午後の喫茶店。
静かなジャズが流れる店内で、男は窓際の席に座っていた。
向かいには菊岡誠二郎。
いつもの胡散臭い笑顔。
SAO事件から目覚めた直後に真っ先に自分の元に現れた総務省の下っ端役人を名乗る人間。
ALO事件の後始末が済んだ後も時折こうやって自分を呼び出す。
テーブルにはコーヒーと、小さなショートケーキ。
「いやぁ、君を呼び出すのも毎回苦労するねぇ」
「別に来たくて来たわけじゃない」
男はフォークでケーキを切り分ける。
苺を口に運ぶ。
……普通に美味かった。
甘さが妙にちょうどいい。
少しだけ手が止まる。
菊岡はそんな様子を見ながら話を続けた。
「で、本題なんだけどね。SAO帰還者向けの学校ができるんだよ」
「……」
「長期間社会から切り離されてた子達向けの特別措置ってやつさ。学歴問題とか、精神ケアとか色々込みでね」
男は黙ったままケーキを食べる。
スポンジ。
生クリーム。
柔らかい甘味。
少なくともゲームよりは中身がある気がした。
「君にも案内が来ると思うよ」
そこでようやく顔を上げる。
「それで?」
菊岡が瞬きをする。
男は淡々と続けた。
「俺に関係ある?」
その声音には、本当に興味がなかった。
学校。
青春。
友人関係。
全部、《キリト》の延長線上にある話にしか思えない。
今の自分には遠すぎた。
菊岡は苦笑する。
「関係なくはないと思うけどなぁ。君も帰還者だろ?」
「“キリト”が、だろ」
男はコーヒーを一口飲む。
苦味が広がる。
「今の俺は、ただ脳焼かれた抜け殻だ」
さらりと言う。
まるで天気の話みたいだった。
菊岡は少しだけ表情を曇らせる。
「君は本当に、自分をそういう風にしか見れないんだねぇ」
「事実だろ」
男は再びケーキへ視線を落とした。
しばらく無言。
店内の食器音だけが響く。
やがて男は、最後の一口を食べ終える。
「……ケーキ、美味かった」
ぽつりと呟く。
その瞬間だけ、少し年相応の声音だった。
菊岡は思わず吹き出しそうになる。
「そこは素直なんだ」
「金払ってないからな」
男は空になった皿を見る。
それから椅子を引いた。
「話は終わりか?」
「ああ、まぁ今日はね」
「そうか」
立ち上がる。
去り際、菊岡がふと呼び止めた。
「桐ヶ谷くん。君が思ってるより、君を待ってる人は多いよ」
男は少しだけ足を止める。
だが振り返らない。
「……だったら悪いな」
静かな声。
「中身がもういない」
そう言い残して、男は喫茶店を後にした。
テーブルの上には、綺麗に食べ終えたケーキ皿だけが残っていた。