『上杉家の天才双子の弟は、五つ子たちを見捨てない』 作:夜幻
「まずはこれをやれ」
風太郎は五人の前に問題集を置いた。
「……」
誰も手を伸ばさない。
「聞こえなかったか?」
「聞こえてるわよ」
二乃が答える。
「だったらやれ」
「嫌」
「即答かよ!」
「だって、なんでアタシたちがあんたの言うこと聞かなきゃいけないの?」
「家庭教師だからだ」
「それが何?」
「勉強を教えるために来てる」
「頼んでない」
二乃が腕を組む。
その横で一花はスマートフォンを眺め、四葉は窓の外を見ている。
五月は真面目に問題集を見ているが、鉛筆を握る気配はない。
三玖だけは――。
「……」
黙って風太郎を見ていた。
「お前もやれ、三玖」
「……嫌」
「全員かよ!」
風太郎が頭を抱えた。
その隣で、孝鷹は困ったように笑っていた。
「まあまあ、風太郎」
「お前は何か言え」
「言ってるよ」
「何を?」
「みんな、勉強したくないんじゃなくて――」
孝鷹は五人を見る。
「今のまま勉強したら、またできない自分を見ることになるのが嫌なんじゃないかな」
「……」
五人の表情が、ほんの少し変わった。
風太郎が眉を寄せる。
「何を根拠に」
「根拠っていうか……」
孝鷹は頭を掻いた。
「俺だったら嫌だから」
「お前とこいつらを一緒にするな」
「そういう意味じゃないって!」
孝鷹は笑う。
「できないことって、怖いだろ?」
誰も答えない。
「だからさ」
孝鷹は問題集を閉じた。
「今日は勉強しなくていい」
「……え?」
五月が驚く。
風太郎も振り返った。
「おい」
「最初から勉強を押しつけたって無理だよ」
「じゃあ何しに来た」
「話をしに来た」
孝鷹は五人の前に座った。
「俺、みんなのこともっと知りたい」
「……」
「好きなこととか、苦手なこととか」
四葉が手を挙げた。
「はい!」
「四葉!」
「運動が好きです!」
「知ってる!」
「勉強は苦手です!」
「それも知ってる!」
「でも頑張ります!」
「うん!」
四葉は満面の笑顔だった。
「じゃあ、次!」
孝鷹が手を挙げる。
「一花!」
「私?」
「好きなことは?」
一花は少し考えた。
「……演技」
「へえ!」
「……何?」
「いや、なんか一花らしいなって」
「そう?」
「うん」
一花は少しだけ嬉しそうに笑った。
「じゃあ、二乃!」
「アタシ?」
「好きなこと!」
「……料理」
「おお!」
「あと服」
「なるほど!」
二乃は少し驚いた顔をする。
「……何よ」
「ちゃんと教えてくれるんだなって」
「別に。答えただけよ」
「それでも嬉しい!」
「……変な奴」
二乃は目を逸らした。
「三玖!」
「……歴史」
「やっぱり!」
孝鷹が嬉しそうに笑う。
「どの時代?」
「戦国」
「誰が好き?」
「……黒田官兵衛」
「俺も!」
「……!」
三玖の目が見開かれた。
「本当に?」
「本当!」
孝鷹は身を乗り出す。
「黒田如水、最高だよな!」
「……うん」
三玖の声が少しだけ明るくなった。
「官兵衛は、戦うだけじゃなくて……」
「人の心を見るのが上手いんだよな!」
「……そう」
「必要なら敵すら味方にする」
「……孝鷹」
「ん?」
「……話、合うね」
「だろ?」
三玖はほんの少しだけ笑った。
風太郎はその様子を見ていた。
「……俺のときと全然違うな」
「風太郎も好きなもの聞けばいいじゃん」
「必要ない」
「そういうところだよ」
「うるせぇ」
最後に五月。
「五月は?」
「私は……」
五月は少し考えた。
「……勉強です」
「本当に?」
「はい」
「食べることじゃなくて?」
「……!」
五月の顔が赤くなる。
「な、なぜ知っているのですか!」
「京都のときからそうだったじゃん」
「……!」
五月が固まった。
「覚えて……」
「覚えてるよ」
孝鷹は笑った。
「お腹空いたって泣いてたもんな」
「わぁぁぁ!」
五月が顔を両手で覆う。
「それは忘れてください!」
「無理!」
「なぜです!」
「だって可愛かったし!」
「……っ!」
五月の顔が真っ赤になる。
二乃が吹き出した。
「ちょっと五月、真っ赤じゃない」
「二乃!」
一花も笑う。
「懐かしいね」
「笑わないでください!」
四葉は楽しそうに笑っている。
三玖はそんな五月を見ながら、ふっと笑った。
その光景を見て。
風太郎は黙った。
孝鷹は、勉強を一問も解かせていない。
それなのに。
五人はさっきよりずっと自然に会話している。
「……なるほどな」
「風太郎?」
「いや」
風太郎は問題集を見た。
「お前のやり方も、少しは使えるかもしれない」
孝鷹が目を輝かせる。
「本当か!?」
「ああ。ただし――」
風太郎は五人を見る。
「勉強はするぞ」
「えー!」
四葉が声を上げる。
「当然だ」
「風太郎、急に先生っぽくなるなぁ」
「お前が甘すぎるんだよ」
風太郎は一冊のノートを取り出した。
「まず、それぞれの得意不得意を確認する」
「いいね!」
孝鷹が頷く。
「じゃあ、五人とも一問だけやってみよう」
「一問?」
二乃が聞く。
「うん。一問だけ」
孝鷹は笑う。
「解けなくても怒らない」
「……」
「分からなくても恥ずかしくない」
「……」
「できたら、一緒に喜ぼう」
四葉が手を伸ばした。
「じゃあ、やります!」
「私も」
一花が続く。
「……やる」
三玖もノートを開く。
五月も小さく頷いた。
そして――。
二乃が最後にため息をついた。
「……一問だけよ」
「よし!」
孝鷹が拳を握る。
「全員参加!」
「うるさい」
「でも嬉しい!」
「はいはい」
二乃は問題を見た。
五人の鉛筆が、初めて同時に動き始める。
カリ……。
カリカリ……。
静かな音が部屋に響く。
やがて。
「……できた」
三玖が顔を上げた。
「おお!」
「……簡単だった」
「すごいじゃん!」
「歴史だから」
「それでもだよ!」
三玖は少し照れた。
そして。
「……次も、やってみてもいい」
孝鷹が笑う。
「もちろん!」
風太郎はその様子を見ながら、静かに頷いた。
五人の心は、まだ完全には開いていない。
けれど。
閉ざされた扉に――。
ほんの少しだけ、隙間ができた。
その隙間から差し込んだのは。
厳しさでも、命令でもない。
「一緒にやろう」
そんな、ごく当たり前の言葉だった。