妖怪のせいじゃない! 作:覇道
「行方不明、ですか?」
さくらの湯の番台前で、湯上がりのコーヒー牛乳を片手にお姉さんと世間話をしていた最中。ケータの耳に飛び込んできた話は、おおよそ穏当なものではなかった。
「……そうなのよ。しかも、いなくなったのが子供ばかりで」
そう語るお姉さんの表情は沈んでいて、明らかに焦燥の色が見て取れる。
さくらの湯はケータが小学生の頃に一度リニューアルした。お風呂自体が滅茶苦茶大きくなったうえに、足湯や洞窟風呂まで新しくできた。リニューアルされる前の古くて狭い銭湯の面影はもうあまり残っていない。番台に座るお姉さんの笑顔だけは、昔のままだったはずなのに。
「最初にいなくなったのは、三週間くらい前だったかしら。小学二年生の女の子でね。お母さんと一緒に来て、お風呂から上がって、お母さんが着替えてる間にいなくなっちゃったの」
「え……」
「それから一週間おきくらいに、一人ずつ。男の子が二人と、三日前には幼稚園の女の子。もう四人よ」
お姉さんは指を折りながら、ひとつひとつ確かめるように言った。
「みんな、お風呂から上がったあとなの。親御さんが着替えたり髪を乾かしたりしてる、ほんの何分かの間に、ふっといなくなるのよ。警察の人も何度も来て、隅から隅まで調べてくれたわ。でも、どこにもいないの。リニューアルで広くなったって言っても、子供が隠れられるような場所なんてないのよ」
番台のお姉さんは心中にたまった感情を残らず吐き出すように一息で言い切った。ケータは脳裏に、あの机たちのことを思い浮かべずにはいられない。
「それから……変なことを言うようだけど」
お姉さんが声をひそめた。
「いなくなったのが、みんな夕方の五時くらいなのよ。ほら、町内のチャイムが鳴るでしょう。ちょうどあのくらい……変よね」
お姉さんは笑おうとしたようだった。でも、口の端が少し持ち上がっただけで、うまく笑顔になっていない。
目の下に、化粧でも隠しきれない影が落ちている。
(ウィスパー、どう思う?)
ケータは牛乳瓶に口をつけるふりをして、小声で囁いた。
(まあ、妖怪のせいでしょうねえ……ただ、話を聞く限り中々のワルモノっぽいでうぃすね)
ウィスパーの言う通りだ。このまま時間が過ぎれば、きっとまた誰かがいなくなる。こんな調子ではさくらの湯の経営自体不可能になってしまうかもしれない。
(オレっちは早く帰りたいニャン。湯上がりのチョコボーが待ってるニャン)
(ジバニャン!)
(……分かってるニャン。ちょっと言ってみただけニャン)
足元でジバニャンが、珍しくしょんぼりと耳を伏せた。その言動に少しの違和感を覚えながら、お姉さんに頼み込んで、ケータは翌日から少しだけ館内を調べさせてもらうことになった。
「ケータくん、探し物が得意なの?」
「えっと、まあ、ちょっとだけ。前に迷子の猫を見つけたこともあるし」
「……そう。ありがとうね」
お姉さんは、それ以上は何も聞かなかった。中学生の男の子が本気で何かを見つけられるとは、たぶん思っていない。それでも、断る元気すら残っていないように見えた。
「さて、ケータくん。ここはわたくしの出番でうぃすね!」
ウィスパーが胸を張った。妖怪パッドを取り出す手つきは、いつもより少しだけ慎重だった。先月の机の件が、まだ尾を引いているらしい。
ウィスパーが妖怪パッドをたたき始めると、すぐに目が見開かれた。
「……おおっ!」
ウィスパーの顔がぱっと輝いた。
「出ました出ました! 該当一件でうぃす!」
「ほんと!?」
「ほんとですとも! ほら、ケータくん、わたくしだってやればできるんですよ!」
ウィスパーが得意満面で画面をこちらに向ける。
「うんがい鏡! 鏡と鏡をつないで、遠く離れた場所へ行き来させてしまう妖怪でうぃす!」
「……ええ? うんがい鏡はこんな事しないと思うけどなあ……そりゃあ出来るかどうかで言えば出来るだろうけど……というか、そこにいるし」
