空の結び目   作:夕花

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 カーテンの隙間から差し込む光が、いつもの冬の朝より明るかった。

 

 身支度を終えて外へ出ると、昨夜の雪は軒下や塀際、建物の影になったところにだけ薄く白さを残していた。

 

 道路に雪はなく、行き交う車もいつもと変わらない。

 

 学校へ続く坂を上りながら、千綴は顔を上げた。

 

 雲のない冬空が、朝日を受けて青く澄んでいる。

 

 頬に当たる空気は冷たい。それでも、日なたへ出ると制服の肩や顔に落ちる光にはわずかな暖かさがあった。

 

 吐いた息が白くほどけていく。

 

 そのまま空を見ていると、後ろから声がした。

 

「ちづる、おはよ」

 

 振り返る。

 

 綾乃が少し足を速めて坂を上ってきた。

 

「おはよう」

 

 追いついた綾乃が隣に並ぶ。

 

「昨日、結構降ってたからどうなるかと思ったけど、ほとんど残らなかったね」

 

「そうだね」

 

 綾乃が千綴の視線を追う。

 

「さっき、空見てた?」

 

「見てた」

 

「何かあった?」

 

「今日はすごく澄んでるから」

 

 そう答えて、千綴はもう一度だけ顔を上げる。それにつられるように、綾乃も空を見上げた。

 

「あ、本当だ。昨日と全然違うね」

 

「うん」

 

 二人はそのまま坂を上っていった。

 

 校門を抜け、昇降口で靴を履き替える。

 

 教室へ向かう廊下に出たところで、前から会長が歩いてきた。

 

 両腕には、少し大きめの段ボール箱を抱えている。

 

「おはようございます」

 

「おはよう」

 

 すれ違いざま、千綴は箱へ目を向けた。

 

「それ、何ですか?」

 

「ちょっとな」

 

「また何か手伝ってるんですか?」

 

「まあ、そんなところ」

 

 千綴がそのまま通り過ぎようとすると、背後から声が飛んだ。

 

「あ、副会長」

 

 振り返る。

 

「終わったら生徒会室に来てくれ。連絡事項がある」

 

「終業式のあとですか?」

 

「ああ。守屋に会ったら、あいつにも伝えておいて」

 

「分かりました」

 

「よろしく」

 

 会長は箱を抱えたまま、廊下の先へ歩いていった。隣で綾乃がその背中を見送る。

 

「連絡って何だろうね」

 

「さあ」

 

「また何か頼まれるんじゃない?」

 

「ありそう」

 

 教室の戸を開けると、いつもより机の上がすっきりして見えた。

 

 鞄の口を大きく開け、残っていた教科書をまとめて入れている生徒がいる。机の横に置いていた袋を畳んでいる者もいれば、片づけを終えたらしく、椅子に座ったまま友人と話している者もいた。

 

 今日を終えれば冬休みという空気が、教室のあちこちに表れている。

 

 千綴は自分の机へ鞄を置いた。

 

 窓側から、環の声が聞こえた。

 

「悠司の分も」

 

「分かってるって」

 

 千綴は声の方へ目を向ける。

 

 ヴァシリオスと環が、昨日の土産の話をしているらしい。

 

 千綴も、向こうで何か見つけたら買って帰るつもりだった。誰に何を選ぶかは、実際に見てからでいい。

 

 椅子へ座ると、前の席の綾乃が振り返った。

 

「生徒会、待つ?」

 

「先帰っていいよ。終わったら連絡する」

 

「じゃあ、時間決めて駅で集合にしよっか」

 

「うん」

 

 それだけ決めると、綾乃は前を向いた。

 

 ほどなくして教室の前の扉が開き、山田先生が入ってきた。

 

 それまで立って話していた生徒たちが、それぞれの席へ戻っていく。

 

「じゃあ、出欠を取るぞ」

 

 山田先生が出席簿を開く。

 

 名前が順に呼ばれていく間にも、窓から入る朝日が机の端を明るく照らしていた。

 

 出欠を取り終えると、山田先生は出席簿を閉じる。

 

「このあと終業式だ。時間になったら体育館に入るように。移動する前に、忘れ物だけ確認しとけ」

 

 教室のあちこちで、机の中を確かめる音が重なった。

 

 

 

 

 体育館へ入ると、外とは違う冷たさが足元から伝わってきた。

 

 学年ごとに並んだ列へ入り、千綴は前を向く。周囲でも最後の位置を確かめる声や、上履きが床を擦る音が短く続いていた。

 

 やがて全体が静まり、壇上から話が始まる。

 

 校長の話は、二学期を振り返る言葉と、冬休みをどう過ごすかについてのものだった。

 

 広い体育館の空気はなかなか暖まらない。じっと立っているうちに足先が冷えてきて、千綴はそっと重心を移した。

 

 前の方で誰かが小さく咳をした。

 

 いくつかの連絡も続き、最後に礼をして終業式は終わった。

 

