空の結び目   作:夕花

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 昼休みも半ばを過ぎていた。

 

 千綴たちは、いつものように昼休みを一緒に過ごしていた。

 

 気づいたのは、何か特別なきっかけがあったからではなかった。

 

 廊下ですれ違わなかった。昼休みに見かけなかった。校内を移動している時にも、あの明るい髪が視界へ入ってこなかった。

 

 それだけなら、一日くらいは何とも思わない。学年も違えば、普段いる教室も違う。毎日決まって顔を合わせる約束があるわけでもなかった。

 

 けれど、それが続くと、逆に妙だった。

 

 千綴は友人たちの会話を聞きながら、ここ最近の校内の様子を思い返した。最後にエレディトを見たのは、いつだっただろう。考えてみると、すぐには出てこない。

 

「……ねえ」

 

 声を挟むと、近くにいた綾乃がこちらを見る。

 

「どうしたの、ちづる」

 

「最近、エレディト見た?」

 

 何気なく聞いたつもりだった。

 

 綾乃はすぐには答えず、少しだけ目を上へ向けた。

 

「エレディト?」

 

「うん」

 

「……そういえば、見てないかも」

 

 環も少し考えてから首を傾ける。

 

「私も見てない」

 

 悠司も記憶を探るように少し考えた。

 

「俺も最近は見てないな」

 

「何日くらいだろ」

 

 千綴が訊くと、綾乃は首を傾げた。

 

「そこまでは覚えてないけど」

 

「私も。毎日会うわけじゃないしね」

 

 環も同意する。

 

 エレディトは一年生で、千綴たちとは普段いる場所が違う。千綴たち自身も、全員が同じ教室で一日を過ごしているわけではない。

 

 それでも、ここにいる誰も最近の姿を思い出せない。それなら、単に千綴だけが見かけていなかったという話でもなさそうだった。

 

「休んでるのかな」

 

 綾乃が言う。

 

「風邪とか?」

 

「そういうこともあるか」

 

 どちらも普通にありそうな話だった。千綴自身、それを否定する理由はない。

 

「でも、たまたま会ってないだけかもしれないし」

 

 そう言ってから、千綴は何となく隣へ視線を移した。

 

 そこで初めて、ヴァシリオスが妙に静かなことに気づいた。

 

 普段なら、この程度の話題でも何かしら口を挟む。知らないなら知らないで、余計な推理の一つくらい始めてもおかしくない。だが今は、少し離れたところを見たまま黙っている。

 

「ヴァシリオス?」

 

「ん?」

 

 返事はしたが、いつもの勢いがない。

 

 千綴は眉を寄せた。

 

「どうしたの、その顔」

 

「いや」

 

「何か知ってる?」

 

 綾乃も聞く。

 

 ヴァシリオスは一度口を開きかけ、それから閉じた。数秒だけ迷ったあと、頭を掻く。

 

「……関係あるか分かんねえんだけど」

 

 その前置きで、空気が少し変わった。

 

「何があったの?」

 

「この前、帰りにエレディト見たんだよ」

 

「学校で?」

 

「いや、外。俺、商店街の方に寄ろうとしててさ」

 

 ヴァシリオスはそこで一度言葉を切った。

 

「学校から商店街の方へ抜ける途中に、ちょっと人通り少なくなるとこあるだろ? そこで変な音がして。道の奥見たら、制服のやつが一人倒れてた」

 

 誰も口を挟まなかった。

 

「その近くにエレディトがいて、あと、知らねえ男がいた。俺が見た時には、もう一人は倒れてて、エレディトとそいつが近くにいた」

 

「ヴァシリオス、そこに入っていったの?」

 

「まともには行ってねえよ。ヤバそうだったし」

 

 ヴァシリオスは少しだけ顔をしかめる。

 

「だから、とりあえず『お巡りさん、こっちです』って叫びながら走った」

 

「警察いたの?」

 

 環が聞く。

 

「いねえ」

 

「いなかったんだ」

 

「仕方ねえだろ! あの場で俺一人だったんだぞ!」

 

 一瞬だけ、いつもの調子が戻った。

 

「で、近づいた時には、その男はいなくなってた」

 

「逃げたの?」

 

