英雄、銀の咆哮を穿つ ~舞踏装甲姫ミステイル~ 作:東出八附子
人間の業と欲を、よくぞここまで詰め込んだものだ。
研究用の機器に囲まれた薄暗い部屋の中で、白いベッドに横たわる尻尾付きの少女を見つめながら、〝ドクター〟の心は感心と驚愕で満たされていた。
一糸まとわぬ少女の身体には、バイタルを計測するための
その結果がもたらしたデータの数々は、〝ドクター〟の満足を得るには十分すぎる結果だった。反応速度、操縦精度、戦闘センス。どれを取っても人間には至れない境地にやすやすと踏み込んでいた。なおかつマーキュリアとの融合における拒絶反応は少女から検知されていない。こちらの求めていた要求はクリアされている。
それでいて天使を彷彿させるが如く、その容姿は『美しい』のひと言に尽きた。いずれ来たる『兵士』としての
自分が国を離れてから、よくぞここまで仕上げた――〝ドクター〟は素直に感心していた。
感慨にふけっていると、〝ドクター〟の近くから『プルルルル』と電話のコール音が鳴った。小型作業ロボットの一体『シシオウ』が運んできた受話器を取り、応答する。
「ハロー、私だ。時間通りだな」
『前置きはいい。始めよう』
通話の相手は男であった。非常に低い音質越しでも、声色と口調、共に厳格な様子がうかがえる。
『貴様から送られた演習の結果は確認した』
「ちゃんと実用に堪えうる観測データだったかな。そっちはウチのマヒロくんを『人間ごときが相手になるか』なんて散々バカにしていたみたいだけど」
『出来の悪いシミュレーターでは参考にならん――そう罵りたい気分だ』
「私にとっての褒め言葉にしかならないねえ」
『送られたデータが改ざんでないのは承知している。研究者という一点においてだけ、私は貴様を信頼する』
疲れを隠さない男の声を聞き、〝ドクター〟は嬉しそうに微笑んだ。罵りたいと願望を口に出す――つまり罵りたくても罵れないのだ。
最新鋭機相当の機体を『TAIL1』が駆っているにも関わらず、相手は格下の<クラストー>で実に300秒もの抵抗をやってのける――通話相手の男にとって、想定を遥かに上回る結果であった。
『歯がゆいな。もしも旧時代のネットワークが生きていれば、動画データも要求したのだがな』
男は本気で残念そうに呟いた。無線通信に干渉するスクリプ粒子により、大容量の無線通信はできない。電話相手の彼に渡されたのは、文字記録のみであった。
「マヒロくんの醜態を本人の許可なく曝け出すのはちょっと、ねえ。プライバシーの保護を理由に断らせてもらうよ」
『まあ、執着はするまい。演習は『TAIL1』の仕上がりを確認するための余興に過ぎん。そもそも
「……同意するよ」
『それで、貴様の結論はどうなのだ。『TAIL1』は使えるのか』
一瞬だけ遅れた〝ドクター〟の反応を気にする様子もなく、男は問うた。
「合格だよ。そちらは私の要求を見事にクリアしてくれた。計画を次の
〝ドクター〟もまた、皺を寄せていた眉間を元に戻して返答する。
『そうか……長かったな』
男は溜め息を吐きながら呟いた。その一呼吸には確かな重みがあった。長い間重荷を背負っていた者だけが許される一息だった。
しかし息を吐いた直後、弛緩していた空気が再び張り詰めた。まだまだ計画は続いているのである。
『引き続き貴様の行動を黙認とする。必ず計画を成功させろ。話は以上だ』
「切る前に聞かせろ。彼女——『TAIL1』をなぜ脱走兵にした。軍による護送という名目ならば、哀れな犠牲者も出なかったかもしれんぞ」
『ふむ……詳しくは話さんが、強いて言うなら……』
男は熟考した後、答えた。
『貴様への嫌がらせだな』
「お前はロクな死に方できないだろうよ」
『お互い様だろう』
どちらも呆れるような口調であった。お互いがお互いを信用していない——そんな心境が易々と感じ取れる。
『私は『プレゼント』の帰還を待つ』
「楽しみに待っていろよ、
『次の報告に期待する』
〝ドクター〟の冗談を無視して通話が切られる。もちろん、電話の相手は彼女の息子などではない。それどころか彼女よりも半世代ほど年上の人物である。
「『次の報告』……悠長なもんだ」
独り言の皮肉を言いつつ、〝ドクター〟もまた受話器を置いた。彼女が浮かべている表情は、通話先の男が仄めかしていた静かな喜びとは正反対の、悲観の籠もった負の感情であった。
その顔色を下から覗き込むものがいた。『シシオウ』である。彼は身体を構成するモニター上部に設置されたカメラを〝ドクター〟に向けて表情を検知していたものの、彼女が浮かべる悲痛さの真意がシシオウのAIには分からないようで、モニター内に「?」をたくさん並べていた。
純粋な子供のような反応を見て、〝ドクター〟は表情を緩めて微笑んだ。手間をかけてでもペットAIを積んで報われた気分になる。
「なんでもないよ。電話、ありがとう。シシオウは部屋に戻って充電待機」
礼を言われたシシオウが素直に退室すると、途端に静寂が戻った。研究用の機器が無ければ耳鳴りが起きそうなほどの静けさだった。
〝ドクター〟は眠ったままの『TAIL1』に近づき、その無防備な手を自らの両手で握った。彼女の手のひらから、人間と同じ体温が伝わり、〝ドクター〟の左手をじんわりと温める。化け物や兵器と呼ばれる存在としては、あまりにも人間らしい温かさだ。そして両手を握ったまま自らの額をその手に当て、目を閉じ、じっと俯く。
