第三話です。
口は災いの元。
特にそれが、十四歳の自分が生み出した黒歴史についてだった場合は。
「一式から弐式へ繋ぐ、と言ったな」
ハクア・シラサギが一歩近づく。
梔子刀也は一歩下がった。
「言ってない」
「言った」
「空耳だと思う」
「我は耳がいい」
「今日だけ悪くなってくれない?」
「無理だ」
「ですよね」
逃げ道がなかった。
物理的な意味でも、精神的な意味でも。
背後には一億年の歳月によって朽ち果てた研究施設があり、前には先ほど巨大な妖魔を二度ほど一方的に消し飛ばした女がいる。その女が、これまでほとんど変化しなかった表情に明確な興味を浮かべ、自分を見つめている。
刀也としては今すぐ研究施設へ戻り、もう一度コールドスリープ装置に入り直したい気分だった。
次は二億年くらい寝れば、極星凍剣術もさすがに忘れられているかもしれない。
「トウヤ」
「はい」
「なぜ知っている」
「何を?」
「極星凍剣術を」
「知らない」
「先ほど、一式と弐式の繋ぎを指摘した」
「偶然」
「技名を聞く以前から我の構えを見ていた」
「勘」
「壱式の後、弐式へ繋げるべきだと口にした」
「…………」
「そして、我が知る限り、その事実を記した伝書は現存しない」
「…………」
刀也は目を逸らした。
非常にまずい。
十四歳の自分が勢いだけで作った設定なのだから当然なのだが、極星凍剣術には一応、各技を連携させるという設定があった。
壱式から弐式へ。
そこから状況に応じて参式、あるいは伍式へ派生し、最後には秘奥へ至る。
当時の刀也は、それをノート一冊にびっしり書き込んでいた。
技の名前だけではない。
発動条件。
構え。
呼吸法。
果ては「極星とは天上より万物を見下ろす不動の星なり」とか何とか、今思い出すだけで全身から冷や汗が出てくるような設定文まで添えていた。
なぜあんなものを書いた。
当時の自分を問い詰めたい。
できれば一発殴りたい。
「……まあ、あれだ」
刀也は無理やり笑った。
「似たような剣術を見たことがあるとか」
「どこで」
「昔」
「いつ」
「昔は昔だよ」
「誰から教わった」
「そこまで聞く?」
「重要だ」
ハクアは真剣そのものだった。
冗談で誤魔化せる雰囲気ではない。
刀也は助けを求めるように周囲を見るが、当然そこにいるのは巨大な木と妖魔だったものの氷片くらいだ。
「……ハクアは、それをどこまで知ってるんだ?」
逆に質問してみる。
するとハクアは少しだけ考え、腰の剣へ手を置いた。
「現存するのは壱式から伍式まで。ただし完全に復元されているものは壱式と弐式のみだ」
「え」
「参式以降は伝書の欠損が激しい。構えと名、それに僅かな注釈を基に我自身が補完した」
「…………」
刀也は思わず眉を寄せた。
知らないうちに、興味が羞恥心を少しだけ上回った。
「参式、使える?」
「使える」
「ちょっと見せて」
「よいのか」
「何が?」
「先ほどまで極星凍剣術について知らぬと言っていた」
「…………忘れて」
「承知した」
「そこ素直なの助かるな」
ハクアは数歩離れた。
森の中に残っていた巨大な岩へ身体を向ける。高さは三メートル以上あり、半分ほどが苔に覆われている。
剣を抜き、構えた。
刀也はその姿を見た瞬間、眉をひそめる。
「ん?」
やはり違う。
基本姿勢は近い。
だが重心が前に寄りすぎている。
肩にも僅かに力が入っていた。
もっとも、刀也が知っているのは実戦の剣術ではない。自分がノートの中で勝手に作った架空武術の設定である。
だから本来なら口を出す資格などない。
「極星凍剣術――参式」
ハクアの周囲へ霜が広がった。
「――氷蓮華」
「うわ、それも残ってる……」
刀也が小さく呻くのと同時に、ハクアが踏み込んだ。
一閃。
巨大な岩へ何本もの白い線が走り、直後、それらを中心として氷の花が咲くように冷気が広がった。
岩全体が一瞬で凍りつき、内部から破裂する。
轟音。
大小無数の破片が飛び散った。
「…………」
