The Arrow of Silver 銀弓の運命は砕け得るか 作:Delphinus
クソッ、何なんだ、こいつは!」
「*ウルサススラング*! この*ウルサススラング*な奴め!」
咆哮とともに、圧倒的な火力の砲撃が放たれる。
灰毫騎士グレイナティは、想定を遥かに上回る相手と対峙させられていた。
「お前が、あのグロモフとかいう奴か。ウルサスのチンピラが!」
「誰がチンピラだ! 灰ネズミ風情が、偉大なるイゴール十六勇士の末裔に敵うと思うんじゃねえ!」
「だから、その十六勇士とは何なんだ!」
轟音。
グロモフの携行砲から放たれた砲弾が路面を抉り、グレイナティのすぐ脇を吹き飛ばす。彼女も騎士砲で応射するが、真正面から衝突した砲弾は、火力差に耐え切れず空中で砕け散った。
グロモフの武器はそもそも騎士競技用ではない。戦争で使用する軍用大砲を、携行可能な限界まで小型化した代物だ。それをウルサス人の怪力で無理やり運び、無理やり照準し、無理やり連射している。
クソッ。
どこの誰だ。
こんな馬鹿げた構想を、本当に技術として完成させた奴は。
(ソーナとは連絡が取れない。商業連合会本部にいる筈の銀弓も、どうなっているのか分からない。その上この軍勢だ。正面から砲撃戦を続けたら、こちらが先に押し切られる!)
「そら、くたばりやがれぇっ! *汚い咆哮*!」
「*カジミエーシュスラング*!」
グレイナティも、ついに騎士として口にしてよいのか分からない言葉を叫びながら応射した。
二つの砲撃が衝突し、市街地に巨大な爆風が広がる。
そして、前線のグレイナティを援護するはずだった合成樹脂騎士シェブチックにも、別の脅威が迫っていた。
「錆銅騎士、貴様ぁっ!」
「競技場じゃ欲求不満で終わったんでな! てめえで憂さ晴らしさせてもらうぞ、合成樹脂騎士ぃっ!」
錆銅騎士、オルマー・イングラ。
騎士競技で良くも悪くも名高いチンピラ騎士が、大剣を振り回しながらシェブチックへ肉薄する。
射撃戦を得意とするシェブチックに対し、オルマーは一度も間合いを開けない。荒々しく見える斬撃は、確実にボウガンと関節部を狙っていた。
「今じゃ俺も十六勇士の一員だ! 偉大なるイゴール大帝に集う勇士の末裔ってわけよ!」
「家系を勝手に僭称するな!」
「こういうのは、先に言った方が得なんだよ!」
偉大なるイゴール大帝のもとへ集った十六勇士の末裔。
その一員になった、あるいは勝手に一員を名乗り始めた錆銅騎士に対し、シェブチックは完全な防戦一方に追い込まれていた。
「クソッ! このままでは四都分断どころか、俺たちの生存まで危ういぞ!」
「現在の戦力差では、撤退するしか――」
「逃がすかよ、オラァッ!」
「錆銅め!」
オルマーの斬撃が、ロアーガード社製の合成樹脂装甲を切り裂く。
無駄と思えるほど多くの機能を搭載した高性能鎧だが、騎士競技の世界で無敵だったわけではない。
弱点を見破られ、攻略され、そのたびに改良を重ねてきた。
これはロアーガード社が積み上げてきた技術と失敗の集大成だ。
だからこそ、表層を破壊されても、まだ内部装甲は生きていた。
「ロアーガードよ、狂風でさえお前に跪くだろう! だったか? てめえの会社の宣伝文句は!」
「ただの宣伝文句を鵜呑みにするな!」
「じゃあ、まずはてめえから跪かせてやるよ!」
大剣と装甲が激突する。
至近距離へ引きずり込まれたシェブチックは、射撃姿勢を整えることすらできない。
グレイナティもまた、グロモフの軍用砲に押され始めていた。
競技場へ最適化された騎士砲と、最初から人間を陣地ごと吹き飛ばすために作られた軍用砲。
正面から撃ち合えば、結果は明白だった。
そのはずだった。
「ねえ、あなたたち。そこで何をしているの?」
戦場に似つかわしくない、穏やかな少女の声がした。
砲声が止まる。
剣戟が止まる。
