く範囲の諸々は統一規格という概念も存在しなかった。
かつて、父に聞いてみたことがある。
道具はどうやって作られるのか、誰が作るのかと。
対して父は、幼い我が子から飛び出るにしてはやや風変わりな質問に、苦笑しながらこう返した。
それぞれの職人が、各々の感覚で作るものだと。
母が手に持つ包丁だって、隣の──隣というには距離がありすぎるが──ジャックおじさんが丁寧に、丹精込めて手ずから打った鍛造品だ。父が愛用するペンだってそうだ。カナリアが住まう村の民ではないが、どこか遠くに暮らす親戚のおばさんが作ったものらしい。市場価値は一般的な村民が30日食っていける程度。
ペン職人のダリアおばさんと言えば、大きな街ならほんのりぼんやり有名らしい。
全体的に暗い色のガラスペンは、現代日本で目の肥えたカナリアから見ても非常に品のある逸品だった。
特にカナリアの目や髪と同じ、明るい金色の装飾が気に入っているとは父の言葉だった。カナリア自身も、そう思っている。
愛おしげにペンを撫でる父の姿を思い出して、カナリアはくすりと笑った。
父が愛した髪の色は、水瓶の水面に歪んで写っても、なお誇らしげに輝いている。
揺らめく水面に、そっと息を吹きかける。
水面は跳ねず、ただ揺らいで──それから吐息ごときでは起きえないはずの飛沫を上げる。
飛沫はキラキラと輝いて、白い光になって、するりととけた。
──この世界には、高度に発達した科学はない。
その代わりに魔法があった。
転生直後からうっすら期待していた通り、まさに現代日本人が妄想する異世界の神秘があった。
どうにかこうにか頑張って、かくあれかしと息を吹けば、大抵望んだ通りの結果が齎されるのだ。
……それを魔法と言わず何とするのか。
もっとも、風に関連したもの以外はまったくうまくいかないのだが。
もっといえば、出力が不安定すぎてあまり常用できるものでもない。
……もし手に吹きかけた手がジェットタオルの何十倍、何百倍もの風量をしていたら、こんなに幼くてぷくぷくとした手はあっという間にズタズタのボロボロだ。血みどろだ。
しかしその危うさは修練不足や知識が足りてないだけか、よくありがちな適性の問題のいずれかだと理解していた。
風、属性。適性。なんとも異世界らしくて結構じゃないか。心が昂ぶって仕方がない。
カナリアはふんすと満足気に鼻を鳴らした。カナリアの心はいつになっても少年の色を遺していて、そのうまくいかない現状すら娯楽として見ている節があった。
「カナリアー? どうしたの?」
そんなカナリアの内心を知る由もない母から、再度の呼び出しが響く。
何でもない、と声を返した。
それから生乾きの手のひらを手ぬぐいで拭って、食卓にとことこ駆け出す。
カチカチのパンと、温かいスープ、おまけの果実──りんごみたいな赤いなにか! ゴキゲンな昼食を想像して、少し涎が垂れそうになる。
お腹と背中がくっつきそうなくらい、ひどく空腹だったのだ。
ロマンよりも食い気、カナリアはまだまだ子供だった。
■
基本、カナリアは足るを知る人間だった。
身の丈をわきまえている、と言ってもいい。
食べ過ぎない、飲み過ぎない、遊び過ぎない。
このみっつを守れば、ちょうどいいぐらいに幸福で、ほどよい不満を楽しめると理解している。あんまりにも幸福すぎると、揺り戻しが怖くもあるから。
だから今の状況で満足しようとしていたし、基本怠惰な人間にしては真面目に努力もしていた。郷に入っては郷に従えという言葉は、まさに金言である。
言葉のルーツである荘子はカナリアが尊敬する数少ない人物だ。ちなみに、由来となったこと以外は何も知らない。ずいぶんと安っぽい尊敬であった。
……ともかく、カナリアはこの中世レベルの生活に馴染もうとしていたし、その目論見はある程度達成されていた。
人間は、慣れる生き物である。適応力という一点を見れば、あらゆる生物の中でもトップクラスの能力を持っているのだから当然といえば当然だが。
だからこの世界における、わけのわからない学問を程々に修めるために努力するのも、足るを知るために必要なことだと飲み込めた。楽しいと思うことは欠片もないけれど。
まだ小さい手で、握りやすい形に整えられた木炭をきゅっと握る。
傷もシワもない指は白く透き通るようで、生前とは人種すら違うことを言葉よりもなお雄弁に語っていた。
生前との差異を淡々と受け止めて、母の言葉を追いかけ、手元の石板に木炭を押し付ける。
昼食後の日課でもある勉強会は、既に百回を超えている。
やはりここでのカナリアは、生前よりもよほど勤勉な子供だった。
所詮、片田舎に住まう村人だけれど。
けれど学はいくらあっても困るものではないし。もし仮に、万が一村が滅びることがあっても、学さえあれば大きな街に移住して生計を立てることもできる。……あって欲しくないことだが。
この村で暮らす上で必要なくとも、知識を使えないのと、知識を使わないのには、天と地ほどの差がある。
だからカナリアにしては珍しく、生涯で一度や二度しかなかった真面目モードに入っている。
真面目に振る舞えるという時点で、既に生前の百倍は立派な子供をやれていたに違いない。
「カナ、字を間違えているわ。ここのスペルの横線は、上じゃなくて下につくのよ」
家庭教師役の母親はそういって、説教臭い口ぶりとは裏腹に、柔らかな微笑みをもって訂正した。
春に咲くカザリバナ──ツツジによく似た黄色い花だ──のように朗らかに笑う母のことが、カナリアは意外と好きだった。
