劇場版ちいかわ「人魚の島のひみつ」異伝『星に願いを』 作:黒陽石
原作:ちいかわ
タグ:オリ主 残酷な描写 アンチ・ヘイト 本編再解釈 IF設定 オリジナルキャラクター オリキャラ オリジナル設定 オリジナル主人公 セイレーン (ちいかわ)
なんか小さくて、いつもショボーンとしているやつ。
それが、ちいショボだった。
ちいショボには、密かな願いがある。
それは、古本屋さんと、友達になりたい。
けれど、どうしても勇気が出なくて。
いつも、あと一歩のところで声をかけられないでいた。
そうこうしているうちに、古本屋さんには、傍若無人なモモンガがいつも連れ添うようになった。古本屋さんの優しい視線と態度は、いつだって自由奔放なモモンガに向けられている。楽しそうに言葉をかわす二人を見るたび、ちいショボは気おくれしてしまい、いっそう近づけなくなってしまった。
ある晴れた日のこと。
ちいショボは、空から落ちてきた一枚の派手なチラシを拾った。
『このチラシを手にしたあなた。特別な島へご招待!』
『南の島の簡単な討伐で、百倍の報酬を貰おう!』
『美味しい食べ物、お土産もたくさん!』
心臓がドクンと跳ねる。
古本屋さんも、この討伐に行くのだろうか。
(もし……もし行くなら、思い切って、一緒に行こうって誘ってみようかな)
ちいショボは、小さな胸に淡い期待を抱き、広場へと向かった。鎧さんの屋台や出店が並ぶ広場で、古本屋さんの姿を探す。
いた。
あたたかな日差しの中に、探していた姿を見つける。だが、ちいショボが声をかけようと足を踏み出した瞬間。古本屋さんは手に派手なチラシを握りしめ、嬉しそうにモモンガの元へと駆け寄ってゆくところだった。
「あ……っ」
声にならないつぶやきが漏れる。
ガッカリと肩を落とし、ちいショボは一人、トボトボと家に帰った。
南の島へ行こうか。それとも、このまま家にいて、いつも通り草むしりや、工場の仕事に行こうか。
ぽつんとした部屋の中で、ちいショボはひとり迷っていた。
そのとき、脳裏にフッと広場での光景がよみがえる。
古本屋さんが、楽しそうに島へ行く準備をはじめていた姿。モモンガとはしゃぎあう、眩しい笑顔。
(ボクも、変わらなきゃ)
このままじゃ、ずっと遠くから見ているだけだ。
ちいショボは、ギュッと拳を握りしめた。壁にかけてある、討伐用の武器に視線をむける。直剣のグラディウスと、丸盾だ。色々な仕事をして、コツコツと貯金して、やっと揃えた武器と防具だ。ちいショボは胸の奥底から小さな勇気を振り絞り、南の島へ行く決意を固めるのだった。
早朝の浜辺。
水平線の向こうから、暁の太陽が静かに昇ってくる。
ちいショボは、愛用の直剣を腰に差し、タオルや雨具をつめたバックパックを背負い、その上に丸盾をくくりつけ、船を待つ。周りを見渡せば、サスマタ、槍、刀、メイス、ハルバード、長剣、ヌンチャク、トンファー、棍棒……思い思いの武器を手にしたちいかわ族が集まっていた。
しばらく待っていると、太陽を背にして、南の島へむかう巨大なアヒル船がやってきた。アヒル船は桟橋に静かに横付けした。ちいかわ族は、順番に波に揺れる船内へと吸い込まれてゆく。全員が乗り込むと、アヒルの遊覧船は住み慣れた本土を離れ、南へと針路をとった。
島に着くと、待ち受けていたのは、村民たちの大歓迎だった。
アヒル船を降り、木製の桟橋を走って島の土を踏む。その途端に笑顔の村人達に囲まれ、歓迎の証である腰蓑を着せてもらう。燦々と降り注ぐ南国の太陽のもとで、広場に色鮮やかな屋台が並んでいる。見た目にも香りも食欲をそそる御馳走が並ぶ豪華な宴が待っていた。
ちいショボがあたりを見渡すと、ごちそうを前に屋台の順番を無視して割り込もうとするモモンガと、それを嗜める古本屋さんの姿があった。古本屋さんはまめまめしく屋台で焼き鳥やケバブを注文しては、モモンガの元に届ける。そしてムシャムシャとかぶりつくモモンガの口元を、「もぉ、しょうがないなぁ」というふうに優しく拭いてあげる古本屋さん。
仲睦まじい二人の世界。
そこに、ちいショボが入り込める隙間なんて、どこにもない。
胸がキュッと強くしめつけられる。ちいショボは、広場の賑わいから逃げるように、そっと宴の輪から抜け出してゆくのだった。
賑やかな広場の喧騒を離れ、村を抜け出る。
世界の色がガラリと切り替わった。
ちいショボの眼前に広がるのは、眩しい南国の日差しと、入道雲と青の対比が美しい夏空、どこまでも澄んだ碧い海。太陽の光が惜しみなく注ぎ込む浜辺は、目を開けるのも痛いような眩しい輝きに包まれていた。
波打ち際では、穏やかな波が、どこまでも白い砂浜を濡らしている。立ち並ぶ椰子の木々は、鮮やかな緑の葉を広げて潮風にそよいでいる。誰もいない真っ白な砂浜を、ぽて……ぽて……と小さな足跡を残しながら歩いてゆく。耳を叩くのは、規則的に寄せては返す波の音だけ。
潮風の匂いが、フッと湿り気を帯びた。
ゴツゴツとした黒い岩場が現れた。そして切り立った断崖の根元に、異質な空気が流れている。まるで巨大な怪物が顎を開けているかのような、不気味な洞窟の入り口が、ポッカリと開いていた。強烈な昼間の光が差せば差すほどに、かえって濃密な影を宿し、異質な不気味さを際立たせていた。
暗がりの中から届くのは、ただの風の唸り声か。
それとも、胸の奥を震わせるほど微かな、妖しく美しい歌声か。
洞窟の入り口には、木札が固く突き立てられていた。
『立ち入り禁止』
掠れた文字すら、今のちいショボを嘲笑っているかのようだ。
いつもなら、迷わず手前で足を止めた。
そのあと、怯えて後ずさって、引き返していただろう。
けれども……。
ぎゅっと目を閉じると、脳裏に焼き付いて離れないあの光景がフラッシュバックする。
古本屋さんの、すぐ隣に。いるのが当然みたいな顔をして陣取るモモンガの姿だ。横暴で、ワガママで、いつも古本屋さんを振り回してばかりいるアイツ。なのに、古本屋さんがモモンガに向ける視線はどこまでも甘くて。
(いつも……いつも、いい子でなんか、いたって……ッ)
ちいさな胸の奥で、カチリと何かがはじけた。
湧き上がってきたものは、嫉妬にも似たモモンガへのささやかな対抗心だ。そして、自分だって変わりたいという、ほんの少しの背伸び。ルールを守って、おとなしく指をくわえているだけなんて、もう嫌だ。
「……おこったぞぉ」
ぷくっと頬を膨らませ、わざと悪い子の顔を作ってみせる。
いつも寂しげに下がっている眉を、クイッと力強く、凛々しく寄せる。
「ルールぐらい……破れるんだぞッ!」
ちいショボは木札の脇をすり抜け、一切振り返ることなく、漆黒の暗がりの中へと飛び込んでいった。
洞窟の入口付近には、南洋の強い日差しが届いていた。ところが、ほんの数歩奥へ足を踏み入れただけで、濃厚な闇が視界を塗りつぶす。外が眩しい昼間だからこそ、岩肌に落ちる影の濃さが、異様な不気味さを際立たせていた。鼻腔をつく湿った潮の匂いと、肌を撫でるひんやりとした冷気。
ちいショボは、目が暗闇に慣れるのを待って、洞窟の奥へと歩みをすすめる。
ぽて……ぽて……。
暗闇の中に、自分の足音だけが空虚に響く。
奥へ進めば進むほど、ルールを破ってしまったという後悔と恐怖が、じわじわと足元から這い上がってきた。
昼間の洞窟は、あまりにも異質な静けさに満ちている。
「……ショボ」
思わず漏れた弱気な声が、洞窟の天井に小さく反響して消えた。
(やっぱり、引き返そうかな……)
不安に押しつぶされそうになった、その時だった。
暗いトンネルの向こうに、柔らかな光が見えた。
足早に突き進むと、視界がパッと一気に開ける。
「……わぁ」
そこに広がっていたのは、息をのむほど幻想的な地底湖だった。切り立った岩壁の隙間から一筋の太陽の光が差し込み、澄み切った水面をキラキラと照らし出している。その水面に、ポツンと、まるで打ち捨てられたかのように、小さなボートが一艘浮いていた。
(ボート……乗ってみようかな……)
ちいショボの悪い子の真似事は、まだ終わっていなかった。
胸をドキンと高鳴らせながら、そっとボートへ乗り込む。
ギシ……ギシ……。
拙い手つきでオールを漕ぎ、再び闇に包まれた水路を歩くのより遅い速度で進む。しばらくボートを漕いでいると、ちいショボの想像力を越えた世界が広がっていた。そこは周囲を削り立った崖に囲まれた、巨大なホールのようになっていた。天窓のような岩の隙間から、まるで聖なる柱のように、太陽の光が水面を垂直に貫いている。
吸い寄せられるように、ちいショボは地底湖の最深部……光の柱が立つ場所へと、静かにボートを進めていく。
その時だった。
「♪おいし~~い屋台~~が~ぁ~て~~んこもりぃ~~♪」
透明感のある美しい歌声が、洞窟全体に朗々と響き渡った。
次の瞬間。
グラァッ!!
