『獅子と魔法動物学者の継承者たち ―スキャマンダー家の双子とホグワーツ―』 作:夜幻
雨の午後。
スキャマンダー家では、珍しく静かな時間が流れていた。
レオニダスは自分の部屋で魔法の練習。
レオは仕事の資料を整理している。
そしてレオナは――
一人で母親の書斎にいた。
「……すごい」
壁一面の本棚。
古代魔法。
呪文学。
魔法史。
薬草学。
魔法生物学。
さらに、普通の魔法使いなら一生かけても読み切れないほどの専門書。
レオナは棚を見上げた。
「お母さん、これ全部読んだのかな……」
「ほとんどね」
「わっ!」
突然背後から声がして、レオナは振り返った。
「お母さん……」
そこにはハーマイオニーが立っていた。
「驚かせちゃった?」
「ちょっとだけ」
「ごめんなさい」
ハーマイオニーは笑った。
「何を探しているの?」
「特に決めてないの」
レオナは本棚を見る。
「ただ……お母さんの本を見てみたくて」
「そう」
ハーマイオニーは娘の隣に立った。
「好きな本があれば読んでいいわよ」
「本当に?」
「もちろん」
レオナは嬉しそうに本棚を見渡した。
そのとき。
一冊だけ、古い本が目に入った。
他の本とは違って、背表紙が擦り切れている。
「これ……」
「それ?」
「うん」
レオナが取り出す。
かなり古い。
表紙にはタイトルが書かれていない。
「これ、何の本?」
ハーマイオニーは少し驚いた顔をした。
「あら……まだ持っていたのね」
「お母さんの?」
「ええ」
「読んでいい?」
「もちろん」
レオナは机に座る。
本を開く。
最初のページ。
そこには大量の書き込みがあった。
『要確認』
『この記述には矛盾あり』
『別資料を参照』
『この魔法は危険』
『理論上は可能』
レオナは思わず笑った。
「……お母さんらしい」
「どういう意味?」
「いっぱい書いてある」
「勉強するときは普通でしょう?」
「普通じゃないと思う」
「どうして?」
「本よりお母さんの字の方が多い」
「……」
ハーマイオニーが本を覗き込む。
「確かに」
二人で笑う。
レオナはページをめくる。
魔法理論について細かく書かれている。
難しい。
けれど、面白い。
「お母さん」
「何?」
「これ、いつ読んだの?」
「学生の頃よ」
「ホグワーツにいたとき?」
「そう」
「じゃあ、お父さんも知ってる?」
「もちろん」
「お父さんは読んだ?」
「……途中まで」
「どうして?」
「難しいって言って寝たわ」
「ふふっ」
レオナは笑った。
「お父さんらしい」
「本人には言わないでね」
「分かった」
またページをめくる。
すると、一枚の紙が落ちた。
「あ」
レオナが拾い上げる。
古いメモだった。
ハーマイオニーの字。
そこには、
『知識を得ることは、強くなることとは違う』
と書かれていた。
レオナは首を傾げる。
「お母さん」
「何?」
「これ、どういう意味?」
ハーマイオニーは紙を見る。
「……それを書いた頃は、私もまだ分かっていなかったの」
「分かってなかった?」
「ええ」
ハーマイオニーは椅子に座った。
「昔の私は、知識があれば何でも解決できると思っていた」
「違うの?」
「知識は大切よ」
ハーマイオニーは頷く。
「でも、知っているだけでは誰かを救えないこともある」
レオナは黙って聞いている。
「正しい魔法を知っていても、それを使う勇気が必要なことがある」
「……」
「逆に、知識があっても、使ってはいけないこともある」
ハーマイオニーは娘を見る。
「だから、知識を持つことより大切なのは――」
「使い方?」
「そう」
レオナは紙を見る。
「知識は、使い方を選ぶためにある」
「そうね」
ハーマイオニーは微笑んだ。
「そして、それを選ぶのは自分自身」
レオナはその言葉を覚えておこうと思った。
さらにページをめくる。
すると、最後の方に一つだけ、他とは違う文章が書かれていた。
短い一行。
『知識は、誰かを支配するためではなく、自分で選ぶために使う』
レオナは目を止めた。
「これ……」
「私が書いたの」
「お母さんが?」
「ええ」
「いつ?」
「ずっと昔」
「何かあったの?」
ハーマイオニーは少しだけ遠くを見る。
「……いろいろあったのよ」
「教えてくれる?」
「そうね」
ハーマイオニーは静かに話し始めた。
