名簿班の部屋は、基地で二番目に暖かかった。
一番は医療棟。二番が、ここ。無線機と、その電源設備があるからだ。機械のために暖房が要る。人間はついでに暖まる。
仕事は単純だった。
一日四時間、通電している間に、短波でつながる各地の避難所と名簿を交換する。あちらが読み上げる。こちらが書き取る。こちらが読み上げる。あちらが書き取る。
一日に、百人から二百人の名前。
十二月の終わりまでに、俺たちの台帳は、七万四千人分になった。
全国の避難所は、無線で確認できているだけで百六十二か所。実数はもっと多い。孤立して電波を持たない集団が、無数にあるはずだった。
名前を書き写すだけの仕事だ。
でも、その名前が、時々、生きて動き出す。
十二月十一日。埼玉の高校から送られてきた名簿の中に、「田島澄子、七十九歳」という名前があった。
うちの第三テントに、田島清一という八十一歳の男性がいた。
妻とは、九月一日の朝、別々の場所にいた。それきりだった。
俺が本人を連れてきて、無線機の前に座らせた。埼玉側が、本人を呼びに行った。
十七分かかった。
その十七分、田島さんは、マイクを両手で握ったまま、一言も喋らなかった。
スピーカーから声が聞こえたとき、田島さんは、名前も言えなかった。
音にならない音を、三十秒くらい出していた。
それが、この仕事で一番よかった日だ。
データが溜まると、模様が見えてくる。
俺は台帳を眺めながら、いくつかのことに気づき始めた。
第一に、東北と北海道の避難所は、規模が大きい。数千人単位が珍しくない。関東は、千人を超える施設がほとんどない。
第二に、北の避難所からの尋ね人依頼には、「移動中に行方不明」が少ない。
第三に——これが一番気になった——北の避難所は、「外での作業」の報告が妙に多かった。物資回収、除雪、給水管の修理。こっちでは、外に出ること自体が命懸けなのに。
名簿班の主任は、通信科の三曹だった。二十六歳の女性で、佐久間といった。
「北は、違うんですよ」佐久間三曹は言った。「気温です」
「気温」
「向こうの回収班、日中でも堂々と歩いてるって言ってました。感染者が、動かないから」
十二月十八日、厚生労働省の統合対策本部から、全国一斉の技術文書が送信された。
短波で、読み上げ。全部で二時間半。俺たちは、手書きで全文を書き取った。
表題は、こうだった。
〈KM-7 低温変性プロトコル 第三版/統合対策本部 疫学調査官 棚倉真尋〉
内容は、大きく三つだった。
一。病原体はウイルスではなく、プリオン様の異常タンパク。既存の抗ウイルス薬は無効。
二。マイナス四十度以下で立体構造が不可逆的に変性し、感染性を失う。冷凍流通網の温度帯を変更したのはこのため。
三。そして——
〈感染者は体温調節機構を喪失しており、深部体温は外気温に追随する。体温低下に伴い神経伝達速度および筋出力が著しく低下し、外気温十度以下では運動性が顕著に減退、五度以下では歩行がほぼ不可能となる。ただし、これは不活化ではない。気温上昇に伴い、運動性は回復する〉
名簿班の部屋が、静まり返った。
佐久間三曹が、鉛筆を置いた。
「……冬のあいだは、勝てる」
「春になったら、全部戻ります」俺は言った。
誰も、反論しなかった。
文書の最後に、一段落だけ、他と文体の違う箇所があった。報告書というより、覚え書きのような。
〈補記。低温環境下で発症した初期症例群(北海道・苫小牧市、冷凍倉庫内)では、攻撃性がほとんど観察されず、感染者は生前の作業動作を反復し続けた。低温により発現形質が変化したものと考えられる。これらの症例において、被害は倉庫内に限定された。攻撃性の発現には、一定以上の体温が必要である可能性が高い〉
俺は、その一文を、三回読み返した。
生前の作業動作を、反復し続けた。
新宿の駅員が、俺を助けて死んだ。あの子は最後まで、音を立てないようにしていた。
もし佐伯くんが、マイナス二十五度の倉庫にいたら。
彼は、今も、改札に立っているのかもしれない。
誰もいない駅で、来ない乗客に、頭を下げ続けているのかもしれない。
どっちがましなのか、俺にはわからなかった。
もう一つ、俺は台帳から、暗い計算を拾い上げていた。
全国の目撃報告に、共通する一文があった。
〈咬傷は与えるが、摂食行動は確認されない〉
