深夜の喫茶店。
窓の外では雨が降っていた。
男はパフェを食べ終えた皿を脇へ寄せ、ぼんやり雨粒を眺めている。
ドリンクバーの烏龍茶が口の中の甘さを程よく流してくれる。
向かいでは菊岡が資料を閉じたところだった。
「……で、今日の依頼は以上」
「あっそ」
「急な呼び出しにも関わらず対応してくれてありがとう、助かったよ」
「別に礼とかいいから、バイト代きっちりよろしく」
「あぁもちろんだ、そのパフェとは別にね」
「ならいい」
気のない返事。
しばらく沈黙が続く。
やがて男が、不意に口を開いた。
「なぁ、菊岡」
「ん?」
「いっそ死亡偽装とかできないのか」
空気が止まる。
菊岡は数秒、本気で聞き返せなかった。
「……は?」
男は相変わらず窓の外を見たまま続ける。
「桐ヶ谷和人死亡、みたいな感じで」
「いやいやいや」
菊岡が思わず身を乗り出す。
「君、軽く言ってるけどそれ普通に犯罪だからね?」
「別に戸籍弄れって意味じゃなくて」
男はストローを回しながら言う。
「表向きだけでも。行方不明とかでもいい、アンタ役人だろ?」
「何でそんな話になるのかなぁ……」
菊岡は額を押さえる。
男は淡々としていた。
「黒の剣士の《キリト》を期待されるの疲れるんだよ」
その声には、薄く倦怠だけがあった。
「家族も。アスナも。帰還者も」
みんな《黒の剣士》を見ている。
でも自分は違う。
だから会うたびに、“空っぽ”なのを突きつけられる。
だったら。
最初から死んだことにしてしまえば楽なのではないか。
誰のためにもならないならいっそ消えてしまった方がいいんじゃないか。
そんな発想からの発言だった。
菊岡はしばらく黙った後、微妙な顔でため息を吐く。
「……生憎そんな権限は無いよ」
「マジでないのか?」
「むしろそんなのある方が怖いでしょ」
男は少し考える。
「まぁ、それもそうか」
妙にあっさり納得する。
菊岡は苦々しくコーヒーを飲む。
「君ねぇ……自分が死んだら、周りがどうなるか考えたことある?」
「ある」
即答だった。
「だから偽装なんだろ」
「そういう問題じゃないんだけどなぁ……」
菊岡は深く息を吐く。
男は窓ガラスへ映る自分を見る。
黒い髪。
無表情な顔。
深夜のファミレスでパフェを食べる高校生。
《黒の剣士》には見えない。
あの日から何度も突きつけられる現実だ。
「実際、死んでるようなもんだろ」
ぽつりと呟く。
菊岡は何も返せなかった。
冗談みたいな口調なのに、目の前の青年だけは本気でそう思っている。
それが分かってしまったから。