『上杉家の天才双子の弟は、五つ子たちを見捨てない』   作:夜幻

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第7話 弓を引く、その瞬間

 テストまで、あと三日。

 

「よし。今日はここまでにする」

 

 上杉家のリビングに、風太郎の声が響いた。

 

 机の上には参考書と問題集。

 五人分のノートには、以前とは比べ物にならないほど多くの書き込みがある。

 

「えっ、もう終わりですか?」

 

 五月が顔を上げる。

 

「終わりだ。むしろ、ここから先まで詰め込んだら効率が落ちる」

 

「さすが風太郎君。珍しくまともなこと言うね」

 

「珍しくは余計だ、一花」

 

 風太郎が眉間に皺を寄せる。

 

 その横で、孝鷹は大きく伸びをした。

 

「ふぁ~……!」

 

「孝鷹、眠いの?」

 

「ちょっとだけ。でも、それ以上に身体を動かしたい!」

 

 そう言った瞬間だった。

 

 孝鷹のスマートフォンが震える。

 

「あ、部長からだ」

 

「部活か?」

 

「うん。明日、練習試合なんだ」

 

 その言葉に、四葉が勢いよく立ち上がった。

 

「練習試合ですか!?」

 

「うん。弓道部の」

 

「見たいです!」

 

 即答だった。

 

「四葉、食いつくの早すぎ」

 

 二乃が呆れたように言う。

 

「だって孝鷹さん、弓道部のエースなんですよね! 一度見てみたいです!」

 

「まあ、俺としては見られるの恥ずかしいけどね」

 

「嘘つけ」

 

 風太郎が即座に突っ込んだ。

 

「お前、褒められるとすぐ調子に乗るだろ」

 

「そんなことないって!」

 

「昨日、俺が『今回の教え方は悪くなかった』って言ったら、三十分くらいニヤニヤしてただろ」

 

「だって兄に褒められるの嬉しいじゃん!」

 

「そこを否定しろ!」

 

 リビングに笑い声が広がる。

 

 その様子を見ていた五人も、自然と表情を緩めていた。

 

「……でも」

 

 五月が小さく手を上げる。

 

「勉強の息抜きになるのでしたら、私も見てみたいです」

 

「五月まで?」

 

 二乃が少し意外そうに振り返る。

 

「はい。ずっと机に向かっているだけでは、かえって疲れてしまいますから」

 

「それなら私も行く!」

 

 一花が手を挙げる。

 

「お姉さん、弟くんの勇姿を見届けちゃおうかな」

 

「私も行きます!」

 

 四葉が元気よく続く。

 

「……私も」

 

 最後に三玖が呟いた。

 

 全員の視線が三玖へ集まる。

 

「……なに?」

 

「いや、三玖も来るんだなって」

 

「……孝鷹の弓道、見たいから」

 

 そう言って、三玖はそっと視線を逸らした。

 

 その耳が、ほんの少しだけ赤くなっている。

 

「じゃあ決まりだね!」

 

 孝鷹が笑った。

 

「明日はみんなで応援してよ!」

 

「任せてください!」

 

「まあ、暇つぶしにはなるわね」

 

「ふふっ。楽しみだね」

 

「……うん」

 

 五人それぞれの返事が重なった。

 

 風太郎だけが、ため息をつく。

 

「……お前ら、テストのこと忘れてないだろうな?」

 

「もちろんです!」

 

「本当に?」

 

「もちろんです!」

 

「四葉、お前は特に怪しい」

 

「ええっ!?」

 

 また笑い声が起きた。

 

 翌日。

 

 学校の弓道場。

 

 孝鷹は弓道着に着替えながら、いつものように笑っていた。

 

「いやー、今日はちょっと緊張するなぁ」

 

「孝鷹さんでも緊張するんですか?」

 

 四葉が目を丸くする。

 

「そりゃするよ。俺だって普通の人間だからね」

 

「……でも」

 

 五月が孝鷹を見る。

 

「昨日、風太郎君が『孝鷹は試合になると別人みたいになる』と言っていました」

 

「風太郎が?」

 

「余計なこと言いやがって」

 

 後ろから風太郎が現れた。

 

「実際そうだろ」

 

「そうかな?」

 

「そうだ」

 

 風太郎は腕を組む。

 

「普段はあんなに騒がしいくせに、弓を持った途端に周りが見えなくなる」

 

「いやいや、ちゃんと見えてるよ?」

 

「そういう意味じゃねぇ」

 

 風太郎が呆れたように言う。

 

「集中力が異常なんだよ」

 

「へぇ……」

 

 二乃が興味深そうに孝鷹を見る。

 

「それはちょっと見てみたいかも」

 

