深夜。
部屋の明かりは、ノートPCの画面だけだった。
恒例のSAOのログ整理、最早慣れた手つきで行う。
削除前の最終整理。
淡々とフォルダを開き、必要なものだけを分別していく。
感情はない。
作業だ。
そう思っていた。
カーソルを動かした瞬間、誤ってファイルが開く。
《IMG_22F_home_001》
一枚の画像。
木造の小さな家の前。
柔らかな陽光。
そして中央に並んで立つ二人。
黒衣の剣士と、白いワンピース姿の少女。
キリトとアスナだった。
男はしばらく無言で画面を見つめる。
写真の中の“自分”は、驚くほど穏やかな顔で笑っていた。
戦闘ログで見たどんな表情よりも、人間らしい笑顔。
隣のアスナも笑っている。
幸せそうだった。
データ解析によれば、これはSAO内で結婚した頃の記念撮影らしい。
結婚式は挙げなかったらしい二人がせめてもと残したもの。
仮想世界での結婚。
普通なら馬鹿げていると思うのかもしれない。
だが写真の中の二人は、本気だった。
少なくとも《キリト》は。
SAOにおける結婚システムは互いのストレージの共有などあり、実際に行ったプレイヤーは少なかったらしい。
それを踏み切るくらいにはアスナと共にいたかったのか。
男は画面に映る笑顔を見つめたまま、小さく呟く。
「……こんな顔、してたのか」
不思議だった。
自分と同じ顔なのに、別人にしか見えない。
しばらくして。
ふと。
男は試しに、自分も同じように笑おうとしていた。
口元を少し上げる。
写真の中のキリトみたいに。
やや照れくさそうに。
でも優しく。
穏やかに。
――だが。
途中で止まる。
表情筋がぎこちなく引き攣るだけだった。
ふと横を見ると夜の窓に映った顔は、どこか空虚で、真似事にしか見えない。
男はすぐに口元を戻した。
「……無理か」
静かな声。
別に落ち込んでもいない。
ただ事実を確認しただけだった。
あの笑顔は、《キリト》のものだ。
今の自分にはできない。
もう、その感情がないから。
男は数秒だけ写真を見つめ続ける。
そして、カーソルを閉じるボタンへ動かした。
最後に画面へ残ったのは、幸せそうに笑う二人の姿。
まるで、どこにも壊れるものなんて存在しないと信じていた頃みたいな笑顔だった。
いや違うか。
デスゲームといういつ死ぬか分からない世界にいたからこそ、この想いだけは変わらないと互いに信じたかったのかもしれない。
「ま、それもゲームが終わればそれまでだったけどな…生還できたならそれでいいだろ」
そう言って今日もまた、過去の足跡を一つ消し終えた。