この幻想郷に、春が来ていた。冬季の厳しい寒気も鳴りを潜め、朗らかな春の青い空から柔らかな陽光が注がれる、春風駘蕩たる白昼であった。
「28番、泰三!前へ」
「おうよ!」
そこは、里の中心部に設けられた広場。広場の中心を取り囲むように多くの老若男女が立つ中で、その中心にいたのは数十人からなる男達の集団であった。そして集団の傍らに置かれたのは、幾つかの米俵である。
春の陽気を差し置いて、宛ら夏の熱気を醸す今この場所では、俵差し大会が行われていた。
「ふんっ……ぬぅっ……」
大会の趣旨は至って単純である。中心にいる男達、つまり大会参加者達は、米俵をどれだけ長く挙げられるかを競っているのだ。
たった今、司会の老人に泰三と呼ばれた壮年の男が、ちょうど米俵を胸の高さまで抱えるように持ち上げ、そこで維持し始めた。
「耐えろよ泰三!お前の優勝に賭けてんだぞ!」
「うおぉ早く落とせ!こちとら6番に張ってんだ!」
歯を食いしばり、震えながらも米俵を抱える泰三に対して、観衆の反応は様々であった。一年に一度行われるこの俵差し大会は、里の力自慢達のアピールの場であると共に、現状里の中で唯一公に認められている賭博である。
参加者毎に割り振られた番号に、勘か、或いは参加者のデータを用い優勝者を当てるだけの単調なゲーム。況してや、飽くまで健全な賭け事の体裁を守るため、大きな金額を投じることは出来なくなっている。
しかしそれさえも、娯楽を欲する里の人間にとっては歴とした楽しみであり、こうした情景は毎年見られ、春の風物詩とも言えよう。
「ぐぉっ、ぉ……」
「20秒!」
司会の老人が、胸前に達してから米俵が維持された時間をカウントしている。およそ60キロの物体、それも持ち手のない物を上体の力のみで支えるのは至難である。鍛えの甘い一般人ならば、持ち上げる事さえ叶わぬだろう。
「腕だけで持つな腕だけで!」
「よし、泰三の奴もうすぐ落とすぜ!元優勝者ったってよる年波には勝てねえよ!」
20秒も保てば上々、大会史において記録された最長保持時間さえ54秒であるのだから、白髪混じりの泰三に過剰な期待も酷というものであろう。
しかし賭けた側には関係のない話である。震える諸手が着々と下降していく度に、観衆からは悲鳴や怒声が上がった。
「——っぶはぁ」
「36秒!泰三は現在3位、1位は6番の48秒!」
力み続け先に限界が来たのは、腕よりも呼吸の方だった。米俵が音を立てて地面に落ち、周囲からは激励の声、後悔の声、憤怒の声が飛び交う。泰三は肩で息をしながら尻もちをついた。
大会優勝者には、胴元である大会運営から利益の幾許かが支払われるのだが、負ければ浴びるのは自らに賭けた者からの落胆や罵声である。遊興といえども金は金、金が関わる以上は相応の重みは出るものだ。
「さて……これにて最後の参加者になる。なんと断然の最年少、若干15歳の少年だ。勇気ある参戦に、我々は敬意を払わねばなるまい」
泰三が去ると、司会の老人は徐に喋り始めた。大の大人が無差別級で腕力を競い合うこの大会にあって、その齢は不利と言う他にない。予め年齢と名前と職業程度なら知らされている観衆としても、やはり違和感は拭えないのだろう。
「まじでやるのか?あいつって確か、前まで慧音さんの所に通ってたやつだよな……」
「そうねえ、鈴奈庵に寄ってるのはたまに見るけど……いかにも文学少年って感じよねぇ」
各々がその顔に困惑の意を露わにしながら、先程までの熱狂とは違うざわつきを生み出した。賭ける対象にするには躊躇われる、そんな様子だろうか。
「29番、春意!前へ」
そんな人々の心配も他所に、参加者の集団の中から歩み出てきたのは、まだあどけなさを残す紅顔の少年であった。
光に当たると僅かに青みがかる青墨の髪、白装束の上から羽織った褐返色の格衣、左の胸元には一枚の札があしらわれ、その手には黒い手甲を通している春意少年。これだけの観衆を前に、彼の顔に緊張は見られない。
「あら、何かしらあの装い……神職……?」
「気合い入れてきたのか?意気込むのはいいが、あのガタイじゃ上がらんぜ」
「記念参加ってやつでしょうな」