 体育館を出ると、列のあちこちで抑えていた話し声が少しずつ戻ってきた。

 

 

 

 

 教室へ戻り、千綴は自分の席についた。ほどなくして山田先生が教室へ入ってくる。

 

「じゃあ、最後に休み中のことだけ」

 

 山田先生が教卓の前に立つ。

 

「出かける予定があるやつも多いと思うけど、怪我や事故には気をつけること。あと、休みに入った途端に体調崩すなよ」

 

 教室の何人かが小さく笑う。

 

「三学期、全員そろって始められるのが一番だからな」

 

 山田先生はそこで一度、教室を見回した。

 

「始業日は間違えるなよ。連絡は以上」

 

 出席簿を閉じる。

 

「良い冬休みを。少し早いけど、良いお年を」

 

 それを合図に、教室のあちこちで椅子を引く音が重なった。すぐに立ち上がる者もいれば、近くの友人と話し始める者もいる。千綴も鞄を持ち上げた。

 

「ちづる」

 

 前の席から綾乃が振り返る。

 

「じゃあ、またあとで」

 

「うん。終わったら連絡する」

 

「了解」

 

 綾乃は軽く手を振ると、鞄を肩に掛けて教室を出ていった。

 

 千綴もその背中を見送ってから、机の中をもう一度確かめる。

 

 残っているものはなかった。

 

 二学期は、これで終わりだった。

 

 教室を出ると、帰る生徒たちが廊下へ流れ始めている。

 

 千綴はその流れを横切り、生徒会室の方へ歩き出した。

 

 

 

 

 生徒会室の扉を開けると、会長と悠司がすでに来ていた。

 

「お疲れ」

 

「お疲れ」

 

 悠司に返し、千綴はいつもの席へ鞄を置く。

 

 会長は机の上に何枚かの紙を広げていたが、千綴が座ってもまだ話を始めなかった。

 

 少しして、廊下から足音が近づいてくる。

 

「お疲れさまです」

 

 扉を開けて、鈴が入ってきた。

 

「お疲れ。じゃあ、そろったな」

 

 鈴が席につくのを待って、会長が手元の紙へ目を落とす。

 

「朝言った連絡事項なんだけど、三学期から海外出身の先生が一人来ることになった」

 

「先生なんですね」

 

 鈴が少し意外そうに言う。

 

「ああ。市の国際交流の関係で、学校でも前から受け入れの準備をしてたらしい」

 

「エレディトのときと同じやつか」

 

 悠司が言う。

 

「そうだな。今回は生徒じゃなくて教える側だけど」

 

 千綴も話を聞きながら頷いた。エレディトが来たときにも、市の国際交流について似た説明を聞いた覚えがある。

 

「主に三年の外国語の授業に入る予定らしい。授業の補助をしたり、内容によっては指導にも入るって話だ」

 

「三年なんですね」

 

「今のところはそこが中心みたいだな」

 

 会長が紙を一枚めくる。

 

「それで、最初の校内案内とか、学校生活のことで説明が必要になったら、生徒会にも手伝ってもらうかもしれない。行事のことで確認が必要になることもあるだろうし」

 

「分かりました」

 

 鈴が頷く。

 

「その辺は、必要になったらまた連絡する。今の段階で聞いてるのはこれくらいだ」

 

「じゃあ、今回は事前連絡ってことか」

 

 悠司が言う。

 

「そういうこと。関わる可能性があるから、生徒会には先に伝えておいてくれって」

 

 千綴はもう一度頷いた。会長が紙を揃える。

 

「連絡はこれで終わり。今日は解散でいい」

 

「はい。お疲れさまでした」

 

「お疲れさまです」

 

 鈴も続き、悠司も席を立った。

 

「じゃあ、また三学期だな」

 

「うん。良いお年を」

 

「そっちも」

 

 千綴も鞄を持ち、それぞれ短く挨拶を交わして生徒会室を出た。

 

 

 

 

 昇降口で靴を履き替え、校舎の外へ出る。

 

 朝より高くなった日が校庭を照らしていた。

 

 千綴は歩きながらスマートフォンを取り出し、綾乃へメッセージを送る。

 

『今終わった。これから帰る』

 

 しばらくして、画面に返信が表示された。

 

『じゃあ、お昼も一緒に食べようよ』

 

『OK』

 

 短く返して、スマートフォンをしまう。

 

 校門を出ると、千綴はそのまま家へ向かった。

 

 

 

 

 部屋へ戻ると、千綴は鞄を置いて上着を脱いだ。

 

 机の脇には、明日持っていく荷物がまとめて置いてある。

 

 千綴はそれを一度見てから、机の上のメモを手に取った。

 

 今日買っておきたいものを、もう一度上から確認する。

 

 書き足すものはなさそうだった。

 

 メモを机へ戻し、スマートフォンを手に取る。

 

 直嗣とのメッセージ画面を開いた。

 

『明日、ギリシャに出発します。帰国した日は一度自宅へ戻り、翌日に実家へ帰る予定です。検査のことは、戻ってから改めて相談させてください』

 