穏やかだった地底湖の水面がうねる。
ちいショボの乗ったボートは大きく跳ねあがった。
あでやかで赤い鱗に覆われた尾びれが水面を叩く。
ザバアアアッッッ!!
静寂を切り裂き、激しい水しぶきが舞い散る。現れたのは、スフィンクスのように巨大な怪異、セイレーンだ。傍らには、二匹のお付の人魚たちがヌッと湖面から頭を出していた。
「♪てりてりソースのぉ~ やぁ~きぃ~そぉ~ばぁ~♪」
歌いきったセイレーンの表情から、陽気で朗らかな雰囲気がスッと消えてゆく。セイレーンの瞳も、人魚の瞳も、真紅に輝き、禍々しい殺意に塗り替えられた。セイレーンにとって、目の前にいるちいショボは、大切な人魚を殺して食べた憎き犯人である。
セイレーンは「お前かーーーーーーーーッッッ!!」と咆哮した。
巨大な尾びれが、洞窟湖の水面を激しく叩く。
ちいかわトリオであれば、必死でオールを漕いでセイレーンから逃げようとするだろう。しかし、今、ここにいるのは、ちいショボである。迫りくる巨体と絶望的な恐怖にすっかり竦みあがり、指一つ動かすことすらできない。目の前に立ちあがる、見上げるような大波。ボートはあっけなくひっくり返り、ちいショボの小さな身体は冷たい水中へと投げ出された。
ゴボボボ……ッッと気泡が視界を覆った。
太陽の光と水面が遠のいてゆく。水圧と衝撃で息がつまり、意識が急速に薄れてゆく。ちいショボの視界に最後に映ったのは、ダイブして迫ってくる、ルビーのように赤く光るセイレーンの目だった。
ちいショボは(古本屋さん……)とつぶやいた。
叶わぬ想いと、悪い子になった後悔を抱えたまま、彼は暗い洞窟湖の底へと静かに沈んでいった。
そんなちいショボを、セイレーンは巨大な手でひょいとつまみ上げた。
水面に出て、気絶したちいショボを、まじまじと観察する。ひっくりかえして腰蓑をまくり、お尻を確認する。そこには単三電池など、どこにもなかった。さらに確認のため、鼻にちかづけて、くんくんと匂いを嗅いでみる。磯と南国の植物の香りが染みついた島の住民とは、まるで違う、外の世界の雰囲気がした。
セイレーンは「ありゃ。人魚を食べた犯人じゃないや……」と呟いた。
そして殺気を消した。意識をうしなったちいショボを抱えて泳ぎ出す。洞窟内の濡れていない乾いた岩場に登ると、人魚に流木を集めさせた。そして魔法で焚き火をおこす。洞窟の奥に温かい炎が揺れる。セイレーンは、大きな尾びれをつかって、ちいショボの小さな身体を包み込むように優しく温めた。
外からは、いつの間にか夕方の潮風が洞窟に吹きこんでいた。
パチッとはぜる薪の音と、自分を包む温もりに、ちいショボはハッと目を覚ました。
視界を埋め尽くす、自分を襲ってきた巨大なセイレーン。
恐怖で身をすくめ、縮こまるちいショボ。
セイレーンは、穏やかな、どこか寂しげな瞳で、ちいショボを見つめていた。
「おどしちゃって、ごめんね~」
静かな洞窟に、セイレーンの澄んだ声が響く。
セイレーンは「おーーい……あ、きたきた、セイレーンと、人魚で~す」と、洞窟湖からあがってきた人魚二匹と共に自己紹介した。セイレーンは、ちいショボを人魚を食べた犯人と思って間違って襲ったことを、改めて謝罪した。ちいショボが事情を聞くと、セイレーンは丁寧に答えた。三匹いた人魚のうち一匹が島民に食べられてしまい、犯人が名乗り出てくるか、村民が犯人を捕まえて突き出してくるまで、島民を1人ずつ食べているのだという。
セイレーンは「人魚を食べた犯人には、ある特徴ができるの。単三(たんさん)が出来るから、それが目印なんだ。すぐわかるの」と言った。ちいショボは「炭酸(たんさん)? ううん、わかった……」と答えた。セイレーンの深い悲しみには同情しつつ、やっぱり怖いちいショボは、急いで洞窟を離れ、村にもどった。
日は暮れても、村は相変わらず歓迎の宴で盛り上がっている。
招待された討伐隊のモブかわ達も、村人達も、地ビールを浴びてテンションが上がっていた。その上、まもなく花火のうちあげもはじまるようだ。島は一層の熱狂に包まれている。古本屋さんを探すどころではない。
何とかしなきゃ……という焦りだけが募る。
ちいショボは「そうだ。ラッコさんに相談しよう!」と思いついた。
島に来るアヒル船の中で、誰かが「ランカー1位のラッコさんも船に乗ってるらしいよ!」「サインもらいたいな!」とはしゃいでいたのを思い出したのだ。こんな恐ろしい事件を、自分一人で解決するなんて無理だ。一番強い人に相談するしかない。
そう思うと、ちいショボの気分も前向きになった。とはいえ、人ごみのなかでラッコの姿を探すのは大変だ。宴会のにぎわいの中、ちいショボは汗をかきながら、必死で視線をあちらこちらに向ける。だが当のラッコは、ひとり静かな場所で甘味を嗜んでいた。見つけられるわけがない。
ちいショボは「どうしよう……」とオロオロする。
そこに「どうしたの? なにか落しもの?」と親身な声がした。
ちいショボが振り返ると、心配そうに見つめるハチワレ、その横でオドオドしているちいかわ。その後ろで、両手に持った焼き鳥を上から一段ずつ食べてゆくウサギの姿があった。
ちいショボは、藁にもすがる思いで、昼間にあった事を打ち明けた。
悪い子を真似をして立ち入り禁止の洞窟に入ったこと。
そこで巨大なセイレーンと、小さなお付の人魚二匹に出会ったこと。
そして人魚を殺されて食べられたセイレーンの深い悲しみを聞いたこと。
セイレーンは復讐のために、村人たちを一匹ずつ食べていること。
犯人の目印についての話を、詳しくきいたのだと。
以上のことを、ちいショボは、身ぶり手ぶりを交えて必死に語る。
ちいかわトリオも、固唾をのんで聞いている。
ちいショボは「でね……セイレーンさんが、犯人には炭酸(たんさん)が目印になるって……。それが人魚を食べた犯人の証拠になるって……」と自信なさげに言った。ハチワレは「炭酸っ!?」と青い耳をピクッと立て、考え出す。しばらくすると、ハチワレは「そっか! 炭酸水を飲ませると、犯人にだけシュワシュワ~ッて、特別な印が浮かび上がるっコトッ!?」と、名推理を披露した。ちいショボは「えっ、そういう意味だったの……っ?」と、圧倒されてしまう。横で聞いていたちいかわも「フ…ウェ……ッ?」と驚いたが、自分でも少し考えたあと、フンフンと頷いた。ウサギは焼き鳥を高速で食べ終えると、ラムネ屋の屋台を指さした。
ハチワレは「よしッ! 犯人を見つけて、セイレーンに教えてあげなきゃ! みんなで炭酸水を配ろう!」と朗らかに宣言する。
その時だった。
タイミングよく、ラッコと、ヒトハとフタバが「何を話しているんだ?」と近づいてきた。
ちいかわ達は、ラッコにちいショボが体験した事を話す。
スイーツに浮かれていても、怪異や、討伐の事になると、ラッコの目の色が変わる。ラッコは、たどたどしいちいショボの話を、改めて聞き取り、天を仰ぐ。
「セイレーンと人魚……初めて聞いた。それが、この島の秘密か……」
ちいショボは「あの……セイレーンさんが……犯人は炭酸が目印だって……言ってました。それで、ラムネをみんなに配ろうとしてました」と告げた。ラッコは「炭酸水だと……!?」と、深く腕組みをして考えこむ。ヒトハとフタバは、顔を青くして震えている。
ちいかわトリオ、ちいショボ、ラッコは、相談して作戦をまとめた。島の外から来た討伐隊の歓迎会に奔走する島民たち全員に、慰労と称して、炭酸レモン水を飲ませることにした。ラッコは「責任者にも話を通すべきだ」と主張して、村長にも説明した。