うんがい鏡はケータの移動手段として使わせてもらっている妖怪だ。主要な各施設には大抵一人うんがい鏡がいて、各施設間を一瞬で移動できるのだ。最近ではポケットうんがいという好きな場所に転移できる道具も発明され、その利便性はとどまるところを知らない。
その恩もあってケータとしては疑うなんて考えられない相手だ。けれどもうんがい鏡がさくらの湯にずっといるのは事実、何か知っているかもしれないと入口の近くにいるうんがい鏡に話を聞こうとした。
「……ぺろ~ん」
が、当のうんがい鏡本人はぐっすりと寝ていた。
「……寝てるね」
「寝てますねえ」
「起こすニャン?」
「起こして、お願いジバニャン」
ジバニャンがうんがい鏡の近くによって、肉球でぺちぺちと顔を叩く。三回目で、うんがい鏡はやっと薄目を開けた。
「……んあ? なんでございますか?」
「うんがい鏡! 観念するでうぃす! 子供たちをどこへやったんですか!」
「実はさ……」
興奮するウィスパーを手で押さえつけながら、うんがい鏡に事情をかいつまんで説明する。
「子供が行方不明になっている、でございますか。申し訳ありませんが、存じ上げません……」
うんがい鏡はあくびをひとつして、それから短く否定の言葉を述べた。ケータがウィスパーのことをジト目で見つめると、慌てて目をそらす。ため息をついて問いかける。
「ウィスパーの推理が当たったことって、あったっけ」
「ありますとも! ええと、ほら、あれとか、あれとか」
「あれってなに」
「……あれでうぃす」
ケータの拳がウィスパーに向かいかけた瞬間、うんがい鏡が「……ですけれど」と言葉を切り出した。
「最近、この銭湯にはおかしな所がございます」
「おかしな所?」
「わたくしの鏡の奥に、ときどき泥が見えるのです」
ケータとウィスパーは顔を見合わせる。
「泥って……何の泥?」
「詳しいことについては分かりません、感覚的なものでございます。わたくしが出来ることは、あくまで『場所』と『場所』をつなげることなので」
うんがい鏡はとろんとした目で天井を見上げた。ウィスパーがおそるおそる妖怪パッドを叩き直す。
「……該当なし、でうぃす」
とん、と指を離して、ウィスパーは小さく肩を落とした。その後も館内の至る所を見て回ったものの、子供はもちろん新しい妖怪もいない。それどころか、何の異常も見つかることはなく、ケータはウィスパー達とともに首をかしげることになった。
その翌日、ケータは学校が終わるとまたまっすぐさくらの湯へ向かった。雨が随分と強く、水滴が地面に叩きつけられる音が室内にいても聞こえるほど大きい。さくらの湯はケータ達と番台のお姉さんを除いて他に誰もいなかった。
番台のお姉さんのクマは、より一層濃くなっている。昨日も寝れなかったのだろう、ケータ達の前では明るくふるまっているが、内心はどんなにつらいのだろうか。
四時五十八分。聞いた話だと子供が消える時刻というのはそろそろのはずだ。ただ、中学生のケータは対象外の可能性が高い、けれども何とかして手がかりぐらいはつかみたい。
ケータはのれんをくぐって脱衣所に入り、着替えた後男湯に足を踏み入れた。
足湯の縁に腰かけて、膝から下をお湯に沈める。あたりを見渡してもリニューアル後に設置された様々なお風呂こそあるものの、異常は見当たらない。ウィスパーが周りをうろちょろして、不安げな様子でこちらを見つめている。
「ケータくん、そろそろのぼせますよ」
「足湯じゃのぼせないよ、ウィスパー……」
五時。
どこか遠くの電柱のスピーカーから夕方のチャイムが鳴り始めた。聞き慣れたメロディ、毎日聞いている曲だ。
ふと、気づいた。雨の音がしない。顔を上げてガラスの向こうの外を見ると、雨はまだ確かに降っていて、やむどころか心なしか強まってきている気がした。ガラスに水滴が伝うのを見つめながら、お湯がお風呂に流れ込む音すら消えていることを確認した。
チャイムのメロディだけが、やけにはっきりと耳に届く。