あいつらは、噛む。だが、食べない。飲まない。
十六週間、何も摂取していない体が、走り続けている。
収支が合わない。
答えは一つしかなかった。自分の体を燃やしている。
実際、十月以降の報告では「著しく痩せた個体」「皮膚の破綻」「関節の機能不全」が増えていた。新宿の交差点で腕を振り続けた男が膝から崩れたように、体は摩耗していく。
つまり——待てば、終わる。
このパンデミックの終わりは、治療でも、ワクチンでもなく、燃料切れだ。
俺は、それを佐久間三曹に話した。彼女は少し考えてから、首を振った。
「沢渡さん、それ、半分しか正しくないです」
「どこがですか」
「冬は、腐敗も止まります」
その一言で、俺は理解した。
低温は、俺たちを守る。
そして、あいつらも保存する。
冬は、猶予期間であって、解決ではない。
一月。
関東の最低気温が、氷点下二度まで落ちた朝、基地は初めての大規模な外部作業を決めた。
目的は三つ。
井戸掘削用の資材——水中ポンプ、ケーシングパイプ、掘削用のビット。建材店とポンプ工場に、必要なものがある。
医薬品。
そして、船橋のマンションに残った五人の確認。
志願した。当然のように、手が挙がった。
立花さんも挙げた。子どもを託児テントに預けて。早瀬も挙げた。
早瀬には、祖父母がいる。
俺は、彼女を外せと言えなかった。
一月十四日、午前五時。気温、氷点下三度。
トラック二台と、十四人。
船橋の街に入ったとき、俺は、一生忘れられないものを見た。
交差点に、人が立っていた。
二十体くらい。
立ったまま、動いていなかった。
完全な静止ではない。よく見ると、動いている。ものすごく、ゆっくり。腕が一センチ上がるのに、たぶん十秒かかっていた。
顔に、霜が降りていた。
睫毛にも、唇にも、白い結晶が付いていた。呼吸はしている。ごく浅く。白い息が、ほとんど見えないくらいゆっくり出ていた。
俺たちは、その間を、歩いて通り抜けた。
手を伸ばせば届く距離だった。
一体の目が、俺を追った。
眼球だけが、ゆっくり、動いた。
意識があるのか、という質問が、頭に浮かんだ。
誰にも訊かなかった。訊いて答えが出る質問じゃない。
「走らないで!」隊員が小声で言った。「発熱しないで! 汗をかいたら、そこだけ暖かくなる!」
汗を、かかないように歩く。
そんな指示を受ける日が来るとは、思わなかった。
資材の回収は、三時間で終わった。
順調すぎた。誰も、油断していたわけじゃない。ただ、冬というものを、まだ理解していなかった。
マンションに着いたのは、午後一時だった。
エントランスは、俺たちが出た日のまま、内側からバリケードが積まれていた。
中に入る。
一歩入った瞬間、頬に、空気の違いを感じた。
暖かい。
外は氷点下三度。建物の中は、たぶん、八度か、九度。コンクリートは熱を溜める。それに、南向きの窓から日が入る。
隊員が、手を挙げた。
「速度が戻る温度です。全員、警戒」
九階まで、階段で上がった。
九階の老夫婦は、生きていた。
玄関のドアを開けた奥さんは、俺の顔を見て、しばらく誰だかわからない様子だった。それから、腰を抜かすように座り込んだ。
二人は、雨水と、受水槽の底に残った水と、各戸から集めた米で、四か月生きていた。体重は二人合わせて二十キロ以上落ちていた。それでも、生きていた。
独居の男性は、十一月に亡くなっていた。部屋のベッドで、布団をかけられた状態で。老夫婦が、そうしたのだという。
そして、五階。
早瀬の祖父母の部屋。
ドアは、内側から施錠されていた。
バールで開けた。
二人は、寝室にいた。
並んで、手を繋いでいた。
感染ではなかった。
十二月の寒さと、糖尿と、栄養不足。医者がいれば助かったかもしれない。いなかった。それだけだった。
枕元に、封筒が置いてあった。
〈早瀬 光へ〉
早瀬は、封筒を受け取って、その場で開けようとして、手が震えて開けられなかった。
立花さんが、彼女を抱きしめた。
そのとき、下の階で、音がした。
三〇二号室。
俺の部屋だった。
回収班の一人が、扉を開けていた。中の医薬品を探すためだ。
ドアが開いた瞬間、中から出てきた。
一体。
誰だかわからなかった。最初は。
四か月、締め切った部屋の中にいた。南向きの、日の入る、暖かい部屋に。
九月一日、俺が帰ってきたとき、ドアにチェーンがかかっていた理由を、俺は初めて考えた。