四方から届く雑音も、どうやら彼には届いていないかのようである。ただ落ち着き払った所作で、米俵の下部に手をかけた。周囲の目に期待感は無く、それどころか目を背ける者さえいる。子供の醜態など、誰が好んで見たがるものかと。
「ん、しょ」
然して米俵は、すう、と、重量を感じさせぬ滑らかさでもって宙に持ち上げられた。春意の胸前で、その細腕によって微動だにせず止められていた。
「…………ん?」
突如として訪れた静寂の中で、間の抜けた声を出したのは司会の老人である。何をするでもなくただ目を丸くして、少年が涼しい顔をしている所を、暫し見つめていた。
それは他の誰もが同様で、今までの喧騒が嘘だったかのようにはたと声が止んでいた。
「数えろ!」
群衆の中、どこからともなく放たれた一声が、老人を呆然の一時から引き戻す。そしてその一声は同時に、眼前で起きる只ならぬ事態を否応なしに飲み込ませ、人々の驚愕と興奮を声に変換し出力させた。
「おいおいおいなんで上がるんだ!?」
「しかもすんなりじゃなかった!?」
「平然としてるじゃねえかよ!」
限りなく薄い期待感は反動となり、この日一番の歓声を少年に一身に浴びさせる。その声にも何らたじろぐ事なく、彼の身体は震えさえ見せずに米俵を支え続ける。
「10秒!」
「おい途中から数えてるだろ司会!」
「いいだろうがもし勝ったらどうすんだよ!」
「買ってないけどよ!そこは公正であるべきだろ!」
大会において投票者への配当を決定するのは、所謂パリミチュエル方式、即ち競馬と同様である。当然ながら、
だがそれにしても、サラブレッドの中に放り込まれたロバの子供に金を賭ける酔狂な人間は、これだけ集った人間の中にもそうはいないだろう。
「ヤバいぞ、誰が29なんて買ってんだ……!」
誰もが、大穴的中に希望を膨らませる面持ちなどしていないのだから。ただしそれは、決して負の感情ではない。
「30秒!」
「きたきたきた!」
「いけんのか!?」
道理に適わぬ物を見た、それ故の興奮である。もはや疑う人間はいない。今なお余裕げに米俵を擡げるこの少年は、どうやら只者ではないようだ。
刻々と時間が経過するにつれ、この場のボルテージは青天井に上がり続けてゆく。迫り来るその時への期待から、既に拍手の音さえ聞こえる始末である。
「———50秒!」
忽ちの内に湧き上がる、一際大きな歓声。突如として現れた超新星は、ほんの先程までの期待感の欠如など嘘だったように、人々に目を輝かせていた。
「すごいすごーい!ほんとに優勝しちゃった!」
「くっそ、外れた!」
「お前どうなってんだよ博麗の!すげぇなおい!」
拍手喝采の洪水を浴びる春意は、不意に一つ息を吸い、そして吐く。既に優勝は確定したが、しかし彼は米俵を降ろさない。
ただ、片手を外した。右腕の一本で米俵を持ち上げたまま、外された左手を身体の横につけ、低頭したのだ。
「……皆さん、本日はお集まり頂きありがとうございます。この度参加させて頂いた、
この容姿の少年が俵を容易に持ち上げた事に比べれば、片手でも保持できることに対する驚きは、人々にとって然程でもなかった。
なぜ米俵を持ったまま喋り始めるのか、その奇行について驚いている。
「実は私、僭越ながら……博麗の御師を名乗らせて頂く事となりました」
途端、周囲が騒つく。博麗の巫女であれば、幻想郷の住民にとっては馴染み深い肩書きである。しかし博麗の御師などという耳慣れぬ言葉に、人々が困惑を呈するのは当然の話だった。
「御師とは、本来、皆さんと神社を繋ぐ役職をいいます。しかし、博麗の御師の務めは、それだけではありません」
困惑を生じさせた渦中の少年は、気にする事なく言葉を紡いでいく。堂々と、気後れの感も無しに。
「皆さんの生活に寄り添い、皆さんのお力になること。それもまた、僕の務めであると考えています」
「……なんでそれで俵差し?」
春意から程近い観衆の一人が、素直な疑問を投げかけた。百歩譲って、知らない肩書きをいきなり名乗ると表明した事は受け入れたとして、それとこの大会に何の関係があるのか。当然の疑問であろう。
「はい。本日は、僕が如何にして皆さんのお力になれるのか……その一端を証明するために、この場をお借りした次第です」
