あれから二人はどちらも意見を曲げなかった。
「だから歩けるって」
「歩けないから言ってるの!」
「放っとけばそのうち帰る」
「その前にまた転ぶでしょ!」
駅前のベンチで、押し問答はしばらく続く。
男は頑なだった。
アスナはそれ以上に頑固だった。
そして結局最終的に根負けしたのは、足を痛めている側だった。
やはり自分のことだからこそこの足で帰るのは無理だと理解したのだ。
「……はぁ」
深いため息。
男は観念したように背もたれへ体重を預ける。
「好きにしろ」
その言葉を聞いた瞬間、アスナはすぐタクシーアプリを操作し始める。
どこか手慣れているように見えるのは気のせいだろうか。
男はその横顔をぼんやり見てから、視線を逸らす。
妙な感じだった。
知らない相手のはずなのに、向こうだけ距離が近い。
それが落ち着かない。
数分後。
「呼べたよ、すぐに来るって」
「ん」
短いやり取り。
沈黙が落ちる。
男はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。
「……次のバイト代で返す」
アスナが瞬く。
「別にいいよ?」
「よくない」
即答だった。
「借りは嫌い、精神的にも物理的にも」
淡々とした声。
アスナは少し困ったように笑う。
そこだけ妙に昔と変わらない気がした。
男はポケットからスマホを取り出す。
少しだけ言いにくそうな顔をしながら。
「……連絡先交換しよう」
アスナの呼吸が止まる。
男は続けた。
「返す時いるだろ、だから連絡先教える」
事務的な口調だった。
でも。
それでも。
完全に拒絶されると思っていたアスナには、その一歩だけで十分すぎるくらいだった。
「……うん」
小さく頷く声が震えている。
二人でスマホを操作する。
連絡先交換。
画面に表示される名前。
《結城明日奈》
男はその文字を数秒見つめた後、登録を押した。
それだけなのに、アスナは泣きそうな顔をしていた。
自分のスマホにも《桐ヶ谷和人》と名前で登録する。
まるで失ったものが少しだけ戻ってきたかのような表情でその登録された画面を見ていた。
男は居心地悪そうに眉を寄せる。
「……そんな大袈裟な話か?」
アスナは笑おうとして、うまく笑えなかった。
「大袈裟じゃないよ」
静かな声。
「ずっと、会えなかったから」
男は返事に困る。
何を言えばいいのか分からない。
だから結局、いつものように話を逸らした。
ガサガサと手元を探りそちらに意識を向ける。
「……プリンは、無事だったか」
コンビニ袋を確認しながら呟く。
アスナは一瞬きょとんとして、それからとうとう小さく笑った。
今度は少しだけ、自然に。