刀也は目を丸くした。
強い。
間違いなく強い。
自分が妄想した剣術が、物理法則を完全に置き去りにした威力で現実化している。
しかし。
「違う」
口から出た。
ハクアが振り返る。
「何がだ」
「あ」
しまった。
「今、違うと言ったな」
「言ってない」
「言った」
「ハクア本当に耳いいね」
「十里離れた獣の呼吸まで拾える」
「無駄に具体的!」
もう誤魔化せない。
刀也は深く息を吐いた。
「……先に言っとくけど、俺が正しい保証なんてないからな」
「構わぬ」
「あと、何で知ってるかは聞くな」
「それは――」
「聞くな」
刀也が指を突きつける。
ハクアは数秒見つめたあと、珍しく少し迷う様子を見せてから頷いた。
「分かった」
「よし」
ここまで来た以上、仕方がない。
刀也はハクアへ近づいた。
「まず構え。右足を少し戻して」
「こうか」
「戻しすぎ。半歩くらい。あと肩に力が入りすぎてる」
「力を抜く?」
「完全には抜かない。剣先まで力を通すんじゃなくて、振る瞬間だけでいい。参式は斬る技じゃなくて――」
言いかけて止まる。
ハクアがじっと見ていた。
「……何だよ」
「続けてくれ」
目が怖い。
いや、怖いというより真剣すぎる。
「参式は斬ること自体が目的じゃない。相手の中に凍気を送り込んで、複数箇所から一気に凍結させる技……だったはず」
「だった?」
「気にするな」
「分かった」
「だから一撃を強くする必要はない。むしろ軽く触るように何度か斬って、最後にまとめて凍らせる」
刀也はそこまで説明してから、自分の胸の奥に嫌な感覚が湧くのを感じた。
非常に嫌な感覚だ。
というより、既視感である。
十四歳の夜。
一人で部屋の中に立ち、定規を剣に見立てながら型を考えた。
『この技は一撃必殺ではない。凍気を刻み込み、最後に咲かせる氷の花……だから氷蓮華!』
「…………」
死にたくなってきた。
「トウヤ?」
「何でもない。続けよう」
過去の自分から目を逸らすように、刀也は説明を続けた。
「一回やってみて」
「承知した」
ハクアが構える。
今度は刀也が教えた通り。
右足を少し引き、上体の力を抜く。剣先が微かに揺れるほど自然な構えだった。
刀也は思わず頷いた。
「そう、それ」
「行く」
ハクアが消えた。
「は?」
刀也にはそうとしか見えなかった。
次に姿を認識した時には、十メートル以上離れた場所にあった別の巨岩の横に立っている。
何も起きていない。
そう見えた。
だがハクアが剣を納めた瞬間。
岩の表面に、無数の白い花が咲いた。
ひとつ。
二つ。
十。
百。
氷の花が瞬く間に巨岩を覆い尽くす。
そして。
世界が白く弾けた。
巨岩が粉々に砕けたのではない。
細かな氷晶となり、跡形もなく消えた。
刀也は口を開けたまま、その光景を見つめる。
「……いや強すぎだろ」
自分の考えた技、こんな威力ではなかった。
そもそも現実に使える前提ではなかったので当たり前なのだが。
ハクア自身も動きを止めていた。
しばらく何も言わず、消えた巨岩があった場所を見ている。
「ハクア?」
「…………」
「おーい」
返事がない。
やがてハクアがゆっくりと自身の剣を見る。
「今までとは、まるで違う」
「そりゃよかった」
「凍気の消耗が三分の一以下になった」
「へえ」
「威力は少なくとも倍以上」
「へえ……」
「身体への負担もほぼない」
「へえ…………」
嫌な方向へ話が進んでいる。
刀也は後ずさった。
「た、たまたまだよ。たまたま」
「偶然ではない」
「偶然ということにして」
「無理だ」
「頑固だな!」
ハクアが振り返る。
蒼い瞳が先ほどより明らかに輝いている。
「伍式についても分かるのか」
「知らない」
「参式を知っていた」
「たまたま」
「では肆式は」
「知らない」
「極星凍剣術には、壱式から伍式のほかにも技があるのか」
「知らない知らない」
「奥義は?」
「知ら――」
刀也は言葉を止めた。
ハクアも止まる。
沈黙。
「今、何か思い出したな」
