『上杉家の天才双子の弟は、五つ子たちを見捨てない』 作:夜幻
「……違う」
カリッ。
「……違う」
カリッ。
「……また違う!」
風太郎の声が、静かな部屋に響いた。
「お前ら、何回同じところを間違えるつもりだ!」
「だって分からないんだもん!」
四葉が机に突っ伏す。
「私はもう頭がパンクしました!」
「お前は最初から詰まってるだろ」
「ひどいです!」
「事実だ」
「風太郎君、四葉ちゃんに厳しすぎない?」
一花が苦笑する。
「厳しいも何も、こいつらには時間がないんだ」
風太郎は五人の答案を机に並べた。
「テストまで、そう長くない」
「……」
五人の表情が一斉に曇った。
昨日までは、一問できただけでも嬉しかった。
けれど。
現実には、まだまだ解けない問題の方が多い。
二乃が答案を眺めながら呟いた。
「……やっぱり無理なんじゃない?」
「二乃?」
「一問くらい解けたからって、急に頭が良くなるわけじゃないもの」
「……」
二乃は鉛筆を置いた。
「私たち、ずっとこうだったじゃない」
その言葉に、部屋の空気が重くなる。
三玖も俯いた。
五月も唇を結ぶ。
一花は笑顔を消した。
四葉だけが、困ったように五人を見回している。
風太郎は眉をひそめた。
「だから勉強するんだろ」
「それができないから言ってるのよ!」
二乃が声を荒らげた。
「簡単に言わないで!」
「……」
「できない人間に、できるようになれって言うだけなら誰でもできる!」
二乃の声が震えていた。
風太郎は黙る。
その隣で。
孝鷹も、すぐには口を挟まなかった。
ただ、二乃の顔を見ていた。
怒っている。
でも。
本当に怒っているわけじゃない。
怖いのだ。
また失敗することが。
「……二乃」
孝鷹が静かに呼んだ。
「なによ」
「今、怖い?」
「……」
二乃が目を見開く。
「失敗するのが怖い?」
「……」
返事はない。
でも、それが答えだった。
孝鷹は笑った。
「そっか」
「……何よ」
「じゃあ、今日は失敗していい日にしよう」
「は?」
「今日だけじゃないけど」
孝鷹は五人全員を見る。
「間違えてもいい」
「……」
「分からなくてもいい」
「……」
「途中で嫌になってもいい」
「……」
そして。
「でも、そこで終わりにはしない」
孝鷹の声には、優しさがあった。
けれど、芯もあった。
「一回間違えたくらいで、俺はみんなを見捨てないよ」
五人が黙った。
その言葉は。
五人の胸に、まっすぐ届いた。
「……」
三玖が小さく呟く。
「……ずるい」
「え?」
「そういうこと言われたら……頑張るしかない」
孝鷹は笑った。
「それでいい」
「……孝鷹」
「ん?」
「……本当に、見捨てない?」
「もちろん」
三玖は少しだけ目を伏せた。
「……なら、やる」
その横で、二乃が鼻を鳴らす。
「……私だって」
「二乃?」
「一回だけよ」
「何が?」
「今日だけは、あんたの言うこと聞いてあげる」
「ありがとう!」
「だから、その笑顔やめなさい!」
「ええっ!?」
孝鷹が大げさに驚く。
一花が吹き出した。
「ふふっ」
「一花まで!」
「だって、孝鷹くん面白いんだもん」
「面白いって褒め言葉?」
「もちろん」
「じゃあ嬉しい!」
「本当に単純ね」
二乃が呆れたように笑った。
その空気を見て、風太郎が腕を組む。
「……なるほどな」
「兄さん?」
「お前のやり方が、少し分かった」
風太郎は五人の答案を一枚ずつ取り上げた。
「こいつらは、全員同じやり方じゃ駄目なんだな」
「うん」
「四葉は計算手順」
「はい!」
「一花は単語」
「そうそう」
「二乃は……」
風太郎が二乃を見る。
「失敗への恐怖」
「……」
「三玖は歴史以外の興味の作り方」
「……そう」
「五月は正確性」
「はい」
風太郎はしばらく考えた。
そして問題集を閉じた。
「なら、全員別々にやる」
「え?」
孝鷹が驚く。
「個別指導だ」
風太郎は五人を指差す。
「お前ら五人は同じ顔をしていても、得意不得意も性格も違う」
「……」
「なら、教え方を変えるしかない」
孝鷹は嬉しそうに笑った。
「兄さん」
「なんだ」
「やっぱり兄さん、優しいね」
「……どこがだ」
「今の」
「普通だ」
「いやいや」
孝鷹が肩を叩く。
「ちゃんとみんなのこと見てるじゃん」
「……」
風太郎は顔を逸らした。
「うるさい」
「照れてる?」
「照れてない」
「絶対照れてる」
「うるさい!」
そのやり取りを見て。
五人が笑った。
さっきまで重かった空気が、少しだけ軽くなる。
「じゃあ、始めよう」
孝鷹が言った。
「まず四葉」
「はい!」
「この問題、もう一度」
「分かりました!」
四葉は鉛筆を握る。
今度は、途中で止まらなかった。
「……あ」
「どうした?」
「ここ、昨日教えてもらったところです!」
「そう!」
「えっと……こうして……」
カリカリ。
「……できました!」
四葉が顔を上げる。
「正解」
「やったぁ!」
両手を上げる。
「できた!」
孝鷹も拳を握った。
「よし!」
二人でハイタッチ。
パァン!
