第11話です。
今回は刀也が、ハクアとともに初めて一億年後の街へ出ます。
剣や妖魔だけではなく、この時代の普通の人々がどう暮らしているのかを見る回。
そして最後。
刀也が一億年後に目覚めた理由について、読者だけが一歩先へ進みます
「無為刀剣術式は禁止」
「分かってる」
「本当に?」
「昨日から三回目だぞ、その確認」
翌朝。
白鷺峰の屋敷を出る直前、梔子刀也は医仙メイファから念を押されていた。
昨日、刀也が【無為刀剣術式・無刃】を使用した後、身体の中に存在する正体不明の黒い反応が僅かに拡大している。
痛みもない。
発熱もない。
本人の体調に異常もない。
だからこそ、余計に何なのか分からない。
「少なくとも三日は様子を見る。それまで術式は禁止。体調に変化があったらすぐ戻ってくること」
「はいはい」
「返事が軽い」
「使うつもりないって。俺だって怖いんだから」
昨日、何も持たない手で丸太が斬れた瞬間を思い出す。
嬉しくなかったと言えば嘘になる。
一億年後の世界で、自分だけ何もできないと思っていたのだ。戦う手段があると分かったこと自体には、安心した部分もある。
だが、仕組みが一切分からない。
それどころか自分の身体まで変化しているらしい。
調子に乗って使い続けるほど、刀也も無鉄砲ではなかった。
「師父」
「だから人前では師父禁止」
「まだ屋敷の中だ」
「外に出る前から練習してるの!」
ハクア・シラサギが小さく首を傾げる。
今日の目的は、白鷺峰から最も近い都市へ刀也を連れていくことだった。
この時代の常識を何一つ知らない以上、屋敷に閉じこもっているだけではどうにもならない。
衣食住。
貨幣。
国。
種族。
技術。
そして何より、一億年後の人間がどんな暮らしをしているのか。
刀也自身も興味があった。
「行くぞ」
「おう」
「師――」
「ハクア」
「……トウヤ」
「よし」
少し不満そうに見えたが、そこは譲らない。
十至天の一角である剣天が、知らない少年を師父と呼んで街中を歩く。
そんなことをすれば、どうなるかはすでにロウエンから聞いている。
目立ちたくない。
今の刀也にとって、それはかなり切実な願いだった。
白鷺峰の麓にある転移陣から出ると、その後は整備された街道を進んだ。
今回は森の中ではない。
道路らしきものがある。
しかも刀也が予想していたより、ずっと立派だった。
「石畳……じゃないな」
しゃがみ込んで路面を見る。
石に似ている。
だが継ぎ目がほとんどなく、僅かに弾力まであった。
「何これ?」
「路生石だ」
「ろせいせき?」
「生きた鉱石だ。割れても時間が経てば繋がる」
「道路が自己修復するの?」
「ああ」
「一億年後すげえな……」
中世ファンタジーのような衣装。
剣。
妖魔。
王国。
そういうものばかり見ていたせいで忘れかけていたが、ここは一億年後の地球なのだ。
魔法にしか見えない技術もあれば、技術にしか見えない魔術もある。
刀也の常識では両者を区別する意味すら分からなかった。
しばらく進むと、人の往来が増えてきた。
荷車。
馬に似た六本脚の動物。
空中をゆっくり進む小型の舟。
背中に大きな籠を背負った商人。
刀也は完全に観光客になっていた。
「あれ浮いてる」
「ああ」
「どうやって?」
「浮石を使っている」
「浮石って何?」
「浮く石だ」
「説明になってるようでなってない!」
ハクアに聞いても、この世界では当たり前すぎて詳しく説明できないものが多いらしい。
「俺がスマホって何って聞かれて『スマホだよ』って答えるようなものか……」
「スマホ?」
「一億年前の便利道具」
「古代遺物か」
「急に大層なものにするな」
そんな会話をしているうちに、前方へ巨大な壁が見えてきた。
高さは二十メートル以上。
白灰色の城壁が、広大な都市を囲んでいる。
「でか……」
「瑞嶺市だ」
「ずいれいし?」
「この地域では最大の都市になる」
「国じゃなくて市なんだ」
「アシハラ皇国北東州、瑞嶺市」
「皇国」
少しずつ地理情報も増えてくる。
刀也は頭の中へメモするように繰り返した。
「アシハラ大陸、アシハラ皇国、北東州、瑞嶺市」
「覚えたか」
「たぶん」
「ならよい」
「先生みたいだな」
「弟子だからな」
「逆!」
そんなやり取りをしながら城門へ近づいた。
問題は、門を通る時に起きた。
「――剣天様!?」
門番がハクアを見るなり姿勢を正した。
「ご、ご来訪の予定は伺っておりませんが!」
「私用だ」
「はっ!」
周囲の門番まで一斉に頭を下げる。
