1億年後の世界はほぼ異世界   作:池ポチャ

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第10話です。

極星凍剣術は、刀也が考えただけの武術だった。

では。

「梔子刀也本人にしか使えない」という設定で作った武術は、一億年後どうなっているのか。

本人としては、できれば永遠に確かめたくありませんでした。


俺専用の黒歴史、本当に使えるんだけど

 

「無為刀剣術式とは何だ」

 

 朝食の席でハクア・シラサギにそう尋ねられた瞬間、梔子刀也は粥を盛大に喉へ詰まらせた。

 

「げほっ、ごほっ……!」

 

「師父」

 

「だ、大丈夫……水……」

 

 差し出された水を受け取り、一口飲む。

 

 ようやく呼吸が整ったところで、刀也は恨めしそうにハクアを見た。

 

「食事中に不意打ちやめてくれる?」

 

「すまない」

 

「あと無為刀剣術式のことは忘れて」

 

「無理だ」

 

「即答かよ」

 

 ハクアは真剣だった。

 

 刀也としては、彼女が極星凍剣術を語る時と同じ目をしていることが何より怖い。

 

「昨夜、師父は『自分だけしか使えない』と言っていた」

 

「聞かなかったことにして」

 

「さらに『万物は刃たり得る』とも」

 

「そこまで聞いてたの!?」

 

「耳がいいので」

 

「知ってるよ!」

 

 十里離れた獣の呼吸まで拾えると言っていた女である。

 

 壁一枚隔てた刀也の独り言など、聞こうと思わなくても聞こえたのだろう。

 

「……あれは昔の遊びだから」

 

「極星凍剣術もそう言っていた」

 

「その返し強すぎない?」

 

 事実なので反論しづらい。

 

 刀也は匙を置いた。

 

「分かった。説明だけな。説明したら、この話はいったん終わり」

 

「聞こう」

 

 ハクアが僅かに身を乗り出す。

 

 露骨ではないが、楽しみにしている。

 

「まず大前提として、無為刀剣術式は極星凍剣術とは全然違う」

 

「流派が異なる?」

 

「そもそも流派じゃない。弟子を取ることも、誰かに教えることも想定してなかった」

 

「では、なぜ作った」

 

「…………」

 

 刀也は目を逸らした。

 

「笑わない?」

 

「笑わない」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

「自分を主人公にしたかったから」

 

「…………」

 

「何か言って」

 

「何を言えばよい」

 

「無言が一番辛い!」

 

 十四歳の頃。

 

 刀也は色々な設定を考えていた。

 

 極星凍剣術。

 

 アカシック・オーダー。

 

 妖魔。

 

 異能力。

 

 架空の古代文明。

 

 最初は純粋に世界観を作ることが楽しかった。

 

 だが設定が増えてくれば、当然のように次の疑問が生まれる。

 

 では、その世界に自分がいたらどうなるのか。

 

 そして十四歳男子が出した答えは単純だった。

 

 どうせなら自分専用の最強能力を作ろう。

 

「……思い出すだけで胃が痛い」

 

「続けてくれ」

 

「ハクア、ちょっと楽しんでない?」

 

「興味深い」

 

「否定しないんだ」

 

 刀也は諦めて続ける。

 

「当時の設定だと、世界には色んな力がある。魔力とか霊力とか気とか、超能力みたいなのとか」

 

「今の世界と似ている」

 

「そこが一番怖いんだよ」

 

 昨日の健康診断で、自分には霊素も魔素も気もほとんど存在しないと判明した。

 

 十四歳の妄想と、一億年後の世界。

 

 重なる部分が多すぎる。

 

「それで俺は、そういう力を一切持ってない設定だった」

 

 ハクアの目が僅かに細くなる。

 

「今の師父と同じだな」

 

「……そうなんだよな」

 

 口にすると嫌な符合だった。

 

「魔力なし。霊力なし。特別な血筋もなし。ただの人間。でも、それだと自分を主人公にできないから――」

 

「別の力を作った」

 

「正解」

 

「無為刀剣術式」

 

「そう」

 

 刀也は自分の右手を見る。

 

「何も持ってないこと自体を強みにする、みたいな設定だった」

 

