空の結び目   作:夕花

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 通知音が、一度だけ短く鳴った。

 

 画面には、件名が表示されていた。

 

 「ライカー・スレイド 身体調査 一次報告」

 

 直嗣は椅子に座り直し、開いた。

 

 データベース照合。登録済みの生体情報との一致が確認されている。

 

 本人で間違いない。

 

 予想していた結果ではあった。それでも、確認結果として突きつけられると、頭のどこかが一拍だけ止まる感覚がある。木材置き場で最後に見た男と、今画面にある記録が、同じ人物を指している。

 

 直嗣はスクロールを進めた。

 

 次は、身体の構造についてだった。

 

 骨格の一部、皮膚の質感、内部組織の連続性。それぞれに不自然な差異があるという。一行ごとに読み進めるうち、直嗣の中で像が組み上がっていく。

 

 一続きの身体ではない。

 

 複数の由来を持つ部位が、一つの器の形へ無理に収められている。実戦の中で見た動きの端々――攻防の切り替わりで一瞬だけ生まれた遅れ、腕の返しにあった微妙な癖の違い――が、今になって別々の理由を持って繋がった。

 

 あの時感じた違和感は、間違いではなかった。

 

 部屋は静かだった。時計の音だけが規則正しく続いている。窓の外はもう暗く、街灯の光が薄くカーテンの隙間から入り込んでいた。

 

 頭部と顔面の所見。

 

 通常であれば致命傷に相当する痕跡が、複数箇所に残っている。損傷の深さ、位置。

 

 直嗣は少しの間、その一文の上で目を止めた。

 

 最後の戦いで、あの男の身体が見せた反応の鈍さを思い出す。判断は最後まで崩れていなかった。崩れていたのは、判断を実行へ移すための、身体そのものの方だった。

 

 理由の一端が、ここにあるのかもしれない。

 

 全部ではない。

 

 それでも、一つは分かった。

 

 

 

 

 直嗣はスクロールを続けた。

 

 次は、エレディトの親族を連れ去った実行犯として記録されている人物の外見と、今回確認された対象の特徴を並べた比較だった。

 

 直嗣はその箇所を、二度読んだ。

 

 似ている。

 

 それだけは分かる。

 

 だが、報告書自体が結論を避けていた。骨格、輪郭、傷の位置。似通った点は列挙されているが、末尾には「同一人物と断定する根拠は現時点で不十分」と一行だけ添えられている。

 

 体内から、異物が確認されている。

 

 核と呼べる大きさの、人工的な構造物。位置は胴部の中心に近い。ただし、これ以上の詳細については、現時点で解析が及んでいない。

 

 これ以上の情報は、当面得られない。文書の結びには、そう記されていた。

 

 その下に、対象への呼称が記されている。

 

つぎはぎだらけの完全体(パペット)〉。

 

 直嗣はその文字列を、しばらく動かさずに見ていた。

 

 継ぎ接ぎにされた身体。今回確認された対象の状態が、そのまま呼び名になっている。

 

 直嗣は、死者に新しい呼び名をつける意味を考えた。

 

 生きていた頃の名を消すためではない。何者だったのかを、組織の記録として留めておくためだ。

 

 ライカー・スレイドという名は、もう生きた本人と結びつくことはない。

 

 古い名。死んだ名。今は亡霊。

 

 それなら、これが新しい呼び方になる。

 

 誰が、何のために。

 

 答えの出ない問いを、頭の隅に置いたまま、直嗣は端末を机の端へ寄せた。

 

 

 

 

 また通知が届く。

 

 件名を見た瞬間、指先が止まった。

 

 「緊急連絡――拘束対象死亡について」

 

 直嗣はすぐに開いた。

 

 拘束していた〈標本家〉が、尋問中に死亡したとある。

 

 突然の意識喪失。それに続く出血。処置は間に合わなかった。

 

 直嗣は画面をスクロールする手を、一度止めた。

 

 拘束後から、精神面での不調が続いていたという記述がある。会話が成立しない時間が増え、直近の記録では反応そのものが鈍くなっていたとも書かれていた。

 

 直嗣はその一文を読みながら、拘束された夜のことを思い出す。

 

 あの男は、最後まで抵抗した。優越を疑わず、支配することしか知らないような目をしていた。あの目が、収容されてからどう変わっていったのか。直嗣はそこにいなかった。

 

 それでも、これほど早く死ぬとは、直嗣も想定していなかった。

 

 直嗣は端末を机へ置いた。

 

 画面はまだ光っていたが、それ以上読む項目はなかった。

 

 死んだ。

 

 その事実だけが、部屋の中に残っている。

 

 

 

 

 直嗣はしばらく、点いたままの画面を見つめていた。

 

 〈標本家〉。

 

 口の中で繰り返した名前が、事件そのものより先に、もっと前の場面を引き出した。

 

 守られるだけで終わる人間ではない。

 

 あの事件を通して、直嗣の中に残った千綴への印象は、それに尽きる。怖がらないわけではない。それでも、必要な場面では自分で考えて動く。

 

 その印象がどこから来たのか、たどれば、いくつかの場面に行き着く。

 

 最初の対面は、現場となった公園だった。

 

 確認に向かうと、規制線の外に人影があった。千綴と、榊巴だった。

 

 声をかけると、榊が千綴の記憶がまだ戻っていないことを伝えようとした。それを、千綴が短く制した。

 

 どちらの名前も知っていた。ただ、顔を合わせるのはその時が初めてだった。

 

 多くは話さなかった。だが、庇われるだけで終わろうとしない態度は、その時すでに見えていた。

 

 次に会ったのは、丘平商店だった。

 

 その日、店の方角に異変を感じ取った。踏み込んだ先で見たのは、動けなくなった榊と、同じように身体の自由を奪われかけている千綴だった。

 

 目の前の男は、すぐに分かった。

 

 直嗣は割って入り、二人をその場から引き離した。

 

 男が離脱したあとも、千綴はすぐには落ち着かなかった。それでも、まず動いたのは榊を支えることだった。

 

 あの印象は、この時から変わっていない。

 

 男はその場から離脱した。直嗣は追わなかった。

 

 目の前に、優先すべきものが残っていた。

 

 最後に思い出すのは、あの夜だ。

 

 署での確認を終えたあと、千綴が公園へ寄りたいと言った。それを、直嗣は許可した。

 

 異様な霧の中、動物たちが不自然な数で集まり出したのに気づいたのは、千綴の方が先だった。

 

 あそこ。

 

 千綴が指した先に、あの男が立っていた。

 

 そこから先は、戦いになった。

 

 直嗣は、視線を端末へ戻した。

 

 あの男はもう死に、名前だけが記録の中へ残った。

 

 直嗣は端末を、もう一度手に取った。

 

 画面には、さっき読んでいた文面がそのまま残っていた。

 

 やるべきことは、まだ終わっていない。

 

 直嗣は小さく息を吐き、次の連絡先を呼び出した。

 

 

 

ツギハギだらけの完全体《パペット》編 完

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