『上杉家の天才双子の弟は、五つ子たちを見捨てない』 作:夜幻
「よし。今日は昨日の復習からだ」
風太郎が問題集を開く。
「昨日やったところ、覚えているか確認する」
「えー……いきなりですか?」
四葉が机に突っ伏した。
「いきなりじゃない。昨日やったことだ」
「でも昨日は昨日ですよ!」
「勉強に昨日も今日もあるか」
「あります!」
「ない」
「あります!」
「ない」
「あります!」
「……うるさいぞ、お前ら」
一花が笑いながら二人の間に入った。
「まあまあ。朝から元気だね」
その向かいでは、二乃が問題集を開きながら小さくため息をついている。
「……まったく」
「二乃、どうした?」
孝鷹が尋ねる。
「別に」
「疲れてる?」
「疲れてない」
「眠い?」
「眠くない」
「お腹空いた?」
「……少し」
「やっぱり」
「何よ」
孝鷹が笑う。
「昨日、夜遅くまで勉強してたんじゃない?」
「……」
二乃が目を逸らした。
「ちょっとだけよ」
「そっか」
孝鷹は責めなかった。
「じゃあ、今日は無理しすぎないようにしよう」
「……」
二乃は少しだけ孝鷹を見る。
「そういうところよ」
「ん?」
「……なんでもない」
二乃は問題集に視線を戻した。
「さっさと始めるわよ」
「うん!」
孝鷹が笑う。
その隣では、三玖が黙々と昨日の問題を解いていた。
カリカリ。
カリカリ。
一問。
二問。
三問。
「……」
三玖の手が止まった。
「ここ、分からない」
「どれ?」
孝鷹が隣から覗き込む。
「英語」
「なるほど」
三玖は眉を寄せる。
「歴史なら分かるのに」
「それは三玖が歴史を好きだからだよ」
「……好きなものなら、覚えられる」
「だったら」
孝鷹は三玖のノートを指差した。
「英語にも三玖が好きなものを入れよう」
「……どうやって?」
「例えば、この文章」
孝鷹は問題文の一部を指で示した。
「『strategy』って単語があるでしょ?」
「……戦略」
「そう」
孝鷹は笑った。
「黒田如水の得意分野だね」
三玖の目が少し輝く。
「……如水」
「うん」
「如水なら、この状況だったらどう動くと思う?」
「……」
三玖は問題文を読み直す。
「相手の動きを見て……」
「うん」
「最も少ない手で、目的を達成する」
「そう!」
三玖がノートに書く。
strategy――戦略。
「……覚えた」
「早い!」
「好きだから」
「やっぱり、好きなものは強いね」
三玖は小さく笑った。
「……孝鷹は、私の好きなものを馬鹿にしないね」
「どうして?」
「普通は……歴史なんて古いって言われる」
「そんなこと言う人いるの?」
「……いる」
三玖の声が少しだけ小さくなる。
「でも、孝鷹は違う」
「だって、面白いじゃん」
「……うん」
三玖は静かに頷いた。
「孝鷹と話してると……自分の好きなものを、好きなままでいていい気がする」
「もちろんだよ」
その言葉に。
三玖の指が止まった。
「……」
胸の奥が、ほんの少しだけ熱くなる。
けれど三玖自身は、その感情にまだ名前をつけられなかった。
「……もう一問」
「お?」
「やる」
「よし!」
孝鷹が嬉しそうに笑う。
その様子を、二乃が横目で見ていた。
「……」
三玖と孝鷹。
楽しそうに話している。
二乃は何故か、少しだけ面白くなかった。
「……ふん」
「二乃?」
「何でもないって言ってるでしょ」
「まだ何も聞いてないよ?」
「顔に出てたから」
「何が?」
「……知らない!」
二乃はそっぽを向いた。
孝鷹は首を傾げる。
「変なの」
「……本当に鈍いんだから」
二乃が小さく呟く。
その隣で。
「二乃」
五月が声をかけた。
「何?」
「先ほどから、孝鷹君を見ていますよね?」
「見てないわよ!」
「でも――」
「見てない!」
「そうですか……?」
五月は首を傾げた。
二乃は顔を赤くする。