「……ウィスパー?」
返事がなかった。振り返ると、ウィスパーはケータのすぐ隣で口を半開きにしたまま固まっていた。
話しかけようとするのと同時に、足の裏がずぶりと沈んだ。
足湯の底は確かにタイル張りだったはずだ。それなのに、足の裏に伝わってくるのは、ぬるりと柔らかい──泥のような感触。
透き通っていたお湯が、足元から茶色く濁っていく。間違いなく泥だ。湯の底から泥が湧き出している。
そして──足首を、何かが掴んだ。
小さな手だ。指が細くて、短くて、ケータの足首を一周できないくらい小さい子供の手だ。それが、左右の足首に一つずつ。
ぐい、と全身を抵抗できないほどの力で引かれる。
「うわっ──!」
膝までしかないはずの足湯に、ケータの体が沈んだ。太ももまで。腰まで。浅いはずの底が、どこまでも抜けていく。
あまりにも予想外だった、そもそも行方不明になるのはお風呂に上がった後のはずで、ケータは年齢的に当てはまらないはず。
「ケータくんっ!」
「ケータ!」
ウィスパーとジバニャンが、同時に叫んだ。ウィスパーがケータの右腕に、ジバニャンが左腕にしがみつく。ケータはどこかで聞きかじった、下手に抜け出そうと暴れると余計に深くはまってしまうという知識を思い出してじっと体を固める。
「ケータくん、しっかり! ケータくんっ!」
ウィスパーが叫ぶ。その瞬間、足首を掴む手が、ほんのわずかに緩んだ気がした。
「ケータ! こっちニャン! ケータ!」
泥の中からチャイムのメロディが響いている。それに混じって、どこか遠くで、子供の笑い声がした気がした。
「せーのっ!」
「ニャアアアッ!」
二人が同時に全力でケータの両腕を引いた。ずるり、と泥が音を立てて、ケータの足首から小さな指がほどけていく。
ケータの体がタイルの上に投げ出され、泥は地面に吸い込まれるようにその姿を小さくしていきやがて消え去る。
途端に音が戻ってきた。雨粒が屋根や地面を叩く音、お湯の注ぎ口の音、遠くの車の音。
足湯のお湯は何事もなかったかのように透き通っていた。お湯の底にはタイルが整然と並んでいて泥なんて、一粒も見当たらない。
ケータは濡れたタイルの上に仰向けになったまま、荒い息を繰り返した。
「……はあ、はあ……なに、今の……」
「ケータ、足見るニャン!」
ジバニャンに言われて、ケータは体を起こした。左右の足首に泥の跡がついている。その後お湯で洗っても落ちない、小さな子供の手形だった。
流石にこのことを番台のお姉さんに話すわけにはいかない。何も異常はなかったという嘘をつき、帰路をたどる。雨はもう上がっていた。
「……ケータくん」
家の前まで来たところで、ウィスパーがようやく口を開いた。
「これ以上は、やめましょう」
いつものウィスパーの声じゃなかった。ふざけてもいないし、得意げでもない。
「それは……何で?」
「アレは触れるべきではない、よくない存在です。そして何より一番の問題は……泥の向こうに妖怪たちを連れていくことは出来ない、もしくは力を碌に発揮できない可能性が高いということです。実質ケータくん一人で立ち向かうことになります」
ウィスパーはそこで一度言葉を切る。それからケータの目を逸らさずじっと見つめて、固く誓うように言った。
「わたくしは、ケータくんの執事でうぃす。主人を、これ以上危ない目に遭わせるわけにはいきません」
ケータは何も言えなかった。足首がまだ少しだけ冷たい。あの小さな指の感触が、皮膚の下に残っている。本当は今すぐ布団にもぐって、全部忘れてしまいたかった。久しく忘れていた、恐怖という感覚。
ウィスパーは小学校の頃より、少しだけ過保護になったような気がする。いや、ウィスパーに限ったことじゃないかもしれない。
けれどそれは間違いなく、ケータを想っての事なのだろう。
「……ケータ」
足元で、ジバニャンが小さく言った。
「オレっちは、ケータが決めたほうについてくニャン。どっちでもいいニャン」
「……うん。ありがと」