「二乃まで?」

 

「何よ」

 

「いや、珍しいなって」

 

「……別に。ちょっと興味があるだけよ」

 

 そう言いながら、二乃は孝鷹から目を逸らさない。

 

 少し離れた場所では、三玖が静かに弓を眺めていた。

 

「……黒田如水も、弓を使ったのかな」

 

「そこ?」

 

 一花が苦笑する。

 

「三玖らしいけど」

 

「……戦国時代の武将が使った武器は気になる」

 

「なるほど」

 

 孝鷹は笑った。

 

「じゃあ今日の俺は、黒田如水の代わりに頑張るよ」

 

「……うん」

 

 三玖は小さく頷いた。

 

 やがて、試合が始まった。

 

 観客席から、射場を見る。

 

 孝鷹が立っている。

 

「……あ」

 

 五月が声を漏らした。

 

 さっきまで笑っていた孝鷹が、静かに目を閉じている。

 

 呼吸を整える。

 

 一歩。

 

 また一歩。

 

 弓を構える。

 

 その瞬間。

 

 表情が変わった。

 

「……」

 

 いつもの明るい笑顔は消えている。

 

 けれど、冷たいわけではない。

 

 ただ、目の前の一本に全神経を集中させている。

 

 二乃は、思わず息を止めた。

 

「……何よ、あれ」

 

「二乃?」

 

「……反則じゃない?」

 

 一花が首を傾げる。

 

「何が?」

 

「普段あんなにニコニコしてるくせに……」

 

 二乃は頬杖をついた。

 

「弓を持ったら、急にあんな顔するなんて……」

 

「ふふっ」

 

 一花が小さく笑う。

 

「二乃、顔赤いよ?」

 

「赤くない!」

 

「赤いよ」

 

「うるさい!」

 

 その横では、三玖も孝鷹から目を離せずにいた。

 

「……綺麗」

 

「三玖?」

 

「弓を引く動き」

 

 三玖は小さく呟く。

 

「無駄がない。力任せじゃなくて……全部、必要なところだけ動いてる」

 

「へぇ」

 

「……孝鷹らしい」

 

 そして五月は、じっと孝鷹を見つめていた。

 

 弓を引く。

 

 狙いを定める。

 

 静寂。

 

 次の瞬間――。

 

 放たれた矢が、的の中心へ吸い込まれた。

 

「……!」

 

 四葉が立ち上がった。

 

「すごいです!」

 

「四葉、座って」

 

「あっ、すみません!」

 

 周囲から小さな拍手が起こる。

 

 孝鷹は一度だけ息を吐いた。

 

 そして、次の矢を番える。

 

 二射目。

 

 三射目。

 

 一本、また一本。

 

 矢が的を捉えていく。

 

「……本当に上手いんだ」

 

 一花が感心する。

 

「ただ上手いだけじゃないですね」

 

 五月が続けた。

 

「毎回、同じように見えて……微妙に違う」

 

「へえ。五月、よく見てるじゃない」

 

 二乃が言う。

 

「はい。孝鷹君は、毎回自分の状態を確認しているんだと思います」

 

 五月は真剣だった。

 

「風の強さや、自分の呼吸。姿勢。そういうものを全部考えて……それでも最後は、自分を信じて放っている」

 

「……五月」

 

「はい?」

 

「なんか、すごく詳しくなってない?」

 

「えっ?」

 

 五月が固まる。

 

「い、いえ! 別に私は……!」

 

「ふふ」

 

 一花が笑う。

 

「五月も孝鷹のこと、よく見てるんだね」

 

「そ、そういう意味ではありません!」

 

 慌てる五月。

 

 その様子を見ながら、二乃は小さく笑った。

 

「……まあ、分からなくもないけど」

 

「二乃まで!?」

 

「だって……」

 

 二乃は再び射場を見る。

 

「……あれは、ずるいでしょ」

 

 その視線の先で。

 

 孝鷹は最後の一本を放っていた。

 

 的の中心。

 

 静かに矢が刺さる。

 

 試合終了の合図。

 

 孝鷹が深く礼をした。

 

 そして――。

 

「よっしゃあああっ!」

 

 突然、両手を上げて笑顔になった。

 

「勝ったぁ!」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 五人が一斉に沈黙する。

 

 さっきまでの凛とした空気が、一瞬で消えた。

 

「……戻った」

 

 一花が呟いた。

 

「いつもの孝鷹さんです!」

 

 四葉が笑う。

 

「なんだよ、その言い方!」

 

 孝鷹が笑いながら近づいてくる。

 

「いやー、緊張した!」

 

「全然そう見えなかったけど」

 