「私がホグワーツに入った頃、私は魔法使いの世界を何も知らなかった」
「うん」
「だから、知らないことが怖かった」
「お母さんでも?」
「私でも」
ハーマイオニーは笑った。
「知らないことがあると、不安になるでしょう?」
「なる」
「だから私は、たくさん勉強した」
「怖くなくなるため?」
「そう」
レオナは母を見る。
「でも……」
ハーマイオニーは続けた。
「どれだけ勉強しても、分からないことはなくならなかった」
「……」
「だから、途中で気づいたの」
「何に?」
「分からないことがあるからこそ、自分で考える意味があるんだって」
レオナは本を閉じた。
「じゃあ、お母さんは今でも分からないことがある?」
「たくさんあるわ」
「意外」
「私を何だと思っているの?」
「何でも知ってる人」
「それは買いかぶりすぎね」
二人は笑った。
そのとき。
書斎の扉が開いた。
「母さん」
レオニダスだった。
「父さんが呼んでる」
「分かった」
レオナは立ち上がる。
その手には、さっきの古い本。
「あ、それ」
ハーマイオニーが気づく。
「借りてもいい?」
「もちろん」
「ありがとう」
レオナは本を胸に抱えた。
書斎を出ようとしたところで、ハーマイオニーが呼び止める。
「レオナ」
「何?」
「その本に、あなた自身の言葉を書いてみたら?」
「私の?」
「ええ」
「お母さんの本なのに?」
「だからよ」
ハーマイオニーは笑った。
「私の書いたことを、そのまま受け取らなくていい」
「……」
「間違っていると思ったら、そう書いていい」
「本当に?」
「もちろん」
レオナは少し驚いた。
「怒らない?」
「どうして怒るの?」
「お母さんの考えだから」
「私の考えは私のもの」
ハーマイオニーは言った。
「あなたがどう考えるかは、あなたのものよ」
レオナは微笑んだ。
「じゃあ……書いてみる」
「楽しみにしてるわ」
その夜。
レオナは自分の部屋で、古い本を開いていた。
母の文字。
母の記憶。
母が学んできた知識。
そこに、自分の考えを書き加える。
しばらく悩んだあと。
レオナは一行を書いた。
『知識は、未来を決めるためではなく、未来を選ぶために使う』
書き終える。
「……これでいいかな」
すると。
手元の柳の杖が淡く光った。
「え?」
レオナが杖を見る。
柔らかな光。
そして、その光が本の上へ落ちる。
母の文字。
娘の文字。
二つの文字が重なる。
古い本のページに、一瞬だけ新しい魔法文字が浮かんだ。
「継承」
レオナは目を見開く。
「……」
しかし、すぐにその文字は消えた。
残ったのは、自分で書いた一行だけ。
『知識は、未来を選ぶために使う』
レオナは微笑んだ。
翌朝。
「おはよう」
「おはよう、レオナ」
朝食の席でハーマイオニーが娘を見る。
「本、どうだった?」
「面白かった」
「そう」
「それと……一つ書いた」
「何を?」
レオナは母に本を渡す。
ハーマイオニーはページを開く。
そこに書かれた娘の言葉を見る。
しばらく黙っていた。
「……どう?」
レオナが少し不安そうに尋ねる。
ハーマイオニーは笑った。
「いいと思う」
「本当に?」
「ええ」
そして。
「私より、ずっといいかもしれない」
「そんなことないよ」
「いいえ」
ハーマイオニーは首を振る。
「これは、あなたの言葉だから」
レオナは嬉しそうに笑った。
そのとき、レオニダスが横から覗き込む。
「何それ?」
「お母さんの本」
「難しそう」
「兄ちゃんには難しいかも」
「なんでだよ!」
「だって、読む前に寝るでしょう?」
「寝ない!」
レオが遠くから笑っている。
「いや、寝るぞ」
「父さんまで!」
朝の家に笑い声が響く。
ハーマイオニーは本を閉じた。
そこには、
母の知識。
娘の言葉。
そして、二人だけの新しいページが残されていた。
知識は、受け継ぐだけでは意味がない。
受け取った者が考え、
自分の言葉に変え、
自分の未来を選ぶ。
それが――
ハーマイオニーからレオナへ渡された、もう一つの継承だった。
そしてレオナはまだ知らない。
いつか自分が母になる日が来たとき。
この本の最後の空白ページに、
さらに新しい言葉が書き加えられることを。
継承は、本の最後のページで終わるものではない。
次の誰かが、新しいページを開いた瞬間。
また始まるのだから。
――アナザーストーリー第2話・完――