炭酸レモン水、全島民慰労作戦。
ハチワレは、合流したシーサーと共に「みなさんの日頃の労と、歓迎会へのお礼に、冷たい炭酸レモン水の差し入れですっ」と爽やかに呼びかけた。ちいかわ、ちいショボ、そして裏方として手伝っていたヒトハとフタバまで加わり、屋台や会場を駆け回る。グラスを受け取った島民たちは「ありがとう、おいしぃ~~」「生き返る~~」と喉を鳴らして飲み干す。
一分待つ。
五分待つ。
十分待つ。
ハチワレ達が期待したような、シュワシュワの印など、誰の身にも浮かび上がらない。
ハチワレは「誰も、なんにも、変わらないね……」と呟いた。
ちいショボはトレイを抱えたまま、眉をショボーンと下げて立ち尽くす。
宴会の広場では、古本屋とモモンガの姿があった。モモンガは、古本屋さんから手渡された炭酸レモン水を「おーーー、シュワシュワで喉越しがいいなっっ!」と、古本屋さんのぶんまで、豪快に一気のみをしていた。そんなモモンガを微笑ましくみつめる古本屋さんの横顔に胸を痛めつつも、事件が何も解決していない焦りが、ちいショボを包み込みむ。
結局、島民全員に炭酸レモン水を配り終えても、異常は現れなかった。
元気のないちいかわトリオの肩を、ラッコがポンポンと叩く。
ラッコは「焦ることはない。相手は怪異の術法かもしれないのだ。即効性がない可能性もある。明日まで様子を見よう。今夜はもう寝て、英気を養うんだ」と諭した。頼もしいラッコの言葉に、ちいかわトリオは「はいッ…!」と頷き、宛がわれたバンガローに引き上げていった。ちいショボは、ただ1人で立ちすくむ。するとラッコは「お前も、一人では不安だろう。私と一緒に休むといい」と誘った。ちいショボは二つ返事で頷いた。
ちいショボは、ラッコの思いがけない温かい言葉に甘えることにした。ランカー第1位の、ラッコにあてがわれたバンガローにお邪魔する。室内には、ほんのり甘いイチゴパフェの香りが漂っている。ラッコの代名詞ともいうべき重厚なマントと剣は、壁に掛けられている。
昼間の大冒険と恐怖、そしてモモンガと楽しそうだった古本屋さんの姿。
色々な感情が重なり合って、張り詰めていたちいショボの心が、静かな空間の中で、涙となって解凍されてゆく。小さなランプが灯る中で、ラッコは温かいココアをちいショボの前にそっと置いた。
「さて。何か、胸につかえているものがあるのだろう? 焦らず、話してみなさい」
その深く穏やかな声に背中を押され、ちいショボはポツリ、ポツリと語り始めた。
昼間、悪ぶって、立ち入り禁止の洞窟に入ってしまったこと。
勝手にボートをこいで、地底湖まで行ったこと。
そこで出くわした、あまりにも巨大なセイレーンの姿。
犯人と間違われ、襲われ、水中に叩き落された恐怖。
そんなセイレーンだったが、命を奪われ食べられた人魚を想い、悲しそうに涙を浮かべていた。「人魚が、仲良く共存していたはずの、村の住民の誰かに食べられてしまったことへの、無念」「その犯人を炙り出すために、島民を1人1人食べている」という恐ろしさ。
ちいショボの話を、ラッコは一度も遮ることなく、腕を組んで真剣な眼差しで聞いていた。ラッコは「なるほど。単なる怪物による無差別の暴虐ではない、ということだな。背景に仲間の殺害と、容疑者への報復という、明確な動機が存在するのか……」と、重々しく言った。ラッコは事態の構造を理解し、顎に手を当てて思考を巡らせる。
「おとぎ話の域を出ぬと思っていたが……人魚の肉による不老不死の伝承。それが真実ならば、犯人は島民の中に潜み、己の欲望か、あるいは別の切実な理由のために人魚を殺めた。セイレーンの怒りも、理不尽とは言い切れぬ」
ラッコは、ちいショボの中で混乱していた事件の輪郭を、見事なまでに明晰に解き明かしていく。
その圧倒的な頼もしさと冷静な知性を前にして、ちいショボは「自分はなんてちっぽけで、ショボくて、何もできなかったんだろう……」と、自身の不甲斐なさを痛感していた。同時に(この人なら……ラッコ先生なら、きっとこの悲しい争いを何とかしてくれる……!)と希望を抱く。胸の奥から湧き上がってくるのは、確かな憧れと、絶対的な信頼感だ。セイレーンの影に怯えていたちいショボの心に、初めて温かな安心感の灯がともった瞬間だった。
「よく話してくれたな。勇気ある報告のおかげで、見えてきたものがある。今夜は安心して眠るといい。朝になったら、私が動こう」
ラッコは、ちいショボの背中をさする。
ちいショボは目頭を熱くしながら、うん!と強く頷くのだった。
夜のバンガロー。
ランプの小さな炎が、ゆらゆらと二人を照らす静かな室内。
「まずは頭の中を整理するぞ」
ラッコは机の上に皮革紙とペンを広げ、ちいショボの目を真っ直ぐに見つた。
「直面している事態について、『分かっていること』と、『推測にすぎないこと』を明確に分けるのだ」
ラッコの力強く通る声に、ちいショボ背筋を正し、深く頷きます。
「この島にはセイレーンと自称する、極めて知能が高く、言語によるコミュニケーションが可能な巨大怪異でかつよが1匹と、それに従属する小型の人魚が2匹存在する。セイレーンは、島の村人を無差別に襲い、さらっている。セイレーンの証言によれば、捕食している。討伐隊の成立背景は、こうだ。島の村人たちはセイレーンの猛威に耐かね、惨劇を終息させるために莫大な報酬を提示し、本土から我々を呼び寄せた」
ラッコは確定した事実をまとめる。
「未検証の疑義について、整理しよう。セイレーンは『もともと3匹いた人魚のうち、1匹が村人に殺され、食べられた。だから犯人を探し出すために、村人を襲って食べている』……と主張している。問題は、3匹目の人魚の実在性だ。本当に人魚が3匹存在していたのか。そして、それがセイレーンの主張するとおり、本当に村人に食べられたのかは、現時点で未確定である。セイレーンと人魚がちいショボ提示したのは、1枚の赤いウロコのみ。それが本当に失われた3匹目の遺留品なのか、あるいは襲撃を正当化するための虚飾なのかは、村人側の証言や現地調査による裏付けを取らねば断定できない」
ちいショボは「……凄い、です」とラッコの語り口に聞き惚れる。
ラッコはペンを置き、腕を組んで思索に沈んだ。
「村人たちは、セイレーンに理不尽に襲われている被害者として、我々に救援を求めた。だが、もしセイレーンの主張が真実ならば、村人の中に事件の引き金を引き、全員を危機に陥れた真犯人が潜んでいることになる」
ちいショボはゴクリと唾を飲み込む。
「犯人を突き止めねば、セイレーンの怒りは収まらない。我々の力で、一時的に退けたとしても根本的な解決にはならん。ただし、その前に、だ……」
ラッコは素早く図を描き出し、ちいショボに語りかける。
「仮に人魚が本当に3匹存在し、そのうちの1匹が姿を消したとしよう。
だが、セイレーンの言う『人魚は村人に殺された』という結論に至るまでには、あまりにも多くの飛躍と死角が存在する。仮説Aは、人魚は死亡していない可能性だ。自発的な失踪、逃亡、事故を想定している。人魚自身が自発的にセイレーンの元を離れた、あるいは海流に流される等の事故に遭った可能性。セイレーンが人魚のの不在を受け入れられず、あるいは過保護ゆえに、誰かに害されたと勝手に思い込んでいるパターンだ」
次に、ラッコは紙に仮説Bと書いた。
「人魚は、実際に死亡・捕食されていた場合。これも真犯人に最低でも3パターンがある。セイレーンは“村人が殺した”と決めつけているが、それはセイレーン側の状況証拠と偏見に基づく主張に過ぎない。最初に思いつくのは、天然の捕食者だ。我々の世界に無数に存在する、他の獰猛な大型怪異でかつよや、肉食生物に捕食された可能性。島民とは無関係の自然界の摂理というけだ」