 送信してから、少し考える。

 

『あと、海外に行くときに何か気をつけた方がいいことってありますか?』

 

 送信を終えると、千綴はスマートフォンを机へ置いて、出かける準備を始めた。

 

 少しして、机の上でスマートフォンが震えた。画面を開く。

 

『単独で動くなら、行き先と戻る時間は誰かに残しておけ』

 

 続けて、もう一通表示される。

 

『俺は仕事で行くことが多いから、旅行向きの助言かは分からないが』

 

 千綴は少しだけ口元を緩めた。

 

『分かりました。ありがとうございます』

 

 そう返して、スマートフォンを閉じる。

 

 小さな鞄を手に取り、財布とスマートフォンを入れる。

 

 机の上のメモも忘れずに持つ。

 

 玄関へ向かい、靴を履いた。

 

 扉を開けると、冷たい空気が部屋の中へ流れ込んでくる。

 

 千綴は外へ出て、扉を閉めた。

 

 

 

 

 直嗣は千綴への返信を終えると、スマートフォンを机の上へ置いた。

 

 ホテルの机には、仕事用の端末と資料が開いたままになっている。

 

 直嗣は端末を引き寄せ、千綴の記録を開いた。

 

 画面を下へ送る。

 

 検査の記録。

 

 負傷の記録。

 

 そのさらに下には、これまで異能者と接触した際の報告が時系列で残っている。

 

 直嗣はその先まで送り、最後の記載で手を止めた。

 

 冬休み中、ギリシャへ渡航予定。

 

 入力欄を開く。

 

 出発は明日。

 

 帰国後はいったん自宅に戻り、翌日に実家へ帰省予定。

 

 定期検査は帰還後に再調整。

 

 千綴から届いた内容を追記し、保存する。

 

 更新された記録を見たまま、直嗣は少し指を止めた。

 

 明日には国外へ出る。

 

 画面を少し戻す。

 

 夏以降に残された接触記録が、時系列に並んでいる。

 

 直嗣はそのまま上から目を通した。

 

 それから画面を閉じ、別の資料を開く。

 

 双影。

 

 条件付き協力へ移行してから交わされた連絡と、行動時の取り決めが残っている。

 

 直嗣は必要な箇所へ目を通した。

 

 少し考えてから、新しい文面を開く。

 

 送信先を指定する。

 

 保護対象――弥生千綴。

 

 渡航先――ギリシャ。

 

 同行者と滞在予定、分かっている範囲の旅程を添える。

 

 最後に、指示を入力した。

 

『秘密護衛。不要な接触は避けること。異常を確認した場合は報告。危険が生じた場合は介入し、対象の安全を優先』

 

 直嗣は一度だけ読み返した。

 

 そのまま送信する。

 

 送信済みの表示を確認すると、端末から手を離した。

 

 机の端には、まだ処理していない資料が残っている。

 

 直嗣はその一枚を取り上げた。

 

 仕事は、まだ終わっていなかった。

 

 

 

 

 端末に新しい通知が表示された。

 

 双影は開いていた画面を閉じ、届いた文面を開く。

 

 保護対象――弥生千綴。

 

 名前を見て、指が止まった。

 

 添えられている写真に見覚えがある。

 

 地面へ倒れた身体。

 

 こちらの攻撃を受けたあとも、生きていた女。

 

 双影は写真から視線を外し、続きへ送る。

 

 渡航先はギリシャ。

 

 同行者と滞在予定、移動予定にも順に目を通す。

 

 その下には、護衛についての指示が続いている。

 

 秘密護衛。

 

 不要な接触は避ける。

 

 双影はそこまで読み、残りにも目を通した。

 

 異常があれば報告。

 

 危険が生じた場合は介入し、対象の安全を優先。

 

 返信欄を開く。

 

『了解』

 

 送信する。

 

 双影は添付された地図を開いた。

 

 空港から滞在先までの経路を見る。

 

 周辺の幹線道路や、人の集まりやすい場所、出入口の多い区画を順に確かめる。

 

 必要な範囲を確認し、地図を閉じる。

 

 千綴の姿が浮かぶ。

 

 武器はなく、こちらへ踏み込んでくる動きもなかった。それでも、あの攻撃を受けて死ななかった。

 

 双影はそこで記憶を切った。今は、その理由を調べる任務ではない。

 

 机の脇の鞄を開き、必要な渡航書類を確認して戻す。通信端末を起動し、接続と残量も確かめた。

 

 続いて鞄の底の包みを開き、装備に問題がないのを確かめて元へ戻した。上から衣類を重ね、鞄を閉じる。

 

 準備を終えて上着と鞄を取り、部屋を出る前に一度だけ見回したが、残したものはなかった。

 

 扉を閉めて施錠を確かめ、廊下のエレベーター前で表示が下ってくるのを待った。開いた扉から入り、鞄を持ち直して、そのまま空港へ向かった。

 

 

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