第二話 この王子様に庶民の金銭感覚を!
王族というものは、朝が早い。
日の出とともに起床し、身支度を整え、剣の鍛錬を行う。その後は朝食を取りながら国内外から届いた報告書に目を通し、臣下との会議に臨む。
ベルゼルグ王国第二王子、ベルゼルグ・スタイリッシュ・ソード・アルフレッドも、その習慣を守っていた。
たとえ王城を離れ、アクセルの街で冒険者となっても、それは変わらない。
「――ふっ!」
早朝の庭に、鋭い風切り音が響く。
アルフレッドが木剣を振り下ろすと、巻き起こった風圧によって地面の霜が吹き飛んだ。
基本の型を一つずつ、丁寧に繰り返す。
速く、重く、それでいて動きには一切の無駄がない。
そうして百回目の素振りを終えたところで、屋敷の窓が勢いよく開いた。
「朝っぱらからうるせええええ!」
寝間着姿のカズマが、窓から身を乗り出して叫んだ。
「おはよう、カズマ。よい朝だな」
「まだ日の出前だ! お前のせいで起こされたんだよ!」
「すまない。音は立てないよう気をつけていたのだが」
「素振りの風圧で窓がガタガタ鳴ってるんだよ! あと庭の木が一本傾いてる!」
アルフレッドが振り返ると、庭に生えていた細い木が、風圧を受けて斜めになっていた。
「む……未熟だな」
「どこを反省してるんだ? 力加減か? 自分の剣の腕か?」
「明日からは、もう少し庭の中央で振ることにしよう」
「明日からやめろって言ってるんだよ!」
カズマの怒鳴り声で、屋敷の住人たちも次々と目を覚ました。
アクアは寝ぼけながら廊下の壁にぶつかり、めぐみんは片方だけ靴下を履いた状態で階段から下りてきた。ダクネスだけはすでに身支度を終えており、庭で鍛錬するアルフレッドを尊敬のまなざしで見つめている。
「さすがはアルフレッド殿下だ。早朝から鍛錬を欠かさないとは」
「ダクネス。こいつを褒めるな。調子に乗って毎朝やるぞ」
「王国を背負う者として、日々の鍛錬を怠るわけにはいかない」
「もう背負ってるのは王国じゃなくて、うちの生活費なんだよ!」
カズマはそう叫ぶと、一枚の紙をアルフレッドへ突きつけた。
そこには昨日から今朝にかけて、王子が使った金額が細かく書かれている。
「冒険者登録料、装備代、夕食代。それにアクアへ奢った酒代。全部合わせて、これだけ俺が立て替えてるからな」
「承知している。必ず返そう」
「本当に分かってるのか? 庶民にとっては結構な大金なんだぞ」
「無論だ。俺も今日から冒険者として働く。まずは日給十万エリスほどの依頼を――」
「あるか、そんな仕事!」
カズマは即座に否定した。
「王城では、城壁修繕に従事する職人へ一日十万エリスを支払っているが」
「それは腕のいい職人だからだよ! 初心者冒険者が簡単に稼げる額じゃない!」
「そうなのか」
「そうなんだよ。いいか、アルフレッド。これからお前には庶民の金銭感覚を覚えてもらう」
カズマは人差し指を立て、王子へ言い聞かせる。
「まず、無駄遣いは禁止。買い物をするときは必ず俺に相談すること。勝手に王家の名前でツケを作らない。報酬が入ったら、最初に必要経費を引く。残った金を仲間で公平に分ける。分かったか?」
「ああ。合理的な取り決めだ」
「本当に分かったんだな?」
「王族の名に懸けて誓おう」
あまりに素直な返事に、カズマは少しだけ不安を覚えた。
だが、そのときは考えすぎだろうと判断した。
「では、朝食にしよう。俺が用意しておいた」
「へえ。料理もできるのか?」
「野営の経験はある。簡単なものだが、皆の口に合えばよいのだが」
アルフレッドに促され、一行は食堂へ向かった。
長いテーブルの上には、香ばしく焼かれたパン、分厚いベーコン、色鮮やかな野菜のスープ、新鮮な果物、湯気を立てる卵料理が並んでいる。
「すごい! 豪華な朝ご飯じゃない!」
アクアが目を輝かせた。
「これはアルフレッドが作ったのですか?」
「料理人ほどではないがな。王城では、遠征に備えて最低限のことは教わる」
「やるじゃないか! これならうちの食事当番に――」
そこでカズマは、テーブルの隅に置かれた紙切れに気づいた。
嫌な予感を覚えながら拾い上げる。
それは、街で最も高級な食材店の領収書だった。
「……アルフレッド」
「どうした?」
「この食材、どうやって買った?」
「店主に事情を話したところ、快く用意してくれた」
「金は?」
「王家の名でツケておいた」
「さっき誓ったばかりだろうが!」
カズマが領収書をテーブルへ叩きつけた。
「でもカズマ、もう作っちゃったんだし、食べないともったいないわよ」
「お前は口いっぱいにベーコンを詰めながら言うな!」