ラッコは、喉をうるおそうと、ミルクと砂糖がたっぷり入ったココアを一口すすった。
「次に、島の村人説。これはセイレーンの疑う通り、村人の誰かが悪意、あるいは窮地を脱するために伝承を頼って人魚を手にかけた可能性だな。最後は第三者、すなわち外部からの来訪者説。討伐隊や観光客として過去に島を訪れた、村人以外の外部の者が人魚を手に書けた可能性」
ラッコは「ふぅ」と一息つくと、ココアを飲みほした。
「これだけの可能性が残されている。ゆえに、村人を無差別に責め立てるセイレーンのやり方は断じて容認できん」
ラッコは、壁にたてかけた自分の大剣に視線を向け、固い決意を口にする。
「だが同時に、もしセイレーンの云う事が本当だったら。村人の誰かが欲望のために人魚を殺したのが真実なら、その者が島全体を存亡の機微に追い込んだことになる。セイレーンと対峙する前に、この矛盾と可能性を解決しておかねばならん」
真実に迫るラッコの鮮やかな推理力に、ちいショボは胸を熱くしながら大きく頷く。名探偵のごとく状況を俯瞰するラッコは、口元に手を当てて「……いや、まだ見落としている条件があるかもしれん」と考え、さらに仮説を追加する。
「そもそも、人魚の肉の伝承に関して、検討しよう。
伝承の誤認、あるいは騙しの可能性だ。人魚を食べると不老不死になる(永遠の命を得る)という噂自体が、誰かの流したデマ、あるいは誤った知識であり、犯人は目的を果たせていない。あるいは食べたことで、別の異変が起きている可能性だ。
もう一つは、セイレーンに真の目的が別にある場合だな。人魚被害は、狂言もしくは口実だ。人魚は元から2匹しかいなかったとしたら。セイレーンが島民を支配、捕食するための正当な理由大義名分として利用している。
……このように、可能性を挙げればキリがない。いずれにせよ、『セイレーンの思い込み、犯人の狂気、自然の捕食者、のいずれにせよ、現場に必ず足痕は残る」
ラッコは紙に書き連ねた文字を見つめ、静かに息を吐く。
その表情には、どんな怪異と対峙する時よりも深く重い覚悟が宿っていた。ラッコは「明日の行動手順を確定させよう」と言って、ちいショボと視線を合わせた。
「まず明朝、村長をはじめとする村人たちに聞き込みを行う。『この島に現れていた人魚は、本当に最初から三匹いたのか、それとも二匹だったのか』……そこから確認する。彼らが隠していること、あるいは知らなかった事実が、必ず浮き彫りになるはずだ。その上で……」
ラッコは静かに、しかし力強く言葉をつなぐ。
「我々は岬の洞窟へ向かい、セイレーンとの直接交渉を試みる」
思わず息をのむちいショボに、ラッコは優しく、同時に、諭すように語りかける。
「お前が命がけで持ち帰ってくれた証言を聞く限り……あのセイレーンという巨大怪異でかつよの能力は破格だ。今ここで全討伐隊を挙げて力で突撃すれば、勝ち負けの前に、討伐隊の屍の山が築かれることになる」
ラッコは立ち上がり、大剣の柄にそっと手を置いた。
「私は討伐ランカーとして、無駄な命を散らせるわけにはいかん。知能があり、言葉が通じる相手ならば、まずは対話を試みるのが最善策だ。ちいショボよ、お前が第一発見者として道を拓いてくれたおかげで、この対話という選択肢が生まれたのだぞ。誇っていいッ」
悪い子の真似事から始まった愚行が、ラッコの手によって、島を救うための鍵へと変わり、信頼されている。ちいショボの胸を満たしたのは、憧れのラッコと共に危険な交渉へ挑むという、熱い使命感と、深い安心感だった。
「さあ、明日は忙しくなる。今夜はしっかり眠るんだ」
ちいショボは枕元に自分の直剣と丸盾を用意し、希望に満ちた心地よい眠りへと落ちていくのだった。
その頃、村の一軒の家では。
ヒトハとフタバの二人は顔を寄せ合い、ガタガタと震えていた。
「ねえ……さっきの炭酸レモン水……何だったのかな……」
「わからない……でも、僕たちのお尻の電池のことを知ってる奴がいるのかもしれない……」
罪の意識と、セイレーンに見つかったらどうなるんだという恐怖。
真犯人である二人の精神もまた、限界まで追い詰められようとしてた。
早朝。
村は静けさに包まれている。
ヒトハとフタバの家では、他の村民の家とは、まるで違う焦燥感が満ちていた。
「早く……早く荷物をまとめないと……!」
昨夜の炭酸レモン水の配給、そしてラッコや見知らぬ子、ちいかわトリオが真剣な面持ちで動き回っている気配がする。自分たちの犯した禁忌が暴かれるのは時間の問題だと悟った二人は、島からの逃亡を決意した。
「ボートの準備はできてる……最低限の着替えと食べ物だけでいい……!」
「いや、ボートだと、見張ってるセイレーンに見つかったら終わりだ。本土から来た討伐隊が乗ってきた、あの遊覧船だッ」
「そうだね。あんな大きな船なら、二人ぐらいこっそり乗ってもわかんない、と思う」
小さな風呂敷に荷物を押し込み、固く結び目を作ったその時でした。
「たのも~~! 居ますか~?」
聞き覚えのある無邪気な声に、ヒトハとフタバの身体が凍りつく
そっと扉を開けると、そこには爽やかな朝の光を背に受けた、ちいかわトリオの姿があった。さきほど、ラッコとちいショボから「島民に人魚の数を聞き込む」という方針を聞かされ、手分けして聞き込みに回っていたのである。
ハチワレは「あれ? 引っ越しするの? 手伝いましょうか?」と、親切心100%の笑顔で、大きな風呂敷を見つめる。ちいかわも首を傾げながら覗き込み、そしてウサギは……。遠慮なく「ウラッ!」と声を上げると、勝手に室内にズカズカと上がり込む。そして、壁に立てかけてあった小さめのオールをパシパシと叩いて、突っ込みを入れ始めた。
「あ、あわわ……! ち、ちが……これは……!」
ヒトハとフタバはパニックを起こしそうになっている。ハチワレは悪気のないまっすぐな瞳で、ラッコから頼まれていた一番重要な質問を投げかけた。
「あのね! ちょっと聞きたいことがあって……! この島にいた人魚さんって、何匹いたか知ってる?」
「ヒッ……!?」
息をのむ二人。
「ラッコ先生たちが調べててね、三匹いたのか、二匹だったのか、分かると助かるんだって!」
ハチワレの純粋すぎる問いかけと、後ろでオールをぶんぶん振り回すウサギの圧迫感。さらに、ちいかわの不安そうに揺れる瞳。罪の意識と、早くこの場を切り抜けたいという極限の焦りが、ヒトハの口を滑らせた。
「っ、初めから……! 初めから二匹だったよ!!」
ヒトハは、叫ぶように答えてしまった。
その横で、フタバも青ざめた顔で激しく頷く。
「そ、そう! 僕たちが見たときは、二匹しかいなかった! 三匹目なんて……最初からいなかったんだ……!」
ハチワレは「えっ……最初から二匹……?」と首を傾ける。ちいショボの話によれば、セイレーンは『三匹いた人魚うち、一匹が村人に食べられた』と怒り狂っているのに、島民であるこの二人は、最初から二匹だったと断言したからだ。
「そっか……! ありがとう! ラッコ先生に教えておくね!」
ハチワレたちが元気よく家を出ていくと、ヒトハとフタバはガタガタと震えながら、その場に崩れ落ちた。口を滑らせてしまった後悔と、嘘を重ねてしまった恐怖に、お互いの手を握りしめて震えるしかなかった。
そのころ。
