第7話です。
滅びたと思った黒歴史秘密結社。
しかし、その思想と紋章を受け継ぐ組織は一億年後にも存在していました。
そして。
どうやら向こうにも、刀也について心当たりがあるようです。
「名前変えて現役じゃん……!」
梔子刀也の悲痛な声が、静かな座敷に響いた。
一億年後の世界で、現在も古代遺跡や異常事象を管理している中立機関――星環院。
その紋章は、大円を一本の線が貫き、周囲を八つの星が囲むものだという。
偶然ではない。
いや、偶然であってほしかったが、すでに十三の観測塔まで実在していることが判明している。
十四歳の刀也が作った架空の秘密組織『世界観測機構アカシック・オーダー』。
どう考えても、その系譜だった。
「師父」
「何」
「顔色が悪い」
「今日は何回それ言われるんだろうな」
「休むか?」
「休もうとしたら黒歴史の末裔が玄関まで来たんだよ!」
寝られるわけがない。
先ほどまで刀也は、本気で今日はもう何も考えず眠ろうと思っていた。
だが星環院なる組織の使者が、よりにもよってハクアの屋敷を訪ねている。
「ちなみに、その使者ってよく来るの?」
刀也が尋ねると、ハクアは首を横へ振った。
「滅多に来ぬ」
「どのくらい?」
「我がここへ住んでからは三度目だ」
「ハクアってここに何年住んでる?」
「七年」
「じゃあかなり珍しいんだな」
「ああ」
嫌な予感が強まる。
「何で今日なんだよ……」
「偶然では?」
「最近それを信じられなくなってきた」
目覚めたその日に、極星凍剣術を使うハクアと遭遇した。
そのハクアが刀也を師父と呼び始めた。
屋敷へ来れば、自分の文章が掛け軸になっていた。
歴史書には自分が考えた秘密組織の紋章があり、その後継らしい団体から使者まで来た。
偶然という言葉では収まりが悪すぎる。
「剣天様」
入口近くで控えていた使用人が口を開いた。
「使者をいかがいたしましょう」
「通せ」
「ちょっと待って」
刀也は反射的に止めた。
ハクアがこちらを見る。
「何だ」
「俺、隠れてたほうがよくない?」
「なぜだ?」
「だって星環院って、あの組織の後継っぽいんだろ?」
「そうとはまだ確定していない」
「紋章丸ごと一緒なんだけど」
「確かに」
「俺がいたら面倒なことにならない?」
ハクアは数秒考える。
「師父が望むなら、別室へ案内させる」
「……いや」
刀也は迷った末に首を振った。
逃げたい。
本音では猛烈に逃げたい。
だが同時に、星環院について知りたいという気持ちもある。
この世界へ来て以来、刀也が最も知りたいのは、自分が眠っていた一億年の間に何が起きたのかだ。
星環院が本当にアカシック・オーダーの後継なら、自分の黒歴史がなぜ現実化したのか、その手掛かりを持っている可能性がある。
「いる」
「よいのか」
「うん。ただし」
「ただし?」
「人前で師父って呼ぶなよ」
「努力する」
「そこは断言してくれ」
ハクアから確約を得られないまま、使者を通すことになった。
刀也は卓の端へ座り直す。
湯飲みにはまだ茶が残っていた。
一口飲む。
「……落ち着け俺」
「緊張しているのか」
「してるよ」
「星環院の使者程度、恐れる必要はない」
「ハクア基準で話さないでね?」
世界に十人しかいない十至天からすれば「程度」なのかもしれないが、刀也にとっては得体の知れない巨大組織である。
ほどなくして、廊下から足音が聞こえてきた。
一人ではない。
二人。
使用人に案内され、部屋の前で止まる。
「星環院よりの御使者、シオン・カルディア様がお見えにございます」
「通せ」
襖が開いた。
最初に入ってきたのは、一人の青年だった。
二十代後半ほど。
灰銀色の髪を短く整え、深い藍色の外套を纏っている。外套の胸元には例の紋章――円と一本の線、そして八つの星が銀糸で刺繍されていた。
腰に武器はない。
代わりに左手には、分厚い書物のようなものを抱えている。
その後ろには護衛と思しき女性が一人。
青年は部屋へ入ると、ハクアへ丁寧に頭を下げた。
「突然の訪問をお許しください、剣天ハクア・シラサギ様。星環院第六観測局所属、特任監察官シオン・カルディアにございます」
「構わぬ」
「寛大なお言葉、感謝いたします」
丁寧。
落ち着いている。
少なくとも刀也には、まともそうな人物に見えた。