「分かんねえ。俺、エレディトの方も見たし、倒れてるやつも気になったから。次に見た時にはもういなかった」

 

 見ていないものを、見たようには話さない。その線だけは崩さないまま、ヴァシリオスは続けた。

 

「倒れてたのは、エレディトの友達だった」

 

「友達?」

 

「同じクラスだって。エレディトに聞いたら、殴られたって言ってた」

 

「殴られた?」

 

 綾乃の声が少し強くなる。

 

「俺が見た時には、もう倒れてた。だから殴られたとこは見てねえ」

 

 千綴は黙って聞く。

 

「とりあえず救急車呼んだ。来るまでエレディトも一緒にいて、怪我してないかだけ見たけど、あいつは大丈夫そうだった」

 

「それで?」

 

「救急隊が来て、友達を運ぶことになって。エレディトも付き添って、そのまま病院行った」

 

「その男のこと、エレディトは何か言ってた?」

 

 千綴が尋ねると、ヴァシリオスは首を振った。

 

「知り合いかって聞いたら、違うって言ってた。何者かも分からないって。ただ……何も知らないって感じには、俺には見えなかった」

 

 断定ではない。ただ、ヴァシリオスにはそう見えた。それだけだった。

 

「だからって、無理に聞いても仕方ねえし。警察が来たらちゃんと話せって言って、それ以上は聞かなかった」

 

 綾乃が小さく息を吐く。

 

「それ、いつの話?」

 

「この前だったかな。あれから俺も見てねえ」

 

 千綴は返事をせず、ここまでの話を頭の中で並べた。

 

 最近、エレディトを見ていない。それだけなら、ただ休んでいるだけかもしれない。

 

 けれど、その直前には同じクラスの友人が殴られて倒れ、そこにエレディトと見知らぬ男がいた。

 

「……関係あるか分かんねえんだけどな」

 

 ヴァシリオスがもう一度言う。

 

 千綴は、すぐには答えなかった。

 

 

 

 

 少しして、昼休みの終わりが近づいていた。

 

 千綴は教室を出ると、人の少ない廊下の端まで移動した。さっき聞いたヴァシリオスの話が、まだ頭に残っている。

 

 ただ休んでいるだけなら、それでいい。けれど、確認できる相手がいるのに、気になったままにしておく理由もなかった。

 

 千綴はスマートフォンを取り出し、巴へ電話をかける。数回の呼び出し音のあと、通話が繋がった。

 

「もしもし」

 

『千綴?』

 

「うん。今、大丈夫?」

 

『大丈夫だけど……こんな時間に珍しいな。授業は?』

 

 言われて、千綴は廊下の時計へ目を向けた。

 

「昼休み。もうすぐ終わるけど」

 

『なるほど。それで?』

 

 巴の声は普段と変わらない。

 

「ちょっと聞きたいことがあって。エレディトって、最近休んでる?」

 

『休んでる?』

 

 聞き返す声に、訝しむような響きが混じった。

 

「最近、学校で見かけてなくて」

 

『いや。毎朝、普通に学校へ出かけてるけど』

 

 千綴は一瞬、返事を止めた。

 

「……毎朝?」

 

『ああ。制服着て、鞄持って、いつも通り出てる。今日もそうだったぞ』

 

 廊下の向こうでは、教室へ戻る生徒の声が増え始めている。

 

 学校では見かけない。けれど榊家では、毎朝いつも通り学校へ向かっていると思われている。

 

『どうした?』

 

 巴の声で、意識が戻る。

 

「ううん。ちょっと気になっただけ」

 

『ふうん』

 

 短い返事だった。それだけなのに、完全には納得していないのが何となく分かった。

 

「ごめん、変なこと聞いて」

 

『別にいいけど』

 

「うん」

 

『授業、遅れるなよ』

 

「分かってるって」

 

 そこで通話を切る。

 

 画面が元に戻っても、千綴はすぐにはスマートフォンをしまわなかった。

 

 家を出ている。でも、学校では見ない。

 

 ただ休んでいるだけでは説明できない食い違いが、そこに残った。

 

 予鈴が鳴る。

 

 千綴はようやくスマートフォンをポケットへ戻し、教室へ向かって歩き出した。

 