ラッコのバンガローには、手分けして島内を捜査していたちいかわトリオ、そして、ちいショボが集結していた。机の上には、ラッコの手によって細かく分類された聞き込み結果のメモが広げられている。
「……集まったな。各自の報告を整理するぞ」
ラッコの低く落ち着いた声が部屋に響く。
圧倒的多数の村人は、覚えていない、気にしたことがないと答えた。一般島民のほとんどが、この回答であった。
ごく少数は「二匹だった」「一匹だった」と答えた。
そして、料理や、奉納を担当していた島民は「三匹いた」と明確に答えた。
ハチワレが身を乗り出して「ラッコ先生! 屋台の人に話を聞いたらね、『セイレーン様たちにブルーベリーソースをかけたカルピスゼリーを奉納したとき、人魚のために小さなお皿を三つ用意したよ』って!」と、手帖を読み上げた。
ラッコは「人魚の数」という項目に、力強く丸をつける。
「これで確定した。人魚は確かに三匹存在していた」
バンガローの部屋に緊張が走りる。人魚が本当に3匹いたという事実……それはすなわち、セイレーンの仲間が消えたという主張が正当であり、島民の誰かが「最初から二匹だった」と嘘をついているか、あるいは人魚の身に惨劇が起きたという動かぬ証拠でした。
「覚えていない者が多い中、特定の島民だけが『最初から二匹しかいなかった』と断言するのは不自然だ。隠蔽の意図を感じるなッ」
ラッコは静かな眼差しで一同を見渡しました。
「セイレーンの動機は本物だ。真犯人はこの島のどこかに潜んでいる。よし、これより岬の洞窟へ向かい、セイレーンとの対話を試みる!」
ラッコが行動に出ようとした時、村の広場がざわつき始めた。
村長が本土から来た討伐隊を集め、広場で決起集会を開こうとしていたのである。村長は高楼の上からメガホンで事情を打ち明けた。ホワイトボードを持ち出し、そこにセイレーン(でかつよ)」の絵を描いて見せた。
「これが今回の討伐対象、セイレーンです!」
「な、なんだあの怪物……!?」
「でかすぎる!」
「怖いよぉぉぉ!」
「無理だよぉぉぉっ」
討伐隊のモブかわたちの間に動揺が広がる。
パニックに拍車がかかる広場に、突如として地鳴りのような音が響き渡った。
波止場からの緩やかな傾斜の大通りを、本物のセイレーンが静かに登ってきたのである。頭の上に二匹の小さな人魚を乗せ、困り眉につぶらな瞳、猫のような口元。初めて本物を見たラッコも、ちいかわトリオも、本土からの討伐隊たちも、その圧倒的な巨体と、愛嬌のある風貌のの強烈なギャップに度肝を抜かれ、息を呑む。
ハチワレは「あれがセイレーンなんだ……でかっ」と興奮し、自分から近づこうとした。ラッコはハチワレを制止し、一番前に出てセイレーンと対峙する。そして堂々とした声で、セイレーンに問いかけた。
「セイレーンよ! お前に聞きたい。三匹目の人魚はいかにして姿を消した?」
セイレーンはつぶらな瞳をパチクリさせると、岬の洞窟で昼寝していたら、いつの間にか一匹がいなくなっていたこと、鱗が落ちていたので辿ると、村に続いていた…と話した。「だから村の人が食べたんだと思うのぉ~! 犯人を渡してくれたら、島民を食べるのやめるからね~」
悪びれる様子もなく、しかし切実な悲しみを覗かせるセイレーン。
ラッコは静かに頷くと、平和的な解決へ向けて語りかける。
ラッコは「経緯は理解した。真犯人が村人の中に潜んでいる可能性は極めて高い。だが、無関係の島民まで危害を加えるのは容認できん。私に免じて、犯人の捜査が完了するまで、いったん停戦してくれないか?」と、誠実に語った。しかし、返ってきたのはあまりにも無邪気で、噛み合わない答えだった。
セイレーンは「え~? なんでぇ~?」と困り眉のまま、不思議そうに首をかしげている。
「犯人が出てくるまでぇ、村人を一人ずつ食べていけばぁ~、そのうち犯人にあたるでしょ? それか、村人も犯人を庇うのをやめて、突き出してくるか。あるいは、犯人が罪悪感に耐えきれなくなって自首してくるか。あ、君たちは外から来た観光客だから、食べないよ。安心してねぇ~」
「……何?」
会話はできても、根本的な価値観と論理が違うのだと痛感したラッコの表情が、険しくなる。次の瞬間、セイレーンは巨体をぬっと伸ばすと、近くで震えていた村人の一人をひょいとつまみ上げ、首根っこを咥えてた。
「待てッ!!」
ラッコは大剣を抜き放ち、地を蹴って疾走!
セイレーンは「むっ」と眉をひそめると、掌を横薙ぎにした。それをバックステップでよけたラッコが「他の者は住民の避難を!」と指示を出した。間髪入れずに次の斬撃を繰り出そうと、ラッコが再び踏み込もうとした。
その時だった。
セイレーンは咥えていた村人をポイッと吐き出す。
ハァアアアアアアアアアアアア~~~~!!!
間髪を入れず、高周波の美声をはなった。ラッコの足元から植物の触手が飛び出し、ラッコの足首にガッチリと絡みついた。
「なっ……!?」
体勢を崩し、剣を落としてしまうラッコ。
足元をすくわれ、隙だらけになったラッコのもとへ、セイレーンの巨大な手が襲いかかる。セイレーンは村人の代わりに、ラッコをガッチリと両手で抱え込んだ。
「う~ん、このフワフワした強いやつの方がぁ~、人質にちょうどいいかも~」
「くっ……離せ……!」
植物の触手で縛られてしまったラッコは、身体の自由が効かない。
セイレーンはラッコを握ったままズリズリと巨体を反転させると、波止場の方角へ向かって去ってゆく。
「犯人が名乗り出なかったらぁ~、この強いやつ食べちゃうからねぇ~!」
「先生ええええええッッ!!!」
ハチワレとちいショボの絶叫が島の広場にコダマする。
頼りになる絶対的なリーダーが、セイレーンに連れ去られてしまった。
広場に残されたのは、泣き叫ぶ住民と本土からきた討伐隊、事態の重さに青ざめるハチワレとちいかわ、そして衝撃で崩れ落ちるちいショボだけだった。
圧倒的な絶望と焦燥に苛まれたちいショボ。
ふと、上空から注がれる不穏な視線に気づいた。
ちいショボは、視線の先を追った。
一軒の民家の屋根に、ポツンと、灰色の五芒星が陣取っている。
つぶらな瞳と、ぎゅっと結んだ唇。グレーの星は、じぃっと、ちいショボを見つめている。
流れ星の一種だろか?
気休めかもしれないが、願いを叶えてくれるとしたら……。
ちいショボは、藁にもすがる思いで、グレーの星に「人魚を襲った犯人を……犯人を教えて、欲しい……」と頼んだ。
その切実な叫びを聞き届けた瞬間、グレーの星は無機質な口調で「Rogerラジャー」と、短く応じた。
すると、静まり返っていた広場の陰から、ヌッと一人の島民が姿をあらわす。
「ヒヒッ……ヒヒヒヒヒヒッ!!」
引きつった顔で痙攣するように笑うその目は、真っ赤に血走っている。完全に正気を失った、異様な姿だ。頭にはハチマキで二本の懐中電灯が強引に括り付けられていた。手にはギラリと光る巨大な薪割り用の鉈(ナタ)が握りしめられていた。
「う、うわあぁぁぁぁッ!?」
ハチワレが悲鳴を上げた。本土からきた討伐隊も、村人達も、恐怖で逃げまどい、腰を抜した者もいる。鉈を振りかざした村人は、凄まじい速度で村人達に向かって襲いかかってきた。
ちいショボは「どうして島民さんが……!?」と首をかしげるが、悠長に考える暇はない。パニックになりかけながらも、ちいかわトリオとちいショボは、咄嗟に連携をとる。ウサギが持ち前の機敏さで鉈村人の背後に回り込み、耳を引っ張って体勢を崩す。ただ、勢いを止めることはでない。ちいショボは鉈村人のターゲットにされた村人の前に立ちふさがり、丸盾でナタを受け止める。
ガアアンッツ!!