 二乃が言う。

 

「本当? 手、めちゃくちゃ震えてたんだよ」

 

「嘘」

 

「本当だって!」

 

 孝鷹は両手を広げる。

 

「ほら!」

 

「……分からないわよ」

 

 二乃がその手を見る。

 

「でも……」

 

「ん?」

 

「……かっこよかった」

 

「え?」

 

 二乃は一瞬固まった。

 

「……な、なんでもない!」

 

「今、かっこいいって――」

 

「聞き間違いよ!」

 

 二乃は顔を真っ赤にして背を向けた。

 

「二乃?」

 

「近寄らないで!」

 

「なんで!?」

 

 孝鷹が困ったように笑う。

 

 三玖はその様子を見て、小さく笑った。

 

「……二乃、素直じゃない」

 

「三玖!」

 

「でも」

 

 三玖は孝鷹を見る。

 

「……本当に、かっこよかったよ」

 

「三玖まで!?」

 

 今度は孝鷹の顔が赤くなる。

 

「ありがとう!」

 

 嬉しそうに笑う。

 

「いやー、頑張ってよかった!」

 

 その笑顔を見て、三玖は少しだけ目を細めた。

 

 ――やっぱり。

 

 昔から変わらない。

 

 自分たちが何かを頑張ったとき。

 

 孝鷹は、いつも嬉しそうに笑ってくれる。

 

 それが、三玖には嬉しかった。

 

「孝鷹君」

 

 五月が声をかける。

 

「ん?」

 

「これ……」

 

 五月が差し出したのは、タオルだった。

 

「汗、かいていますから」

 

「ありがとう!」

 

 孝鷹は素直に受け取った。

 

「助かるよ、五月」

 

「……はい」

 

 五月の胸が、小さく跳ねる。

 

「それと、水もあります」

 

「本当に?」

 

「はい」

 

「ありがとう!」

 

 孝鷹が嬉しそうに受け取る。

 

「やっぱり運動した後の水って美味しいなぁ!」

 

「……ふふ」

 

 五月は思わず笑った。

 

「何?」

 

「いえ……孝鷹君は、昔から変わらないなと思って」

 

「そうかな?」

 

「はい」

 

 五月は、昔の京都を思い出す。

 

 困っていた自分に笑いかけてくれた男の子。

 

 何も否定せずに、話を聞いてくれた男の子。

 

 そして今も。

 

 こうして笑っている。

 

「……これからも」

 

「ん?」

 

「頑張ってくださいね」

 

「もちろん!」

 

 孝鷹は胸を張った。

 

「でも、その前に!」

 

 ぐうううう……。

 

「……」

 

 全員が孝鷹を見る。

 

「お腹空いた」

 

「……ふふっ」

 

 一花が吹き出した。

 

「台無しだよ、孝鷹」

 

「だって弓道って結構お腹減るんだよ!」

 

「……仕方ないですね」

 

 五月が鞄を持ち直す。

 

「でしたら、何か食べに行きませんか?」

 

「いいの!?」

 

「私も行きたいです!」

 

「私も!」

 

「……私も」

 

「まあ、いいんじゃない?」

 

 二乃も頷いた。

 

 風太郎は呆れたようにため息をつく。

 

「お前ら、明後日テストだからな」

 

「分かってるよ」

 

 孝鷹は笑った。

 

「今日はちゃんと息抜き。帰ったら勉強!」

 

「本当だな?」

 

「本当!」

 

 そして孝鷹は、五人を見る。

 

「次は、みんなの番だよ」

 

「……?」

 

「テスト」

 

 孝鷹は拳を握った。

 

「今度は五人が、頑張った成果を見せる番!」

 

 四葉が笑顔になる。

 

「はい!」

 

 五月も頷く。

 

「……分かりました」

 

 二乃は少しだけ目を逸らして。

 

「……まあ、やってあげるわよ」

 

 三玖は静かに。

 

「……うん」

 

 一花も笑う。

 

「じゃあ、頑張ろっか」

 

 風太郎は五人を見渡した。

 

 以前とは違う。

 

 誰も「勉強なんて嫌」と言わない。

 

 誰も逃げようとしない。

 

 まだ完璧ではない。

 

 それでも――。

 

 五人は、自分たちの足で前へ進み始めている。

 

「よし」

 

 風太郎が問題集を抱え直す。

 

「明日から総仕上げだ」

 

「ええっ!?」

 

「休みは今日だけだ」

 

「風太郎君、鬼!」

 

「うるせぇ!」

 

 その横で、孝鷹は声を上げて笑った。

 

 ――テストまで、あと二日。

 

 五人の努力が、いよいよ試される。

 

 

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