「今日は何の用だ」
「旧シノノメ遺跡群について、少々確認したい事項がございまして」
刀也の肩が僅かに動く。
やっぱりそこだった。
「今日、剣天様が禁足区域へ入られたとの報告を受けました」
「誰から聞いた」
「周辺に設置された観測器です」
「へえ……」
刀也は小さく感心した。
この世界なりの監視装置があるらしい。
ハクアも特に隠す様子はなかった。
「入った」
「内部に異常は?」
「妖魔の群れがいた。処理した」
「それについては観測されております」
シオンの表情が少しだけ硬くなる。
「ですが問題は、その後です」
「その後?」
「遺跡内部で、千年以上反応のなかった旧文明設備が一時的に起動しました」
刀也の心臓が嫌な音を立てた。
自分だ。
間違いない。
コールドスリープ装置周辺の端末が起動した。
「星環院では重大事象として扱っております。ゆえに、確認のため私が派遣されました」
「なるほど」
ハクアは淡々と答えた。
刀也はできるだけ存在感を消そうと茶を飲む。
そのとき。
シオンの視線が、初めて刀也へ向いた。
「……ところで」
声が止まった。
ほんの一瞬。
ほんの一瞬だけだった。
しかし刀也は気づいた。
「?」
青年の目が大きく見開かれた。
明らかに驚いている。
刀也は思わず自分の顔へ触れる。
「俺?」
「…………」
返事がない。
シオンは刀也を見ていた。
正確には。
顔。
髪。
目。
首元。
そして手。
何かを確認するように、視線が動く。
「……あの」
「失礼」
我に返ったように、シオンが軽く頭を下げた。
「剣天様。こちらの御方は?」
まずい。
刀也は即座にハクアを見る。
目で訴える。
言うな。
絶対師父って言うな。
「我が――」
「ハクアの知り合いです!」
被せた。
ハクアがこちらを見る。
「知り合い?」
「知り合い!」
「師――」
「知・り・合・い!」
圧をかける。
ハクアは少し考え、頷いた。
「知り合いだ」
「よし!」
危なかった。
シオンはそんな二人のやり取りを見ながらも、表情を崩さなかった。
「お名前を伺っても?」
「梔子刀也です」
「クチナシ……トウヤ」
まただ。
名前を聞いた瞬間。
シオンの瞳が揺れた。
今度は刀也にもはっきり分かった。
「何か?」
「いえ」
シオンはすぐに平静を取り戻す。
「珍しい響きだと思いまして」
「そうなんですか?」
「現在では、あまり聞かぬ名です」
「一億年も経ってればそうだよな……」
「一億年?」
「あ」
刀也は口を閉じた。
やらかした。
シオンの目が鋭くなる。
「今、一億年と?」
「いや、気にしないでください」
「ですが――」
「シオン」
ハクアが名前を呼んだ。
ただそれだけだった。
だが空気が変わる。
シオンは僅かに姿勢を正した。
「……失礼いたしました。客人へ無遠慮な詮索を」
「うん」
ハクアの一言で追及が終わった。
刀也は改めてハクアの立場を実感する。
やはり十至天という肩書きはとんでもない。
その一方。
シオンの内心は、表情ほど穏やかではなかった。
――梔子。
――刀也。
名前だけなら偶然で済ませられる。
星環院が管理する膨大な歴史記録の中にも、似た音の名はいくつも存在する。
だが。
シオンは幼い頃から、星環院の中枢に伝わる『始祖伝承』を叩き込まれていた。
一般の院士には知らされない。
王侯貴族はもちろん、各国首脳ですら知らない。
歴代院主と、ごく一部の特任監察官だけが閲覧を許される秘匿記録。
そこには、世界観測機構の起源について一つの伝承が記されていた。
『始まりの者、天環より前に生まれ、星環より前に世界を識る』
『その者、黒き髪を持ち、異邦の衣を纏い、古き言葉を母語とする』
『名は――トウヤ』
シオンの背中を冷たい汗が流れた。
目の前の少年は黒髪。
服装は見たことのない繊維と裁断。
そして。
何より。
シオンは刀也が卓の横へ置いていた一枚の紙に気づいていた。
先ほど刀也が、古代文字を思い出しながら書いたもの。
観測文字。
星環院でさえ完全解読には至っていない、最古の秘匿文字。
それを。
目の前の少年は。
練習書きのような気軽さで書いている。
まさか。
シオンは息を呑む。
そんなはずがない。
あり得ない。
始祖伝承は数千万年前から残る神話だ。