もちろん、生前の母のことは忘れていない。
ヒマワリのように大袈裟に、豪胆に笑う母のことを今も愛している。
冷たい手のひらは少しだけ苦手だったけれど、その程度。
決して、絶対に、誰にも言うことはなかったが、生前のカナリアはいわゆるマザコンだったせいでもある。
それは一般的になんとなく小馬鹿にされる属性だったけれど、カナリアにしてみれば、己を産み育てたひとを尊敬し愛するのは社会通念的には普通のことであり、そうあれるのならそうあるべきだというのが持論だったのだ。
だから、カナリアは今世の母のことも愛そうとした。
……なんて、浅くシンプルな考えだったが、実際のところうまく噛み合っているのだから失敗ではなかったのだろう。
カナリアの母──ロザリー夫人は、我が子に前世があることなど想像すらしなかったし、ただ、言葉ではなく行動で語られる親愛に、大きな喜びを感じていたから。
己に似なかった特徴に──誤解を恐れずに言えば、落胆したこともあった。けれど、そんなくだらない落胆を笑い飛ばせるほど、わが子が愛おしかったのだ。
よく笑って、よく泣いて、よく食べよく眠り、よく遊び。
たまにくだらないイタズラをしたり、かと思えばたまに年にそぐわぬ気遣いを見せたり、それに驚いている間に子供らしい失態も犯す。……それは現代日本の通理を持ち越してしまったが故のミスだったが、それはさておきとして。
とにかく、ある種理想的な子供だった。完璧ではない欠点も含めて、完璧だった。同じ村に住むアイラ夫人も羨むほどに。
「そう、もうここの書き取りは完璧ね。……今日はここで終わりにしましょうか」
言って、母はカナリアの頭を撫でた。
卑金とは真逆の貴金の糸。さらりと揺らせば、風の精すら羨む涼やかな髪。
それは、母が有さない、まこと尊い色彩だった。
「カナリアはとっても賢いのね。私やお父さんよりも、あなたはずっと利口になりそうだわ。一体だれに似たのかしら」
口ぶりは完全に冗談めいたトーンだったし、実際含むものはなかった。
が、真実、カナリアは父とも母とも似ていない。
母であるロザリー夫人の髪は茶色だった。目は緑色だった。
父であるローランの髪は黒色だった。目は琥珀色だった。
対し、子は母とも父とも違う金の髪と金の目を持っていた。
ぞっとするほど神秘的で、背筋が震えるほどに冷涼とした色彩で……それでも、母と父は、幼きわが子を愛していた。
そういう細かなところが目につかないほど理想的な子供だったのも、ある。
だけれど、それ以上に。
名前のとおりに、カナリアの声があんまりにも綺麗だったから。
『
「あら、いつもより音階が複雑ね……? ごめんね、分からないわ」
『
人の言葉を話せない、我が子が、それでも紡ぐ言の葉が。
りんりんと、ぴゅいぴゅい囀る小鳥のような調べが耳朶を揺らすたび、細かいことが気にならなくなる。
『
カナリアは。
カナリアという名前を与えられた少女は、人の言葉を話せない人間だった。
小鳥のように高く澄んだ音を奏でるだけの、得体のしれない子供。
音の長短、高低、広狭、大小。
そういった細かな差異のみで表現される紋様はひどく繊細で、それでも何かを伝えたいという意思は強く込められていて。
そうしてまで繋がろうとしてくれる子供を。たとえ髪や目の色が違っていても、人の言葉を話せない異形の相を宿していても。
気味が悪いと切り捨てるのは、どうしたってできなかった。
只人として産んでやれなかったことへの負い目ではない。
社会に馴染むのに苦労するだろうことへの同情や憐憫でもない。
あるのは、ただの母性だけ。
お腹を痛めて産んで、まだしわくちゃだった赤ん坊を抱きしめたあの瞬間の喜びは、今も胸の奥に灯っている。
ずっとずっと見守ってきた。
初めて声を上げた瞬間も、初めてお乳を飲んだ瞬間も、初めて立ち上がった瞬間も。
それらの瞬間を数珠つなぎにした時間は、目が覚めるような幸福で満ちていたから。
「……あなたならきっと、いつか、もっといい暮らしを送れるようになるわ。魔法もどんどん使えるようになって、うんときれいな服も着て、そして、いつか……。今よりもずっと、遥かに幸せになるの。……そう──」
まるで、おとぎ話に出てくる妖精のような。
人を助けて、愛して、愛されて。
そんな、いつかの幼子が憧れた話の再現が叶うのだろうと夢想しながら。
……しかし、ふわふわと飛び上がっていきそうな己の心を地に繋ぎ止めて、まだ何も知らない子供に教えを施す。
昨日も今日も、明日だって。人が人に教える当たり前を続ける。
たったひとりの娘に、妖精だのなんだのと、不粋なレッテルを貼りたくなかったのだ。
カナリアはカナリアで、あくまで単なる子供。たったひとりの、愛しい愛しい愛娘。
ロザリーにとって、それが全てだった。
……別に、特別じゃなくたっていい。
ただ健康に育って、やりたい仕事を見つけて、好きな人と一緒になって……。
そんな風に、幸せになってくれたら、それで良かった。
……それだけが、良かった。
『
「……なんでもないわ、なんでもないのよ。カナ、愛しいカナリア、あなたの声はやっぱり素敵だなって、耽っていただけなの」
──だってほら、こんなにも綺麗な声で歌ってくれているのだから。
カナリアが産まれて7年、ずっと、ずっと。
ローランとロザリーの家には、止むことのないうたが響いている。
「あなたはただ、この世界に産まれてきてくれただけで、素晴らしいのよ」
この頃はまだ、幸せだったね。