英雄、銀の咆哮を穿つ ~舞踏装甲姫ミステイル~ 作:東出八附子
焦げた鉄。付着した血液。微かに漂う硝煙。おぞましさを覚える戦場の匂いだ。
「ぐっ……」
匂いに耐えかねてマヒロは目を開けた。覚醒したばかりでボヤけた視界から飛び込んできたのは、かつては護送車だった残骸の床。そして全身を血で真っ赤に染めた、兵士たちの
元護送車から離れた地点では、火薬が弾ける音や、
護送車の破壊跡から察するに、
(本当、今日は厄日だな)
自前の機体は失った。売り上げも全て無くなった。国家機密を知った以上、普通の生活も難しくなるかもしれない。そして戦場に巻き込まれて、絶体絶命の状況だ。
(でも、まだ生きてる)
その不幸の中でも生き残れた。薄っぺらな幸運を糧にし、己の心に噛み締めさせて落ち着かせる。呆けている場合じゃない。まだ護送車のベンチシートに手錠で縛られたままだ。
マヒロは周囲を確認した。幸い、兵士が携行していたライフル銃や拳銃が転がっている。確保さえできれば手錠を破壊できそうだ。ただし、マヒロの足を伸ばしても届かない位置にある。どうにかして確保せねば。
手錠の痛みに耐えながら身体や足を伸ばし、武器を確保しようともがく。しかし、その奮闘はすぐに中断されることとなる。遠くから足音が聞こえたためだ。人間の足音である。
マヒロは息を潜めた。自分を連れ戻しに来た兵士か、それとも戦後の物資を漁りに来た
(このままじゃ
マヒロは自分の位置を知らせることにした。手錠を鳴らし、アピールする。声を出さないのは、相手の反応をうかがい、特定するためだ。
「誰かいるのか!」
案の定、相手からの反応があった。その声には聞き覚えがある。それも、信用できる相手だ。
マヒロは「ここです!」と返事をすると、彼は急いで駆け寄ってくれた。
姿を現したのは、感電防止用の絶縁装備に身を包んだ軍の兵士。マヒロが<クラストー>に持たせていた、リボルバー拳銃のようなアタッチメントが装着されたアサルトライフルを担いでいる。
見覚えのある顔だ。ただし、顔面の右半分は血で染まり、鉄の破片が痛々しそうに突き刺さっている。
「マヒロ君! 生きていたのだな!」
「やっぱり、少尉さん!
手錠が手首に食い込み、痛みが走る。怪我を心配するあまり立ち上がろうとしたためだ。そんなマヒロに、少尉は「そのまま動かないでくれ」と告げて、手持ちのハンドガンで手錠の鎖を撃ち抜いた。
痛みを紛らわすように腕の具合を確かめていると、少尉は申し訳なさそうにマヒロへ言った。
「すまない。こちらの事情に巻き込んだ。なんとお詫びすればいいか……」
「手錠を外してくれただけでも、ありがたいです。とにかく、はやく怪我の治療をしないと」
「気持ちだけ受け取るよ。まだ敵を全滅させてはいない。こっちと違ってね」
衝撃的なひと言を聞き、マヒロは目を見開いて驚いた。
「全滅、したんですか」
「君は勇敢だから伝えさせてもらった。ひとりでも生存者を探しに行きそうだったからな」
マヒロは返事ができなかった。少尉の指摘は的を射ていたからだ。
「我々はマーキュリアの襲撃を受け迎撃したが、敗走した。私はその敗戦処理、
少尉はやるせない表情で経緯を説明した。仲間が全滅した悲しみと、マヒロという生存者を見つけられた喜び。その両方を受け止めているのだろう。
「じゃあラッ——『TAIL1』も——」
「彼女については話せない」
少尉はマヒロの言葉を遮って答えた。機密事項だから、余計な情報は開示できないのだろう。そして、これ以上『TAIL1』について、マヒロに関わってほしくないのだろう。
マヒロは少尉の気持ちを汲むことにした。
「僕は少尉さんと一緒に、ここから離れればいいんですね」
「ああ。付いてきてくれ。安心しろ、君は私が必ず守り抜——」
少尉の言葉は続かなかった。新たな
「いかん! マヒロ君は逃げなさい!」
少尉はアサルトライフルを構えて飛び出すと、音の方向に向かって乱射を始めた。しかし射線が安定していない。疲れと出血で消耗しているのだ。
このままでは殺される。これまでの経験が、そう予感させた。
マヒロは兵士の遺体に駆け寄り、弾丸装填済みのハンドガン1丁と、マガジン2つを回収し、トラックの幌から飛び出した。
「
少尉が叫んだ。敵はまたしても
マーキュリアの反応速度は人間の限界を超える。とはいえ銃弾を見てから避けられる程ではない。
だが、たまに出現するのだ。銃器を理解し、射撃を予測して反応する、
改めて対象を観察する。身体のあちこちに赤黒い液体――すなわち人間の血液が付着していた。何人もの人間を殺してきた証拠である。
「ぬううっ!」
少尉は唸った。ライフルの弾切れだ。ハンドガンで応戦の構えを見せるも、敵から注視されている以上、命中しないだろう。
敵はその隙を見逃さず、一直線に少尉の元へ走り寄った。少尉を仕留める気に間違いない。
(やらせない! 僕の目の前で!)
