腕の奥で、痛みが脈打っていた。
千綴は右手で左の上腕を押さえたまま、浅く息を吸った。指の間に触れるものがぬるい。押さえれば少しは止まるのかもしれない。そう思って力を加えた途端、傷の奥が鋭く跳ねた。
「千綴!」
直嗣の声が近い。
顔を上げる。
エレディトもこちらを見ていた。フィンは半歩こちらへ動きかけている。
その向こうで、女だけが動いていなかった。
短い刃を下げたまま、千綴を見ている。
胸元へ向かっていたはずの攻撃が、左腕を抜けた。
千綴自身にも、どうしてそうなったのか分からない。身体を動かした記憶は、右足がわずかにずれたことしか残っていなかった。
女の眉が寄る。
〔……どうなってやがる〕
低い声だった。
その視線が千綴へ残った、ほんの一瞬。
直嗣が踏み込んだ。
女が振り向くより先に、トンファーが横から迫る。
短い刃が上がった。
鈍い金属音が響く。
受けた女の身体がわずかに流れた。足が一歩ぶん滑り、肩が沈む。
それでも倒れない。
もう一本の腕が動く。足元近くに戻っていた細身の刃が跳ね上がり、直嗣の脇へ走った。
直嗣は追い切らない。
トンファーを引き、半歩身をずらす。細身の刃がその前を横切った。
女はすぐに姿勢を戻した。
口元が歪む。
〔どいつもこいつも……!〕
さっきまでより声が荒い。
千綴は傷を押さえながら、その変化を見ていた。
直嗣は女から目を外さない。
エレディトも千綴の方へ完全には戻らず、ナイフを構え直している。
フィンだけが、一度こちらを振り返った。
「千綴さん、動かないでください」
「……分かってる」
返した声は、自分で思ったより掠れていた。
腕は熱い。
けれど、戦いは止まっていない。
女が短い刃を握り直した。
その視線が、ゆっくりと千綴から外れた。
その視線が、フィンで止まった。
ほんのわずかな変化だった。
けれど、千綴には分かった。
さっきまで女は、直嗣を中心に見ていた。正面で食らいつく直嗣を警戒し、その横から入るエレディトへも刃を回していた。
今は違う。
短い刃を構えたまま、女の身体がわずかに向きを変える。
直嗣が踏み込む。
女は正面から受けず、斜めに下がった。トンファーを短い刃で受け流しながら、細身の刃を一本だけ横へ走らせる。
直嗣の足を止めるような低い軌道だった。
もう一本は、エレディトの前へ回る。
「っ……!」
エレディトがナイフで受ける。
金属音が重なった。
女はその間に、二人から少しだけ距離を取った。
暗がりから、乾いた音が遅れて届く。
直嗣が身をずらした直後、その脇の地面が弾けた。
追撃ではない。
前へ出るための道を塞ぐような一撃だった。
直嗣が止まる。
女の視線は、もうそこにはなかった。
フィンを見ている。
千綴の背中に、別の冷たさが走った。
フィンはまだ前線へ向いたままだった。
直嗣の方へは、もう結晶を出していない。
その分、エレディトの脇へ一本。千綴との間にも、さっき砕けたものとは別に薄い結晶を伸ばそうとしている。
一人で、三方を見ていた。
女の口元がわずかに歪んだ。
〔……お前が一番邪魔だ〕
短い刃を持つ手が下がる。
直嗣が動いた。
同時に、離れた場所からまた何かが飛んだ。
直嗣は前へ出るのをやめ、トンファーを返した。硬い音が鳴り、飛来した何かが別の方向へ逸れる。
その横で、細身の刃がエレディトへ走る。
エレディトが受ける。
女自身は二人の方へ踏み込まず、そのままフィンとの距離を詰める。
フィンも気づいた。
千綴の近くへ伸ばしかけていた結晶が止まる。
代わりに、自分の正面へ透明な塊がせり上がった。
女はそのまま距離を詰め続ける。
直嗣へは遠距離からの牽制。
エレディトへは細身の刃。
自分は、フィンへ。
ばらばらだったはずの攻撃が、一つの方向へ集まり始めていた。