通行人も異変に気づき始めた。
「あれ、剣天様じゃない?」
「白鷺峰の……?」
「本物か?」
「え、何でこんなところに?」
刀也は横目でハクアを見る。
「……多少有名?」
「多少だ」
「絶対その言葉の使い方間違ってるからな」
ざわめきが広がっていく。
「今日は何の御用で?」
「連れに街を見せる」
門番の視線が刀也へ向いた。
「こちらの方に?」
その瞬間、刀也はハクアを見た。
言うなよ。
目で訴える。
ハクアも刀也を見る。
「知人だ」
「よし!」
成長した。
昨日より成長している。
刀也は思わず握り拳を作った。
「……トウヤ」
「何?」
「褒めてほしい」
「犬みたいなこと言うなよ」
「約束を守った」
「偉い偉い」
冗談半分で頭を撫でようとして。
刀也は途中で手を止めた。
ハクアが少しだけ頭を下げていた。
「…………」
「どうした」
「いや」
刀也はそのまま白い頭を一度だけ撫でた。
「本当にやるとは思わなかった」
「褒めると言った」
「はいはい」
門番たちの目が点になっていることには、見なかったことにした。
瑞嶺市。
その内部は、刀也が想像していた「異世界の街」より遥かに混沌としていた。
古い木造建築の隣に、半透明の壁を持つ高層建築。
露店の上空には立体映像らしき広告。
剣を腰に差した男の横を、空飛ぶ荷台が通過する。
道端では狐の耳を持つ女性が果物を売り、その向かいでは全身が石のような男が金属細工を並べている。
「…………人間以外いる」
「珍しいか」
「俺の時代だと人間しかいなかった」
「そうなのか」
むしろハクアのほうが驚いた。
「さっきの人、耳本物?」
「狐人だ」
「尻尾も?」
「ああ」
「…………」
「触るなよ」
「触らないよ!」
そこまで非常識ではない。
とはいえ視線は向いてしまう。
耳。
尻尾。
鱗。
角。
人間とほとんど同じ姿の者もいれば、明らかに異なる特徴を持つ種族もいた。
「人類って進化したの?」
「人類?」
「いや、種族が増えた理由」
「諸説ある。旧人類から分岐したとする説、妖魔との混血説、外界から来たとする説など様々だ」
「外界って異世界?」
「近い」
「本当に異世界混ざってるじゃん……」
一億年。
何があったのか。
ますます分からなくなる。
刀也が次に興味を持ったのは食べ物だった。
「何これ」
「串焼き」
「それは見れば分かる」
露店には、大きな肉を炙った串が並んでいる。
「何の肉?」
「火走鳥」
「鳥なんだ」
見た目は普通の焼き鳥――と言うには大きい。
「食える?」
「食えるから売っている」
「じゃあ食べたい」
朝食を食べたばかりなのに、香ばしい匂いを嗅ぐと普通に腹が反応した。
自分の食欲が戻っていることに少し安心する。
「一つ」
ハクアが露店の店主へ言う。
「へ、へい!」
店主は緊張で手を震わせていた。
剣天本人に注文されたのだから無理もない。
ハクアが小さな金属片を渡す。
刀也はそれを見る。
「それ金?」
「貨幣だ」
「やっぱあるんだ」
受け取った串を刀也へ差し出す。
「ありがとう」
「うむ」
一口食べる。
「うまっ」
鶏肉に近い。
少し脂が強く、噛むと香草のような爽やかな味がした。
「普通に美味い」
「普通?」
「褒めてる」
店主がものすごく安心した顔をしていた。
「ちなみにこれいくら?」
「八厘」
「八厘が高いのか安いのか分からない」
「一般的な昼食が二十から三十厘ほどだ」
「じゃあ安めか」
少しずつこの世界の金銭感覚も覚えていかなければならない。
「俺も金稼がないとな」
「必要ない」
ハクアが即答した。
「いや必要だろ」
「我のものを使えばよい」
「それは嫌だ」
「なぜ」
「十九歳の女の子に養われる十八歳男子は色々まずい」
「我は困らぬ」
「俺が困るんだよ!」
しかも世界最強格の弟子に食わせてもらう師匠。
あまりにも情けない。
「仕事探すかな」
「働くのか」
「そりゃいつまでも居候するわけにはいかないだろ」
「永住してもよい」
「さらっと重い提案するな」
「部屋は余っている」
「昨日も聞いた」
この辺りは今後考えればいい。
古代文字が読めるなら、それを利用した仕事くらいあるかもしれない。
ただし正体が騒ぎになるような職種は避けたい。
刀也はそう考えながら串を食べ切った。
市場。
道具屋。
衣服店。
本屋。
ハクアに案内されながら街を巡る。
一億年前との違いを見つけるたびに面白かった。
特に本屋は危険だった。
「極星凍剣術入門?」
刀也は店先に平積みされた一冊を見つけた。
「初心者向け解説書だな」
