夕方の、段々薄暗くなるアパートの部屋の中。
男はスマホを睨んでいた。
テーブルの上にはスマホが置かれている。
タクシー代を返すアスナに返す。
ただそれだけのこと。
仕方ながなかったとはいえ、望まない相手に借りを作ってしまった。
返済は早い方がいい。
期限が決まってないとはいえ、借りを残したままなのは落ち着かない。
タクシー代を借りて帰宅したか確認するメッセージに返信して以来、一度だけ短いメッセージのやりとりはした。
だが自分から彼女に連絡をするのはまだ一回もしたことがなかった。
送られたメッセージに返信をするのとは、訳が違う。
心の準備がいるからと、もうそれなりの時間スマホと睨めっこをしている。
「仕方ない、いい加減腹くくれ俺」
男は少し嫌そうな顔をしながら、スマホを手に取り連絡先を開く。
《結城明日奈》
数秒沈黙。
そして短く打ち込む。
『バイト代入ったからタクシー代返したい
いつ空いてる。』
送信。
既読は早かった。
数十秒後、返信。
『別に急がなくていいのに
それより、知り合いの繋がりで限定和菓子が手に入ったんだけど良かったら食べる?』
男の指が止まる。
「……は?」
思わず声が漏れる。
続けて写真。
有名店の期間限定和菓子詰め。
今月でも特に入手困難なやつだった。
男は無言で画像を拡大する。
草餅。
いちご大福。
桜クリーム。
かなり美味そうだった。
「……」
葛藤。
かなり真剣な葛藤。
本来の目的は返済だけだ。
さっさと金を返して終わらせるべき。
変に会う必要はない。
面倒になる。
期待される。
分かっている。
だが。
限定。
期間限定。
しかも有名店。
今月は甘いものは諦めるしかないと決心した矢先にこんなものを見せられては。
男は顔を覆う。
「……卑怯だろ」
誰に向けた文句かも分からない。
スマホを見つめる。
数分悩む。
本当に悩む。
そこに。
『借りとか気にしないで
これはたまたま手に入っただけだから』
と、アスナからの追加のメッセージにため息をついた。
そして最終的に、静かに負けた。
『ありがたくもらう
和菓子食いに行くだけなら』
送信。
直後。
『やった
じゃあ賞味期限までに予定合わせなきゃね』
その短い文と一緒に、嬉しそうなスタンプが送られてくる。
男はしばらく画面を見つめた後、小さくため息を吐いた。
「……ただ限定和菓子食いに行くだけ」
自分に言い聞かせるみたいに呟く。
だが、少しだけ。
本当に少しだけ。
スマホを見つめる表情が、前より柔らかかった。
それは和菓子につられたからか、他の理由か。