 

 

 

 通話が切れた。

 

 巴はスマートフォンの画面をしばらく見たまま、すぐには手を下ろさなかった。

 

 千綴が学校にいる時間帯に、わざわざ電話をかけてきた。聞かれたのは、エレディトが最近休んでいるかどうか。それだけなら、友人を心配して確認したとも考えられる。

 

 けれど、「学校で見かけない」という千綴の言葉が少し引っ掛かった。

 

 今朝も、エレディトはいつもと変わらなかった。制服を着て、鞄を持って、普段と同じ時間に家を出た。昨日も、その前もそうだった。

 

 少なくとも巴には、学校へ行かないつもりの人間には見えなかった。

 

「……何してんだ、あいつ」

 

 小さく呟いて、巴は眉を寄せた。

 

 そこで、この前のことを思い出す。

 

 エレディトの帰りが遅くなった日だ。本人からは、友人が怪我をして病院へ付き添うから帰宅が遅くなる、と連絡があった。

 

 帰ってきたエレディトにも友人のことは聞いたが、詳しい事情までは聞いていない。

 

 友人が怪我をしてからも、エレディトは変わらず家を出ている。なのに、学校では見かけない。ばらばらだったものが少しずつ同じところへ寄ってきて、何かがおかしいという感覚だけが残った。

 

 ただ、それが何なのかまでは分からない。学校をさぼっているだけなら、それはそれで話は早い。

 

 だが、千綴の声が妙に慎重だったことも気になった。

 

 最近見かけなかったから心配になっただけ。そう言っていたし、千綴ならそれだけで確認の電話をしてきても不思議ではない。

 

 それでも、完全には納得できなかった。

 

 以前、千綴に普通では説明しにくいことが起きた時も、最初から何もかも分かっていたわけではない。

 

 今回も同じだとは限らない。エレディトに何か異常なことが起きていると決めつける理由もない。

 

 けれど、何もないと決めつける理由もなかった。

 

 巴はスマートフォンを握り直した。

 

 今すぐ本人へ電話をかけることもできる。だが、帰ってきた顔を見て聞いた方がいいと思い直した。

 

「帰ってきたら、聞くか」

 

 誰に聞かせるでもなく言って、スマートフォンをしまう。

 

 今日はエレディトが帰ってくる時間を、少し気にしておくことにした。

 

 

 

 

 最後の授業が終わった。

 

 教師が教室を出ていくと、張りつめていた空気が一気にほどける。椅子を引く音、鞄を開く音、部活へ急ぐ生徒の声が重なった。

 

 千綴は机の上を片づけながら、昼休みに分かった食い違いをもう一度考えていた。

 

 エレディトは毎朝、制服と鞄で榊家を出ている。それなのに、学校では最近姿を見かけない。そこへ先日の襲撃の話まで重なった。

 

 もう、たまたま会っていないだけで済ませるには引っ掛かりが多い。

 

 千綴は鞄からスマートフォンを取り出し、朝倉直嗣へ電話をかけた。呼び出し音は長く続かなかった。

 

『もしもし』

 

「朝倉さん。今、大丈夫ですか?」

 

『大丈夫だ。どうした』

 

 電話の向こうから、一定の走行音が聞こえている。

 

「エレディトのことで、追加で分かったことがあります」

 

『ああ、話してくれ』

 

 千綴は、学校で最近エレディトを見かけていないこと、榊家では、毎朝いつも通り学校へ向かっていると思われていることを伝えた。

 

 続けて、ヴァシリオスが先日見たものを、聞いた範囲だけ話す。人通りの少ない道で同級生が倒れており、そのそばにエレディトと見知らぬ男がいたこと。ヴァシリオス自身は攻撃を見ておらず、男も次に見た時にはいなくなっていたこと。

 

『エレディト本人の怪我は』

 

「見た感じでは大丈夫そうだったって。そのあと、友達に付き添って病院へ行ったそうです」

 

『分かった』

 

 直嗣は短く答えた。そのまま少し黙り、走行音だけが電話の向こうに残る。

 

「朝倉さん。何か、分かってるんですか?」

 