千綴は女を見た。
左腕がまた強く脈打つ。押さえている右手に力が入り、傷の奥で熱が跳ねた。
それでも、視線は逸らさなかった。
女はフィンへ向かっている。
直嗣を止める遠距離からの一撃。エレディトを縫い止める細身の刃。そのどちらも、さっきまでのように倒し切ろうとする攻め方には見えなかった。
足を止めるためだけに置かれている。
その先にいるのは、フィンだった。
見れば分かる。
狙われているのは、フィンだ。
それとは別に、胸の奥へ小さな引っかかりが残った。
女へ意識を向けると、その感覚だけが妙にはっきりする。何を意味するのかは分からない。
ただ、目の前の攻撃の向きだけで十分だった。
このままではまずい。
そう思った瞬間だった。
女の姿勢が沈む。
フィンの正面で立ち上がっていた結晶が、さらに厚みを増した。
直嗣が何か叫ぶ。
エレディトも動いた。
暗がりから、また乾いた音より先に何かが飛び込んでくる。
千綴の喉が勝手に動いた。
「フィン!」
声が出た時には、女も地面を蹴っていた。
速い。
さっきまで直嗣とぶつかっていた時より、さらに一段深く踏み込んでいる。
フィンがこちらを見る余裕はなかった。
正面の結晶へ手を向け、その向こうから来る女だけを見ている。
千綴は一歩出ようとした。
左腕に痛みが走り、身体が止まる。
その間にも、女との距離は消えていった。
フィンの前にせり上がった結晶が、さらに厚くなる。
透明な面が重なり、女との間を塞いだ。
女は止まらなかった。
正面から、そのまま踏み込む。
短い刃が振られる。
結晶の表面が白く弾けた。
一撃で終わらない。
続けてもう一度。
硬い音と一緒に、ひびが大きく広がる。
「っ……!」
フィンが腕を上げた。
足元から新しい結晶が伸び、割れかけた壁の内側へ重なる。
その瞬間、離れた場所から何かが飛んだ。
フィンの右側。
そちらへ逃げれば当たる。
反対側には、細身の刃が低く走っていた。
千綴にも、それだけは分かった。
逃げ道がない。
「フィン!」
もう一度名前を呼ぶ。
フィンは振り向かない。
正面の女だけを見たまま、結晶へさらに厚みを足した。
女の身体が沈む。
次の踏み込みは、さっきまでより深かった。
短い刃が結晶へ叩きつけられる。
白い亀裂が一気に走った。
次の瞬間、結晶の中央が砕けた。
破片がフィンの前へ散る。
それでも全部は抜けていない。
砕け残った結晶が女の腕と肩へ当たり、勢いをわずかに削いだ。
だが、止め切れなかった。
女の身体が砕けた結晶越しにフィンへぶつかる。
鈍い衝撃音。
フィンの身体が後ろへ浮いた。
「フィン!」
千綴の声が重なる。
フィンは数歩ぶんの距離を飛ばされ、そのまま地面へ落ちた。
肩から倒れ、続いて背中が強く打ちつけられる。
身体が一度だけ転がった。
それきり、動かない。
エレディトの顔が変わった。
「フィンさん!」
一歩、そちらへ出る。
直嗣の声が飛んだ。
「エレディト!」
短い。
エレディトの足が止まる。
女はもう、次へ向きを変えていた。
細身の刃が戻る。
離れた場所からも、また何かが飛び込んでくる。
直嗣が前へ出た。
フィンを見る余裕を与えないように、女との間へ入る。
千綴も動こうとした。
右足を出す。
左腕に鋭い痛みが走り、身体が傾いた。
「……っ」
歯を食いしばる。
フィンは、まだ動かない。
今すぐ確かめに行きたい。
それでも、前ではもう直嗣と女がぶつかっている。エレディトもナイフを構え直していた。
ここで自分まで前へ出れば、今度はまた誰かの手を取る。
分かっている。
分かっていても、目だけはフィンから離せなかった。
直嗣のトンファーと短い刃がぶつかる。
その音を境に、戦場から一人ぶんの支えが消えた。
変化は、すぐに表れた。