「何も持たぬことを?」

 

「我ながら屁理屈だと思うけどな」

 

 無為。

 

 何もない。

 

 だから何にも縛られない。

 

 魔力を使わない。

 

 霊力も使わない。

 

 気も使わない。

 

 武器すら必要としない。

 

「世界に存在する力には全部、何かしらルールがある。でも無為刀剣術式だけは、そのルールの外側から斬る……みたいな」

 

「…………」

 

「頼むからそんな真面目に聞かないでくれ」

 

「重要だ」

 

「十四歳の妄想だぞ?」

 

「極星凍剣術も十四歳の妄想だった」

 

「もうそれ禁止カードにしない?」

 

 ハクアは答えなかった。

 

 たぶん今後も使う。

 

「具体的には?」

 

「詳しくは忘れてる」

 

「覚えている範囲でよい」

 

「食いつくなあ」

 

 刀也は記憶を探った。

 

「確か、最初は『無刃』」

 

「ムジン?」

 

「刃を持たずに斬る。手刀でも指でも、視線でもいい。自分が『ここを斬る』って認識した場所に斬撃が発生する……だったかな」

 

 言葉にしてみる。

 

 ものすごく強い。

 

 当たり前だ。

 

 自分専用の能力として考えたのだから、遠慮など一切していない。

 

「次が『無間』」

 

「意味は?」

 

「距離を無視する」

 

「…………」

 

「そして『無境』」

 

「それは?」

 

「防御とか結界とか、そういう境界を無視する」

 

 ハクアが完全に黙った。

 

 刀也は顔を覆う。

 

「もうやめて。今、自分で説明しながら十四歳の俺を殴りたくなってるから」

 

「他には」

 

「まだ聞くの!?」

 

「あるのだな」

 

「あるけど!」

 

 禁式。

 

 終式。

 

 極式。

 

 その辺りまで作っていた気がする。

 

 だが、それ以上思い出すのは精神衛生上よろしくない。

 

「とにかく、俺専用のインチキ武術。それが無為刀剣術式」

 

「なぜ師父にしか使えない」

 

「そういう設定だから」

 

「…………」

 

「そんな顔するなって」

 

「条件は?」

 

「梔子刀也本人であること」

 

「それだけ?」

 

「それだけ」

 

 ハクアが考え込む。

 

「では、試せる」

 

「何でそうなる?」

 

「師父は梔子刀也だ」

 

「まあ、そうだけど」

 

「使用条件を満たしている」

 

「いやいや」

 

 刀也は笑った。

 

「設定だって。極星凍剣術が偶然使えるようになってただけで、俺専用能力まで本当に使えるとは――」

 

 言いながら。

 

 昨夜の蝋燭を思い出した。

 

 綺麗に切断された芯。

 

 侵入者なし。

 

 自分は眠る直前、無為刀剣術式を思い出していた。

 

「…………」

 

「師父」

 

「何」

 

「試そう」

 

「嫌だ」

 

「なぜ」

 

「もし使えたら怖い」

 

「使えなくとも問題はない」

 

「使えた場合の精神的被害を考えて」

 

「極星凍剣術の時よりは軽いのでは?」

 

「妙な分析するようになったな!」

 

 だが。

 

 刀也も気になっていた。

 

 昨夜からずっと。

 

 本当に。

 

 自分にも何かできるのではないか。

 

 そんな考えが頭から離れない。

 

「……一回だけ」

 

「分かった」

 

「一回だけだからな」

 

「ああ」

 

「使えなくても笑うなよ」

 

「笑わない」

 

「使えても騒ぐな」

 

「努力する」

 

「そこも断言してくれよ」

 

 朝食後。

 

 二人は屋敷の修練場へ向かった。

 

 白鷺峰の修練場は、刀也が想像していたものより遥かに広かった。

 

 周囲を石壁に囲まれた長方形の空間。

 

 地面は硬く踏み固められ、奥には大小さまざまな標的が並んでいる。

 

 木。

 

 石。

 

 金属。

 

 中には、何に使うのか分からない巨大な柱まであった。

 

「ここ、ハクアが普段使ってるの?」

 