『前にお前が言ってた、新辺で軍人っぽい男を見たって話。あれを裏付けるような人物が一人出てきてる』

 

「裏付けるような?」

 

『特徴が近い。顔に傷があるって点も一致してる。ただ、同じ人物だと断定できるところまでは行ってない』

 

「顔に傷……」

 

 以前の目撃が、ただの印象だけではなくなってきている。そこまで聞けば、千綴にも直嗣が慎重になっている理由は分かった。

 

『今、俺もそっちに向かってる』

 

「え?」

 

『前に相談を受けてから調べてたんだが、一度行った方がいいと思ってな。もう移動してる』

 

 だから、さっきから走行音が聞こえていた。

 

『着いたら学校と周辺を確認する。お前はそれまで待て』

 

「でも、エレディトがどこにいるか分からないんですよね」

 

『分からないからだ。勝手に探し回るな』

 

「家にもいない。学校にも来てない。この前、友達が襲われてる」

 

『分かってる』

 

「だったら――」

 

『千綴』

 

 名前を呼ばれて、言葉が止まった。

 

『分からない相手を、一人で追うな。お前は俺たちみたいに、そういうことをする立場じゃない。異能があるからって、それは変わらない』

 

「……分かってます」

 

『前に教えたのも、戦うためじゃない。逃げるためだ』

 

 理屈は分かる。直嗣の言っていることは正しい。相手が誰なのかも、エレディトがどこにいるのかも分からず、探すための手掛かりだってない。

 

 ――本当に?

 

 そこで、エレディトのそばで感じたあの輪郭が頭をよぎった。一人なのに、一人だけでは終わらないような、重なった輪郭。

 

 あの時は、自分から確かめなかった。分からないものを勝手に試さない。それでよかった。

 

 けれど今は。

 

 千綴はスマートフォンを耳に当てたまま教室を出て、階段を下りた。

 

「朝倉さん」

 

『何だ』

 

「電話、切らないでください」

 

『何をする気だ』

 

「試したいことがあります」

 

『千綴』

 

「一人でやるより、朝倉さんと繋いでた方がいいでしょう」

 

 返事を待たず、千綴は昇降口を抜けた。

 

 校門の外で足を止め、スマートフォンを耳に当てたまま目を閉じる。

 

 エレディト。

 

 名前を頭の中で呼び、顔を思い浮かべる。明るい髪、朝の公園、生徒会室で向き合った時のあの輪郭。そこへ意識を向けた。

 

 最初は何も起きないと思った。校門を出ていく生徒の声も、遠くを走る車も、風に揺れる木の葉も、いつも通りに聞こえる。

 

 それでも意識を向け続けていると、ふいに感覚が変わった。何かが見えたわけでも、声が聞こえたわけでもない。ただ、遠くにいるはずのエレディトとの間に、まだ何かが残っている。

 

 離れているのに、完全には切れていない。そんな感覚だった。

 

 千綴は目を開ける。

 

『どうした』

 

「……繋がってる、のかもしれません」

 

『エレディトと?』

 

「たぶん」

 

 言葉にした途端、それでも少し違う気がした。手を引かれているわけでも、居場所が見えているわけでもない。

 

 千綴は周囲へ視線を巡らせる。

 

 その時、一方へ足を向けることだけが妙に自然に思えた。

 

「場所が見えるわけじゃないです。でも、進む方向は何となく分かる気がします」

 

『無理はするなよ』

 

「はい」

 

『少しでもおかしいと思ったら止まれ。電話も切るな』

 

「分かってます」

 

 千綴は一歩を踏み出した。

 

 そのままもう一歩進んでも、遠くに残った何かは途切れなかった。

 

 

 

 

 校門を離れてからも、千綴はスマートフォンを耳に当てたまま歩き続けた。

 

 エレディトの居場所が見えているわけでも、道順を知っているわけでもない。それでも意識を向けている限り、遠くに残った何かは消えなかった。

 

 分かれ道へ来ると、不思議と足を向けたい方がある。理由を考え始めれば曖昧になるのに、立ち止まって比べるより先に、身体の方が自然と一方を選んでいた。

 

『今、どの辺だ』

 

 直嗣に聞かれ、千綴は周囲を見回して、見えるものを伝えた。

 