全員が同じ方向を見た。
「ま、マリア・ニアール!?」
錆銅騎士が声を裏返す。
合成樹脂騎士も、灰毫騎士も、グロモフでさえ絶句した。
本物の戦争用騎士槍を携えたマリア・ニアールが、通りの中央に立っていた。
口元は笑っている。
けれど、目からは完全に光が消えていた。
「ねえ、みんな。お兄ちゃんのことを知らない?」
誰も答えない。
「ずっと探しているのに、全然見つからないの。私、不安で、不安で……」
マリアは超大型蒸気槍を構えた。
「やっぱり見つけたら、柱に縛って、逃げられないようにぐるぐる巻きにした方がいいのかな?」
グレイナティは思わず一歩下がった。
オルマーも下がった。
シェブチックは、何も聞かなかったことにした。
「*ウルサススラング*! 知ったことじゃねえ!」
ただ一人、グロモフだけは退かなかった。
「何がてめえの身内だ! 邪魔するなら、その兄貴ごとミンチにしてやるぜ!」
マリアが笑った。
超大型蒸気槍が、低い駆動音を発する。
エネルギー充填率、八十。
九十。
百。
安全限界突破。
「*ウルサススラング*! イカれた野郎め、ぶっ殺してやる!」
「ねえ、おじさん」
「誰がおじさんだ!」
グロモフの顔が怒りに染まる。
マリアは一歩も退かない。
蒸気槍の充填率は、既に百二十パーセントへ到達していた。
「どうしてお風呂に入っていないの?」
「……あ?」
「臭いよ」
一瞬、戦場から音が消えた。
「*汚い咆哮*!」
グロモフが渾身の砲撃を放つ。
同時に、マリアが地面を蹴った。
軍用砲の直撃を受ければ、競技騎士など跡形も残らない。
だがマリアの蒸気槍は、砲弾を真正面から貫いた。
爆発。
吹き荒れた炎と衝撃波を、蒸気槍から噴き出す高圧蒸気が左右へ押し流す。軌道を逸らされた砲弾は通りの向こうへ飛び、無人の道路を吹き飛ばした。
「お兄ちゃんの前で、そんな臭いをさせないで!」
「な、何を――」
「お兄ちゃんは、おしゃれで綺麗好きなの!」
マリアの突撃が、グロモフの胴体を捉える。
「お風呂くらい、ちゃんと入れぇぇぇっ!」
「グアアアアアァァッ!」
グロモフの巨体が空を飛んだ。
一軒。
二軒。
三軒。
そして偶然にも三軒先にあった市街保養施設の露天風呂へ、盛大な水柱を上げながら突っ込んだ。
「……本当に風呂へ入れやがった」
オルマーが呟く。
「お、俺は撤退するぞ。これ以上は――」
「待て。不利になった途端に逃げるな」
今度はシェブチックが銃口を向けた。
攻守が完全に逆転している。
「クソッ、プラスチック野郎が……!」
冷や汗を流すオルマーの耳に、その場には似つかわしくない、穏やかな声が届いた。
「失礼。その辺りにしていただけると、私としても大変助かるのですが」
「……は?」
全員が声の方向を見る。
そこに立っていたのは、戦場へ迷い込んだとは思えないほど紳士然とした男だった。
仕立ての良いヴィクトリア様式の衣服。
アーツユニットを内蔵した細身の杖。
そして、無駄に整った顔立ちのフェリーン。
マリアだけが、その顔を見て目を見開いた。
「あなた、ま、まさか……」
「ええ。恐らく、あなたが想像している人物で間違いありません」
男は胸に手を当て、丁寧に一礼した。
「サモス・アイランド・トラスト人事部長。本名をビゼー、ジョージ・ビゼーと申します。これでも出自はガリア系でして。以後、お見知り置きを」
そして、笑顔のままマリアを見た。
「あなたのお兄様とは、大変親しくさせていただきましたよ。マリア・ニアール様」
「……は?」
マリアの目が、先ほどとは別の意味で死んだ。
グレイナティは、グロモフよりも今のマリアの方が怖かった。
当のジョージは、その変化を全く気にしていない。
「どうでしょう、マリア・ニアール様。あなたも我が社、サモス・アイランド・トラストで腕を振るってみませんか?」