直嗣の横を細身の刃が走る。
直嗣は自分で受けた。トンファーで弾き、戻ってくる刃の軌道から身をずらす。
その間に、もう一本がエレディトへ回る。
さっきまでなら、そこへ結晶が入っていた。
今はない。
「っ……!」
エレディトがナイフを立てる。
刃と刃がぶつかり、火花が散った。
受けた勢いのまま身体が流れる。
そこへ、離れた場所から何かが飛んだ。
エレディトが頭を下げる。
乾いた音が遅れて届き、エレディトのすぐ後ろで地面が弾けた。
立て直す前に、女が踏み込む。
短い刃が来る。
エレディトはナイフで受けた。
刃の勢いに押され、エレディトはさらに後ろへ下がった。
女は開いた距離をすぐに詰める。
横へ流れた細身の刃が、今度はエレディトの下がる先へ回る。
エレディトが身体を捻った。
刃先が服を掠める。
「エレディト!」
千綴は声を上げた。
エレディトは返事をしない。
女から目を離せない。
直嗣が横から入ろうとする。
その進路へ、離れた場所から一撃が落ちた。
直嗣は踏み込みを切り、トンファーで軌道を逸らす。
その一瞬だけ、エレディトと女の間に誰も入れなくなる。
また短い刃が走った。
エレディトが受ける。
続けて細身の刃。
避ける。
その先へ遠距離からの一撃。
今度は大きく身をかわした。
足元が乱れる。
そこへ女が詰める。
さっきまで、フィンの結晶が埋めていた隙間だった。
一つ受けるたびに、次の一つが残る。
一つ避けるたびに、逃げた先へ別の攻撃が来る。
千綴には、エレディトが急に弱くなったようには見えなかった。
むしろ、同じだけ動いている。
それでも、間に入っていたものがなくなっただけで、攻撃と攻撃の間が消えていた。
直嗣も余裕があるわけではない。
細身の刃を処理した直後に遠距離からの一撃が入り、さらに女の短い刃まで重なる。
自分へ向かう攻撃を捌きながら、エレディトの方へ入ろうとしている。
だが、そのたびに別の攻撃が直嗣の進路を塞ぐ。
女は直嗣を倒しに行かない。
入らせない。
それだけだった。
代わりに、攻撃の中心はエレディトへ寄っていく。
エレディトが一度だけフィンの方へ視線を動かした。
ほんの一瞬。
女はその隙を逃さなかった。
短い刃が下から跳ね上がる。
エレディトが反応し、ナイフで受ける。
だが姿勢が浮いた。
細身の刃が背後から戻る。
エレディトが無理に身体を捻り、ぎりぎりでかわした。
着地が崩れる。
千綴の喉が詰まった。
フィンはまだ動かない。
エレディトはそちらを見られない。
直嗣もフィンのもとへ向かえない。
女だけが、二人にフィンへ向かう隙を与えないまま、さらに前へ出た。
女はもう、狙いを隠していなかった。
直嗣が右から間合いへ入ろうとするたび、離れた場所から一撃が飛び込む。受ければ女に届かず、避ければそのぶん回り込む時間が増える。
その間、エレディトへ向かう攻撃だけは途切れない。
短い刃を受けた直後、細身の刃が足元を払い、かわした先へもう一本が回る。エレディトは身体を沈めて抜けたが、女はすぐに間合いを詰め直した。
短い刃をナイフで受ける。
押し返す前に女が短い刃を引き、空いたところへ細身の刃が戻ってくる。
「っ!」
エレディトが身体を捻る。
避け切れない。
刃先が袖を裂き、その下の腕に細い傷を刻んだ。
血が滲む。
千綴は息を詰めた。
大きな傷ではない。
だが、その一撃も、さっきまでならフィンの結晶が防いでいた。
直嗣がさらに距離を詰める。
女は直嗣へ視線を向けないまま、遠距離から飛び込んだ一撃だけでその進路をずらし、攻撃の手をすぐにエレディトへ戻す。
直嗣は止まらない。
トンファーで飛来した何かを弾き、そのまま斜めから踏み込む。
女の細身の刃が一本、直嗣へ返った。
直嗣が受ける。