「この果物、見たことがありませんね。とても甘いです」
「めぐみんも勝手に食べ始めるな!」
「この卵料理も見事だ。柔らかいものが口の中で乱暴にかき回され、形を失っていく……。まるで抵抗できない私が大勢の荒くれ者たちに――」
「朝から気持ち悪い感想を言うな、ダクネス!」
結局、用意された食事はすべて平らげられた。
そして王子が作った新たな借金を返すため、一行はその日のうちに冒険者ギルドへ向かうことになった。
◆
「一日で終わって、危険が少なくて、報酬が高い依頼……」
ギルドの掲示板を眺めながら、カズマが難しい顔をする。
「そんな都合のよい依頼があるのですか?」
「普通はない。だから、条件に近いものを探してるんだ」
「魔王軍の幹部討伐などはどうだ?」
「初心者の最初の仕事に勧める依頼じゃねえ!」
アルフレッドが指差した紙を、カズマが慌てて掲示板へ戻す。
「お前が強いのは知ってるけどな、俺たちのパーティーは連携に問題があるんだ。まずは簡単な依頼で、お互いの動きを確認する」
「なるほど。集団戦では個々の力量以上に連携が重要となる。正しい判断だ」
「そうだろう? やっと俺の偉大さが分かってきたか」
「ええ。日頃のカズマからは想像できない、極めてまともな意見です」
「めぐみん、お前は俺をなんだと思ってる?」
やがてカズマは、比較的安全そうな依頼を一枚選んだ。
「これにしよう。街の近くにある農村で、ゴブリンが作物を盗んでるらしい。確認されているのは十匹程度。報酬は二十万エリスだ」
「ゴブリン退治か。分かった」
「今回の目的はアルフレッドの実力を見ることだ。俺たちは基本的に援護に回る」
「私の爆裂魔法があれば、ゴブリンの集落など一撃ですが」
「畑ごと消し飛ばすつもりか。お前は最後まで撃つなよ」
「では、私は殿下を庇う役目を務めよう」
「お前も今回は何もするな。王子より先に敵の中へ飛び込もうとするなよ」
「カズマ! 私は? 私は何をすればいいの?」
「宴会芸でもしてろ」
「もっと女神らしい役割をちょうだい!」
騒ぐ三人を眺めていたアルフレッドが、楽しげに笑う。
王城では、作戦を告げれば誰もが黙って従った。意見を述べる者はいても、これほど遠慮なく言い合う者はいなかった。
統率が取れているとは言い難い。
しかし、不思議と不快ではなかった。
「では、行こう。初めての依頼だ」
「ああ。ただし、勝手な行動はするなよ」
「承知した」
カズマは、今度こそ本当に理解したのだろうと思った。
◆
街を出てから一時間ほど歩き、一行は依頼のあった農村へ到着した。
畑は荒らされ、地面には小さな足跡がいくつも残っている。
依頼人である村長は、一行を見るなり深々と頭を下げた。
「冒険者様、どうかお願いいたします。冬を越すための蓄えまで奪われては、村の者が飢えてしまいます」
「任せてください。報酬分の仕事はしますから」
カズマが村長から詳しい話を聞き、ゴブリンが現れる時間と逃げる方向を確認する。
その間、アルフレッドは荒らされた畑を静かに見つめていた。
折れた柵。踏み荒らされた作物。痩せた土地。
そして、離れた場所から不安そうにこちらを見ている村人たち。
「どうした、アルフレッド?」
「いや。報告書で読むのとは、やはり違うものだと思ってな」
「そりゃそうだろ。紙の上じゃ、土の匂いまでは分からないからな」
「……ああ。その通りだ」
アルフレッドはうなずき、腰の剣へ手を添えた。
ほどなくして、森の方角から甲高い声が聞こえてきた。
粗末な棍棒や錆びた短剣を持ったゴブリンたちが、茂みの奥から姿を現す。
「来たぞ。全部で十二……いや、十五匹か。俺が弓を持ってるやつを狙う。アルフレッドは前に出て――」
「話し合ってくる」
「は?」
アルフレッドは剣から手を離すと、無防備なままゴブリンたちへ歩み寄った。
「待て待て待て! 何してるんだ、お前!」
「彼らにも事情があるのかもしれない。まずは対話を試みるべきだ」
「相手はゴブリンだぞ!」
「種族が異なるという理由だけで、話し合いの可能性を捨ててはならない」
「王子様らしい立派な意見だけど、あいつら人間の言葉が通じないから!」
アルフレッドが両手を広げ、ゴブリンたちへ呼びかける。
「我々は無用な争いを望んでいない! 畑を荒らした事情があるのなら、武器を置いて話し合おう!」
ゴブリンたちは顔を見合わせた。
一匹が短く鳴き、全員が一斉にアルフレッドへ襲いかかる。
「やっぱり通じてねえ!」
先頭のゴブリンが棍棒を振り上げた。
次の瞬間、アルフレッドの姿が消えた。
乾いた音とともに、ゴブリンの棍棒が宙を舞う。