「次!」
一花が手を挙げた。
「お姉さんも」
「もちろん」
英単語。
五個。
一花は紙に書いていく。
「……これと」
「うん」
「これ」
「正解」
「やった」
一花が笑う。
「なんだ。五個なら案外いけるじゃん」
「でしょ?」
「じゃあ、もう五個」
「え?」
「嫌?」
「……」
一花は少し考えて。
「やる」
「よし!」
二乃も黙って問題を解いている。
一問。
二問。
三問。
途中で間違える。
「……っ」
二乃が眉を寄せた。
孝鷹がすぐに声をかける。
「大丈夫」
「……分かってる」
「怒ってないよ」
「……うん」
二乃はもう一度解き直した。
「……できた」
「正解」
「……ふん」
けれど。
その口元は少し笑っていた。
三玖は歴史問題を終えると、孝鷹が作った英語の例文を見る。
「この単語を、戦国時代の話に置き換えてみよう」
「……例えば?」
「『strategy』なら『軍師の戦略』」
「……!」
三玖の目が輝く。
「なるほど」
「覚えやすい?」
「うん」
三玖はノートに書き込む。
「strategy……戦略……」
「いい感じ」
「……孝鷹」
「ん?」
「これなら、他の英単語も覚えられるかもしれない」
「でしょ?」
三玖は小さく笑った。
そして五月。
「五月は、解いた後に必ず一回見直そう」
「分かりました」
「正解しても?」
「正解しているかどうかを確認するためです」
「なるほど」
五月は真剣に頷いた。
「……孝鷹君」
「なに?」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「その……」
五月は少しだけ恥ずかしそうに目を逸らす。
「私、今まで勉強は一人でするものだと思っていました」
「うん」
「でも……誰かと一緒にするのも、悪くありませんね」
孝鷹は笑った。
「そうだね」
そして。
再び部屋に鉛筆の音が響き始めた。
カリカリ。
カリカリ。
カリカリ。
五人全員が。
自分の問題に向き合っている。
風太郎はそんな五人を眺めながら、ふと呟いた。
「……これなら」
孝鷹が振り返る。
「ん?」
「テストまでに、少なくとも今よりは上げられる」
「うん」
「ただし」
風太郎は五人を見る。
「本人たちがやれば、だ」
孝鷹は大きく頷いた。
「もちろん」
五人はまだ、勉強が好きになったわけじゃない。
まだ、問題集を開けば嫌な顔もする。
それでも。
昨日までとは違った。
「分からない」
その言葉の後に。
「教えて」
が続くようになった。
そして。
五人の勉強は、ようやく本当の意味で始まった。
「よし!」
孝鷹が笑う。
「次の問題、いこう!」
「はい!」
四葉が元気よく答える。
「分かった」
三玖が続く。
「……まあ、やってあげる」
二乃が言う。
「五個ならね」
一花が笑う。
「見直しもします」
五月が頷く。
その五人を見ながら。
風太郎は静かに問題集を開いた。
「……絶対に合格させる」
その声は。
今までより、少しだけ優しかった。