その瞬間、エレディトの目の前には短い刃。
背後からは、もう一本の細身の刃。
逃げる先には、遠距離からの一撃。
千綴にも、重なり方が分かった。
どれか一つなら避けられる。
二つでも、エレディトなら間に合わせるかもしれない。
けれど今は、その次まで残っている。
エレディトが短い刃を受けた。
背後へ回った刃を身体を沈めてかわす。
そこで足が止まった。
暗がりから、また何かが飛んでくる。
避けるには遅い。
受け止める手段も残っていない。
エレディトの目が見開かれた。
その射線へ、直嗣が割り込んだ。
トンファーが、飛来した何かを横から叩いた。
硬い音が鳴る。
弾かれた一撃が、二人の脇を抜けて地面を抉った。
直嗣は止まらない。
そのまま身体を返し、エレディトの背後へ戻っていた細身の刃をもう一本のトンファーで受ける。
火花が散った。
「下がれ」
短い声に、エレディトが半歩だけ距離を取る。
女が追う。
直嗣が間へ入った。
短い刃とトンファーがぶつかる。
女はすぐに横へ身をずらし、正面では押し合わない。直嗣の脇へ向きを変えながら、細身の刃を一本引いた。
黒い線が張る。
戻ってきた刃が直嗣の背後へ回った。
千綴は息を詰める。
直嗣は振り向かなかった。
肩を落とし、ほんの少しだけ身体をずらす。
刃が背中のすぐ脇を通り過ぎた。
その瞬間、暗がりからまた一撃が来る。
今度は直嗣自身へ。
トンファーが上がる。
硬い音。
弾かれた一撃が横へ逸れた。
その間にも女の短い刃は止まらない。
上から振り下ろし、続けて横へ払う。
直嗣は一撃目を受け、二撃目をかわし、足を入れ替える。
フィンの結晶はもうない。
その代わりに、さっきまでなら結晶の壁が入っていた位置へ直嗣が先に動き、攻撃を受け止めていた。
エレディトが呼吸を整えながら横へ回る。
女の視線がそちらへ向く。
すぐに細身の刃が一本飛んだ。
直嗣が女の正面から離れないまま、トンファーの端でその軌道を弾く。
刃がエレディトの前から逸れて戻る。
女の眉が動いた。
離れた場所から、また何かが飛ぶ。
今度はエレディトへ。
「っ!」
エレディトが身を引く。
直嗣は女の短い刃を受けたまま、片足を踏み替えた。
直嗣がもう片方のトンファーをエレディトの方へ突き出す。
飛来した何かに触れ、乾いた衝突音が鳴る。
軌道がわずかにずれ、エレディトの肩の外を抜ける。
千綴は目を見開いた。
直嗣は、女から目を外していない。
そのまま、離れた場所からエレディトへ飛んだ一撃にトンファーを間に合わせた。
ただ、その直後だった。
背後へ回っていた細身の刃に気づき、直嗣が大きく身をかわす。追ってきた短い刃まで受けたところで、足が止まった。
エレディトの方へ回ったもう一本までは、手が届かない。
エレディト自身がナイフで受ける。
火花が散った。
直嗣はすぐに姿勢を戻す。
さっきより早い。
それでも、すべてを同時には処理し切れていなかった。
千綴にも、そこまでは分かった。
エレディトへ向かう一撃に手を伸ばせば、自分の側に隙ができる。
自分を守れば、今度はエレディトまで届かない。
直嗣は、すべてを同時に処理できるところへ少しずつ近づいている。
女が踏み込む。
短い刃が直嗣へ走り、細身の刃が背後へ回る。
さらに、離れた場所から何かが飛ぶ。
直嗣が正面の短い刃を受け、背後へ回った細身の刃をかわす。
その間に、遠距離からの一撃がエレディトへ向かった。
直嗣の腕が伸びかける。
だが、もう一本の細身の刃がその進路へ入った。
直嗣はそちらを受けた。
エレディトは身体を投げ出すようにして、遠距離からの一撃を避ける。
着地が崩れた。
直嗣が一瞬だけそちらを見る。
すぐに女へ向き直る。
それでも直嗣は、すべてを同時に処理できるところへさっきより近づいていた。
