キリトがナーブギアに脳を焼かれ記憶を全て失ったら   作:富福

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夜。

一人暮らし用のアパート。

机の上には、通信制課程の教材が広がっていた。

数学。

現代文。

英語。

記憶は無いが知識としては知っている、学生が当たり前にこなす主要教科の課題。

結局菊岡から聞いた帰還者学校とやらに入学することになった。

帰還者向けの特別措置を利用して、とりあえず通信制の生徒として籍だけ置いている。

別にやる気があるわけじゃない。

ただ、何もしないよりはマシだから続けているだけだった。

それに通信制でも高校だけは卒業しないと家族がまた心配してくるだろう。

ただでさえ記憶障害持ちの一人暮らしということでアレコレ言ってくるのだ。

SAO帰還者の事情を受け入れてくれる学校を他に探すのが面倒だったというのもある。

シャーペンを走らせる。

淡々と問題を解く。

時折考え込む。

感情はない。

ただ時間を潰すみたいに、ページを埋めていく。

一つのタスクとして深く考えずこなしていくだけ。

途中、教材の端に書かれた名前へふと視線が止まる。

《桐ヶ谷 和人》

その文字を数秒見つめた後、男は小さく呟いた。

「……そういやキリトってソロだったっけ」

ぽつり、と。

まるで他人のプロフィールを思い出したみたいな口調だった。

ログで見た知識。

《黒の剣士》

《ビーター》

《ソロプレイヤー》

確か、そんな風に呼ばれていた。

仲間を避けて。

一人で戦って。

ずっと最前線にいた男。

ゲーム終盤までほぼ一人でデスゲームを生き抜いた。

周囲からすればそれは命知らずな行いだったらしい。

男はシャーペンを回しながら、ぼんやり考える。

「案外、向いてたのかもな」

今の自分みたいで。

誰とも深く関わらず。

期待もされず。

一人でいた方が楽。

少なくとも今の生活は、その頃の《キリト》と似ている気がした。

……もっとも。

ログの中の《キリト》は、本当は孤独を嫌っていたようにも見えたが。

だからだろうか、彼の周りにはアスナを始め少なくない人がいた。

男はそこまで考えて、小さく息を吐く。

「まぁ、どうでもいいか」

そこで思考を切る。

シャーペンを持ち直し、再び課題へ視線を戻した。

数式を解く。

漢字を書く。

空欄を埋める。

部屋には紙をめくる音だけが響く。

《黒の剣士》の話は、それ以上続かなかった。

まるで本当に、関係のない誰かの昔話みたいに。

少なくとも今ここにいる自分は、バイトして、課題をするだけのただの学生だ。

余計な期待などされず一人でいたい、という感情だけは確かに自分の中にある。

それがかつての自分のものと同じかは分からないが。

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