「……あんたも人のこと言えないでしょ」
「え?」
「さっきから孝鷹の説明、ずっと真面目な顔で聞いてるじゃない」
「それは勉強ですから」
「へぇ?」
「何ですか、その顔は」
「別に」
二乃がニヤリと笑う。
「五月も、孝鷹のこと気に入ってるんじゃない?」
「なっ……!」
五月の顔が一気に赤くなる。
「ち、違います!」
「何が違うの?」
「私はただ――」
「ただ?」
「……優しい方だと思っているだけです」
「ふーん」
二乃は笑う。
「それを世間では――」
「二乃!」
五月が慌てて遮った。
その声に。
「何話してるの?」
孝鷹が振り返った。
「な、何でもありません!」
五月が答える。
「そっか」
孝鷹は不思議そうな顔をした。
「なら、勉強に戻ろう」
「はい!」
五月はすぐに問題集へ戻った。
けれど。
心臓が妙に速い。
五月は胸元を押さえた。
「……どうしてでしょう」
小さく呟く。
京都で出会った、あの日。
自分の不器用さを笑わず。
食べることが好きなのも受け入れて。
何度も優しく声をかけてくれた少年。
その人が今。
目の前にいる。
「……孝鷹君」
名前を口にしただけで。
胸がまた、少しだけ熱くなる。
一方。
風太郎は五人の様子を眺めていた。
「……」
「兄さん?」
孝鷹が気づく。
「どうしたの?」
「いや」
風太郎は五人の答案を見ながら言った。
「少し変わったなと思ってな」
「何が?」
「お前らだ」
風太郎は四葉を見る。
「四葉は、分からない問題をすぐ聞くようになった」
「はい!」
次に一花。
「一花は、単語を覚える量が増えた」
「まあね」
そして二乃。
「二乃は、間違えても問題集を閉じなくなった」
「……」
二乃は少し驚いた顔をする。
「三玖は歴史以外にも手を出し始めた」
「……うん」
最後に五月。
「五月は、見直しをするようになった」
「はい」
風太郎は腕を組む。
「まだ赤点を取る可能性は十分ある」
「そこは言わなくてもいいんじゃない?」
一花が笑う。
「だが」
風太郎は続けた。
「昨日までとは違う」
五人が黙る。
「勉強から逃げなくなった」
その言葉に。
孝鷹が笑った。
「それが一番大事だよ」
風太郎も頷く。
「……ああ」
そして。
「だから、ここからはもっと厳しくする」
「え?」
五人の声が重なった。
「ちょっと待って!」
二乃が立ち上がる。
「話が違うじゃない!」
「何がだ」
「今いい感じだったじゃない!」
「いい感じだから次に進むんだ」
「鬼!」
「家庭教師だ」
「鬼家庭教師!」
四葉も便乗する。
「私も反対です!」
「お前は黙って問題を解け」
「ひどい!」
部屋に笑い声が響いた。
孝鷹も笑う。
けれど、その目は真剣だった。
テストは近い。
ここからは。
「楽しい」だけでは乗り越えられない。
「みんな」
孝鷹が五人を見る。
「ここから、少しだけ頑張ろう」
「……」
「俺も風太郎も、最後まで付き合うから」
三玖が顔を上げる。
「……最後まで?」
「うん」
「テストが終わっても?」
「もちろん」
三玖の胸が、また少しだけ高鳴った。
二乃も黙って孝鷹を見る。
五月も。
三人の視線が。
それぞれ違う感情を抱えながら、同じ一人へ向けられていた。
孝鷹は気づかない。
ただ、いつものように笑っている。
「よし!」
拳を握る。
「次の問題!」
「……分かった」
三玖が鉛筆を握る。
「やるわよ」
二乃も問題集を開く。
「はい!」
五月も背筋を伸ばした。
その姿を見て。
風太郎は小さく息を吐く。
「……本当に、変わったな」
五人はまだ、完全に心を開いたわけではない。
テストだって、これからだ。
それでも。
机に向かう理由は、少しずつ変わり始めていた。
「できるようになりたい」
その気持ちと。
「この人と一緒に頑張りたい」
という、まだ名前のない気持ち。
五人の物語は。
少しずつ、次の段階へ進んでいた。