女の短い刃が、直嗣の喉元へ走った。
直嗣はトンファーを立てて受ける。
金属音が鳴るより先に、細身の刃が横から戻ってきた。
身体を沈める。
刃が肩の上を抜ける。
そのまま立ち上がらない。
低い姿勢のまま足を入れ替え、女の懐へ半歩入った。
女が距離を取ろうとする。
そこへ、暗がりから何かが飛ぶ。
直嗣は振り向かず、片方のトンファーだけを横へ払った。
硬い音が一度。
トンファーに弾かれ、一撃の軌道が横へ逸れる。
その間にも、女が正面から次の短い刃を振る。
受ける。
押し返さない。
角度だけを変えて流す。
その脇を、戻ってきた細身の刃が通る。
直嗣は半歩だけ身をずらし、刃をかわした。
エレディトの方へ、もう一本が走る。
直嗣の腕が伸びる。
トンファーの先が刃に触れ、軌道を逸らした。
エレディトはそのまま横へ抜ける。
「……!」
千綴は息を止めた。
直嗣は、ほとんど立ち止まっていなかった。
女の短い刃を受ける。
背後へ回った細身の刃をかわす。
横へ流れたもう一本の細身の刃を止める。
離れた場所から来る一撃まで逸らす。
それでも、次の動きへ入るまでの間がない。
女が一度、大きく距離を取ろうとした。
直嗣は追う。
細身の刃が二本とも戻る。
一本は胸元へ。
もう一本は足元へ。
直嗣は上体を引かず、上の刃をトンファーで弾き、下の刃を踏み替えだけで避けた。
そのまま前へ出る。
女が短い刃で迎える。
短い刃とトンファーがぶつかり、金属音が響いた。
今度は直嗣の方が止まらなかった。
女の腕が押し戻される。
すぐに横へ逃げようとする。
その進路へ、直嗣が先に入った。
女の表情が強張る。
〔……何だ、それ〕
低い声が漏れた。
直嗣は答えない。
離れた場所から、また一撃。
直嗣は女の短い刃を受けたまま、身体をわずかに捻った。
飛来した何かが脇を抜ける。
その先にはエレディトがいた。
エレディトが避けるより先に、直嗣のトンファーが伸びた。
硬い音。
軌道が逸れる。
直嗣は一撃を弾いた反動でトンファーを戻し、正面の短い刃を押し返した。
女が下がる。
細身の刃が戻る。
直嗣はもう、戻ってくる刃の軌道上にはいなかった。
千綴には、直嗣の動きがいつ変わったのか分からなかった。
ただ、直嗣はもう、次の動きへ間を置かず移っていた。
女がまた踏み込む。
直嗣も前へ出る。
短い刃とトンファーがぶつかる。
細身の刃が背後へ回る。
さらに、遠距離からの一撃が重なる。
直嗣は女の短い刃を受け、背後へ回った細身の刃をかわし、飛来した一撃を弾いた。
そのまま女の懐に踏みとどまる。
エレディトが横へ回った。
女の視線が一瞬だけそちらへ動く。
直嗣のトンファーが、すぐ目の前まで迫った。
女が短い刃で受ける。
鈍い音が響いた。
今度は、女の足が下がった。
千綴はそこで、ようやく気づいた。
戦いの流れが、直嗣とエレディトの側へ傾き始めている。
フィンが倒れた直後のように、一方的に押されてはいない。
直嗣が正面を引き受けている。
エレディトが、もう一度動けるだけの余白が生まれていた。
エレディトが横へ回る。
女はその動きを無視できなかった。
視線が一瞬だけ逸れる。
直嗣はその間に距離を詰めた。
トンファーが正面から振り下ろされる。
女は短い刃で受けた。
金属音が響く。
すぐに細身の刃が直嗣の横へ回る。
直嗣は身体を開いてかわし、戻ってきた刃の軌道をそのまま踏み越えた。
女が下がる。
暗がりから何かが飛び込む。
直嗣は足を止めず、トンファーを短く振った。
硬い音が鳴り、飛来したものが横へ逸れる。
そのまま女との距離を詰める。
短い刃が横へ走った。
直嗣は受ける。
細身の刃が背後へ回る。
振り返らずにかわす。
もう一本が足元を狙う。