「ああ」

 

「丈夫なの?」

 

「ある程度は」

 

「ある程度」

 

 ハクア基準の「ある程度」は信用できない。

 

「それで、何を斬る」

 

「まず一番柔らかそうなの」

 

 刀也は木製の標的を選んだ。

 

 人の胴体ほどの太さがある丸太。

 

「これ」

 

「分かった」

 

 ハクアは十歩ほど離れる。

 

「何で離れるの?」

 

「妨げぬためだ」

 

「そんな大したことしないから」

 

 刀也は丸太の前に立った。

 

 右手を見る。

 

「……無刃、だっけ」

 

 武器はいらない。

 

 魔力もいらない。

 

 ただ斬ると認識する。

 

 十四歳の設定では、それだけだった。

 

「いや、無理だろ」

 

 改めて考えると滅茶苦茶である。

 

 刀也は右手を軽く振った。

 

「えい」

 

 何も起きない。

 

「…………」

 

 丸太は無傷。

 

 刀也は振り返る。

 

「ほら」

 

 妙に安心した。

 

「使えない」

 

「もう一度」

 

「いや、一回って言っただろ」

 

「今のは試したうちに入らぬ」

 

「どういう判定?」

 

「師父自身が信じていない」

 

「だって無理だと思うし」

 

「ならば技が成立しないのでは?」

 

 刀也は眉を寄せた。

 

「設定上は、自分の認識が重要なのか?」

 

「……そうだった気がする」

 

 世界は斬れる。

 

 そう認識できること。

 

 刃は手の中にあるのではない。

 

 自分が刃なのでもない。

 

 ただ「斬る」という結果だけを成立させる。

 

「…………恥ずかしいな」

 

「何がだ」

 

「設定を思い出してる自分が」

 

 刀也は再び標的を見る。

 

「斬る……」

 

 右手を前へ出す。

 

 今度は振らない。

 

 指を二本揃える。

 

 丸太の中心。

 

 そこへ一本の線を想像する。

 

「無為刀剣術式――」

 

 口にした瞬間。

 

 胃がきゅっと縮んだ。

 

「……無刃」

 

 何も起こらない。

 

「…………」

 

「…………」

 

 風が吹いた。

 

「ほら!」

 

 刀也はハクアを見る。

 

「やっぱり使えないって!」

 

「待て」

 

「え?」

 

 ハクアの視線は丸太へ向いたままだった。

 

「動くな」

 

「何で」

 

「見ろ」

 

 刀也も丸太を見る。

 

「何を――」

 

 途中で止まった。

 

 丸太。

 

 中心。

 

 そこに。

 

 細い線が一本入っている。

 

「…………え?」

 

 刀也は近づいた。

 

「最初からあった?」

 

「なかった」

 

「いやでも傷くらい」

 

「我が毎日使う標的だ。傷の位置は把握している」

 

「怖いなその記憶力」

 

 刀也は指先で線へ触れる。

 

 浅い。

 

 髪の毛一本程度。

 

 それでも。

 

 明らかに切れている。

 

「嘘だろ……」

 

 血の気が引いていく。

 

「もう一度」

 

「嫌だ!」

 

「確認が必要だ」

 

「確認したくない!」

 

「師父」

 

「そんな期待した目で見るな!」

 

 表情自体は無表情なのに、目だけは分かりやすい。

 

 完全に興味を持っている。

 

「……分かったよ」

 

 刀也は一歩下がった。

 

「次で最後」

 

「ああ」

 

 もう一度丸太を見る。

 

 先ほどより集中する。

 

「斬る」

 

 今度は声に出さない。

 

 自分が使えるかどうかではない。

 

 何かを飛ばすわけでもない。

 

 手を刃物にするわけでもない。

 

 ただ。

 

 ここに斬れたという結果がある。

 

 十四歳の自分なら、たぶんそう考えた。

 

 刀也の右手が僅かに動いた。

 

 空気は揺れない。

 

 音もない。

 

 光もない。

 

 冷気も。

 

 衝撃も。

 

 何一つ生まれなかった。

 

「…………」

 

 やっぱり無理か。

 

 そう思った直後。

 