懐から名刺を取り出し、自然な動作で差し出す。
「こちらが私の名刺です。雇用条件については、後日改めてご説明いたしますので」
「へ? あ、はい……」
あまりに自然な勧誘だったため、マリアは思わず名刺を受け取ってしまった。
名刺には、複数の国家で使用されている連絡番号と、見たこともない企業紋章が記されている。
この人物は、自分の知らない兄の過去を知っている。
カジミエーシュを離れ、ウルサスへ流れ着くまでの間、兄が何をしていたのかを。
「お兄ちゃんは、あなたたちの会社でどうだったの?」
「素晴らしい方でした」
ジョージは迷わず答えた。
「我が社でも最も優秀な社員の一人です。どのような過酷な戦場でも部隊を生存させ、損害を抑えつつ、的確に任務を遂行する」
「彼のお陰で、我々はカジミエーシュという国家が育てた騎士の素晴らしさ、その底力を知ることができました」
「……お兄ちゃんが」
「ええ。ウルサスの雪原で行方不明になった時には、我々も大いに気を揉んだものです。今こうして生きていることは、我が社にとっても大変喜ばしい福音なのですよ」
マリアは、手の中の名刺を見つめた。
自分の知らない場所でも、兄は誰かを守り、評価されていた。
そう思うと、胸の奥が少しだけ温かくなる。
「いやはや、本当に惜しいことをしました」
ジョージが続ける。
「感染者を匿った村への襲撃に失敗せず、よりによってレユニオンなどというテロリスト集団と遭遇していなければ、今でも我が社のエースとして活躍していただけたでしょうに」
マリアの動きが止まった。
「……は?」
「どうかなさいましたか?」
「お兄ちゃんに、何をさせたの?」
声の温度が、急激に下がる。
ジョージは変わらず、穏やかな笑顔を浮かべていた。
「我々も仕事ですので、顧客の要望に逆らうわけには参りません」
「ウルサスでは感染者を匿った村を排除し、ヴィクトリアでは道を誤った公爵家の尖兵を始末する。ボリバルでは政治的対立者の活動を妨害し、カジミエーシュでは商業連合会の利害に基づいて、社会に必要とされる仕事を行う」
「それが、サモス・アイランド・トラストです」
そこには悪意も、後悔もなかった。
ただ会社の業務内容を説明しているだけだった。
「お兄ちゃんを、そんなことに使うな!」
蒸気槍が再び駆動する。
マリアは一切の迷いなく、ジョージへ突撃した。
「おっと」
ジョージが杖を一閃する。
正面から受け止めたのではない。
蒸気槍の穂先が捉える直前、アーツによって足元の空気の流れと路面の摩擦を僅かに変え、突撃の軌道を横へ逸らしたのだ。
マリアの騎士槍がジョージの脇を通過し、背後の壁を粉砕する。
「なっ……弾かれた!?」
「正確には、逸らしただけでございます。さすがに正面から受け止めれば、私でも無事では済みませんので」
ジョージは何事もなかったように衣服の埃を払った。
「さて、帰りましょう。錆銅騎士様」
「お、おう……」
「いえ、今は十六勇士様とお呼びした方がよろしいでしょうか?」
「分かってるじゃねえか、人事部長!」
オルマーは大剣を担ぎ、シェブチックから距離を取る。
「クソッ、覚えていろよ、シェブチック!」
「二度と来るな!」
ジョージはサモス・アイランド・トラストの構成員へ撤退を指示した。
オルマーを回収。
続いて、露天風呂に浮かんでいたグロモフを引き揚げる。
「*小さなウルサススラング*……」
「多少は清潔になりましたね。実に喜ばしいことです」
「覚えてろよ……あの女……」
全員が撤退を始めたところで、ジョージは何かを思い出したように振り返った。
「そうでした。ヴィクトリア軍のハロルド様を見かけましたら、ぜひよろしくお伝えください」
「ハロルド?」
グレイナティが聞き返す。
「ええ。現在はカスター公爵のもとで、大変世話になっておりますので」
