夜道。
すっかりご馳走になった男は流石に遅い時間に女性一人帰す訳にはいかないとアスナを駅まで送ることにした。
昼間より人通りは少ない。
春の風が頬に少し冷たく感じる。
男は足を庇いながら歩き、隣ではアスナが歩幅を合わせている。
沈黙が続く。
男は何を話せばいいのか分からなかった。
今日のシチューは美味かった。
でも、それを素直に言うのも妙に気恥ずかしい。
かといって完全に無言も落ち着かない。
結局、駅前が見えてきた頃。
男は視線を逸らしたまま、ようやくぽつりと口を開いた。
「……ゲームのスキル無くても作れるんだな」
皮肉のつもりだった。
SAOでは料理スキルが存在した。
《キリト》のログにも、アスナの料理スキルについての記録が大量にある。
ただしゲーム内の料理は熟練度さえ上げれば誰でも簡単な手順で作れるものだとあった、だから「所詮ゲーム内だけの産物だろ」という気持ちがあったのだ。
まさか現実世界でもあんなに美味い料理を作れるなんて、正直反則だと思った。
だから今の言葉は、
“現実でまで頑張らなくてもいいだろ”
くらいの、少し突き放したつもりの言い方だった。
だが。
アスナは一瞬きょとんとして。
それから、ふわっと笑った。
「うん」
柔らかな声。
「ちゃんとご飯食べないと、また来るからね」
男の足が止まる。
「……は?」
アスナは少し楽しそうだった。
「今のキリトくん、放っておくと甘いものだけで生きそうだし」
「いや別に……」
「食費削ったり栄養バランス考えない人は信用できません」
「…男の一人暮らしなんてそんなもんだ」
「じゃあ余計に放っておけないよ」
真顔で言われた。
男は反論に詰まる。
アスナはくすっと笑う。
その笑顔には、以前みたいな痛々しさが少し減っていた。
無理に“昔のキリト”を探すというより。
今ここにいる彼と話している。
そんな笑い方だった。
男はそれに気づいて、少しだけ戸惑う。
アスナは駅の入口で立ち止まる。
「今日はありがとう」
「……礼ならこっちが言う側だろ、飯作ってもらったんだから」
「ふふ」
小さく笑ってから、アスナは改札の方へ歩き出す。
数歩進んだところで振り返る。
「湿布ちゃんと替えてね」
「……はいはい」
適当な返事。
でもアスナは満足そうに頷いた。
そのまま駅へ消えていく。
男だけがその場に残る。
春風が吹く。
しばらく呆然と駅入口を見つめた後、男はぽつりと呟いた。
「……なんで増える方向なんだよ」
多分あれは社交辞令とかではなく、アスナは本当にまた来るだろう。
距離を取るつもりだった。
面倒だから終わらせるつもりだった。
今回はたまたま押し切られただけで、家にあげるなんて一回きりだと思っていたはずだ。
なのに。
なぜか少しずつ、自分の生活へ入り込まれている。
男は深くため息を吐く。
だが不思議と、そのため息は前ほど重くなかった。