 丸太の上半分が、ゆっくり滑った。

 

「え」

 

 ずるりと。

 

 斜めに。

 

 切断された木材が地面へ落ちる。

 

 ごとん。

 

 鈍い音が修練場に響いた。

 

「…………」

 

 刀也は動けなかった。

 

 断面を見る。

 

 滑らかだった。

 

 刃物を使った痕跡すらない。

 

「…………俺」

 

 自分の右手を見る。

 

「何も持ってないよな?」

 

「ああ」

 

「何か飛んだ?」

 

「何も」

 

「ハクアが斬った?」

 

「我は動いていない」

 

「…………」

 

 使えた。

 

 どう考えても。

 

 使えてしまった。

 

「いやいやいやいや」

 

 刀也は後ろへ下がった。

 

「待て待て待て」

 

「師父」

 

「俺、本当に使えるじゃん!」

 

 嬉しいより先に恐怖が来た。

 

「なんで!?」

 

「師父が作った術式だからでは?」

 

「十四歳の妄想は普通現実にならないんだよ!」

 

「だがなった」

 

「そうなんだけど!」

 

 刀也は頭を抱える。

 

「極星凍剣術はまだ分かるよ! 一億年の間に誰かが研究して再現したって考えられる!」

 

「ああ」

 

「でもこれは俺専用だぞ!? 誰が改良するんだよ!」

 

 その瞬間。

 

 ハクアの表情が僅かに変わった。

 

「……師父」

 

「何」

 

「体調は」

 

「え?」

 

「何か変化はないか」

 

 言われて身体を見る。

 

「特に……」

 

 そこまで答えて。

 

「ん?」

 

 胸の奥。

 

 昨日まで感じなかった感覚があった。

 

 痛みではない。

 

 熱でもない。

 

 冷たさでもない。

 

 空洞。

 

 胸の中心に、小さな穴が開いているような。

 

 しかし不快ではない。

 

 むしろ奇妙なほど自然だった。

 

「何かある」

 

「何がだ」

 

「分からない」

 

 昨日の健康診断。

 

 霊相板に映っていた黒い点。

 

 場所は確か。

 

「胸の辺り」

 

 刀也が手を当てる。

 

「昨日の黒い反応か」

 

「たぶん」

 

 ハクアが近づく。

 

「メイファを呼ぶ」

 

「いや待って。別に痛くない」

 

「確認する」

 

「過保護だなあ」

 

「当然だ」

 

「弟子として?」

 

「ああ」

 

「そこ一貫してるな」

 

 苦笑したところで。

 

 刀也は気づいた。

 

 切断された丸太。

 

 断面の周囲に。

 

 何の痕跡もない。

 

 極星凍剣術なら冷気が残る。

 

 普通の剣なら刃の軌跡が残る。

 

 魔術なら、何かしら力の残滓があるのだろう。

 

 だがこれは。

 

「何もない」

 

 ハクアも同じことに気づいていた。

 

 切断面へ指を触れる。

 

「気の残滓なし。魔力なし。霊素の乱れもない」

 

「本当にただ斬れただけ?」

 

「ああ」

 

「…………」

 

 刀也の背中に寒気が走った。

 

 それはつまり。

 

「どうやって防ぐんだ、これ」

 

 口にする。

 

 ハクアが答えない。

 

「結界とか張ったら?」

 

「分からぬ」

 

「鎧は?」

 

「試す必要がある」

 

「試さないよ!」

 

 いきなり危ない方向へ行かないでほしい。

 

「まず俺が制御できるか確認するほうが先!」

 

「ならば修練を」

 

「ハクア嬉しそうだな!」

 

「師父が自ら剣理を示している」

 

「黒歴史を現実で使ってるだけだから!」

 

 だが。

 

 刀也自身も、少しだけ胸が高鳴っていることを否定できなかった。

 

 怖い。

 

 意味が分からない。

 

 自分の身体に何が起きているのかも分からない。

 

 それでも。

 

 今まで刀也は、この世界で何もできないと思っていた。

 

 妖魔が現れればハクアに守ってもらう。

 

 自分が知っているのは一億年前の常識と、偶然残った黒歴史だけ。

 