星環院の中ですら、実在を疑う研究者は少なくない。
人間がそんな時間を生きられるはずもない。
だが。
『始祖は長き眠りより帰還する』
秘伝の一節が脳裏をよぎった。
そして今日。
旧シノノメ遺跡群。
数千年間沈黙していた古代設備が起動した。
同じ日に。
剣天ハクア・シラサギの屋敷へ現れた、出自不明の少年。
古代語と一致する名。
観測文字。
シオンは無意識に唾を飲み込んだ。
――まさか。
――この御方が。
伝承にある。
組織の――
開祖。
「シオン?」
ハクアの声で思考が戻る。
「……失礼いたしました」
「先ほどから妙だ」
「少々、驚くことがございまして」
「何に?」
「いえ。私事にございます」
誤魔化した。
今ここで口にするべきではない。
何より確証がない。
もし本当に始祖ならば、星環院の歴史どころの話ではない。
組織そのものの根幹がひっくり返る。
そして目の前の少年が始祖だと知れ渡れば。
星環院内部ですら何が起こるか分からない。
「……それで」
刀也がシオンを見る。
「旧シノノメ遺跡のことを聞きに来たんですよね?」
「はい」
「何が知りたいんです?」
刀也としては、さっさと本題へ移ってほしかった。
先ほどからシオンの視線が妙に刺さる。
「まず確認を。遺跡内部で、人型の存在や未知の遺物をご覧になりませんでしたか?」
「人型」
ハクアは刀也を見る。
シオンも見る。
「…………」
刀也は嫌な汗をかいた。
「俺?」
「師父以外はいない」
「言った!」
刀也が勢いよくハクアを見る。
「今、師父って言ったよね!?」
「言った」
「知り合いで押し通すって話は!?」
「忘れていた」
「早いよ!」
一方。
シオンは完全に停止していた。
「…………」
今。
何と言った?
師父。
あの剣天が。
十至天の一角。
剣において世界の頂へ到達したハクア・シラサギが。
目の前の少年を。
師と。
呼んだ。
「剣天様」
「何だ」
「今、こちらの御方を……師父と」
「そうだ」
「だから肯定するなって!」
刀也が頭を抱える。
シオンの中で、疑念が一気に確信へ近づいた。
剣天ほどの者が、容易く他者を師と仰ぐはずがない。
まして相手は、表面上何の力も感じさせない少年。
ならば。
外見通りの存在ではない。
「……差し支えなければ」
シオンは慎重に言葉を選んだ。
「どのような経緯で、剣天様の師となられたのでしょう」
「なってません」
「なった」
「ハクア!」
「我が師と決めた」
「一方的にな!」
シオンは二人を見る。
刀也の態度は自然だった。
大人物を演じているようには見えない。
むしろ本気で困っている。
だが、それすら始祖伝承と奇妙に一致する。
『始祖は王座を望まず』
『名誉を疎み』
『己を凡夫と称す』
――一致しすぎる。
シオンの喉が鳴った。
「ところで」
刀也は気づいていない。
むしろ話を変えられるなら何でもいいと思っている。
「星環院って、昔からその名前なんですか?」
シオンの表情が変わる。
「……なぜ、そのようなことを?」
「いや、ちょっと気になって」
「現在の名が定められたのは、およそ五千八百万年前とされております」
「その前は?」
「複数の名称が確認されています」
「例えば?」
「最古のものは発音すら不明です。ただ、現在では便宜上――」
シオンが答える。
「『始原観測機関』と呼んでおります」
「アカシック・オーダーじゃないんだ」
「――っ」
シオンの呼吸が止まった。
刀也も気づく。
「あれ?」
しまった。
また口に出した。
「今の忘れて」
「……なぜ」
シオンの声が僅かに震えていた。
「なぜ、その名を知っているのですか」
「え」
「アカシック・オーダー」
今度はシオンがはっきり口にした。
刀也の目が大きく開く。
「知ってるの!?」
ロウエンまで僅かに驚いた。
ハクアもシオンを見る。
「その名は何だ」
「…………」
シオンは口を閉じた。
失言だった。
星環院内部でも最高位の秘匿名称。
一般資料には一切残っていない。
「シオン」
ハクアの声が僅かに低くなる。
「答えろ」
十至天の圧力。
シオンの額に汗が浮かぶ。
「……星環院の最深部にのみ残る、古代名称です」
「古代名称?」
「はい」
シオンはもう誤魔化せないと判断した。