「初心者向けに売るなよ!」
慌てて本を裏返す。
『剣天ハクア・シラサギに学ぶ極星の基礎』
「ハクア」
「何だ」
「肖像画載ってるけど許可した?」
「知らぬ」
「無許可!」
本の表紙には美化されたハクアが剣を構えている。
「本人よりちょっと胸盛られてない?」
「斬るぞ」
「初めて明確に怒った!?」
刀也は本を戻した。
触れてはいけない話題だったらしい。
「買わないのか」
「絶対買わない」
「師父なら間違いを指摘できる」
「それやったら出版社に見つかる未来しか見えない!」
逃げるように本屋を離れた。
しばらくして、刀也は街の中央広場へ出た。
大きな噴水。
石像。
そして中央には、天を向いて腕を広げる女性像が建てられている。
「これ誰?」
「天照だ」
「アマテラス?」
聞き覚えのある名前に足が止まる。
「神様?」
「神とする宗派もある」
「も?」
「一般には天上に輝く大日輪そのものを指す」
ハクアが空を見る。
刀也もつられて見上げた。
青空。
その中心に輝く太陽。
「太陽の名前が天照?」
「ああ」
「俺の時代にもアマテラスって神様いたぞ」
「古代より伝承が続いている可能性はある」
「へえ……」
刀也は眩しさに目を細めた。
一億年後にも残った名前。
日本語。
シラサギ。
アシハラ。
天照。
古代日本の痕跡は、思った以上にこの世界のあちこちへ残っているらしい。
「昔からあの太陽なの?」
「何を言っている?」
「いや、一億年経っても太陽自体は同じだよなって」
「当然だろう」
ハクアには疑問の意味すら理解できなかったらしい。
「そうだよな」
刀也も笑う。
太陽まで変わっていたら、本当に何を信じればいいか分からなくなる。
ただ。
「……何か、近く見える気もするけど」
「そうか?」
「気のせいかな」
眩しくて長く見ていられない。
刀也は視線を戻した。
この時。
彼はまだ知らなかった。
今見上げた光が。
一億年前から空にあった太陽ではないことを。
そしてそれが、自然の恒星ですらないことを。
◆
地上から約三万六千キロメートル。
現代の人々が『天照』と呼び。
太古より世界を照らす太陽だと信じているもの。
その内部に。
本物の太陽には決して存在しない空間が広がっていた。
恒星光を模した超高密度発光層。
重力制御核。
地表照射制御機構。
惑星環境維持設備。
そして。
最深部。
純白の部屋。
一面を覆う巨大な観測窓には、先ほどの瑞嶺市が映し出されていた。
「…………」
一人の女がそこにいた。
長い黒髪。
透き通るような白い肌。
整いすぎた顔立ちは、むしろ人間味を薄れさせている。
歳月という概念から切り離されたかのように、その姿は一億年前と何一つ変わっていない。
梔子天音。
一億年前。
世界的研究者として名を知られていた女。
そして。
梔子刀也の義母だった女。
天音は観測映像の中にいる刀也を見つめていた。
市場を歩き。
初めて見るものに目を輝かせ。
ハクアへ何かを言って笑う刀也。
その姿を。
ただ静かに。
「変わらないわね、刀也」
声は優しい。
だが。
その瞳に宿っているものを。
単なる母性愛と呼ぶには。
少し。
深すぎた。
天音の指先が、映像の中の刀也の頬をなぞる。
もちろん触れられない。
分かっている。
それでも愛おしげに指を滑らせる。
「十八歳……ちゃんと、あの日のまま」
彼女と刀也に血の繋がりはない。
刀也は。
当時存在していた公的養育制度――通称『赤子バンク』から、天音が引き取った子供だった。
最初から愛していたわけではない。
むしろ。
始まりは打算だった。
『社会貢献に積極的な研究者』
その肩書きは研究費の獲得に都合がよかった。
子供を一人引き取る。
対外的な印象が良くなる。
研究予算の増額。
企業からの支援。
天音にとって、当初の刀也はその程度の存在だった。
「……最低よね、私」
自嘲する。
だが。
赤子だった刀也を抱いた。
泣かれた。
夜中に起こされた。
初めて「母さん」と呼ばれた。
転んだ。
笑った。
学校へ行った。
反抗した。
くだらないことで喧嘩した。
そして。
気づけば手放せなくなっていた。
「あなたが悪いのよ」
微笑む。
研究よりも。
名誉よりも。
未来よりも。
梔子天音という人間にとって、刀也の存在だけが優先されるようになっていた。
そして彼女はある日。
刀也の異常に気づいた。
十四歳。
刀也が一冊のノートへ書き始めた空想。
極星凍剣術。
世界観測機構。
架空の怪物。
存在しない理論。
ありもしない力。
最初は。
ただの子供の妄想だった。
