相変わらずの病院への脳の定期検査。
奇跡的に生き残ったとはいえ重度の記憶障害に今後どのような影響があるか分からず医者や家族からは必ず通うに言われているから来た。
診察室には、機械音だけが微かに響いていた。
脳波データ。
神経反応グラフ。
MRI画像。
モニターには、焼損した神経領域が淡く表示されている。
担当医は慎重に言葉を選んでいた。
「……前回より数値は安定しています」
机を挟んで座る男は、無言で聞いている。
「日常生活への影響も限定的ですし、記憶障害以外の重大な後遺症は現時点では――」
医者の説明は続く。
回復傾向。
経過観察。
定期検査。
どれも他人事みたいに耳を通り過ぎていく。
男の視線は、モニターの脳画像へ向いていた。
ここが焼けた。
ここが壊れた。
だから《キリト》はいなくなった。
そう説明されると妙に納得できた。
愛情も。
執着も。
生きたい理由も。
全部、この脳の電気信号だったのだ。
少し焼ければ消える程度のもの。
「……桐ヶ谷さん?」
医者が声をかける。
男はゆっくり視線を戻した。
「聞いてます」
「何か気になることは?」
少しだけ沈黙。
それから男は、小さく息を吐いた。
「別に」
感情の薄い声。
気になることなどありはしない、正直に答えただけだ。
医者は困ったように笑い、カルテへ視線を落とす。
「記憶については、焦らず――」
その言葉を聞きながら。
男はぽつりと、本当に誰にも聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「……いっそ死んどけば良かったのに」
自分でも驚くほど自然に出た言葉だった。
医者には届いていない。
診察室の空調音に紛れて消える。
だが男自身だけは、その言葉をはっきり聞いていた。
死んでいたなら簡単だった。
《キリト》は英雄のまま終われた。
アスナも。
仲間達も。
家族も。
きっと悲しみながら受け入れた。
いつかは時間の経過と共に前を向いていけただろう。
でも今の自分は違う。
生き残ったくせに、中身だけ空っぽだ。
期待されても返せない。
愛されても応えられない。
《黒の剣士》の抜け殻。
それなら、いっそのこと。
あの日、本当に終わっていた方がまだマシだったのかもしれない。
目覚めてしまったことが間違いだったのではないか。
「……桐ヶ谷さん?」
再び呼ばれ、男は顔を上げる。
「次回検査ですが――」
説明が続く。
男は静かに頷きながら、ぼんやりと思う。
ただ面倒だ、と。
それでも自分は、生きてしまっている。
だから今日も、死んだ誰かの代わりみたいに呼吸を続けるしかなかった。