先祖返り半人外TS娘をいじめ抜く異世界生活24時   作:生後半年の猿

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第四話

 

 

 季節は一巡して。

 夏の収穫を終えて、また秋の訪れを感じさせる乾燥した空気が微かに漂い始めた頃。

 村のあちこちで空高く積まれた小麦の山を尻目に、カナリアはとことこと駆けていた。

 別に急かされているわけではない。急くべき用事もない。

 

 だけれど、今日は少しばかり特別だった。

 

「おお、カナリア! 新しい靴か、中々立派ないい靴じゃねぇか!」

『だろ? おれもそう思う』

「ま、俺の靴にゃ敵わねえがな! 見ろよこの黒革! うちの女房が丹精込めて──おいおいおい待てよ逃げんなって。ちょっと、ちょっとだけだから! 頼むよ自慢したいんだよ!」

『十にも満たないガキに何求めてんだこのオッサン……はは、しょーもな』

 

 そう、村人の男が声にした通り。

 ぴゅいーと軽い声を返して、にっこり笑って背を向ける。

 カナリアの足元できらきら光るのは茶革のブーツ。品のいい仕立てで、明らかにこの村には似つかわしくない出来の良さだった。

 9歳の誕生日にと、父が買ってくれた。

 

 まだまだこれから体が大きくカナリアに与えるにしては、随分出来のいい──少なくとも、田舎の村娘には少し合わない格だったけれど、今のカナリアにはなんてことのない些事だった。

 いい靴を履けばなんとなく気分が良くなる。

 歩くのもほんのり楽しくなって、日常に彩りが与えられる。

 だから身の丈とか、値段とか、そういう余分な意識が剥がれるのにもそう大した時間はかからなかった。

 

 てってって、と村の真ん中を半分ほど横断し、空を見る。

 それから、ほぅと息をついた頃。

 

「よ、カナリア!」

『ん、ダリルか』

 

 横から投げかけられた言葉に軽く振り返って、一鳴き。カナリアとダリルの間で交わされるあいさつは、簡素すら通り越して、滑らかで、なんの引っかかりもない日常の所作になっていた。

 そうして毎度のごとく出会った少年を道連れにして、また歩き出す。

 

 別に、それを言葉にすることはなかった。いらないからだ。

 ただ、自然と同じ方向を見て。なんとなく歩幅が揃う。

 それだけ。

 

 特に目的地はない。

 目線があった先にふらふらと歩くだけだ。

 でも、それだけでもカナリアの心はどんどん軽くなっていくようだった。

 

 村の中央のこじんまりとした露店通りを抜けて、まばらに建つ民家の間を過ぎて、井戸端会議を開いている幾人かの塊を尻目に、風のようにふわりと足を進める。

 そんな、なんでもない時間。

 それを対価に、ダリルとぼやぼやと毒にも薬にもならないことばかりを口にする。

 

 最近街の方ではこんな遊びが流行っているらしい、とか。

 昨日どこそこのおじさんが酒を飲みすぎて奥さんにしこたま絞られたらしい、とか。

 アイラがゴードンにすごく綺麗なパンチを食らわせた、とか。

 そういうどうでもいい話。……いや、最後のだけは少し気になったけれど。

 

 ともかくそうしているうちに、いつもの遊び場についた。

 村の端っこの、殆ど物が置かれていない広場。

 ここにはチャンバラごっこに興じるための木の棒が2本と、言葉を練習するための板と炭──その予備があるだけ。けれどそれは、何もない場所だとかつまらない場所だとか、そんなふうに呼ぶ理由にはならない。

 遊びと学び。それは子供の時間の三分の二程度を占めるものだから、ここを味気ないと称するには少々余白を埋めすぎる。

 ……残りの三分の一は、たぶん、家族とか、そういうものだった。

 だから完璧ではない。けれど、十分だ。遊び場としては。

 

「結局ここかぁ、いつも通りって感じだな」

『いいだろ、いつも通り。おれは大好きだぞ』

「お、今のは……否定と、あれだ……なんだ?」

『ううむ、ペンなしの完璧な意思疎通はまだまだ遠いな。まぁ本来はおれが人の言葉を話せるようになるべきなんだが……』

 

 やれやれと息を吐きながらペンを手に取り、改めて伝える。

 そうするとダリルはなるほど、と頷きを返して、あまり共感できないなと頭を掻いた。

 