「思い出してない」
「顔に出ている」
「俺そんな分かりやすい?」
「非常に」
「嘘だろ……」
刀也は顔を覆った。
奥義。
あった。
もちろんあった。
十四歳の自分が、そんな美味しい設定を作らないはずがない。
むしろ通常技より奥義のほうに力を入れていた。
秘奥。
禁式。
裏奥義。
果てには『真・極星凍剣術』とかいう強化形態まで存在していた気がする。
「封印しよう」
「何をだ」
「記憶を」
「なぜ」
「俺が死ぬから」
「命に関わるのか」
「尊厳に関わる」
ハクアはますます分からないという顔をした。
しかし刀也の中で、もう一つ悪い癖が顔を出していた。
目の前の間違いが気になる。
途中まで説明すると、最後まで説明したくなる。
そして何より。
自分の妄想だったものを、実際にハクアが再現している。
それが。
「……ちょっと面白いんだよな」
「何がだ」
「いや」
刀也は頭を掻いた。
「じゃあ、もう一個だけ」
「聞こう」
「食いつき早いな」
ハクアが剣を構える。
刀也も諦めた。
「参式からそのまま肆式には繋げない」
「なぜだ」
「性質が逆だから。参式は細かく凍気を送り込む技だけど、肆式は一ヶ所に全部集めて叩き込む。だから間に呼吸を一回入れて――そうじゃない。足を止めるんじゃなくて、歩きながら」
「こうか」
「そう。そのまま剣を後ろに引く。もっと自然に」
「こう」
「そうそう。そこから肆式――」
刀也の口が止まらなくなる。
「肆式『冬天』は真正面から斬るんじゃなく、斜め下から上。凍気を圧縮して一点突破する。伍式『雪月輪』は逆に周囲全部を薙ぐ技だから、囲まれた時用。それと壱式から参式へ直接行く場合は――」
ハクアは一言も聞き漏らさない。
時折動きを確認し、そのたびに刀也が修正する。
「違う違う。そこで身体を捻ると遅くなる」
「こうか」
「そう。あと剣だけでやろうとするから不自然になる。足運びから全部で一つの型なんだって」
「なるほど」
「で、最後に凍気が全部繋がったら――」
刀也は自分の手を剣のように振った。
「参式改め――『極天雪華』」
口にした。
「…………」
ハクアが動きを止める。
刀也も止まった。
風が吹いた。
木の葉が揺れる。
刀也は自分の口元へゆっくり手を当てる。
「…………今」
嫌な汗が流れた。
「俺、何て言った?」
「極天雪華」
「言うな!」
「なぜだ」
「復唱するな!」
記憶が蘇る。
ノート。
黒い表紙。
銀色のペンで書かれた文字。
『極星凍剣術・極意』
そして、その次のページに大きく書かれていた。
『極天雪華――天すら凍てつかせる極星の花。術者が至る究極の境地』
「うっ……」
胃が猛烈に痛くなった。
「トウヤ?」
「やめろ……」
「何をだ」
「十四歳の俺……それ以上来るな……!」
さらに思い出す。
『この技を受けし者は己が死したことすら悟れぬ』
「ぐふっ」
口から赤いものが飛び出した。
「――師父!?」
「誰が師父だ!」
刀也は反射的に突っ込んだ。
そして。
「…………ん?」
口元を拭う。
赤い血だった。
「え」
刀也自身が一番驚いた。
「俺、本当に吐血したんだけど」
ハクアの表情が変わった。
初めて見るほど明確な焦り。
刀也へ一瞬で近づき、肩を支える。
「傷が開いたのか」
「いや、そもそも傷なんて――」
「内傷か。気脈が乱れた?」
「気脈って何」
「喋るな」
「普通に喋れるけど」
刀也は身体を確認する。
痛くない。
むしろ胃の痛みすら消えている。
頭も正常。
気分も悪くない。
「……何ともない」
「血を吐いた」
「俺もそう思った」
「ならば何ともなくはない」
「でもマジで平気なんだよ」
立ち上がる。
軽く跳ねてみる。
問題ない。
胸を叩く。
問題ない。
「ほら」
「…………」
「何その目」
ハクアは刀也をじっと見ていた。
これまでとは違う。
驚き。
疑念。
そして何かを確信しようとしている目。
「古代文字を自在に読み」
「ん?」
「誰も知らぬ極星凍剣術の真髄を知る」