疑問を投げかけた者へと返答した彼は、矢庭に、傍らに置かれていた別の俵の前でしゃがみこむ。そして、空いた左手を差し込むと、次いで俵が抵抗なく持ち上がった。
ともすると痩身にさえ見える少年の諸手には、俵が一つずつ。幾度となく催されてきたこの大会において、尚もそれが異様な光景であることは、再び静まり返ったこの場の空気から推し量れた。
「——この博麗春意、稀代の健康優良児を自負しております! 体力、腕力がご入用でしたら、どうぞお任せください!」
その凛然たる声は、広場の隅々にまで行き渡った。
「荷運び、農作業、屋根の修繕!僕にできることなら何でもお申し付けください!妖怪絡みのお困り事も是非!」
その佇まいは堂々たるもので、自信に満ち溢れていた。
「今なら謝礼もお気持ち程度しか頂きません! まずは一度、僕にご相談ください!」
その双眸には確固たる意志が宿り、眼差しには些かの揺らぎもなかった。
「この博麗春意に――どうか、皆さんのお手伝いをさせてください!」
手の塞がったまま、春意は勢いよく低頭する。一切の野次も飛ばぬままにその演説を終えたのは、誰もが彼の気迫に魅せられたが故だろうか。
「以上です!」
面を上げた春意は、そっと俵を地面に置いた。司会の老人に顔を向け視線を交わすと、老人は事態を飲み込んだのだろう。
瞠目し、静かに首を横に振って、その口を開く。
「えー、規定外の二俵保持により……29番、失格……」
「え?」
刹那、四方から哄笑が湧き上がった。
「うははははは!なんじゃあのガキ!」
「そんな抜けた奴だったかお前!?」
「すげえのが出てきやがった!」
春意の言葉に聞き入っていた観衆達が、口々に彼への反応を宣った。対して、今度は春意が困惑の面持ちに反転している。
「だ、駄目なんですか!?二俵持ち!」
「一つを長く持てって話だバカタレが!前例が無さすぎるわ!」
「有利になる訳でもないのに!?」
「そういう競技ではないわ!たわけ!」
「そんなぁ!」
司会とのやり取りが、巻き起こる笑い声を一層増幅させた。歓声混じりのそれらは大きく響き渡り、広場から離れた往来の者達も思わず足を止めている。
「おい博麗の!つまるとこ単に便利屋やるって話じゃねえか!」
「違いますよ!大抵の事は請け負いますけど、便利屋ではなくて博麗の御師です!」
「名ばかりじゃないの!」
「ですから御師でもあるんですって!札配だってしますから!」
「よっ、怪童春意!」
「怪童!?」
周囲から向けられた愉楽を帯びた声に、春意はそちらに向き直っては反応を示す。
すっかり先程までの引き締まった空気も失せ、里の広場は今や、並外れた怪力を見せた挙句に記録を剥奪された少年を中心に、楽しげに笑う人々が生む賑々しさばかりがあった。
「早く退場せんか!上位入賞者の表彰に入らにゃならんのだ!」
「うっ……残念、また来年ですね……」
業を煮やした司会が、未だ居座っていた春意に叱咤する。大会であるのだから、当然終了後は上位の者は表彰される機会もあるというものだ。いかに記録を塗り替えかけたとはいえ、ルールを無視した行いをした春意は今や単なる失格者である。
否、単なる失格者と呼ぶには、観衆の熱視線はあまりにも彼へ集中していた。これでは事の経緯を知らなければ、誰が表彰されるのかも定かではなかろう。
「ちぇっ、そう急かすなよ」
「また出てね怪童!」
「今度は勝手に二俵持つなよ!」
「肝に銘じておきます……あと怪童じゃなくて御師です……」
観衆からの歓声を浴びながら、肩を落として出場者用の控え所に向かう。
その道中にも春意に声を掛ける観衆は多かった。主にそれらは激励の言葉であり、時に失格になってくれてありがとうと感謝されたり、或いは彼の膂力の理由を尋ねる者も珍しくなかった。
なるべく一つ一つの声に答えるように、彼は緩やかな足取りで進んでいく。
「…………何をしているんだ、春意」
その足が止まったのは、人集りの中にできた控え所までの道中に、耳馴染みのある声を聞いたからだった。
思わずといった様子で立ち止まった春意が声の方に顔を向けると、そこには一人の女性が立っていた。
