一人暮らし用の小さなアパートの一室。
紆余曲折ありSAOから帰還し、ALO事件後に家族やかつての知り合いと距離を置くために借りた住まい。
黒の剣士キリトを知る者がいない空間。
家具やPCが最低限置いてあるだけの場所。
部屋にはテレビの音だけが流れていた。
特に見たい番組があったわけじゃない。
静かすぎるのが嫌で、適当に点けていただけだった。
バラエティ番組。
出演者達が恋愛について騒いでいる。
“愛とは何か”。
そんなありがちなテーマだった。
『やっぱり運命ってあると思うんです!』
『本当に好きなら絶対忘れないでしょ!』
『愛は一生モノですよ〜!』
軽薄な笑い声。
スタジオの拍手。
男はソファに沈み込みながら、ぼんやりそれを聞いていた。
テーブルには検査薬と処方薬。
脳波データの入った封筒。
自分の頭の中が、どれだけ壊れたかを示す紙切れ。
医者から何度か聞かされた説明はあまり覚えていない。
テレビの中では、恋愛評論とやら家が熱っぽく語っている。
安い麦茶を飲みながらぼーっと眺める。
『愛情というのは、人間の根幹なんですよ』
『記憶を超えて残る感情もある』
そこで男は小さく鼻で笑った。
「……脳みそ焼けたら消える程度のもんだろ」
誰に聞かせるでもない独り言。
乾いた声だった。
実際、消えた。
《キリト》が抱いていた感情は、もうどこにもない。
命を懸けるほど愛していた相手も。
守り抜いた記憶も。
積み重ねた二年間も。
全部、全部。
脳が壊れたらなにもかも終わった。
ログによれば全ての元凶と黒の剣士が相打ったあの日、高出力マイクロ波発信で焼き尽くされた。
結局、人間の感情なんて電気信号の集まりに過ぎない。
少し配線が焼ければ消える。
愛だの恋だのなんてそんなものだ。
実際にかつて愛していたはずの相手の姿を見ても何も思い出せないし、何も感じなかった。
テレビの中では、“永遠の愛”についてまだ盛り上がっている。
男は無言でリモコンを手に取った。
電源を切る。
部屋が静かになる。
暗くなった画面には、自分の顔だけが映っていた。
しばらくそれを眺めた後、ぽつりと呟く。
「……でも」
言葉が止まる。
続きは出てこなかった。
代わりに、理由の分からない鈍い痛みだけが胸の奥に残る。
ふと脳裏によぎったのは病院で見かけた、ある少女の姿。
男は眉を寄せる。
馬鹿馬鹿しい、今更なんだ。
痛む理由など分からない。
愛なんて、もう理解できないはずなのに。
「…寝るか」
まるで何かから逃避するように、そう呟いた。