 だが。

 

 もし、自分にも戦う手段があるのなら。

 

「…………」

 

 刀也は右手を握る。

 

「もう一回だけ」

 

「先ほど最後と言っていた」

 

「今のはノーカウント」

 

「なるほど」

 

「そういう時だけ素直に納得するな」

 

 今度は少し離れた場所。

 

 木製標的の横にある細い棒を見る。

 

「細いものから」

 

「ああ」

 

「狙った場所だけ斬れるか確認する」

 

 深呼吸。

 

 先ほどの感覚を思い出す。

 

 何かを放つのではない。

 

 何かを作るのでもない。

 

 ただ。

 

 斬る。

 

「無刃」

 

 刀也は指を僅かに動かした。

 

 棒の上部。

 

 狙った場所より五センチほど下が切れた。

 

「あ」

 

 地面へ落ちる。

 

「外した」

 

「初回にしては十分だ」

 

「そうかな」

 

「十年修練しても、無手で同じことができる者を我は知らぬ」

 

「それ聞くと急に怖くなるんだけど」

 

 刀也は切れた棒を見る。

 

 威力はまだ大したことがない。

 

 巨大妖魔を斬れるとは到底思えない。

 

 だが確実に存在する。

 

 十四歳の妄想だったはずの技が。

 

 自分の手に。

 

「……無為刀剣術式」

 

 もう一度名前を呟く。

 

 今度は少しだけ。

 

 恥ずかしさ以外の感情が混ざった。

 

「師父」

 

「ん?」

 

「他の型も試すか」

 

「今日は絶対やらない」

 

「なぜ」

 

「『無間』とか距離無視する技だぞ。失敗したら何が切れるか分からん!」

 

「確かに」

 

「下手すると屋敷斬るからね?」

 

「直せばよい」

 

「規模がおかしい!」

 

 刀也はため息を吐いた。

 

 とにかく。

 

 一つだけ確定した。

 

 無為刀剣術式は使える。

 

 少なくとも第一の技、『無刃』は。

 

「母さん」

 

 刀也は自分の右手を見つめる。

 

「これもあんたが何かしたのか?」

 

 答えはない。

 

 しかし。

 

 もし義母が関係しているなら。

 

 あの女は一体、自分の身体に何をしたのか。

 

 そして、なぜ一億年後まで眠らせたのか。

 

 疑問は増えるばかりだった。

 

◆

 

 その日の昼。

 

 再び呼ばれたメイファは、霊相板を刀也の胸へ当てながら露骨に嫌そうな顔をした。

 

「昨日より大きくなってるね」

 

「やっぱり?」

 

「黒い反応が」

 

 透明な板。

 

 その中心。

 

 昨日は針の先ほどだった黒点が、今は小豆ほどに広がっている。

 

「危険?」

 

「分からないって言っただろ」

 

「使った直後だから関係あると思う?」

 

「可能性は高い」

 

 メイファが刀也を見る。

 

「何を使ったんだい」

 

「…………」

 

 刀也はハクアを見る。

 

 言うなよ。

 

 視線で訴える。

 

「無為刀剣術式だ」

 

「ハクア!」

 

「秘密だったのか」

 

「今秘密にしようとしたんだよ!」

 

 メイファが眉を上げる。

 

「何それ」

 

「俺の黒歴史です」

 

「病名みたいに言われても分からないよ」

 

「説明すると長い」

 

「じゃあ結果だけ」

 

「武器なしで丸太を斬った」

 

「…………」

 

 メイファは黙った。

 

「そんな顔しないで」

 

「霊力なし?」

 

「なし」

 

「魔力」

 

「なし」

 

「気」

 

「たぶん使ってない」

 

 メイファは修練場へ向かう。

 

 切断された丸太を調べ戻ってきた。

 

「……本当に何も残ってない」

 

「ハクアも同じこと言ってた」

 

「斬撃を飛ばした痕跡もない。空間干渉とも違う」

 

「じゃあ何?」

 

「知らない」

 

「今日二回目!」

 

 医仙に知らないと言われると不安になる。

 

「ただ」

 

 メイファが刀也を見る。

 