マヒロはその場で片膝立ちになると、ハンドガンを
「伏せて!」
マヒロが叫ぶ。もちろん、射撃に巻き込まないための注意喚起だ。その声に反応した少尉は、即座に地面へ伏せた。
すかさずマヒロが発砲する。それも1秒間で4、5発というペースの高速連射だ。一発一発を確実に当てて仕留めるための狙い撃ちではない。相手の動きを止めるための制圧射撃である。
マヒロの放った弾は、数発ほどではあるが、
かくして、マヒロがマガジン2つ分を丸々撃ち尽くした頃、敵はこちらに尻を向けて撤退していた。射撃はマガジン1つにつき4秒ほど。リロードは1秒。時間にして合計で10秒も経っていない。しかし間違いなく、少尉の生死を分けた10秒であった。
止んだ発砲音を合図に顔を上げる少尉。その表情には驚きが浮かんでいた。
「マヒロ君、君はいったい……」
少尉の驚きを無視して、マヒロは声をかける。まだ安全を確保できていないからだ。
「追い払いました! お怪我は!?」
「君のおかげで何ともない。感謝する!」
「でも一時的です。すぐに戻ってきます。態勢を立て直して!」
ダメージは与えた。しかし仕留めきれていない。傷を癒したら、また襲ってくるのは間違いない。小型マーキュリアはダメージを負うと、周囲から外殻となる金属を摂取し、回復を図る。奴も例外ではないだろう。
マヒロがハンドガンで警戒しつつ少尉と共に身を隠した。安全を確保されると、少尉はライフルの弾倉を交換した。その動作を確認したマヒロは、力を抜いてその場に座り込む。
銃を握る両手が痺れ、手首が燃え上がっているような痛みを感じる。射撃への集中により麻痺していた五感が戻ってきたのだ。
鍛え抜かれた兵士が用いる軍用のハンドガンは、未成熟なマヒロに扱い切れる代物ではない。その銃を連射したのだ。代償なしでは済まされない。
「大丈夫か?」
「湿布薬があったら、両手と手首にありったけ巻きたい気分です」
マヒロは包み隠さず弱音を吐いてから、最後のマガジンをハンドガンにリロードした。少尉は困惑した顔でマヒロの銃さばきを見つめている。
「今の射撃技術と状況判断は見事だった……いや、見事すぎる。我ら軍人でも、できる者は多くない。すまないが、君の実力を知るために確認させてくれ。射撃は誰から習った?」
「独学です」
「14歳という若さで身に付けられる技術と判断力ではない。すまないが、信じられないな」
「ええと……」
どう説明しようか迷う。訓練内容を口外することは、同居人から禁じられているのだ。
しかし敵が迫りくる今の状況では、少しでも信頼を得て連係を取れるようにしたい。少尉がマヒロの実力を気にする理由も、マヒロが戦力になるのか見定めたいからだろう。だから正直に打ち明けることにした。
「訓練は、何年もかけて実戦とシミュレーターでやっています。だから数はこなしているつもりです」
「……シミュレーター? 小銃の? 聞いたことがないぞ?」
少尉の反応を見て、マヒロは「おや?」と疑問に思った。
「『パラドクス・クリエイター』っていう睡眠学習装置です。「軍でも使っている」って、〝ドクター〟——僕の同居人が言ってたんですけど」
「睡眠学習装置だと!?」
そう答えた瞬間、少尉は驚愕の表情を浮かべた。そのリアクションひとつで、マヒロは状況を察する。「軍で使っている」という言葉は嘘だな、と。少尉が軍属だからこそ打ち明けたのだが。
「人間が夢を見る現象を用いて脳内に仮想空間を作り出し、学習に用いる……プランは耳にしたことがあるが、まさか実用化しているとは……」
「その……一応、嘘ではないです」