「何でそうなるんだ、このエセ紳士……」
ジョージは穏やかに一礼し、戦場を去っていった。
その後ろでは、グロモフが水を滴らせながら運ばれ、オルマーが十六勇士を名乗り、マリアが人事部長の名刺を握り潰している。
灰毫騎士グレイナティは、最後までこの場の空気についていくことができなかった。
「H-2班からH-6班へ移動。外周部の補強に入って。ウォルモンドの外壁を固めるんだ」
イーノが新調したアーツユニットを掲げる。
「今回の現場のクイーンはニェンさんだ。設計図どおり、ばっちり仕上げよう」
「おうよ、メフィスト。……いや、今はもうメフィストじゃなかったな」
作業員の一人が、イーノの手元を見る。
「そのアーツユニット、替えたのか?」
「うん。よく考えてみたら、前のは古臭い上に源石が剥き出しだったからね。何で昔の僕は、あんな物を握っていたんだろう。もしかして、おしゃれだと思っていたのかな?」
かつてレユニオンでメフィストと呼ばれた少年は、クルビア製の新型アーツユニットを片手に、作業員たちを忙しく動かしていた。
「でも、クルビア製は酒類・タバコ・アーツユニット及び源石製品管理局の規制が厳しいんだよね。そう思わない? サーシャ」
「俺はただのボランティアだ。そういう話は会社の人間にしてくれ」
かつてファウストと呼ばれたサーシャは、運搬車両へ資材を積みながら答えた。
その近くでは、白い髪の女性が作業員を集めている。
「次は破損した家屋の修復だ。日没までに屋根と外壁を塞ぐ。急ぐぞ」
「へいへい、姐さん。スノーデビル小隊、久しぶりの再結成ですね」
「今は酒場の店員と、その常連客だがな」
フロストノヴァは小さく笑った。
普段使っている刃も、新調したアーツユニットも今日は持っていない。代わりにロドスの制服を着込み、厚い作業用手袋をはめていた。
元スノーデビル小隊の面々も、そろいの作業着を身につけている。
「よーし、おめーら!」
ニェンの声が、ウォルモンドの中央区画まで響いた。
「これからウォルモンドを十一個に分けるぞ!」
作業員たちが、一斉に彼女を見る。
「このままじゃ大裂孔を通れねえ。外壁と基礎構造を十一の区画へ分けて、一つずつ反対側まで運ぶ!」
ニェンは巨大な都市図面を広げた。
既に住民の大半は、分離作業を行わない安全区画へ避難している。送電線と給水管には仮設の迂回路が設けられ、区画を切り離している間も最低限の都市機能を維持できる。
「送電線、給水管、基礎固定杭の順で外す! 順番を間違えたら都市が傾くからな!」
「分かった。それで、私たちはどうすればいい?」
チェルノボーグ第一建設のヘルメットを被ったマドロックが尋ねる。
その背後では、何体もの巫術の巨像が石材や鉄骨を抱え、慌ただしく歩き回っていた。
「北側区画の固定杭を外せ。巨像二体で外壁を支えて、残りは瓦礫の撤去だ!」
「了解した」
マドロックが巨像へ杖を向ける。
巨像たちは二手に分かれ、それぞれの作業地点へ向かった。
「それにしても、信じられねえよな」
元マドロック小隊の傭兵が、巨像を見上げながら呟く。
「今じゃ俺たちが、立派な建設会社の社員だ。カズデルにいた頃は、想像したこともなかったぜ」
「そうでもない」
マドロックは静かに答えた。
「あの時の銀弓は本気だった。私たちに必要な仕事を用意し、働く場所を与えた。ならば、それに応えるまでだ」
彼女は周囲の社員たちを見る。
サルカズ、感染者、元傭兵。
出身も種族も異なる者たちが、同じヘルメットを被り、同じ都市を救おうとしている。
「今の私たちは、チェルノボーグ建設の社員だ。それ以上でも、それ以下でもない」
マドロックが言った。
「皆の故郷を作るために働こう」
「皆の故郷か。やっぱり良いな。傭兵より、ずっと良いや」
その時、ニェンが基礎固定杭へアーツを流した。
地面の奥深くで、低い振動が起きる。