足を引かず、踏み替えだけでかわした。
女の動きが少しずつ変わっていく。
さっきまでは、直嗣を押し返しながらエレディトへ刃を回していた。
今は、直嗣を止めるために細身の刃まで使っている。
エレディトへ向かう攻撃が減った。
それでも完全には途切れない。
女は正面から迫る直嗣を短い刃で受けながら、片方の細身の刃を横へ飛ばす。
エレディトがナイフで受ける。
火花が散る。
その隙に女が離れようとした。
直嗣が追う。
トンファーが脇腹へ向かう。
女は身体を捻り、短い刃で軌道を逸らした。
だが、そこで足が止まる。
エレディトが反対側から距離を詰めていた。
女はそちらへ向き直りかける。
直嗣のもう一方のトンファーが迫る。
受けるしかない。
鈍い音が響き、女の腕がわずかに沈んだ。
〔……鬱陶しい〕
吐き捨てるような声。
女は身体を引き、細身の刃を二本とも戻した。
一本を高く。
もう一本を低く。
直嗣の上下を同時に塞ぐように走らせる。
その間へ、離れた場所からの一撃が重なる。
千綴は息を詰めた。
直嗣は上の刃をトンファーで弾き、低い方を足さばきで避けた。
飛来した一撃も、身体を捻るだけでかわす。
そのまま前へ出る。
女が短い刃を振る。
直嗣が受ける。
今度は女の方が先に距離を取った。
千綴はそこで気づく。
直嗣はもう、攻撃を凌ぐためだけに動いていない。
避けたあとに前へ出る。
受けたあとに距離を詰める。
女が下がれば、そのぶん追う。
エレディトも、さっきまでのように押し込まれてはいなかった。
横から入る余裕がある。
女は直嗣とぶつかるたび、エレディトの動きにも意識を割かなければならない。
そのぶん、手数が少しずつ減っていた。
短い刃がぶつかる。
細身の刃が戻る。
遠距離から一撃が来る。
直嗣は全部を処理しながら、女との距離を開けない。
女が下がる。
直嗣が詰める。
エレディトが横へ回る。
さっきまでとは逆に、追われているのは女の方だった。
それでも、攻撃そのものが鈍ったわけではない。
細身の刃が一本、直嗣の横を抜ける。
もう一本が背後へ回る。
その間へ、暗がりから何かが飛び込んだ。
女の短い刃が持ち上がる。
金属音が鳴る。
飛来した一撃の向きが変わった。
直嗣はもう動いている。
身をずらし、変わった射線から抜ける。
そのまま女へ詰める。
女が下がりながら、もう一度短い刃を上げた。
離れた場所から、次の一撃。
また金属音。
今度は、直嗣がトンファーを出した。
短く。
飛来したものに触れる。
乾いた硬い音が一つ。
千綴には何が当たったのか見えない。
ただ、その直後に女の身体が横へずれた。
短い刃が上がる。
何かを受けたような金属音が響いた。
女が直嗣を見る。
直嗣は止まらない。
正面の間合いを詰めたまま、トンファーを振る。
女は短い刃で受ける。
細身の刃が横から戻る。
直嗣は刃をかわしながら前へ出る。
女はさらに後ろへ下がった。
暗がりからまた一撃が飛ぶ。
女の刃が動くより先に、直嗣がトンファーを横へ払った。
硬い音。
次に、女のすぐ脇で何かが地面を弾いた。
女が大きく身をかわす。
その動きで、直嗣との距離が開く。
エレディトが横から入った。
ナイフが女の脇へ走る。
女は細身の刃を戻して受けた。
火花が散る。
直嗣もすぐに詰め直す。
女は二人を相手にしながら、離れた場所から来る攻撃までかわす。
〔……っ〕
女の口から短い息が漏れる。
離れた場所から、次の一撃。
直嗣がまたトンファーを合わせる。
金属音。
今度は、飛来したものが女の正面へ向かった。
女は短い刃で受けた。
鈍い衝突音が響き、女の腕がわずかに押し戻される。
その隙へ直嗣が入る。
トンファーが肩口へ迫る。
女は身体を沈めて回避したが、その先にはエレディトがいる。