『感覚だけに集中するな。周りも見てろ』

 

「はい」

 

『車にも気をつけろよ』

 

「分かってます」

 

 答えながら角を曲がる。見慣れた通学路は少しずつ遠ざかっていた。

 

「今のところ、まだ繋がってる感じはあります」

 

『まだ感じるか?』

 

「はい。消えてないです」

 

 遠くにいる誰かとの間へ細く糸が残っているような、その有無だけを確かめながら進む。しばらくはそれでよかった。

 

 けれど、いつの間にか千綴の歩幅は広くなっていた。

 

『千綴』

 

「はい?」

 

『歩くの、速くなってないか』

 

 言われて初めて気づく。確かに、さっきより速い。

 

「……ちょっとだけ」

 

『一回落とせ』

 

「はい」

 

 千綴は意識して歩幅を狭めた。急ぐ理由はない。エレディトに何かあったと分かったわけでも、危険な場所だと知らされたわけでもない。

 

 ところが少し進んだところで、残っていた感覚の質が変わった。

 

 何かを知らされたわけではない。痛みや恐怖が伝わってきたわけでもない。ただ、それまで静かに残っていたものが急に揺らいだように思えた。

 

 胸の奥が落ち着かない。足を緩めているより、先へ進んだ方がいい。理由もないのにそう思い、意識して落としたはずの歩幅がまた広がっていく。

 

『千綴?』

 

「朝倉さん。さっきまでと感じが変わりました」

 

『どう変わった』

 

 答えようとして、自分の呼吸まで少し速くなっていることに気づく。

 

「……急いだ方がいい気がします。何か見えたわけじゃないけど、じっとしてる方が落ち着かなくて」

 

『お前自身が?』

 

「はい。気づくと足が速くなってます」

 

 電話の向こうで、直嗣が少し黙った。

 

『……その感覚に引っ張られすぎるな。自分のペースは崩すなよ』

 

「はい」

 

 返事をして一度は速度を落とす。それでも進むほど、足を緩めていることの方が不自然に思えてきた。自分から焦ろうとしているわけではないのに、身体だけが先へ行きたがっている。

 

 千綴は深く息を吸った。

 

「朝倉さん」

 

『何だ』

 

「やっぱり、急いだ方がいいと思います」

 

『理由は』

 

「まだ説明できないです。でも、このままゆっくり行く方が違う気がする」

 

 自分でも曖昧な言い方だと思う。何かを知ったわけではない。それでも、エレディトとの間に残っているものが変わってから、自分の中の感覚まで同じではなくなっていた。

 

 次の角を曲がる頃には、返事をする声にも息が混じっていた。

 

『千綴、無理するな』

 

「はい。でも――」

 

 千綴は前を見た。

 

「走ります」

 

 返事を待たずに地面を蹴る。鞄が身体の横で大きく揺れ、スマートフォンを耳へ押し当てたまま走り始めた。

 

『周りは見ろ。電話も切るなよ』

 

「はい」

 

 呼吸はすぐに深くなったが、遠くに残った感覚は途切れない。道を知っているわけではないのに、分岐へ来れば考えるより先に足を向けたい方が生まれる。

 

 走るほどに景色が変わった。家が減り、道の先には木々が増えていく。学校の周辺とは違う空気へ入り込むにつれ、舗装を蹴る靴音と自分の息だけが近く聞こえた。

 

『千綴、今どこだ』

 

 問われ、走りながら周囲を見る。見えるものを短く伝えている途中で、千綴はふと顔を上げた。

 

 遠くに残っていたものが、さっきより近い。

 

 距離が分かったわけではない。それでも、その感覚だけははっきりしていた。

 

「たぶん、近いです」

 

『分かるのか』

 

「さっきより近く感じます」

 

 速度を落とさず道の先へ進む。

 

 やがて木々の向こうに、開けた場所が見えた。積まれた木材。その周囲だけ視界が大きく抜けている。

 

 千綴は走ったまま目を凝らした。

 

 人影がある。

 

 一人ではない。

 

 そのうちの一人に、見慣れた制服と明るい髪が見えた。

 

 探していた姿を認めた瞬間、千綴は息を吸う。

 

「エレディト!」

 

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