都市の基礎へ走った力が、瓦礫の下に埋もれていた古い皿や壺を僅かに震わせた。
カタリ。
マドロックが振り返る。
「どうした?」
「いや、何か音がしたような……」
瓦礫は既に静かになっている。
「気のせいか」
マドロックは作業へ戻った。
その異変に気づいたのは、彼女だけではなかった。
高塔の上で酒杯を傾けていたリィンが、僅かに目を細める。
「おや?」
「作業の進捗は、お前から見てどうだ? セベリン」
「凄まじいな。さすがはウルサスを揺らした自由都市としか言えん、タルラ公爵」
「タルラでいい。公爵と呼ばれるのは、まだ慣れないんだ」
自由都市チェルノボーグの領主にして市長となったタルラは、小さな薬箱をウォルモンド憲兵長セベリンの胸元へ押し込んだ。
「これは?」
「クルビアから輸入した鉱石病の遅延薬だ。受け取っておけ」
「代金は?」
「取らない。今回は救援物資として持ってきた」
セベリンは薬箱を見つめ、短く息を吐いた。
「……感謝する」
「随分と感動的な光景だな」
芝居がかった声が、近くから聞こえた。
「生まれた国も立場も違う者たちが、一つの目的のために手を取り合っている。そう思わないかい? そこの、ただの酔っ払い君」
「俺か?」
酒瓶を持ったループスの男が振り向いた。
「俺はシラクーザとは何の関係もない、ただの一般人だ」
「奇遇だね。私もヴィクトリアとは何の関係もない、ただの観光客さ」
そう答えたのは、ヴィクトリア最高の諜報機関、カスター公爵のグレーシルクハットだった。
彼はシラクーザとは何の関係もない男の装備と立ち振る舞いを、横目で観察している。
ミズ・シチリアの使い。
あるいは、巨狼の口。
少なくとも、本当にただの酔っ払いではない。
「そういえば、君はどうなんだい? 炎国とは何の関係もない観光客君」
「わ、私は関係ありますからね!」
ズオ・ラウが即座に反論する。
「私は司歳台から、極めて重要な任務を命じられて――」
「なるほど。ただの観光客では味気ないから、重要人物という設定にしたわけだ」
「設定ではありません!」
「分かった、分かった。炎国から来た、とても重要な観光客だ」
「私は観光客ではありませんよ……本当に……」
ズオ・ラウは、反論を続ける気力を失いかけていた。
彼は司歳台の密命を受け、国外へ出たニェンを監視するために来たはずだった。
それが今では、正体不明のヴィクトリア人とシラクーザ人に絡まれ、ウォルモンドの復旧作業を眺める観光客にされている。
「恩人様!」
別の方向から、ひときわ大きな声が響いた。
「天災に囚われた都市を見捨てず、国境を越えて救援へ向かわれるとは! 炎国に伝わるいかなる演劇であろうと、このような義挙は滅多にございません!」
「分かったから、少しは放っておいてくれ……」
エンカクはウユウにつきまとわれながら、崩れた建物から瓦礫を運び出していた。
ウォルモンドの憲兵隊は、近隣貴族の結婚式へ人員を取られている。
その不足を埋めるため、チェルノボーグ都市警察と都市防衛軍も、治安維持と復旧作業を引き受けていた。
「よーし、お前ら! 次はこっちの瓦礫だ!」
「うん、やっちゃおう、姉ちゃん!」
学生自治団のズィマーとグムも、ボランティアとして瓦礫の輸送を手伝っている。
イースチナは後方で物資を管理し、リェータは都市の動力炉で技師を補助していた。ロサは自分の伝手を使い、リターニアの貴族たちから支援を引き出そうとしている。
「何だか感動的だね、ビーダーマン」
ロドスのウォルモンド駐在員、アントが目元を拭う。
「私は、それどころでは……ないです、から……!」
隣では天災トランスポーターのビーダーマンが、自分の体ほどもある資材箱を運ばされていた。
「実に、人とは良きものかな。うん、酒も美味い」
高塔の上から、リィンがウォルモンドを見下ろしていた。