ナイフを避けるため、さらに横へ逃げる。
細身の刃を引き戻し、二人との間に置く。
遠距離からの一撃が、また来た。
直嗣が触れる。
女が避ける。
もう一度。
直嗣が逸らす。
女が受ける。
千綴にも、ようやく分かった。
さっきまで女がやっていたことを、今は直嗣が返している。
見えない一撃そのものを止めるのではない。
わずかに向きを変え、女が無視できない場所へ流している。
そのたびに女は、自分の攻撃だったはずのものへ対応しなければならない。
女の顔から、さっきまでの余裕が消えていた。
暗がりから、次の一撃が飛び込んだ。
直嗣がトンファーを合わせる。
硬い音。
飛来したものは斜めへ逸れ、女の足元近くで地面を弾いた。
女が踏み替えて避ける。
その間に直嗣が詰める。
短い刃が上がる。
トンファーとぶつかる。
細身の刃が一本、横から戻ってきた。
直嗣は肩を引いてかわす。
もう一本はエレディトへ向かった。
エレディトがナイフで受けた。
火花が散る。
女はすぐに距離を取り直そうとした。
また、離れた場所から一撃。
直嗣が触れる。
今度は女の肩口へ向かった。
女は短い刃で受ける。
鈍い音とともに、女の腕が下がる。
そこへ直嗣のトンファーが入る。
女は身を捻って避けた。
だが、避けた先にはエレディトがいた。
ナイフが走る。
女は細身の刃を引き戻して受ける。
金属音が三つ、ほとんど続けて鳴った。
千綴は見ていた。
遠くから攻撃が来るたび、女の動きが窮屈になっていく。
さっきまでは直嗣たちの動きを止めるために使われていた。
今は違う。
直嗣がトンファーで触れるたび、一撃が女へ向かう。
女が一度、大きく横へ抜けた。
直嗣は追う。
エレディトも反対側から距離を詰める。
離れた場所から、また何かが飛ぶ。
直嗣がトンファーを短く振る。
硬い音。
女は避けた。
そのために踏み込みが止まる。
〔……チッ〕
舌打ちが聞こえた。
次の瞬間、女が細身の刃を二本とも自分の近くへ引き戻した。
黒い線が張り、二本の刃が女の左右で止まる。
直嗣が前へ出る。
女は短い刃で受け、細身の刃を片方ずつ回す。
離れた場所からは、何も来なかった。
千綴は一瞬、暗がりへ目を向けた。
何も見えない。
乾いた音もない。
女の刃が直嗣へ走る。
細身の刃の一本を受ける。
もう一本をかわす。
正面の短い刃を押し返す。
エレディトが横から入る。
女は細身の刃を戻して止める。
それでも、離れた場所からの一撃は来ない。
直嗣も気づいているようだった。
それまで時折、飛来する一撃へ合わせていたトンファーを、もう動かさない。
女の正面から間合いを詰める。
女が下がる。
細身の刃が二本、直嗣との間へ走る。
直嗣は片方をかわし、もう片方を受けた。
そのまま距離を詰める。
女は短い刃で迎える。
ぶつかった。
鈍い音が響く。
エレディトが横へ回る。
女はそちらへ細身の刃を一本向ける。
もう一本は直嗣を止める。
手数は多い。
それでも、さっきまでとは違った。
離れた場所から割り込んでくる一撃がない。
直嗣とエレディトのどちらかへ向けたぶんだけ、もう片方への手が薄くなる。
女が直嗣のトンファーを受ける。
エレディトが横から入る。
細身の刃をそちらへ回す。
その瞬間、直嗣がさらに前へ出た。
女はもう一本を戻す。
今度はエレディトが踏み込む。
女の身体が、少しずつ後ろへ押されていった。
短い刃で直嗣のトンファーを受け、細身の刃を引き戻してエレディトを止める。
それだけで、女の足はまた後ろへずれた。
さっきまでのように、受けたあと自分から踏み込む余裕がない。
呼吸が荒くなっている。
口元を押さえる暇もないまま、短く咳き込んだ。
次の瞬間、唇の端に赤いものが滲む。
それでも刃は止まらない。