アルフレッドは相手の懐へ入り込み、拳で顎を打ち抜いていた。
倒れた一匹を踏み越え、二匹目の短剣をかわす。手首を掴んで投げ飛ばし、その体を三匹目へぶつける。
背後から迫ったゴブリンには、振り向くことなく木の枝を投げつけた。
枝はゴブリンの額に命中し、相手を気絶させる。
数十秒後。
十五匹のゴブリンは、すべて地面に倒れていた。
アルフレッドは剣すら抜いていない。
「これが……王国随一の剣士……」
ダクネスが感嘆の息を漏らす。
「剣を使っていませんが」
「強すぎるわ! 私たち、何もしなくてよかったじゃない!」
アクアが喜ぶ一方、カズマは複雑な顔で倒れたゴブリンたちを見た。
「いや、強いのはいいんだけど……」
「どうした、カズマ」
「最初から倒せるなら、話し合いに行く必要あったか?」
「剣を向けるのは、対話を拒まれてからでも遅くはない」
「一歩間違えば、お前が死んで俺たちが国家反逆罪だったんだぞ!」
「安心しろ。彼らに俺を殺せるほどの力はない」
「その自信を先に説明しろ!」
◆
ゴブリンを討伐した一行は、村人たちの歓声に迎えられた。
倉庫から盗まれた食料も無事に見つかり、依頼は完全な成功である。
村長は何度も頭を下げながら、報酬の入った革袋を差し出した。
「本当にありがとうございました。これで村の者たちも、安心して冬を迎えられます」
「仕事ですから。それじゃあ、報酬を――」
カズマが革袋を受け取ろうとする。
しかし、その前にアルフレッドが一歩前へ出た。
「村長。その金は村のために使ってほしい」
カズマの手が止まった。
「……今、なんて?」
「畑と柵の修繕には金が必要だろう。この村の状況を考えれば、我々が受け取るわけにはいかない」
「おお……! なんと慈悲深いお方だ……!」
村長の目に涙が浮かぶ。
村人たちからも感動の声が上がった。
アルフレッドは満足そうにうなずく。
一方、カズマの肩は小刻みに震えていた。
「アルフレッド。朝、俺が言ったことを覚えてるか?」
「もちろんだ。報酬から必要経費を引き、残った金を公平に分配する」
「じゃあ、なんで報酬を全部断った?」
「彼らには、この金が必要だ」
「俺たちにも必要なんだよ!」
カズマがアルフレッドの胸ぐらを掴む。
「お前が今朝作った借金を返すために来たんだぞ! 食材代だけじゃない! 登録料も装備代も俺が出してるんだ!」
「心配するな、カズマ」
「何をどう心配するなと?」
「村の窮状については、帰り次第、王都へ報告する。畑の修繕費として、王家から追加で支援金を出そう」
「その金を俺たちの報酬に回せよ!」
「それとこれとは話が別だ」
「どこが別なんだ!」
感動していた村人たちが、困ったように顔を見合わせる。
めぐみんは静かにカズマの肩へ手を置いた。
「諦めなさい、カズマ。相手は本物の王子です。我々とは金銭感覚が違いすぎます」
「こんなときだけ冷静になるな! お前だって報酬なしだぞ!」
「村長。少なくとも夕食は用意してもらえませんか?」
「切り替えが早いな!」
「お酒もあるかしら?」
「お前たちは遠慮を覚えろ!」
ダクネスはアルフレッドを見つめ、うっとりと息を漏らした。
「民のため、自らの報酬すら惜しみなく差し出すとは……。これぞ王族の鑑だ」
「お前は少しぐらいカズマ側に立て!」
「だが、報酬を得られず、借金だけが増えていくこの状況……悪くない」
「やっぱりお前には期待してなかったよ!」
その夜。
村人たちは感謝の印として、小さな宴を開いた。
アルフレッドは村人たちの話を熱心に聞き、アクアは酒を飲み、めぐみんは子供たちへ紅魔族の名乗りを教え、ダクネスはなぜか村の青年たちに罵倒を要求していた。
カズマだけが、報酬の代わりにもらった野菜を数えながら頭を抱えている。
「二十万エリスの依頼を受けて、手元に残ったのが芋と大根だけ……」
「カズマ」
隣へ座ったアルフレッドが、真剣な顔で声をかけた。
「なんだよ」
「今日一日で、庶民の生活について多くのことを学べた。君たちには感謝している」
「そりゃよかったな」
「特に、金の大切さを理解した」
「本当か?」
「ああ。だから村長には、王家から百万エリスを送ると約束しておいた」
「増えてるじゃねえか!」
カズマの叫びに、村人たちが一斉に拍手を送った。
アルフレッドは笑顔で手を振り、アクアは酒の入ったジョッキを掲げる。
「王子様、ばんざーい!」
「お前はどっちの味方だ!」
こうして、アルフレッドの初めての依頼は無事に成功した。
村は救われ、王子は民の暮らしを学び、カズマ一行は新鮮な野菜を手に入れた。
ただし、借金は一エリスも減らなかった。