協力して働く市民。
感染者。
チェルノボーグから来た労働者とボランティア。
マドロックが操る巫術の巨像。
種族も国家も違う人々が、一つの都市を生かすために動いている。
リィンは酒杯を傾けた。
再び、乾いた音がする。
カタカタ。
瓦礫の中に埋もれた石の器が震えていた。
割れた皿。
欠けた杯。
捨てられた壺。
その破片がひとりでに集まり、奇妙な手足を形作っていく。
一体。
二体。
十体。
器の怪物が群れを成し、復旧作業中の市街地へ歩き始めた。
「あれは……器鬼!?」
最初に叫んだのはズオ・ラウだった。
「あり得ない! ここはリターニアですよ! それに、あの酒杯は――」
「ほう。あの幽霊のような存在は、器鬼というのかい?」
グレーシルクハットが興味深そうに身を乗り出す。
「東方の怪異は実に面白いね。ヴィクトリアにも幽霊や亡霊の話は多いが、食器が歩き回るというのは珍しい」
「俺は関係ないな。ああ、何の関係もない」
そう言いながら、シラクーザとは何の関係もない男は、器鬼の一体を袋へ押し込もうとしていた。
「何をしているんですか!?」
ズオ・ラウが悲鳴を上げる。
「器鬼を勝手に捕獲するのはやめなさい!」
その頭上を、赤い斬光が通り過ぎた。
器鬼が真っ二つに割れる。
「器の化け物か。面白い」
エンカクが剣を構え、不敵に笑った。
ようやく自分に相応しい敵が現れた。
その顔が、何より雄弁に語っている。
「おお、恩人様が大いに猛っていらっしゃいます!」
ウユウが感動したように声を張り上げる。
「何という不敵な顔つきでしょうか! この荒々しさは、まるで人の姿を得た天災!」
「……少し黙ってくれ、ウユウ。俺は敵を斬る」
エンカクが剣を正面へ構える。
「人を守るためにな」
「はい。実に黙って見守りましょう。ああ、しかし剣を構えた恩人様の、なんと凛々しい――」
「もういい。お前には何を言っても無駄だ」
エンカクはウユウへの意識を切り離し、迫る器鬼へ向き直った。
赤い髪の女性が、セベリンとタチヤナを連れて駆けつける。
「何があった、エンカク」
「タルラか」
エンカクは器鬼の群れを指した。
「正体不明の敵だ。数は分からん。今も増え続けている」
「何だと……」
セベリンが表情を曇らせる。
「ウォルモンドは、ただでさえ限界だ。これ以上の厄介事まで抱える余裕は――」
「セベリン憲兵長」
タルラが静かに遮った。
「ウォルモンドは、もう単独ではない」
セベリンが顔を上げる。
「我々が支える。都市を分割し、大裂孔を越え、元の航路へ戻れるよう導く。そのためにも、まず目の前の異変を止める」
「だが、器鬼への対処に人員を割けば、都市の分離作業が遅れる」
「両方やればいい」
タルラは迷わず答えた。
通信機を取り出し、全作業班へ呼びかける。
「都市防衛軍は住民の避難路を確保。スノーデビル小隊は北側通路を封鎖しろ。エンカクは東から入る器鬼を引き受けてくれ」
「任せろ」
「チェルノボーグ建設は作業を継続。巨像二体だけを防衛に回し、残りは固定杭を支えろ」
『了解した』
マドロックの声が返ってくる。
「パトリオットには中央区画へ出てもらう。市街地へ入った器鬼を押し戻せ」
『良いだろう』
低く重い声が通信機を震わせた。
タルラは剣を抜く。
「異変が起きた程度で、街を救う仕事を止めるな。分離作業は予定どおり続行する!」
赤い剣閃が走った。
先頭の器鬼が砕け散る。
直後、北側の路地が白く凍結した。
フロストノヴァと元スノーデビル小隊が、器鬼の進路を氷で塞いでいる。
「久しぶりの実戦だ。怪我人を出すなよ」
「了解、姐さん!」
東側ではエンカクが器鬼を切り伏せ、その後ろを都市防衛軍が走る。倒壊しかけた建物から市民を救出し、安全区画へ誘導していく。
中央通りへ現れた巫術の巨像が、巨大な腕で器鬼をまとめて押し返した。