「一つだけ考え方を変えたほうがいいかもしれない」

 

「何を?」

 

「あんたに力がない、という前提」

 

「でも霊力とかないんでしょ?」

 

「ああ。私たちが知っている力はない」

 

 メイファは霊相板を指で叩いた。

 

「だからこそ、この黒いものが何なのか分からない」

 

「…………」

 

「力がないんじゃない」

 

 メイファの声が少し低くなる。

 

「私たちが知っている『力』のどれにも当てはまらないだけかもしれない」

 

 刀也は黙った。

 

 胸へ手を当てる。

 

 そこには何もない。

 

 外から触れても。

 

 自分で感じても。

 

 ただ。

 

 確かに。

 

 何かがある。

 

「今日はもう使うんじゃないよ」

 

「分かってます」

 

「明日も」

 

「え?」

 

「黒い反応が戻るか確認するまで禁止」

 

「……はい」

 

「師父」

 

 ハクアが口を開く。

 

「ならば極星凍剣術の座学を」

 

「どうしても修行させたいの!?」

 

 メイファが笑った。

 

 刀也は頭を抱える。

 

 だが。

 

 昨日までとは少し違った。

 

 自分が何もできないという不安は。

 

 ほんの少しだけ消えていた。

 

◆

 

 夜。

 

 刀也は再び布団へ入った。

 

 昨日と同じ天井。

 

 昨日と同じ静かな部屋。

 

 しかし右手を眺める自分の気持ちは、まるで違う。

 

「無刃……か」

 

 丸太を斬った感覚。

 

 手応えはなかった。

 

 何かを消費した感覚もない。

 

 ただ結果だけが生まれた。

 

「設定通りすぎるんだよな……」

 

 そこが一番怖い。

 

 十四歳の自分が考えたものが、これほど正確に現実化している。

 

 極星凍剣術なら、後世の誰かが再現したと説明できた。

 

 アカシック・オーダーも、誰かが資料を見つけて組織を作ったと考えられる。

 

 だが無為刀剣術式は違う。

 

 使用者は梔子刀也ただ一人。

 

 他人には使えない。

 

 そういう設定だった。

 

「俺自身に何かしないと成立しない」

 

 誰かが刀也本人へ。

 

 無為刀剣術式を本当に使える何かを施した。

 

 あるいは。

 

「…………最初から?」

 

 自分でも嫌な考えだった。

 

 十四歳の自分が無為刀剣術式を思いついた。

 

 その順序そのものが。

 

 本当に正しいのか。

 

「考えすぎだな」

 

 刀也は布団を被った。

 

 まだ情報が足りない。

 

 今は寝る。

 

 そう決める。

 

 だが眠りへ落ちる直前。

 

 記憶の奥から。

 

 十四歳の自分が書いた、無為刀剣術式の最後の一文だけが蘇った。

 

『無為は術にあらず』

 

『これは本来、梔子刀也が持つべき力を、刀剣という形で理解するための仮称である』

 

「…………」

 

 刀也の目が開いた。

 

「俺、そんな設定まで書いてたっけ……?」

 

 思い出したはずだった。

 

 だが。

 

 なぜか。

 

 その文章を書いた自分の記憶だけが。

 

 どうしても思い出せなかった。

 





ここまで読んでいただきありがとうございます。

刀也本人専用の黒歴史、

【無為刀剣術式】

ついに実際に発動しました。

第一の技は『無刃』。

武器も魔力も霊力も気も必要とせず、「斬る」という結果のみを成立させる刀也専用術式です。

ただし現段階では精度も威力も低く、狙いも少しズレています。

そして使用後、刀也の体内に確認されていた謎の黒い反応が拡大。

医仙メイファの見立てでは、

「刀也に力がない」のではなく、

「この世界で知られているどの力にも分類できない」

可能性が出てきました。

さらに最後。

無為刀剣術式の設定の中に、刀也自身が「書いた記憶のない文章」が混ざっています。

次回、第11話。

刀也は無為刀剣術式の使用を一旦禁止されますが、その代わりに一億年後の世界そのものを知るため、ハクアと初めて人の住む街へ向かいます。
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