店内の時計が、やけにうるさかった。
秒針が進む度、心臓が締め付けられる。
男は椅子へ座ったまま、ずっと俯いていた。
店主が気不味げにこちらを伺っている。
頭の中では、最悪の想像ばかり浮かぶ。
遅かったら。
間に合わなかったら。
もしもアスナが既にあのアパートで一人息絶えてたら。
そんな最悪な光景が脳裏に浮かぶ度に心臓が握り潰されるような感覚に襲われ必死に振り払う。
だがどうしても最悪なもしもを止めることができない。
もし本当に――
――リン。
固定電話が鳴る。
男は弾かれたように立ち上がった。
椅子が倒れる。
店主が驚く。
男はほとんど飛びつくように受話器を掴んだ。
「菊岡!?アスナは、アスナはどうなったんだ!?」
呼吸が乱れている。
その向こうで。
菊岡は、落ち着いた声で言った。
『……アスナ君は無事だよ』
その瞬間。
男の身体から、一気に力が抜けた。
「あ……」
膝が崩れる。
アスナが、無事。
その言葉を理解した途端安堵の緊張が解けた。
受話器を握ったまま、その場へ座り込む。
呼吸が震える。
全身から力が抜けていく。
『君との通話が切れてから』
菊岡の声が続く。
『ユイ君に君のスマホのGPSを探させたり、警察へ連絡しようとしてたらしい』
男は目を閉じる。
アスナらしい。
自分が消えた瞬間、必死で動いていたのだろう。
『電話に出られなかったのはそのせいだ』
男は何も言えない。
喉が詰まっていた。
『それで、僕が彼女と連絡をとって“君は生きてる”って伝えたら』
少しだけ間。
『泣いてたよ』
男の肩が震える。
「あ……っ……」
嗚咽が漏れた。
自分でも止められない。
安堵。
恐怖。
後悔。
色んな感情が一気に溢れ出す。
男は受話器を握り締めたまま、顔を覆う。
涙が止まらなかった。
「……よかった……」
掠れた声。
本当に。
心の底から。
アスナが生きていてよかった。
その感情だけが、胸いっぱいに広がっていた。
記憶の混乱も、黒の剣士への後ろめたさも、なにもかも捨てて楽になりたいという感情も全て男の中から消えていた。
アスナが生きている、また彼女と会える。
それだけでいい、それ以外いらない。
店主は何も言わない。
ただ静かに、温かいお茶を置いてくれる。
電話の向こうで、菊岡が小さく息を吐いた。
『……君さ』
男は震える息のまま聞く。
『それ、もう答え出てるんじゃないか?』
男は返事をしなかった。
できなかった。
ただ。
涙で滲む視界の中で。
アスナの笑顔ばかり浮かんでいた。
ごめん、ちゃんと帰るから。
帰って謝って、それから、何を話そう。