もうすっかりアスナがアパートに来て一緒に食卓を囲むのが当たり前になってしまったな、と今更のように男はぼんやりと考える。
今日は和食だった。
焼き魚。
味噌汁。
肉じゃが。
炊きたての白飯。
全て平らげて男は箸を置き、小さく息を吐く。
「……うまかった」
素直な感想を口にする。
いつも同じ言葉で気の利いたセリフなど思いつかない。
でもアスナはいつも通り向かいで少し嬉しそうに笑う。
「よかった」
作るのはアスナで、片付けは男がする。
すっかりお約束になった。
洗い物を終え、二人でのんびりとする。
静かな時間。
テレビもついていない。
食後のお茶の湯気だけがゆっくり揺れていた。
男は湯呑みを眺めながら、しばらく黙っている。
何か考えている顔だった。
アスナも無理に話しかけない。
その沈黙の後。
男がぽつりと口を開いた。
「……ユイって」
アスナの手が止まる。
男は視線を逸らしたまま続ける。
「今、どうしてる」
空気が静かに変わる。
アスナは少し驚いた顔をしていた。
まさかその名前が、彼の口から出ると思っていなかったから。
男は居心地悪そうに湯呑みを回す。
言葉を選びながら慎重に尋ねる。
「前にログで見た、その、黒の剣士のキリトがSAOクリアの前にそっちのナーブギアにデータ転送したって」
「……うん」
「AIなんだろ、なんか、やたら親しくしてたみたいだけど…」
その言い方は、どこか確認するみたいだった。
アスナは小さく頷く。
「そう。でも、私たちにとっては……家族だよ」
男は黙る。
“家族”。
その言葉が少し引っかかった。
アスナは柔らかく続けた。
「元気にしてるよ、色々あったけど今はALOのゲームの中にいるの」
その声は、本当に安心した人の声だった。
ただのAIではなく、本当に家族として大切に思っているのだと伝わってくる。
男は小さく息を吐く。
「そっか」
短い返事。
だがアスナは少しだけ迷った後、静かに言った。
「……ユイちゃん、今もキリトくんに会いたがってる。
ALOにログインしたらいつでも会えるからって」
男の指が止まる。
「……」
すぐには返事をしない。
アスナは急かさなかった。
しばらくしてから、優しく続ける。
「無理にとは言わない」
「……」
「でも、もし気持ちの整理がついたら」
アスナは少しだけ笑った。
「いつか会ってあげてほしい」
男は視線を落とす。
ログの中の《ユイ》。
泣いたり。
笑ったり。
《キリト》へ懐いていたAI。
ただのプログラムだと思おうとしていた。
でも。
あの飛び出した少女を助けた時から、どこか割り切れなくなっている。
男は湯呑みを持ち上げる。
ぬるくなった茶を飲む。
「……怖がられそうだな」
ぽつりと漏れた本音。
アスナの目が少しだけ見開かれる。
男は苦笑みたいな顔をした。
「だって、そいつが知ってるのはSAOの頃の《キリト》だろ」
今の自分じゃない。
空っぽの自分。
それを子供みたいなAIに向けられるのが、少し怖かった。
アスナはしばらく彼を見つめる。
それから静かに首を横へ振った。
「大丈夫だよ」
柔らかな声。
「ユイちゃんは、ちゃんと今のキリトくんも見るから」
男は黙って考え込む。
ただ、湯気の消えた湯呑みを見つめながら、やがて小さく眉を寄せていた。
「考えとく」
今はそう答えるのが精一杯だった。
「うん、ありがとう」
アスナは微笑みながら頷く。
本当にただ、男が自ら踏み出してくれるのを待つつもりだった。