「べつに、ここが嫌いなわけじゃないけどさ。でも、やっぱり飽きるんだよなぁ。何もないんだ、新しいものが。昨日も今日も明日も、ずっと同じ時間を繰り返すだけなんだって想像できちまう。朝起きたらご飯を食べて、お小言を言われながら手伝いをして、それが終わったらカナリアと遊んで、家に帰ったらご飯を食べて寝て……それが、ずっとだ。それが全部なんてさ、やっぱりな……」

『おれと一緒にいるのはつまらないか?』

「いいや、楽しいよ。楽しいんだけど……日常だからな。当たり前に対して一喜一憂するのは難しいだろ?」

 

 そうか、そうかと。カナリアは少しだけ嬉しそうに、照れるように笑った。

 誰かの当たり前になれるということは、誰かの普通になれているということだ。誰かの、普通という物差しになれているということだ。

 それはカナリアにとって、喜ばしい現在地点だった。

 

「ずっとこのままを続けていいのかって思う。いつか変わりたいって思う。……農家の息子がこんな事思うの、変かもしれないけどさ。……似たようなこと、前も言ったっけな」

『将来は違うものになりたいんだっけ? でもまぁ、何にしても思うだけなら自由だろ。頭の中身を取り締まれる法なんてないんだしさ』

「まぁな。ただ、その思うだけを、思うだけに留めたくないっていうか……」

 

 もごもごと口を開いて、ぽつぽつ零した。

 ダリルはそれしかできない自分を恥じるようにまた頭を掻いた。

 けれど、と。カナリアは言葉にできない思いを喉に込めた。

 ここまで深く考えられるだけでも、十分ではないかと。

 まだ二桁になったばかりの年頃の子供がこんな風に思えるなんて、びっくりするほど早熟だ。……やはり、少しだけ嫉妬してしまいそうになる。カナリアは、そうはなれなかったから。

 

「……そうだ、新しいものを見たい。知らないものを知りたい」

『おぉ?』

「分からないことすら分からないから、こうして悩んでるんだ。俺の頭の中に答えを作るための材料がないからだ。だから──」

『──だから、村の外に出てみたい、か?』

「おっ、今のは声だけで分かったぞ! 俺の言葉を先取りしたな!?」

 

 ダリルはからからと笑った。

 嬉しそうに。本当に嬉しそうに。

 

 カナリアは、曖昧でぎこちない微笑みを浮かべるだけ。

 だって、ダリルの言うことがまるで理解できなかった。

 何故外に出たいのだろう。ここに飢えはあんまりない。寒くても、暖を取れる。贅沢ではないが、貧乏ではない。野生の獣もあんまりでないし、犯罪者はいない。

 

 ……足りている。

 

 なら、別に外を見る必要なんてないのに、なんて。

 そう呆れたりはするけれど、態々突きつけようとは思わなかった。

 

『まぁ時間なんていくらでもあるんだ。悩めばいいんじゃない?』

「……おう、そうするわ」

 

 重々しくため息をつく幼馴染の姿を見て、ようやく普通にころころ笑う。

 妥協を知るのは現実の壁にぶつかってからでも遅くない。

 

 なんて、この時のカナリアはそう思い込んでいた。

 今日がいつまでも続くと、日常はそう簡単には変わらないのだと、信じていた。

 

 

 ◇

 

 

「カナリア、次はこの服を乾かして頂戴」

『うおおおー! 労働万歳!』

 

 ぴゅいいー、と息を吐く。風がうねった。

 昼前の暖かな日差しの中、家の裏で服を洗う母を手伝うために、魔法──と思わしき力を振るっていた。

 出すのは温風。乾いた風。水分を飛ばすもの。

 おとぎ話のようにちちんぷいぷいと呪文を唱えたりしない。魔法陣を書くこともない。身体機能として備わったこの風を魔法と定義していいのか、カナリアには判断できなかった。

 けれど手足のように物質を伴わず、しかしカナリアの意に沿って動くものに、神秘というラベルを貼らないことは難しかったのだ。

 それにロザリーもそれを魔法と呼んだから、カナリアもそうした。

 

 昔に比べたら、随分上手くなった、と自画自賛する。

 何をするにもおっかなびっくりで、出力の調整もできなかった頃とは違う。

 いつだったか、幼き日はジェットタオルを出したいと思っていたものだが……今のカナリアなら、肌を裂かずに水分だけを飛ばせるだろう。

 