しかし、残る巨像は固定杭を支え続けている。
ウォルモンドの分離作業は止まっていなかった。
「凄い……」
タチヤナが呟く。
「戦いながら、街を動かしてる」
「チェルノボーグには、それだけの人間がいる」
タルラが答えた。
「全く、こういう時こそ銀弓が必要なのだがな。あいつは、いつまでカジミエーシュにいるつもりだ」
「その銀の弓って、どんな人なの?」
タチヤナが尋ねる。
「カジミエーシュでも重要な征戦騎士家、その最後の一人だ」
答えたのは、タルラではなかった。
「トール!」
タチヤナが声の主を振り返る。
そこには彼女の婚約者であり、優れたアーツ使いでもあるトールワルドが立っていた。
「事情は後だ。人手は足りている。今は分離作業を続けながら、この異変を片付ける」
「うん。トールが言うなら安心かも」
「意見は揃ったようだな」
タルラは増え続ける器鬼を見据え、剣を正面へ構えた。
その姿は、自由都市を率いる英雄そのものだった。
「ほう。瞬く間に人心をまとめてしまったね。感心、感心」
酒杯を手にしたリィンが、高塔から降りてくる。
「リィンか。この怪異に心当たりはあるのか?」
「心当たりか。むしろ、ないわけがないと言うべきかな」
「どういう意味だ?」
「そうだね。司歳台が器鬼と呼んでいる存在は――」
「待ちなさい!」
ズオ・ラウが説明を止めようと飛び出した。
これ以上話されれば、炎国の国家機密に触れる。
司歳台の官吏として見過ごすわけにはいかない。
しかし、グレーシルクハットが片手でその肩を掴んだ。
「まあまあ。ここは専門家に任せようじゃないか」
「離してください!」
「何せ、私たちは何の関係もない、ただの観光客なのだからね」
「そうだな。俺たちは何の関係もない一般人だ」
シラクーザとは何の関係もない男が、ズオ・ラウの反対側の肩を掴む。
外套の隙間から、焼夷弾が僅かに見えた。
ズオ・ラウは初めて、二人が本当に観光客ではないことを理解した。
「私は関係あります!」
それでも必死に叫ぶ。
「ありますからね! あなたたちとは違うんです!」
その時、ウォルモンドのゲートから低い弦の音が響いた。
器鬼たちが一斉に動きを止める。
ほんの一瞬だけ、黒髪の女性が奏でたチェロの音へ、顔のない頭部を向けた。
「ふふ。面白い街ね」
チェロを携えた黒髪のサンクタが、ゲートに立っていた。
その女性へ、別のサンクタがショットガン型の守護銃を向けている。
「アルトリア・ジアロ」
フェデリコが冷静に告げた。
「あなたはラテラーノの指名手配犯です。私は執行人として、あなたを逮捕します。必要ならば、直接引き金を引くこともためらいません」
「この街は音楽で満ちているわ」
アルトリアは守護銃を向けられても、笑みを崩さない。
「誰もが生きるために必死になっている。石を運ぶ音、巨像の足音、命令を叫ぶ声。けれど、自分たちがどんな音楽を奏でているのか、誰も気づいていない」
「投降してください」
「誰かが、この街で起きたことを音楽にしなければならないのよ」
銃声。
フェデリコの守護銃が火を噴いた。
だが、その射線へ一体の器鬼が飛び込む。
散弾を受けた器鬼が砕け、破片が周囲へ飛び散った。
アルトリアが弓を引いたわけでも、命令したわけでもない。
それでも器鬼は、彼女を守るように動いた。
その一瞬で、アルトリアはゲートの向こうへ姿を消した。
「……逃げられました」
「い、今のは、まさかアルトリア・ジアロ!」
ズオ・ラウが驚愕する。
「ラテラーノが指名手配している国際犯罪者ですよ! この状況で野放しにしてはいけません!」
「まあまあ、落ち着きたまえ。炎国から来た観光客君」
グレーシルクハットが宥める。
「犯罪者であっても、役に立つなら利用する。それくらい、ヴィクトリアでは珍しくもないさ」
