アスナが淹れてくれたお茶を飲み終え、そろそろ眠ろうと言ったのはどちらからだったか。
部屋の灯りが消える。
窓の外は静かな夜だった。
色々ありすぎた一日だった。
全てを投げ捨てようとして。
泣いて。
すれ違って。
取り乱して。
互いに失いかけて。
それでも今、二人は同じ部屋にいる。
自然な流れだった。
一つしかないベッドへ二人で入り、気付けば抱きしめ合うように横になっていた。
アスナの体温が近い。
柔らかくて、温かい。
海の冷たさがまだ身体の芯に残っていたような気がしていたキリトは、その温もりへ無意識に縋るように腕へ力を込める。
アスナも何も言わず、静かに抱き返してくれる。
しばらく沈黙が続いた。
暗闇の中。
キリトはぽつりと口を開く。
「……記憶がさ」
掠れた声。
「一部だけ戻ったんだ、SAOの頃の、アスナやユイと一緒にいた時のものが」
アスナが静かに耳を傾ける。
キリトは視線を落としたまま続けた。
「でも……整理つかない」
苦しそうな声だった。
「キリトの記憶なのか、俺の感情なのか」
胸の奥がまだ混乱している。
《黒の剣士》としての記憶。
アスナを愛していた感情。
ユイを守りたかった想い。
それが全部、自分のものなのか分からない。
記憶を失った自分は、ずっと《キリト》を別人みたいに感じていた。
眩しくて。
遠くて。
自分にはなれない存在。
だから怖かった。
戻れば戻るほど、自分が壊れていく気がして。
「それで混乱して、気がついたら海にいた……、今思えば馬鹿だったと思う…」
キリトはアスナを抱く腕へ少し力を込める。
そして。
小さく息を吐いた。
「……だけど、あの時アスナが死んでしまうかもしれないってなって、始めて失いたくないって強く思ったんだ」
その声だけは、迷いがなかった。
「今はお前に側にいてほしいっていうのだけは、はっきりしてる」
アスナの呼吸が止まる。
キリトは続ける。
「ここにいる俺の感情として」
「ちゃんと、そう思ってる」
暗闇の中で、アスナの肩が小さく震えた。
泣きそうなのが分かる。
でも。
彼女は笑った。
優しく。
壊れそうなくらい嬉しそうに。
「……私も」
小さな声。
「今ここにいる貴方の側にいたい」
その言葉が、胸へ静かに染み込む。
「記憶があっても無くても、それは変わらないよ」
キリトは目を閉じる。
また。
救われた、と思った。
アスナの笑顔に。
声に。
温もりに。
記憶はまだ曖昧だ。
怖さも消えていない。
でも。
今だけは。
隣にこの人がいるなら、生きていてもいいかもしれないと思えた。
キリトは静かに額をアスナへ寄せる。
アスナもそっと寄り添う。
二人は互いの温もりを確かめ合うように抱きしめ合ったまま、ゆっくり眠りへ落ちていった。