直嗣のトンファーを受け、細身の刃を引き戻し、エレディトのナイフを弾く。
攻撃より、受ける動きの方が増えていた。
千綴にも、それは見えた。
前へ出ようとするたび直嗣が正面にいる。
横へ抜けようとすればエレディトがいる。
距離を取っても、直嗣がすぐに詰め直す。
女は細身の刃を二本とも近くへ置いたまま、直嗣の攻撃を捌き続けた。
高い方でトンファーを止め、低い方で踏み込みを牽制する。それでも直嗣は止まらず、女はまた後ろへ押し込まれていく。
エレディトが回り込む。
女はそちらへ細身の刃を向ける。
その瞬間、直嗣のトンファーが正面へ入った。
短い刃ごと、女の腕が沈む。
〔……っ、くそ……〕
声が掠れた。
女は身体を捻り、どうにか直嗣の前から抜ける。
だが、その先へエレディトが入った。
ナイフが走る。
女はもう一本の細身の刃で受けた。
火花が散る。
また咳き込む。
今度は赤い飛沫が足元へ落ちた。
千綴は右手に力を込めた。
それでも、女は倒れない。
直嗣が詰めれば、女は短い刃を向ける。エレディトが横へ動けば、細身の刃をそちらへ回す。
そのたびに、もう一方への手が薄くなる。
さっきまでなら、その空いたところへ離れた場所からの攻撃が入っていた。今はもう来ない。
直嗣がトンファーを返すと、女は細身の刃で防ぐ。その反対側からエレディトが詰める。
女は後ろへ下がりながら、直嗣とエレディトへ刃を回す。
攻めるためではない。
崩されないためだ。
その違いが、もう千綴にも分かった。
直嗣が、また正面から入る。
女は短い刃を上げた。
トンファーとぶつかる。
細身の刃が一本、直嗣の横へ回る。
直嗣はかわす。
もう一本がエレディトへ向く。
エレディトが受ける。
その間に、直嗣がさらに踏み込んだ。
女は下がる。
短い刃を返し、トンファーを受け流す。
それでも距離が開かない。
直嗣が追う。
女が横へ逃げようとする。
エレディトがそこへ入る。
ナイフが走った。
女は細身の刃で止める。
その瞬間、直嗣のトンファーが正面から迫った。
短い刃で受ける。
鈍い音。
女の身体がわずかに沈んだ。
咳が漏れる。
赤いものが口元に滲む。
それでも、女は刃を離さない。
直嗣を見た。
ほんの一瞬だけ、直嗣と女の動きが止まったように見えた。
次に動いたのは女だった。
短い刃が直嗣へ走る。
直嗣が受ける。
細身の刃が二本とも動く。
一本は直嗣の背後へ。
もう一本はエレディトの前を横切った。
直嗣は背後の刃をかわした。
正面の短い刃を押し流す。
女が身体を返す。
その先へエレディトが入った。
女はすぐに細身の刃を戻した。
ナイフを止める。
短い刃は、まだ直嗣へ向いたままだ。
千綴には、女の視線が直嗣から外れ、エレディトへ向くのが見えた。
ほんの一瞬。
直嗣が動いた。
トンファーを振り抜く。
女が振り向く。
間に合わない。
トンファーが頭部を捉え、鈍い衝撃音が一度だけ響いた。
女の身体が揺れた。
手から短い刃が落ちる。
金属が地面に当たって跳ねた。
細身の刃も、張っていた線ごと地面へ落ちる。
女の膝が折れる。
直嗣がすぐに腕を伸ばした。
倒れ込む身体を支え、そのまま地面へ下ろす。
「朝倉さん……?」
千綴の声が掠れた。
直嗣は答えず、女の顔を見た。
呼びかける。
反応はない。
胸元へ視線を落とす。
少し待ってから、直嗣が短く息を吐いた。
「気を失ってる。ひとまずは終わりだ」
エレディトが近づく。
それでもナイフは下ろさない。
直嗣も立ち上がらず、倒れた女から目を離さなかった。
一度は死んだように見え、それでも立ち上がった相手だ。
千綴も、すぐには息を吐けなかった。
女は動かない。
離れた場所からの攻撃も、もう飛んでこなかった。
ただ、静かになっただけだった。