「シラクーザじゃ、通りを歩けばマフィアにぶつかるからな」
「比較する国がおかしいんですよ!」
ズオ・ラウが頭を抱える。
「それに、私は観光客ではありません!」
ヴィクトリア人とシラクーザ人にとって、アルトリアの罪は驚くほど特別なものではないらしい。
その事実が、ズオ・ラウを無駄に苦しめた。
フェデリコはアルトリアを追い、ウォルモンドのゲートを越えた。
そして、足を止める。
市街地の中を、巨大な巫術の巨像が何体も行進していた。
二体は器鬼を押し戻し、残る巨像は分離中の都市区画を支えている。
「被災都市の内部で、このような大規模アーツを……」
「すごいな! さすがはサルカズのアーツだ!」
リターニアの作業員が歓声を上げる。
「こっちの術式にも負けていないぞ!」
「褒めてもらえるのは嬉しいが、作業を急いでほしい」
分厚い装甲服を身につけたサルカズが、巨像へ指示を送りながら答えた。
「西側の固定杭を外す。リターニアの術式で外壁を支えてくれ」
フェデリコは、そのサルカズへ近づいた。
「失礼。ここで黒髪のサンクタをご覧になりませんでしたか?」
「見ていない」
マドロックは作業の手を止めずに答える。
「あなたは?」
「ラテラーノ執行人、フェデリコ・ジアロです。指名手配犯を逮捕するため、この都市へ入りました」
「そうか」
マドロックは短く頷いた。
「私は忙しい。犯罪者の追跡は自分でやってくれ」
巨像へ次の指示を出しながら、付け加える。
「この街は今、生き残るために必死なんだ」
それだけ言って、マドロックは作業へ戻った。
フェデリコが追跡を再開しようとした時、背後から声を掛けられる。
「よう。お前、人を探してるのか?」
振り返る。
種族の判別しにくい、強いて言えばヴィーヴィルのようにも見える女性が、両腕に大量の石材を抱えていた。
「あなたは?」
「その前に聞くけど、おめー、今暇だな?」
「いいえ。私は指名手配犯の追跡を――」
「よし、分かった!」
ニェンは満足そうに頷いた。
「お前も今から、ウォルモンド作業チームの仲間入りだ!」
「話を聞いていましたか?」
「まずは、この石材を向こうの積み込み地点まで運んでくれ」
大量の石材が、フェデリコの腕へ押し付けられる。
「待ってください。私は――」
その近くの作業員がさけんだ。
「西側の固定杭が外れそうだ! 補強材が足りないぞ!」
「だから急いでるんだ!」
ニェンがフェデリコを指差す。
「その石材が届かなきゃ、西側区画が落ちるかもしれねえ! 積み込み地点はあっちだ。よろしくな、でっかいの!」
ニェンはそれだけ言うと、別の作業班へ走っていった。
フェデリコは腕の中の石材を見る。そして石材を抱え直した。
「積み込み地点を、もう一度指示してください」
「こっちだ! 助かるよ、でっかい兄ちゃん!」
リターニア人の作業員が走り出す。
フェデリコもその後を追った。
運び終えると、次の石材が押し付けられた。
その次も。
さらに、その次も。
アルトリアは、まだウォルモンドのどこかにいる。
だが西側区画の固定が終わるまで、追跡を再開することはできない。
フェデリコは大量の石材を抱えたまま、静かに呟いた。
「私は一体、何をしているのでしょうか」
ウォルモンドでは今、犯罪者の逮捕より、都市の引っ越しの方が優先されていたらしい。
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W
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マリア
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タルラ!?
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