「いや、腑に落とす。今は追及するまい」
予想外の反応に、今度はマヒロが困惑するが、少尉は納得してくれたようだ。
「
「はい。自信はあります。僕は
「フ……頼もしいな」
少尉は微笑みながら、首にかけている2枚1組の
少尉の仕草で、マヒロはやるべき使命を把握した。
「私は片目と片耳をやられた。操縦はできても満足に戦えん。だから、あの機体を戦士である君に託す。君が起動するんだ。まだどうにか動ける」
<キャサード>は満身創痍だった。右腕は欠損し、全身の装甲も所々が破壊されている。しかし、バイザーは青白い光が灯っていた。機能の停止はしていない。コクピットハッチを開いたまま、パイロットの帰還を待っていた。まさしく、激戦をくぐり抜けた勇士の姿だった。
「今はマーキュリアに操られないよう、自爆モードがセットされている。このタグは、その自爆モードの解除キーと同時に、機体の始動キーでもある」
マーキュリアは
「右手の操縦桿脇の差し込み口に入れ、解除コードを入れてくれ。コードは『XEPH』。意味は聞いてくれるな。個人情報だ」
「……起動後は?」
覚悟のこもった少尉の声で既に彼の意図を感づいていたが、それでも聞かずにはいられなかった。
少尉はマヒロを安心させるよう、肩を優しく叩く。
「機体の外から状況を見て指示を出す。安全が確保できたら一緒に乗り込むよ。だが私が助からない状況と判断したなら、指示を待たず、離脱に専念しなさい」
「そんな! 少尉さんも——」
一緒に行こう——そう言い終わる前に、マーキュリアの歩行音が聞こえてきた。それも複数である。あの
<キャサード>との距離は遠い。マヒロが辿り着くには、それこそ敵を引きつける囮が必要なほどだ。少尉は、その囮を引き受けようとしている。
「君のような立派な戦士を、絶対に死なせたくはない。それに、若者を守るのは大人の使命だ。君が強く生きてくれれば、それで私は満足だよ」
「少尉さん……」
「心配するな。私も必ず生きて帰る。君に助けてもらった命を無駄にはしないさ」
少尉の覚悟を聞き、マヒロもまた少尉の指示に従うことを決意した。マヒロの生存こそが彼の本望だと理解したからだ。
「やれるか、マヒロ君」
「やります」
マヒロは気合の籠もった声で即答した。感極まり、渡されたドッグタグを握りしめる。その返答に、少尉は安心した表情でライフルを構えた。
「合図を出したら<キャサード>に走れ。振り返らず、全速力だ。背中は私が守る。いいね」
「はいっ!」
マヒロが返事とともにハンドガンを下向きに構えると、少尉は<キャサード>に向かって指をさした。
「
マヒロは全力で駆け出した。それでも少尉には遅く見えているだろう。身体が小さく、歩幅が狭いため、速度が出ないからだ。自分の小柄さが恨めしい。
《--------!!》《--!!----!!》
駆け出して数秒も経たないうちに、複数のマーキュリアの咆哮が聞こえてきた。
「振り返るな!
マヒロの心配を見透かしたかのように、少尉が叫んだ。ライフルの銃声が背中越しに響き渡る。その発砲音が途切れないことを祈りながら、マヒロはひたすらに走り続けた。
そして息も絶え絶えに<キャサード>のコクピットへ飛び込むように乗り込み、ハッチの扉を閉めた、ちょうどその時。
そして、少尉の身に良からぬ事態が起こったことも、直感的に理解した。
「少尉さん! くそおおお!」
また大人たちが死んでいく。良い人ばかりがマーキュリアに殺され、先立っていく。その理不尽を、マヒロは許せなかった。
マヒロは怒りの声と共に、預かったドッグタグを叩き込むようにして差し込んだ。