「あ、慧音先生!これはお恥ずかしい所を……」
「そういう問題か!いや、確かに失格も問題だが!」
赤いリボンをあしらった紺碧の帽子とワンピースを纏い、青みの混じった白髪の女性——立っていたのは博麗春意の恩師、寺子屋を営む上白沢慧音である。
「最近会っていなかったが、御師をやるなんて初耳だぞ!」
「まあ、特に人に教えてなかったですから」
「教える義理はないとしても、里で活動するなら相談くらいはしてくれていいだろう!」
あっけらかんとしている春意に対して、慧音は説教じみた物言いで、先生と呼ばれた割には冷静なのは傍目に見ると春意の方だった。
上白沢慧音は、里でも厳格ながら人格者として有名であり、発言力も大きい。その場の人間は、彼女が怒気すら思わせる迫力で春意に接する様に驚いている様子である。
だが、飽くまでも彼は泰然自若としている。その代わり、慧音に対して優しく微笑んで見せた。
「慧音先生。この後、お時間ありますか?」
* * *
俵差し大会の熱気を離れ、春意と慧音はやや離れた地点にある甘味処に足を運んでいた。
木虫籠の出格子から柔らかく光が差し込む座敷に、二人は卓袱台を挟み向かい合って腰を下ろす。あえて入口から奥まった座を選んだのは、先の悪目立ちぶりと彼の特異な出で立ちを勘案しての事である。
「ほら、食べなさい。私の奢りだ」
「いいんですか?寺子屋は利益度外視ですし懐事情が……」
「はは、こいつめ。子供のお前が心配する事じゃないさ」
運ばれてきた銘々皿の上には、艶やかな照りを放つ切り立ての羊羹が、慧音の手元には煎茶のみが置かれている。春意は一度深く低頭してから手を合わせ、添えられていた黒文字で一口サイズに切り分け、口へと運んだ。
「美味しい……羊羹食べるの、久しぶりかもしれません」
「博麗神社はそこまで貧しい訳ではないだろう」
「もちろんご飯はちゃんと食べてますよ。ただこういうものは、自分で食べるより霊夢にあげたくて」
「悪癖は相変わらずだな、何かと巫女を甘やかしているだろう」
図星をつかれ、そんなことはと口篭りながら頭をかいて苦笑する春意。慧音はそんな教え子の微笑ましい仕草に目を細めていたが、やがて湯呑みを静かに置き、真面目な眼差しを向けた。
「……それで?なぜあんな事を始めたんだ?」
羊羹を咀嚼していた春意の口の動きが、僅かな間だけ停止する。しかしすぐに再開すると、飲み込んだ後に口を開いた。
「神社に御師がいるのは、さほどおかしな事でもないですよ」
「それは札配に限った話だ。便利屋紛いの仕事をわざわざする理由を聞きたい」
「べ、便利屋紛い……先生まで……」
項垂れる春意に、しかし慧音は至って真剣な面持ちである。
「春意、私は心配しているんだ。以前のお前は何か、悩みを抱えていた様子だった。それが今どうなっているのか……なぜ今こうなったのか、気になってしまうんだよ」
寺子屋で生徒と教師として数年間付き合った相手である。春意とて、その言葉の裏にある感情が、純粋に己を案じているものだと理解していた。
だから、こちらも相応の応対をすべきだと考えた。弛みのあった表情が締まり、改めて慧音の目を見据える。
「……その悩みに。あれから、自分なりにひとつの答えを出したんです」
「答え……?」
「僕は、人と妖怪の関係性を
慧音の目が、大きく見開かれた。暫時惚けていた彼女だったが、ふと我に返ってから、慌てて周囲に目を遣る。
昼時だけに店内の人間は多く、客や給仕らそれぞれの声が飛び交っていた。出格子の向こうからは店先で呼び込みをする魚屋の仕事ぶりが、音だけでも伝わる程である。
静かに言い放たれた春意の言葉が、どうやら誰の耳にも届いていないと確認でき、慧音は胸を撫で下ろした。
「人と妖怪の、関係性?なぜそんなことを……」
「人が盲目的に妖怪を恐怖する事がないように、けれど軽んずることも無いように。妖怪が人を抑圧することがないように、けれど在り方を見失わないように」
ずいと卓袱台越しに体を寄せ、声を潜めて問う彼女に、春意は極めて冷静に言ってのけた。躊躇いの感じられぬ、淀みなく語られた言葉だった。
