深夜二時過ぎ。
いつもと同じSAO時代のログ整理。
部屋にはPCの駆動音だけが響いていた。
最後のデータ整理。
「いつ終わるんだこれ…」
少しうんざりしながら呟いた。
削除対象を確認しながら、男は頬杖をついてフォルダを開いていく。
《voice》
その中の一つに、妙な名前のファイルがあった。
《for_Asuna》
男の眉がわずかに動く。
数秒迷った後、クリックした。
ノイズ。
そして、聞き慣れないはずなのに妙に耳に残る声が流れ出す。
『……えーっと、これ聞いてるってことは、多分サプライズ成功してるよな』
若い男の声。
自分と同じ声だった。
だが今の自分より、ずっと柔らかい。
少し照れ臭そうに笑っている。
『いやー一応俺なりに色々考えて用意したから、アスナに気に入ってもらえるといいんだけど』
『こういうの柄じゃないって分かってるんだけどさ』
『でも、お前にはちゃんと言っときたかった』
男は無表情のまま聞いていた。
画面の波形が揺れる。
『SAOの中でお前に会えて、本当に――』
そこで。
男は突然、再生を止めた。
沈黙。
部屋が静まり返る。
しばらく動かずにいた後、小さく吐き捨てる。
「……寒いんだよ」
声は乾いていた。
自分でも分かる。
これは《キリト》なりに、一生懸命だったのだろう。
不器用でも。
照れながらでも。
ちゃんと想いを伝えようとしていた。
でも今の自分には、それがひどく遠く感じた。
眩しすぎるというより、異物に近い。
まるで他人の日記を勝手に読み上げられているみたいだった。
だからこれ以上は聞いてられなかった。
男は再生画面を見つめる。
もし最後まで聞けば。
たぶん、アスナへの愛の言葉が続いていたのだろう。
未来の話。
帰還後の話。
くだらない約束。
日常について。
全部。
もう存在しない感情だった。
カーソルを動かす。
《削除》
確認ウィンドウ。
男は一切迷わずクリックした。
音声ファイルが消える。
画面から《for_Asuna》の文字が消滅する。
それを見届けても、何も感じない。
……はずだった。
なのに、削除後もしばらく耳の奥にあの声が残っていた。
『お前に会えて、本当に――』
続きを思い出せない。
聞いていないのだから当然だ。
男は眉間を押さえ、小さく息を吐く。
「……だから何だってんだ」
返事はない。
部屋にはもう、機械音しか残っていなかった。
「言いたいことはあんならさ、全部その時に言っとけよ」
その言葉は、一体どういう感情から漏れ出たものだったか。
自分自身にも分からないまま男はPCの画面を閉じた。