ちいショボがパリィしたことで、鉈村人はバランスを崩した。すかさずハチワレとちいかわがロープを鉈村人に巻き付け、全員で組みついて押し倒した。
奇跡的に、被害ゼロで、その狂乱した村人を拘束することに成功した。
ちいかわトリオは、ハァ、ハァ……と荒い息を吐きながら、縄で縛られた村人を見下ろす。村人は拘束されてもなお、濁った瞳で天を仰ぎ、口から泡を吹いていた。そして、壊れたレコードのように同じ言葉を呟き続けていた。
「ヒヒ……ヒ……ハンニン……イガイ……ミナゴロシ……」
ハチワレが「なんでぇ……?」と呟く。
「ハンニン……イガイ……ミナゴロシにすれば……サキに犯人じゃない奴が全員死ぬから……最後に残った奴が……ハンニン……ヒヒッ……」
グレー星の狂ったロジック。「犯人を教えてほしい」=「犯人以外の人間を全員殺戮して排除すれば、消去法で最後に残った者が真犯人だとわかる」という、歪んだ解答。ちいかわは、その狂気の発言から、かつて嫌な気持ちになった黒い流れ星を思い出す。かつて「今日のような日が続きますように」と願った時に起きた、あの恐ろしい無限ループ。その記憶が甦り、ちいかわから血の気が引く。
ハチワレは「それって……それって……ッ!!」と、青ざめた顔でちいショボを振り返り、震える声で質問する。
「あの黒い流れ星の親戚かもしれない、灰色の星に……頼んじゃったって……コト……!?」
「ヒヒ……ミナゴロシ……」と泡を吹く村人を押さえつけながら、ちいショボは己が引き起こした事態の恐ろしさに涙をボロボロとこぼす。「ごめんなさい、撤回します! 願いを取り消してくださいッ!」と叫ぶと、屋根の上にいたグレーの星は瞬きをし、フワリと地面に降りてきた。そして携帯式のホワイトボードを取り出し、マジックで何やら書いていた。そこには……
【キャンセル受付】
※願いの取り消しには「キャンセル料」が発生します。
※支払い対象:願った本人の所有物に限ります。
ハチワレは「き、キャンセル料があるんだっ」と目を丸くしている。
ちいショボは、剣と丸盾以外は何も持っていない。すると、ちいかわがポシェットから飴玉を取り出した。それを、ちいショボの手へ押し付ける。ちいショボは「ありがとう!」と感謝し、飴玉をグレーの星に渡そうとする。突然、ブザーが鳴った。グレーの星は「ぷいっ」と顔を背け、グレー星は、ホワイトボードに新たなルールを書き込む。
【エラー】
※譲渡品について:直前に譲渡された物品は、本人の所有物とみなされません。
※キャンセル料の条件:願った時点で本人が所有していたものに限ります。
ハチワレは「ひどいっ! 厳密すぎるよっ!!」と悲鳴をあげた。グレー星のルールは単純明快だった。「願った者本人の所有物であり、願った時点で所有していたもの」でなければ、キャンセル料として受理されない。飴玉は、ちいショボが数秒前にちいかわからパスされたものである。それでは却下される。
ちいショボが「人魚を襲った犯人を教えて、欲しい」と願った時点で、身に着けていたもの。
それは、愛用のグラディウスか、丸盾しかない。
ハチワレはは「そんな……それを持っていかれたら、討伐ができなくなっちゃう……!」と息をのむ。ちいショボが迷う間にも、拘束された村人のハチマキの懐中電灯が怪しく光り、第二、第三のミナゴロシ化した村人たちの足音が遠くから近づいてくる。一刻の猶予もない。タイムリミットが迫る中、ちいショボは、討伐に使う愛用の武器防具を差し出して呪いを解くか、苦渋の決断を迫られる。
ちいショボは一瞬だけ唇を噛み締める。
迷いを断ち切り、グラディウスを腰から外し、両手でグレーの星へと差し出した。ちいショボは「 これをキャンセル料として納めます……! だから、みんなを元に戻してくださいッ!!」と言った。グレーの星は、差し出されたグラディウスを小さな手で受け取る。グレー星は、ちいショボの愛剣をそのまま口元へもってゆく。
バリボリ……バリバリボリッ……!!
まるで硬いお煎餅でも食べるかのようだった。
切っ先からムシャムシャ、ボリボリと豪快に噛み砕いて平らげる。グレー星は満足そうに「フゥ」と吐息を漏らすと、「Bye-Bye!」と爽やかに言って、スーッと上昇し、空の彼方へと消え去っていった。それと同時に、拘束されていた村人の目が正気になり、「あれ……、なんでハチマキをして……?」とポカンと首を傾げていた。
ハチワレは「元に戻った……! 大惨事にならなくて良かった~っ!!」と胸を撫で下ろた。ウサギも「ヤハ!」と安堵の声をあげた。しかし、ちいショボの手元に残ったのは、丸盾だけでになった。ラッコ救出へ向かう直前での大幅な戦力ダウン。ちいショボは悔しさと申し訳なさで、ぎゅっと丸盾を抱きしめる。
そんなちいショボの肩を、ちいかわが優しくツンツンと触れた。
「……フ! フエ……ッ」
ちいかわは、自分のポシェットから色とりどりの飴玉を何個も何個も取り出し、ちいショボの両手に溢れんばかりに渡す。
ハチワレは「そうだよ! 今のうちに『所有物』にしておけば、もしまたグレー星が出ても、キャンセルの代償に使えるから……!」と語り、ちいかわも「フッ……!」と力強く頷いた。
心機一転。
セイレーンからラッコを救い出すため、一行が波止場へと急ごうとした、その時だった。
ちいかわトリオは、先ほどのグレー星がまだ数個、村の椰子の木のあたりに漂っているのに気が付いた。
ちいかわは、ついグレーの星に向かって「事件が無事解決しますように……」と静かにお祈りしてしまった。グレーの星が ピカッ と無機質に光る。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!!
何の前触れもなく、ちいかわトリオの足元が揺れた。
地震だ。誰も立っていられず、ひっくりかえる者、しゃがむ者、うずくまる者、椰子の木にしがみつく者、悲鳴をあげながら逃げまどう。次の瞬間、島の中央にそびえる休火山が、凄まじい地鳴りとともに大噴火を起こした。空に黒煙が立ち上り、真っ赤なマグマが山肌を駆け下り、島全体がぐらぐらと揺れて海底へと沈み始める。
「ひやあああああッ!?」
「島が沈んじゃう~~ッッ」
ハチワレは「こ、これって、島が沈めば、事件も解決ってコトッ!?」とグレー星に尋ねた。するとグレー星は「Of course」と自信たっぷりに答える。やりとりを見ていたウサギは「ウラウラウラッ」とちいかわを催促した。ちいかわは青ざめながら自分のポシェットに手を突っ込む。飴玉を掴んでフィルムをむこうとしたが、パニックと地震の揺れで手元が狂い、飴玉を地面に落とした。飴玉はコロコロと転がってゆく。そこで、ちいショボが飴玉を拾ってグレー星に渡そうとした。だが、グレーの星はそっぽを向く。
「わぁ、わぁ、わぁぁぁぁっ」
ちいかわは半泣きになりながら別の飴玉を取り出し、グレーの星の口元へ押し付けた。
【キャンセル受付】
※願った本人の所有物(飴玉)を確認。キャンセル料を受理します。
バリボリ……ボリボリッ!