それは紛れもなく祈り。データと予測と結果を重んじる科学者にとって、不確かな未来の安寧を願う祈りは、最も縁の遠い行為だった。
これから〝ドクター〟が始めるのは、人類史に延々と語り継がれる転換点となるであろう一大事業。その一大行事の行方を予測できるのは、計画を遂行する〝ドクター〟自身を含め、この地球上に存在していない。祈りを捧げずにはいられなかった。
もし語り継がれないのであれば。
それは人類がマーキュリアによって滅ぼされるか。
『TAIL1』によってマーキュリア
〝ドクター〟は目を開く。その瞳に映ったのは、『TAIL1』の小さな両手。
人類の命運を賭けるには、あまりにも温かく、小さな手だった。
「始めよう」
自分へ言い聞かせるために彼女は呟く。そうしなければ意識の許す限り永遠に祈ってしまうだろうから。
〝ドクター〟はシミュレーターの稼働をオフにし、ヘッドギアと
移動先はすぐ近くに設置された円筒状の台座である。台座は地面からほぼ垂直に立てられ、人間ひとりが収まるほどの
収納場所の背部――人間の尾てい骨と重なる位置には、大きな空洞が空いている。その空洞に『TAIL1』の尻尾が収めて立たせると、台座から複数の拘束具が飛び出し、彼女の尻尾を含めた全身を固定した。
【始動キーの信号が検知されました。バイタル測定モードに移行します。バイタル安定が確認されるまで接続を解除しないでください】
アナウンスが部屋内に響いたことを確認してから、〝ドクター〟は少女から複数並んだモニターへ視線を移す。そのモニターには、薄暗い格納庫内のカメラ映像が流れていた。<残影>が待機している格納庫ではない。現時点では〝ドクター〟と、専用の作業用ロボのみが存在を知る、秘密の格納庫である。
その格納庫には、残影とは真逆――純白のカラーリングが施された1機のメカが直立で設置されていた。比較的ずんぐりとした体型の
機体構成こそ
この白いメカこそ〝ドクター〟の希望。コードネーム『プレゼント』。これから行うのは、『TAIL1』を『プレゼント』の専属パイロットとするための認証作業であった。
「頼む。受け入れてくれよ……」
73%。『TAIL1』のダミープログラムを使用したテスト認証作業の成功率である。低くはないが、安全と呼ぶには程遠い成功率だ。失敗すればエネルギーの流れが不安定になり、『TAIL1』と『プレゼント』双方にダメージが入る。ダミーではなく本物を使っている以上、失敗は避けねばならない。
待機しか許されない時間ほど気を病む瞬間はない。〝ドクター〟は気もそぞろに複数のモニターに視線を次々と這わせていく。
【バイタル安定を確認。責任者はバイタルリンク開始許可を承認してください】
アナウンスが流れた瞬間、〝ドクター〟は胸を撫で下ろした。『TAIL1』にも拒絶反応は見られない。大丈夫。順調だ。焦らずじっくり、慎重に行こう。
〝ドクター〟は右腕の機械義手を掲げると、義手の中指を捻って分離させた。この中指こそが最終承認を行うための鍵であった。機器を操作してソケットを開き、取り外したばかりの中指をあてがう。
「『プレゼント』と『TAIL1』のリンクを許可す――」
【バイタルリンク、開始】
「え?」
声が裏返る。まだ許可は出していない。次の段階に進むはずがないのだ。こんな反応、テストでは起こったことが無い。
【掌紋・静脈・虹彩・塩基配列を記録完了】
【
【思考パターン、ラーニング・スタート】
【ニューロ・リアクション、
【スクリプ粒子、配列パターンの同期を開始】
【操化ラグ0.00001を確認。誤差修正】
【装甲強度を『TAIL1』の理想値に変換】
中指を元の義手に戻してから、即座にコンソールを操作して認証作業の中止を行おうとするものの、まったく受け付けない。本来なら1項目ずつ順番に行う認証作業が、並列作業で次々とクリアされていく。全身を一斉にスキャニングされている『TAIL1』は、目を大きく見開いたままピクリとも動かない。『プレゼント』との同調が深くなっているのだろう。
テスト時とは比較にならない処理速度だ。用意した機器のスペックでは間違いなく捌ききれないはずなのに、フリーズや強制シャットダウンの兆候は見られない。
システムが掌握され、好き勝手にされている。暴走だ。
「くそっ!」
ソフト側の操作は諦めて、物理的に処理を中断するため、台座の配線を引き抜こうとした。しかし地中深くまで食い込んだ雑草の根の如く、びくともしない。ならば、と備え付けていた消防斧を取り出して配線を切断するも、即座に両側の切断面から銀色の液体金属――
『TAIL1』と『プレゼント』が、お互いに動きたくてたまらないのだ。マーキュリアを少しでも早く根絶させるために。
「だめだ、早まるな! お前は人類の希望なんだぞ! もう少し我慢しろ!」
ここで起動と暴走を許してしまえば人類との連携は絶望的である。残存エネルギーの限りを尽くすまでマーキュリアの虐殺を止めないだろう。そして、彼女たちの使命が完遂される前に、機体とパイロットは停止してしまうだろう。
その結末だけは許されない。せめて『TAIL1』だけは、なんとしてでも引き離す。
もう一度斧を振り下ろそうとした瞬間、格納庫を写したモニターが強く光を発した。反射的に〝ドクター〟がモニターに目を移す。
『プレゼント』の頭部、そのフェイスカバー上。
先程まで存在しなかった『瞳』状の光が、ギラギラと光り輝いて格納庫を眩く照らしはじめていた。