麻衣は、誰を家に入れて、誰を入れなかったのか。
三〇二号室に、俺たちが出るまで、もう一人いたわけじゃない。あの部屋は空だった。
だからこれは、俺たちが出ていった十月以降に、どこかから入り込んで、閉じ込められた誰かだ。
それでも、俺の部屋から出てきたという事実が、心臓を殴った。
速かった。
外の連中とは、別の生き物だった。暖かい部屋で、四か月、体温を保っていた個体。
回収班の男の肩に、飛びついた。
早瀬が、悲鳴を上げた。
廊下の温度が、一気に、戦場になった。
隊員が、銃を撃った。
屋内で、九ミリ拳銃を。
音が、コンクリートの廊下で、爆発した。
一発目は外れた。二発目が頭に入って、それは崩れた。
肩を噛まれた男は、二十三歳だった。名前は、聞いていた。忘れない。
彼は、自分の足で階段を降りた。誰も触れなかった。エントランスの外の、氷点下三度の空気の中に出て、そこで、座った。
「寒いと、ゆっくりになるんすよね」
彼は、そう言った。
「だったら、外にいます。ゆっくりのほうが、いいや」
十五秒後だった。
俺たちは、彼が動き出す前に、ドアを閉めた。
閉める役は、俺がやった。
篠塚さんの顔が、ガラス越しに見えた気がした。
銃声で、街が起きた。
氷点下三度の街で、二十体が、いつもの四分の一の速度で、こちらに向かってきていた。
走って逃げれば、簡単に振り切れた。
実際、そうした。
老夫婦を担いで、資材を積んで、トラックは五分で発進した。
バックミラーに、ゆっくり追ってくる群れが映っていた。
追いつけるはずがないのに、追い続けていた。
早瀬は、トラックの荷台で、ずっと封筒を握っていた。
基地に戻って、テントに入って、暖房の前で、ようやく開けた。
便箋一枚だった。
〈光へ
私たちのことは、書かないことにします。書いたら、あなたが読み返すたびに、私たちは何回も死ぬからです。
かわりに一つだけ。
十一月に、屋上から花火が見えました。どこかの避難所が、上げたんだと思います。
きれいでした。
世界は、まだ、花火を上げる余裕があるみたいです。
だから、あなたも、そういう日まで生きていなさい。
おじいちゃん、おばあちゃん〉
早瀬は、声を上げなかった。
音を立てない癖は、この子にも、しみついてしまっていた。
二月。
井戸は、二十三日かかって、掘り当てた。
水量は、既存の二本より多かった。基地の一人あたり配給が、三リットルから四・二リットルになった。
その日、六千人が、静かに歓声を上げた。
短波では、少しずつ、いい知らせが増えていた。
北海道は、十一月以降、新規感染がほぼゼロ。屋外で活動する感染者が凍結し、順次処理されている。
九州と四国は、当初から流入が少なく、県境封鎖が機能した。
そして、統合対策本部から、二月十日にこういう通達が来た。
〈感染者個体の運動機能減退が全国的に確認されている。摂食行動を欠くため、体組織の消耗は不可逆であり、個体寿命は有限と推定される。ただし低温環境下では組織崩壊も遅延するため、春季以降、限定的な活動再開が予想される。各施設は春季の防衛態勢を維持されたい〉
春は、来る。
あいつらも、春に、もう一度だけ来る。
でも、それが、最後かもしれない。
誰も、それを口に出さなかった。口に出したら、外れたときに、立ち直れないからだ。
俺は、今日も名簿を書いている。
七万四千人が、九万二千人になった。
生きている人間の名前を、一人ずつ、鉛筆で書き写す。
ときどき、その名前が動き出して、誰かの家族になる。
ときどき、死亡者名簿のほうに移す。
名簿班の仕事をしていて、一つだけ、気づいたことがある。
あいつらには、動きだけが残った。名前も、記憶も、意味も落ちて、体を動かす手続きだけが残った。
俺たちに残っているのは、その逆だ。
家も、会社も、街も、持ち物も、ほとんど全部なくなった。
残っているのは、名前と、憶えていることだけだ。
だから、書く。
一日四時間の電気で、書けるだけ書く。
これが、俺の今の仕事だ。
九月一日の午前八時十四分、俺は満員電車の中で、会議の資料が半分しかできていないことを気にしていた。
あの朝の自分に、何か言えるとしたら、たぶん何も言わない。
ただ、隣の車両を見るな、とだけ言うと思う。
見なくても、どうせ、全部わかるから。