グレー星が飴玉を噛み砕くと同時に、地面の揺れがおさまった。島の中央部の火山では。天を突くような噴煙が急速に収まり、マグマが冷えて固まってゆく。間一髪のところで島の沈没は免れた。ちいかわ達も、村民たちも、ハァハァと全員が荒い息を吐きながら、地面にへたり込んだ。
ハチワレが「た、助かったの? 飴玉があって良かったぁ」と胸を撫で下ろしたその時、沖合からドカーンと激しい水柱が上がり、波が押し寄せてきた。さっきラッコを抱えて海に消えたセイレーンが、人魚二匹をつれて、慌てた様子で再上陸してくる。
セイレーンは「水中洞窟が溶岩でうまっちゃった~~ッッ 死ぬかと思ったぁぁぁぁッッ」と半泣きになりながら、上陸してへたり込んだ。抱えていたラッコも、地面に投げ出している。そんなセイレーンに、ハチワレが律儀にも「これはねっ……『グレーの星』っていうのがあってね! 願い事は叶うんだけど、変な叶い方をするから、キャンセルの代償が必要で……ッ!」と解説した。
それを聞いたセイレーンの表情が、パアッと見惚れるような笑顔になる。
ちいかわたちの注意に耳を貸す様子もなく、セイレーンは「え~? 願いが叶うなら何でもいいじゃん! 変な叶い方をするのなら、いまのうちに保険を払っておけばいいよね。はい、これ」と、自分の鱗を一枚はぎとり、グレー星に手渡した。グレー星はセイレーンの鱗を食べると「Delicious! Make a wish!」と促す。セイレーンは迷わず「食べられちゃった人魚を元通りにして!」と願い事をした。
グレーの星は「ピカッ」と無機質に光り、その結果を高速で出力する。
シュウゥゥゥ……ッ!
セイレーンの足元に、傷一つない、美しく鮮やかな「三匹目の人魚の肉体」が復元された。グレーの星は、願いが完了したと判断、「Bye-bye」と告げて、天空に向けて垂直上昇して消え去った。
「やったぁ~! 戻ったぁ~!」
ちいかわ達が「えっ、ええ……」と戸惑うのをよそに、セイレーンは歓喜して三匹目を抱きしめる。
「……あれ? 目、さまさない……?」
復元されたのは、あくまで肉体という物質のみ。
命や魂までは吹き込まれておらず、それはただの精巧な人魚の死体に過ぎなかった。村を襲った時の凶暴さがウソのように、セイレーンは「なんでぇ……ッ? 戻ったのに……なんで動かないのぉ……ッ!?」と、子供のようにボロボロと大粒の涙を流している。その悲痛な光景に、しん…と静まり返る島の広場。ちいショボも、ちいかわトリオも、村人達も、さっきまで捕まっていたラッコも、言葉を失って黙り込む。
そんな重苦しい空気を切り裂いたのは、ハチワレの、妙に明るい声だった。
「ねえ、セイレーン! 落ち込まないで! キャンセル用の飴玉なら、ここに沢山あるからさぁ。ダメだったらキャンセルすればいいんだから、納得いくまで色々試してみようよ!」
ハチワレの無邪気で恐れを知らないガチャ思考に、ちいかわは「エ……エッッ!?」と白目を剥いてひっくり返り、ラッコ先生も「おい……待て……!」と青ざめて止めに入ろうとする。
そのとき、ウサギが「ウラッ」とちいかわを小突いた。
村の家の屋根や木の枝に、まだ沢山のグレーの星がいた。喜ぶハチワレと、不気味さを感じて青くなる理性組、古本屋さん達。飴玉も無尽蔵じゃない、どうしよう……と、ちいかわとちいショボが顔を見合わせる。すると、ウサギは、ちいかわのバックパックを持ってきた。それを、ちいかわに背負わせる。さらに、島の住民の武器ビヨヨンをバックパックに山程突っ込んだ。これでキャンセル料は充分だろう、というわけだ。
ハチワレは「犯人を特定する、名探偵なんかいいんじゃないかなっ」と、あくまで楽観的態度である。それに背中を押され、ちいかわは、屋根の上にいた別のグレーの星へ向かって手を合わせた。グレーの星は、無表情で「ピカッ」と光る。キャンセルの隙すら与えず「Bye-bye」と宣言、爆音とともに天空へ垂直上昇して姿を消した。
ドスン!!
怪しい煙とともに舞い降りたのは、鹿撃ち帽にキャラバシュ・パイプを咥え、インバネスコートを羽織った謎の男……名探偵エンザイムだ。エンザイムは降り立つやいなや、ちいかわトリオ、セイレーンと人魚たち、村人達をひととおり見渡す。その上で、あらためて、ちいショボをジロジロと観察すると、自信満々に胸を張って言い放つ。
「犯人は……お前だッ!!
探偵の勘に狂いはないッ!」
焦って何も言えないちいショボ。
すると、横からセイレーンが冷めた目で名探偵エンザイムを見おろし、「いや、その子絶対人魚食べた犯人じゃないし。昨日も洞窟で確認したもん。推理まちがってるよッ」とツッコミを入れた。名探偵エンザイムはギロリと目を血走らせ、外套の下から六本の腕を出し、それぞれに鉄槌、海賊刀、半月弓、槍を構えた。
「黙れッ! 名探偵の推理に異論を唱える者は、捜査攪乱の罪で……ギルティッッ!!」
「え~!? なんで狙われてんのぉ~~っ!?」
セイレーンに襲いかかろうとした槍の一撃を、ハチワレから大剣を受け取ったラッコがパリィし、弾いた。エンザイムが半月弓をふりしぼり矢を放つと、ウサギがビヨヨンで矢を空中で撃ち落とした。
「総員、構えッ!」
「探偵さんが暴れてるよぉ~~ッ!?」
パニックに陥ったちいかわは、ウサギに背負わされたバックパックからビヨヨンを引っ張り出す間もなく、思わず木の上にいた別のグレーの星“D”へ願い事をした。ちいショボも、別のグレー星“E”に飴玉を渡し、同じ願いをする。
(もっと、ちゃんとした、事件を解決する名探偵を……ッ!!)
グレーの星“D”と“E”は、それぞれ願いを受理した瞬間に「Bye-bye」と垂直上昇、夜空の彼方へ消え去る。直後、灰色星と入れ替わるように天空から降り立ったのは、全身がキュウリのように青黒く角ばった怪異……名探偵メイキュウリだった。メイキュウリは不気味なレンズ状の単眼を「ギチギチ…」と光らせると、冷酷な機械音声を響かせる。
「ジケン・カンケイシャ……ゼンイン・ショウキョ……。コレニヨリ……ジケンハ……迷宮イリ……」
ハチワレが「うわぁぁぁ、やっぱりだめだったぁぁぁぁ」と悲鳴をあげる。
メイキュウリが背中のバックパックからキャノン砲をセット、高熱の焼却ガスを噴射し、村ごと全員を焼き払おうとした、その時!
背中にショルダー型の巨大なジェットパックを背負い、空を割って参戦したのは、島二郎だっだ。
「またせたなぁぁぁッ!! 貝汁パワー、見せてやるぜッ!!」
島二郎は豪快なフライング・クロスチョップでメイキュウリに体当たりする。焼却ガス砲を叩き折り、圧巻の肉弾戦を展開しはじめた。とはいえ、名探偵メイキュウリも巨大さでは島二郎にひけをとらない。くんずほくれずの肉弾戦を繰り広げる。
その反対側では、狂乱の名探偵エンザイムが阿修羅のごとく暴れまわり、セイレーンとラッコ達を追い詰めていた。
ちいかわ達は、何かを願う前にグレー星に手持ちのアイテムを与えると、すこしだけマシな結果になるパターンに気付いた。
ちいかわは、ビヨヨンをグレー星“F”に投げて願う。
グレー星“F”は即座に頷くと、「Bye-bye」と去って行った。直後、ズシン……と大地が大きく揺れ、闇の中から巨大な半透明の影が現れた。巨大な白い体、蛇のような尾、そして禍々しい角、反比例するように愛らしいモフモフの上半身。ちいかわと浅からぬ因縁を持つキメラでかつよ「あの子」の霊体を召喚したのだ。半透明の“あの子”はドスン、ドスンと歩み寄ると、恐怖で固まるちいかわを、チラッと見る。一瞬の静寂の後、フンと鼻を鳴らして反転、暴れていたエンザイムに向かって前足のドリル状の爪を振った。
ガアアアアアンッ!!!!