何がお前を駆り立てるのか。そういう意図も含めた問い掛けであり、それが分からぬ春意でないと慧音は知っている。だからこそ、それ以上理由の追求はしなかった。
「秩序をそのままに、少しだけ互いが互いを尊重できたらいいな、と思ったんです」
柔和な微笑を浮かべる春意に、慧音は暫時、言葉を失う。
妖怪とは、人から恐れられる事で存在できる、人に仇なす存在。それと人の関係性を改善する、という春意が出した答えは、里の人間を守る立場にある慧音にとって、容易に賛同できる考えではなかった。
だが同時に、否定する事もなかった。
「……具体的に、ゆくゆくはどうしたいんだ?」
「例えば、両者の商いを仲介したり、諍いを調停したり、どちらかの困り事に相手を宛てがったり、なんて出来たらいいですよね」
慧音が腕を組んで唸りだす。里の人間の立場としては、彼の思想に思う所がない訳ではないのだろう。
人里に妖怪が入ってくる事そのものは、さほど珍しくはない。但しそれは、里の中で決して人間に危害を加えないこと、という幻想郷の掟を知り、遵守するからこそである。
掟を知らぬ新参妖怪、人間との関わり方を知らぬ妖怪、人間に殊更敵意を持つ妖怪は里に入れないが、そうした相容れぬ類の妖怪こそが多数派なのだ。
「……以前悩んでいたのは、人妖に関する事だったのか」
「はい。でも、理解してくれ、とは言いません。異端思想は承知の上ですから」
けれど。かつて子供の身で深い翳り、憂いを帯びていた教え子が、目標を持った今、こんなにも曇りのない眼をしている。己の言動の意味する所を自覚した上で、行動しようとしているのだ。喜ばしい、そう思う彼女の気持ちを、どうして否定できようか。
「……しかし春意。お前、妖怪との繋がりがそんなにあるのか?」
「いいえ。ひのふのみの……手の指で収まる程度です」
「里の人間が、大それた事をお前に頼むと思うか?」
「いいえ。皆さんにしてみれば、博麗神社に居候してるだけの変な子供でしかないでしょうから」
「その上で、博麗の御師を務めるつもりか?」
「だからこそ、俵差し大会にまで出たんです。まずは地道に名前を売って、それを機に依頼を貰おうと。便利屋稼業はその足がかりですね」
暖簾に腕押し、といった具合である。これほどに堅固な意志もまた、生徒の頃の春意には見られなかったものである。
話している分には、見通しは甘い。計画性も、実現するに足る実力があるのかも、慧音にとって定かではなかった。
「確かに、そんな存在は必要かもしれないが……前途は多難だろう」
「でしょうね。まず人里中の人々から信頼を得なければいけないのに、その時点で大変です」
「それに、お前も人の身だ。ただの子供でない事は分かっているが、妖怪と関わることは危険だぞ」
「いざという時は霊夢の名前を印籠にしますよ。巫女様に繋ぐのも、それはそれで御師らしい仕事ですしね」
呆れたようにため息をつく慧音。その行動とは裏腹にその顔には、元教え子に対する隠しきれない誇らしさと嬉しさが滲んでいた。
慧音は愛おしそうに目を細めると、春意の頭へそっと手を伸ばし、優しく撫でる。彼は少しばかり驚いて、照れくさそうにしながらも、目を細め頬を緩ませながら、恩師の愛情を享受した。
「最低限、事情は分かったが……とりあえずひとつ、条件を出させてくれないか?」
撫でる手を引いた慧音に、少々寂しげな表情を見せたのも束の間。年齢相応の幼気さを内に引き戻し、春意の顔はすぐさま御師としてのものになった。
「はい、なんでしょう」
「危ない橋は渡らないこと、だ。平和の使者に大事が起きてしまっては、却って平和が遠のくばかりだぞ」
寺子屋を出てからそれなりに経った今でも、当時と何ら変わらぬ慈愛を注いでくれること。それが余りにも嬉しくて、温かくて。春意は今一度、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます、先生。体を労りながら、のんびりやっていきますから」
「……それと春意」
「はい?」
「さっきの大会中、わざと間抜けのフリをしていたな?場の雰囲気で誤魔化せたが、もう少し上手くやった方がいいぞ」
「え?い、いやぁそんなこと……はは……」