「よし、ありがとうカナリア。とっても楽になったわ」

『へへ、これくらい良いってことよ。よく食べよく遊びよく手伝いよく眠るのが良い子供の条件ってやつさ』

「それでも、よ。いい子はきちんと褒めないと。よーしよしよし、カナリアはえらい子ですね」

 

 言って、頭を撫でる母に、少しだけ体を寄せた。

 ロザリーは厳しく接することも多い人だった、けれど。

 良いことをしたら、きちんと褒めてくれる。頭を撫でてくれる。

 カナリアはそれが、本当に、何よりも嬉しかったのだ。

 

 視界の端にちらちらと映り込む細糸は金色で、母の色とは違っていて。

 喉の作りは違うし、顔立ちも──正直、あまり似ていない気がした。

 けれども、その温度だけは共有できていたから。

 やはり、カナリアは満ち足りていた。

 

 

 ◇

 

 

 

『お仕事おつかれさまー!』

 

 夕暮れ。窓から入ってきた赤い日光が我が物顔で居座る部屋の中。

 書斎からのそのそと這い出てきた父ローランに飛びかかる。

 すると、ローランは少しの驚きと、多分の喜びをもってカナリアを抱きとめた。

 父の腹に顔を埋めたカナリアの鼻を擽るのはインクの匂い。古びた紙と埃の匂いもする。図書館の匂いだった。

 

「や、ありがとう。なんとか締切には間に合いそうだよ」

『原稿を出すのは明後日だっけ? 配達の兄ちゃんに声かけておかないとね』

「そうね、カナリア。でもお父さんはまだそこまで聞き取れないのよ。ほら、木板」

 

 苦笑混じりのロザリーが差し出した筆談セットを受け取り、また改めて父に伝える。

 かりかりかり。今日のカナリアも実に筆が早い。

 

「そうだね。万が一集荷に漏れちゃったら一大事だ」

「でも向こうの……えっと、出版の方も事情を察してくれるでしょうし、大丈夫でしょう。まだお会いしたことはありませんが……」

「たしかに、担当の彼自身はあまり気にしないだろうけど、お金が絡む話だ。ただでさえ最近は活版印刷とかいう技術が出てきてピリついてるんだから、そこに小さくとも火種を投げ込みたくはないのさ」

『大人の世界たいへんそ。おれはまだなりたくないなぁ』

 

 思い出したのは生前。社会人として働きだしてすぐの頃。

 かつてのカナリアは漠然と、与えられた指示の通りに仕事をすればいいのだと思っていた。

 だって、指示を出すのは上の人間だ。部下はその指示に従っているべきで、それが雇用というものだから。

 労働者は労働力を提供する。

 雇用者はその対価として金銭を払う。

 資本主義社会における雇用契約とは、そういうものなのだと。

 

 ……けれどその考えはあんまりにも甘くて、当時の先輩にしっかり怒られたことを覚えている。

 結局人と人の対話によって成り立つのだから、情を無視してはならない、と。

 自分の仕事はできて当たり前で、そこにプラスで周囲のことも見ないといけなくて。根回しをしたり、ごますりをしたり、あっちこっちに手を出して、いつもニコニコ笑顔でいる。

 

 そして、それが普通だと言われたから。

 

 だから当時のカナリアは本当に、相当に苦労してその普通に倣ったものだった。

 ……本当に、大変だった。

 常に広い視界を維持することの、なんと難しいことか。

 

 あんな普通の世界に、もうしばらく戻りたくはない。

 ただの子供として甘えたい。……それもまた普通なのだから、別に恥に思う必要は無いはずだ。

 

『世界が違っても、そこは同じなんだろうな』

 

 だから父を尊敬する。

 形は違えど、大人の社会はひどく息が詰まるのに、妻と子のために踏ん張ってくれているのだ。

 愛嬌を振りまいて、一時の癒しになろうと自分から動くくらいには、この日常を維持してくれている人に感謝していた。

 

「おっと……肩を叩いてくれるのかい? 優しいなぁ、カナリアは。お小遣いいるかい?」

『いいよ別に、そんなに欲しいものはないし』

 

 この無垢な子供時代を過ごせることの喜びが続くのであれば、それに勝る報酬はない。

 たとえいつか、父母がいなくなるとしても、この思い出は残る。

 それでよかった。

 

 


 

 

 欠落ごと愛する人がいる。これからがあるのだからと期待する人もいる。

 君の周囲には、そういう能天気な人々で溢れていたから。

 本来、そういるはずのない人々。善性は、希少だからこそ尊ばれるのだ。

 本当に、怖じ気が走るほど。

 

 

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