名探偵エンザイムが「グハッ!? な、なんだこの怪異は……ッ!?」と慌てる。阿修羅になったエンザイムと、あの子の巨体が激突、衝撃波で村の民家が何軒も吹っ飛ぶ。願いを叶えては「Bye-bye」と去っていったグレー星たちのせいで、現場は収拾不能な怪獣大戦争へと突入した。村の建物はかたっぱしから瓦礫の山へと変わり、ちいかわ達や村人達は巨大生物でかつよ同士のガチバトルの巻き添えにならないよう、頭を抱えて逃げ惑うしかなかった。
怪獣大戦争の狂乱の中、崩落する家屋と、巻き添えを食らう島民たちの悲鳴が響き渡る。
「もう……やめてぇぇぇッ!!」
壊れていく村と傷つく人々を見かねたフタバが、涙を流しながら進み出た。
フタバは、自分が人魚を食べたと自白した。フタバの悲痛な叫びに、暴れていた名探偵エンザイムと、メイキュウリの動きがピタリと止まる。セイレーンも、犯人がそこにいたという事実をすぐに受け止められず、立ち尽くしている。フタバは屋根の上に残っていたグレーの星“G”を見上げ、自分の全てをあげるから、人魚の脱け殻に生命を吹き込んでほしいと願った。後方から絶叫するヒトハの制止も虚しく、グレーの星は無機質に「ピカッ」と光を放つ。今回のグレー星のジャッジは、『願った本人の所有物=自身の生命』という成立条件。
シュウゥゥゥ……ッ
光が収まると同時に、フタバの瞳から光が消えた。
フタバは、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。その尻から単三電池が転がりおち、塩の塊となって、サラサラと風化していった。次の瞬間、冷たかった人魚Cの胸が脈打ち、パチッと目を大きく見開いた。
セイレーンは「あ……生きてる……!?」と呆然としていた。犯人の死亡と、人魚Cの奇跡的な復活により、名探偵エンザイムとメイキュウリは、「事件……解決……無念……」と残念そうにつぶやき、霧がはれるように薄れて消えていった。それは、助っ人として霊体が召喚されていた「あの子」も同じだった。セイレーン、人魚たち、そしてちいかわを一瞥すると、フーンと鼻を鳴らして消えていった。島二郎は、フタバの遺体の前にひざまずき、しずかに合掌する。
セイレーンは「あぁ……うそ……あの子が戻ってきた……」と大粒の涙を流しながら人魚Cを抱きしめる。そして元からいた二匹の人魚たちとともに、フタバの亡骸を抱えて泣き崩れるヒトハを見た。塩になった単三電池は形をうしない、そしてフタハの肉体もサラサラと灰になって崩れていった。
「もう……いいよ。行こう……」
セイレーンはどこか悲しげに呟くと、三匹の人魚を引き連れて、波止場から静かに青い海の中へと消えていった。
怪獣映画のような惨劇が去り、瓦礫の山となった村に訪れたのは、波の音と静寂だけ。
弔うべきフタバの肉体すら失い、泣き崩れていたヒトハ。
壊滅した村の瓦礫の中で、グレーの星“H”を見つめる。
「お願い……ッ! あの時に戻して……!!」
グレーの星は「ピカッ」と不気味に明滅する。
ヒトハの身体は足元から粒子となって消失し、セイレーンにも手が出せない過去の時間へと消えてった。真犯人であるフタバは死に、ヒトハも消失し、セイレーンと人魚たちも海へ帰ったことで、事件は解決した。
そして、ちいかわ達の前に、グレーの星“I”がフワフワと舞い降りてきた。
ハチワレたちは、このグレーの星の恐ろしい法則の真相に思い至る。
「あらかじめ自分の所有物をグレー星に渡しておくと、願いのガチャの引きが良くなるってコト!?」
ちいショボは手元に残されている最後の所有物……防具の丸盾を見つめた。これをグレー星に差し出せば、最高の引きで願いが叶う。ちいショボは胸の奥に秘めていた強い想いを胸に、丸盾をぎゅっと抱きしめた
(……この盾を渡して……古本屋さんと友達になれますようにって願えば……!)
それでも、ちいショボは崩壊した村を見渡し、さらに傷ついた村人達や、疲労困憊のちいかわ達、島二郎の荘厳な顔を、静かに見つめ直した。ちいショボは誇りである丸盾を、迷わず最後のグレーの星へ差し出した。
「この島から、グレーの星がぜんぶいなくなりますように……ッ!!」
丸盾をモグモグと噛み砕いたグレーの星は、どこか満足そうに「パチパチ」と瞬きをした。
そして夜空の一番高い場所を見上げた。
Bye-bye
テキストが夜空に大きく浮かぶ。すると、村落の井戸から、全ての色彩が合わさったような、名状しがたい灰色の塊が爆音とともに飛び出し、垂直上昇すると、グレー星達もそれを追うように一斉に飛び立った。彼等は上空で一つにまとまると、星々の彼方へと完全に消え去っていった。
静けさを取り戻した島。
愛剣も、丸盾も、すべて失ったちいショボ。
しかし、その顔に悔いはなかった。
ちいかわ、ハチワレ、ウサギ、ラッコ、シーサー、島二郎、そして古本屋さんもちいショボにかけより、健闘をたたえる。星に願うまでもなく、ちいショボの手には、あたたかな友達との絆がしっかりと残されていたのだった。
「はッ……!?」
ヒトハは荒い息を吐きながら、見慣れた自分の家のベッドで跳ね起きた。
手のひらを見つめる。グレー星に「過去に戻して!」と願ったあと、粒子となって消えたはずの自分の身体は、確かにそこにある。おそるおそる自分のお尻に手を伸ばすと……あったはずの単三電池とソケットの感触が消えている。
(戻った……! 本当に、事件の前に戻れたんだ……!!)
歓喜に胸を震わせ、ヒトハは隣のベッドへ目を向け……腰を抜かした。そこには、セイレーンの巨大な尾で叩きつけられ、全身を強く打ちつけて虫の息で横たわるフタバの姿があった。二人で小舟に乗って釣りに出て、セイレーンと人魚の遊びに声をかけてしまい、セイレーンの体当たりをくらった後だったのだ。
ヒトハは、フタバのお尻を確認した。単三電池は挿し込まれていない。フタバの胸は力無く上下し、今にも途切れそうな浅い呼吸を繰り返している。タイムリミットは、刻一刻と迫っていた。
ヒトハの脳裏に、怒涛の勢いで選択肢が駆け巡る。
村長や村人たちに相談する?
「フタバが死にそうなんだ! 助けてくれ!」と村に助けを求める道。しかし、島民の治療技術では、フタバの致命傷は治せない。人魚の肉という治癒の奇跡を知っているのは自分だけ。村人に話せば「セイレーン様に許しを乞おう」と日和られ、フタバを見殺しにされるかもしれない。
ではセイレーンに直接訴え出る?
「友達を助けるために、人魚の肉を少しだけ分けてほしい」と土下座して懇願する道。だが、あの誇り高く狂暴なセイレーンが、島民ひとりの命のために大切な人魚の肉を差し出すだろうか? 拒絶されれば、その場で殺されるリスクがある。そして自分が死んでしまえば、フタバはこのベッドの上で世話する者も看取る者もなく、冷たい身体となるだろう。
最後に遺された道は? 今度こそ完璧に人魚Cを捕え、煮付けにするのだ。あの惨劇の原因は、ヒトハが鱗という証拠を残してセイレーンにバレたから始まったのだ。人魚を撲殺したあと、そのまま担いでいったのが良くなかった。ヅダ袋に入れれば、鱗は落ちないはずだ。今度は誰にも気づかれず、完璧に人魚を仕留め、フタバに食べさせ、すぐに島を離れ、ちいかわ達が来た本土へ逃げる。フタバは助かり、セイレーンもまさか本土の内陸までは追ってこないだろう。
ベッドの上で、フタバが苦しげに「ひゅっ……」と息を漏らした。
ヒトハは震える手で、壁に立てかけられたビヨヨンをギュッと握りしめた。一度目の世界で、人魚Cの頭を叩き伏せたあの嫌な感触が手首に残っている。
(……ごめんね。……もう迷わないよ)
一度目の失敗で、自分は「手順」を知っている。人魚をすっぽり包めるヅダ袋を用意し、肩にかついだ。ヒトハの瞳から光が消え、静かな決意の暗闇が宿る。村長や村民への相談も、セイレーンへの懇願という手段も捨て去り、ヒトハはセイレーン達が満腹となり昼寝をしているはずの岬の洞窟を目指して、静かに家を出てゆくのだった。
事件は終わっていない。
ただ、最初の最初からやり直されるだけで。
(おわり)
読んでいただき、ありがとうございます。劇場版ちいかわ『人魚の島の秘密』の再解釈です。ヒトハとフタバが暗い海の底で檻に閉じ込められる展開を回避する道を、なんとか考えてみました。グレーの星は、ちいかわ「黒い流れ星」と、H.P.ラヴクラフト「宇宙からの色」のオマージュです。