「世界観測機構――アカシック・オーダー」
「…………」
刀也の顔が引きつる。
「正式名称まで残ってる……」
シオンは聞き逃さなかった。
「残っている?」
「あ」
「刀也殿」
「はい」
「貴方は……」
言いかける。
問いただしたい。
あなたは何者なのか。
なぜ始祖しか知らぬはずの名を知るのか。
なぜ観測文字を書けるのか。
なぜ剣天が師と仰ぐのか。
そして。
本当に。
「…………」
シオンは言葉を飲み込んだ。
まだだ。
ここで開祖という言葉を出すべきではない。
伝承が真実ならば、目の前の人物は星環院にとって最大級の存在となる。
だが組織には、数千万年の間に生まれた無数の派閥がある。
始祖の帰還を歓迎する者ばかりとは限らない。
「何?」
刀也が首を傾げる。
「いえ」
シオンはゆっくり頭を下げた。
「失礼いたしました」
「そう?」
「はい」
刀也は不思議そうだったが、それ以上追及しなかった。
シオンは内心で決める。
この件は通常の報告経路には乗せない。
少なくとも。
目の前の少年が何者なのかを確かめるまでは。
「本日のところは、旧シノノメ遺跡で大規模な危険事象が発生していないことを確認できれば十分です」
「そうか」
「ただ」
シオンは刀也を見た。
「数日以内に、改めてお話を伺わせていただく可能性がございます」
「俺にも?」
「可能であれば」
嫌だ。
刀也の表情にそのまま出た。
「面倒にならない?」
「最大限配慮いたします」
「本当に?」
「お約束します」
シオンとしても約束せざるを得ない。
もし本当に始祖であるなら。
粗雑に扱うなど。
星環院の存在意義そのものを否定する行為に等しい。
「では、本日はこれにて失礼いたします」
シオンが立ち上がる。
護衛の女性も続いた。
「剣天様。突然の訪問、改めてお詫び申し上げます」
「構わぬ」
続いて。
シオンは刀也へ向き直った。
「刀也殿」
「はい」
深く。
先ほどハクアへ向けたものよりも。
むしろ丁寧に。
シオンは頭を下げた。
「また、お目にかかれれば幸いです」
「……どうも」
何で俺にだけこんな丁寧なんだ。
刀也は首を傾げた。
シオンたちは部屋を出る。
廊下を進み。
屋敷の正門を抜け。
転移陣へ向かう。
護衛の女性は、それまで黙っていたが、周囲に誰もいなくなったところで口を開いた。
「監察官」
「何だ」
「先ほどの少年について、何か?」
シオンは足を止めなかった。
「何も言うな」
「ですが」
「星環院へ戻るまで、一切口にするな」
声が硬い。
護衛の女性も異常を察したらしい。
「……承知しました」
シオンは胸元を見る。
円。
一本の線。
八つの星。
何千万年も星環院が守り続けてきた紋章。
始祖伝承。
古代の名。
観測文字。
そして剣天の師。
全てが一人の少年へ繋がっている。
偶然で片づけるには多すぎた。
「まさか……」
誰にも聞こえない声で、シオンは呟いた。
一億年近い時を越えて。
神話とすら呼ばれていた存在が。
今になって。
本当に帰ってきたというのか。
「開祖……」
シオンは知らない。
その頃。
屋敷の中では。
「ハクア」
「何だ、師父」
「人前で呼ぶなって言ったよな?」
「忘れていた」
「鳥より早く忘れんなよ!」
伝説の開祖本人が。
世界の命運とは一切関係なく。
弟子の呼び方について本気で頭を抱えていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
星環院特任監察官、シオン・カルディア登場です。
刀也本人としては、
「また俺の黒歴史が残ってる」
程度の認識。
ですが星環院側には、一般には公開されていない『始祖伝承』が残っていました。
黒髪。
古代の衣服。
「トウヤ」という名。
観測文字。
アカシック・オーダーという秘匿名称。
長き眠りからの帰還。
そして何より、『剣天』ハクアが師父と呼んでいる。
シオン視点では、かなり役満状態です。
ただし、星環院内部にも複数の派閥が存在するため、シオンは現段階では刀也の存在を通常の報告経路には流さない判断をしています。
次回、第8話。
ようやく刀也の一億年後初日の夜。
自分の身体、義母、残された黒歴史について整理しつつ、星環院側でも『始祖帰還の可能性』が静かに動き始めます。