その夜、ケータは床について天井を見上げながら、足湯でのことを何度も思い返した。泥や小さな手の感触、子供の笑い声。気づけばあまり眠れないまま朝になってしまった。
翌日の学校でもケータは一日中ぼんやりして、授業の内容がまるで頭に入ってこなかった。寝不足のせいもあるだろうが、気がつくと足首を気にしていて、靴下の上から手形のあたりを押さえている。
「ケータくん、大丈夫?」
昼休み、隣の席からフミちゃんが声をかけてきた。
「えっ? あ、うん、大丈夫大丈夫!」
「本当? なんだか朝からずっと上の空だよ」
フミちゃんが心配そうに覗き込んでくる。いつもなら舞い上がるところなのに、今日のケータにはうまく笑い返す余裕がない。今回はいつもの妖怪たちが起こす事件と比べて危険すぎる、巻き込むわけにはいかない、友達としても、一人の女の子としても。
その日の放課後、ケータはウィスパーの制止を振り切ってさくらの湯の前に立っていた。中に入るかどうかは、まだ決めていない。
けれど諦めるのなら、お姉さんに「もう力になれない」と伝えるぐらいするのが最低限の義理だろう。
「……ケータくん」
「分かってるよ、ウィスパー。見るだけ」
中に入ると番台のお姉さんが顔を上げてこちらを見た。
「あら、いらっしゃい。ケータくん」
いつもと同じ笑顔──の、つもりなのだろう。
昨日より、さらに目の下の影が濃くなっていた。化粧で隠そうとした跡がかえって目立っており、頬もひとまわり細くなったように見える。それでもお姉さんは、客が来るたびにちゃんと顔を上げて、「いらっしゃい」と言っていた。
「今日も、調べていく?」
「あ……えっと」
ケータが言葉に詰まっていると、お姉さんの視線がふと休憩所のほうへ流れた。つられて、ケータもそちらを見る。
ソファーが置かれた休憩所に、何人かの大人が座っている。
ピンク色の小さなタオルを膝の上で握りしめている女の人。作業着のまま、スマホの画面をじっと見つめている男の人。背中を丸めて、二階の暖簾から目を離さないおばあさん。入口のほうを何度も振り返っている、まだ若いお母さん。
誰も、お風呂に入る支度をしていない。ただ座って、何かを祈っているみたいだ。
「いなくなった子の、ご家族なの」
お姉さんが罪悪感が滲んだ小さな声で言った。
「ここでいなくなったんだから、ここに帰ってくるかもしれないって」
ピンクのタオルの女の人がふいに顔を伏せた、肩が小さく震えている。隣のおばあさんが黙ってその背中をさすった。けれどそのおばあさんの目にも涙が浮かんでおり、おばあさん自身もいっぱいいっぱいなのは一目瞭然だった。
ケータはぎゅっと拳を握る。
「……ウィスパー」
ケータは、隣のウィスパーを見ないまま言った。
「ごめん。俺、行くよ」
ウィスパーは、しばらく何も言わなかった。長い、長い沈黙のあとで、ふうっと大きなため息が聞こえた。
「……まったく。ケータくんは、言い出したら聞かないんですから」
「ごめん」
「謝らないでください」
ウィスパーがふわりと浮いて、ケータの正面に回り込む。その顔は、いつもの得意げな顔に戻っていた。少しだけ無理をしているようにも見えたけれど。
「でしたら、わたくしもお供します」
「え……」
「当然でうぃす。わたくしはケータくんの執事ですから。主人を一人で危ないところへ行かせる執事が、どこの世界にいるんですか」
「ウィスパー……」
「それに、ケータくん一人じゃ、何かあったときに気の利いた解説をする人がいないでしょう?」
「それは別にいらないけど」
「いりますとも!」
ケータは思わず笑ってしまった。笑ったら、肩に入っていた力が、少しだけ抜けた。
「オレっちも行くニャン」
ジバニャンが、ケータの足元で腕組みをしていた。
「チョコボー十本で手を打ってやるニャン」
「……ありがと、ジバニャン」
「礼はチョコボーで払うニャン」
ケータはジバニャン達と笑いあいながら、一緒に脱衣所へと向かった。