「ちょっと待て」
「失伝した技を一目見ただけで修正し、我が数十年を費やしても辿り着けなかった境地を僅かな言葉で示した」
「十九歳だよな!? 数十年って何!?」
「さらに吐血するほどの傷を負いながら、それを意に介さぬ」
「そこは精神的なダメージだから!」
ハクアは聞いていない。
「そして、古代の眠りから目覚めた」
「いや、それはそうだけど」
「やはり」
ハクアが剣を鞘へ納めた。
そして突然、片膝をついた。
「…………え?」
刀也の思考が停止する。
ハクアは頭を垂れた。
先ほどまで巨大妖魔を一方的に消し飛ばしていた女が。
刀也の前で跪いている。
「ちょっと」
「非礼を詫びる」
「待って」
「よもや古代の大先達とは知らず、数々の無礼を働いた」
「違う違う違う」
「長き眠りによって力を失われているのであれば、なおさら我が守護すべきだった」
「話聞いて!?」
「梔子刀也殿」
ハクアが顔を上げる。
蒼い瞳。
そこに迷いはなかった。
「どうか」
「嫌な予感しかしない」
「我を弟子としていただきたい」
「やっぱり!」
刀也は頭を抱えた。
「いやいやいや、無理だから!」
「なぜ」
「俺、剣なんてまともに振ったことないから!」
「真なる達人ほど己の技を誇示せぬという」
「そういう格言で俺を補強するな!」
「今の御身が弱体化していることも理解している」
「元から弱いんだよ!」
「それほどまでに力を失われたか」
「違う!」
何を言っても逆効果だった。
刀也が否定すればするほど、ハクアの中で都合のいい解釈が完成していく。
「俺はただの高校生!」
「ガクセイ」
「そう! 普通の学生!」
「古代における武の求道者を指す呼称か」
「どうしてそうなる!?」
刀也は天を仰いだ。
一億年後の青空が綺麗だった。
帰りたい。
できるものなら十五分前に戻って、自分の口を塞ぎたい。
「師父」
「もう呼んでる!」
「よろしく頼む」
「俺まだ了承してないから!」
「それでは、認められるまで励む」
「方向性が違うんだよ!」
ハクアは立ち上がった。
どこか満足そうに見える。
表情自体はほとんど変化していないのに、先ほどまでより雰囲気が柔らかい。
「では師父、我が住居へ案内する」
「話が進んでる……」
「ここに留まる理由はあるか」
「ないけど」
「ならば問題ない」
「弟子入りの問題は残ってるよ」
「道中で聞こう」
「撤回する気ないだろ」
「ない」
「即答すんな」
ハクアは先へ歩き始めた。
刀也も仕方なく追う。
見知らぬ森。
見知らぬ生き物。
見知らぬ文明。
一億年後の地球。
分からないことだらけだ。
だが一つだけ確かなことがある。
目覚めてから、まだ一日も経っていない。
それなのに。
「師父」
「お願いだからせめて人前ではやめてね?」
「なぜだ」
「死ぬほど恥ずかしいから」
「先ほども死ななかった」
「そういう意味じゃない!」
世界最強クラスらしい美少女の弟子ができた。
いや。
勝手にできた。
しかも原因は。
十四歳の自分が生み出した黒歴史。
「母さん……」
刀也は遠い空を見上げた。
「あんた、俺を何で一億年も寝かせたんだよ……」
もちろん答えはない。
ただ、刀也はまだ知らない。
自分の黒歴史が残したものが。
極星凍剣術だけではないということを。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
刀也君、無事(?)に世界最強クラスの美少女から弟子入りされました。
本人は一切望んでいません。
そしてハクアからすれば、
「古代文字が読める」
「失伝武術の完全な形を知っている」
「自分の剣を一目見ただけで改良する」
「一億年前の施設から出てきた」
「吐血しても平然としている」
という、どう見ても普通ではない人物です。
次回はハクアの住居へ。
そこで刀也はようやく、この世界におけるハクア・シラサギという存在がどれほど規格外なのかを知ることになります。