しかし天音の観測機器は捉えていた。
刀也が強く思い描いた概念の周囲で。
世界の確率が。
ほんの僅かに歪んでいることを。
「空想を、現実へ寄せる力」
天音は呟く。
刀也本人は気づいていなかった。
天音だけが気づいた。
そして研究した。
誰にも知らせず。
刀也にすら知らせず。
「あなたが思い描いたものは、時間さえ与えれば世界のほうから近づいてくる」
即座に奇跡を起こす力ではない。
剣術を書けば次の日に使えるようになるわけではない。
秘密組織を書けば突然組織が出現するわけでもない。
だが。
十年。
百年。
千年。
百万年。
途方もない時間を与えれば。
偶然。
進化。
発見。
文明。
人々の選択。
あらゆるものが少しずつ積み重なり。
刀也の空想した世界へと。
現実そのものが近づいていく。
「だから時間が必要だった」
天音の背後。
巨大な空間には無数の記録媒体が並んでいる。
極星凍剣術秘伝書。
世界観測機構アカシック・オーダー設定集。
無為刀剣術式。
十四歳の刀也が書いた落書き。
設定ノート。
没案。
恥ずかしさのあまり本人が破り捨てた紙まで。
すべて保存されていた。
「あなたが捨てるから、拾うの大変だったのよ?」
楽しそうに笑う。
そして一億年という歳月の中で。
天音はそれらを何度も未来へ放った。
情報として。
遺物として。
石板として。
時には古代文明の遺跡そのものへ。
刀也の空想が。
この世界に根付くように。
「極星凍剣術も順調」
別の画面。
ハクアが映る。
「アカシック・オーダーは少し名前が変わっちゃったけど、まあ及第点」
星環院の紋章。
円。
一本の線。
八つの星。
天音は満足そうに眺める。
「無為も、ようやく起き始めた」
刀也の体内。
あの黒い点。
その観測情報まで。
天音の元には届いていた。
「大丈夫」
映像の中の刀也へ語りかける。
「壊れないように作ったから」
一億年。
刀也を眠らせた理由。
それは世界の終末から救うためだけではない。
戦争から逃がすためでもない。
天音には。
もっと個人的な理由があった。
「もう、私たちを知っている人はいない」
一億年前。
研究者・梔子天音を知る者。
彼女の評判を知る者。
刀也がどこから来たのかを知る者。
二人がどのような関係として暮らしていたのかを知る者。
全員。
時間の彼方へ消えた。
「あなたも、私も」
天音が薄く微笑む。
「もう誰にも、過去で決められない」
それは母親が、遠い未来で我が子の無事を確認するだけの目ではなかった。
慈愛はある。
愛情もある。
それ以上に。
長すぎる歳月の中で、誰にも止められず育ち続けた執着があった。
梔子天音は。
愛おしげに。
ただ一人の男を見る女のような目で。
刀也を見つめていた。
「おかえり、刀也」
地上では。
何も知らない刀也が、ハクアと並んで笑っている。
「今度は」
天音の唇が。
ゆっくり笑みを形作った。
「ずっと一緒にいられるわね」
人々が太陽と信じて仰ぐもの。
擬似太陽炉《天照》。
その中心で。
一億年を待った女が。
ようやく目を覚ました我が子を。
静かに見つめ続けていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
前半は、刀也の一億年後初めての街歩きでした。
ようやく、
「空飛ぶ乗り物」
「亜人種」
「未来の貨幣」
「普通の食べ物」
「未来の本屋」
など、この世界の日常へ触れ始めています。
そして最後。
梔子天音。
刀也の義母であり、刀也をコールドスリープさせた人物が、一億年後にも存在していました。
刀也と天音には血縁関係はありません。
刀也は赤子バンクから引き取られた養子であり、当初の天音にとって養子縁組は研究費獲得を有利にするための社会的アピールでもありました。
しかし育てていくうちに、天音にとって刀也は何より重要な存在へ変わっています。
そして天音だけが気づいた刀也の特性。
「空想を現実へ近づける力」
即座に願いを叶える能力ではなく、十分な時間を与えることで、現実そのものが刀也の空想へ徐々に収束していく力です。
天音はそれを利用し、一億年という時間をかけて刀也の黒歴史を未来へ拡散。
極星凍剣術やアカシック・オーダーが実在する世界を作り上げていました。
そして人々が本物の太陽だと信じているものの正体も、
擬似太陽炉《天照》
です。
次回、第12話。
刀也本人はまだ何も知りません。
街歩きの続きとともに、この時代の歴史――特に「空にある天照」について少しずつ触れていきます。