「…………」
男の子は動かない。
エル。
さっき聞いたばかりの名前。
『全部、救えるかもしれない』
『まだ諦めてない』
『次の俺を見つけろ』
頭の中で、言葉だけがぐるぐる回っている。
何なの。
全部救えるって何。
まだ諦めてないって何を。
次の俺って。
分かんない。
何一つ分からない。
「助けて!!」
遠くから声がした。
「…………」
「誰か! お願い!」
行かなきゃ。
そう思うのに、すぐには立てなかった。
もう嫌だ。
何も考えたくない。
「助けて!」
「……っ」
もう一度、声。
顔を上げる。
「……行かなきゃ」
地面に手をついて立ち上がった。
一度だけ、エルを見る。
それから背を向けた。
◇◇
飛ぶ。
はずだった。
「……っ」
翼を動かしても、体が思ったほど上がらない。
重い。
さっきまではもっと簡単に飛べたのに。
「まだ……」
もう一度、翼に力を入れる。
今度は飛べた。
「大丈夫ですか……!」
瓦礫の下にいる人のところへ降りる。
両手をかける。
「今……どかしますから……!」
「頼む……!」
「っ……!」
腕が震える。
重い。
さっきなら持ち上げられた。
「もう……ちょっと……!」
無理やり力を入れる。
瓦礫が浮いた。
「今、出て!」
男の人が這い出してくる。
「ありがとう……!」
「……はい」
次。
まだいる。
助けないと。
飛ぼうとして、足がもつれた。
「……っ」
大丈夫。
まだ動ける。
まだ。
その時、背後で何かが落ちた。
「――っ!」
振り返る。
魔女。
近い。
避けないと。
分かっているのに、体が動くのが遅い。
魔女の腕が振り上げられる。
「コトハクン!」
横から何かが飛び込んできた。
ステッキが魔女の体を殴り飛ばす。
「……え」
「危ない危ない。間に合ってよかったよ」
「……セナ先輩」
セナ先輩だった。
魔女が吹き飛んだ方向を確認してから、すぐに私を見る。
「怪我は?」
「大丈夫……です」
「そう」
セナ先輩が私の顔を見る。
少しだけ、黙った。
「……ノノカクンは?」
「…………」
答えようとする。
喉が詰まった。
「……死にました」
セナ先輩の表情が止まった。
「……そっか」
それだけ。
何があったのかは聞かなかった。
「それじゃあ、さっきの子は?」
「……あの人も」
言葉が続かない。
「私を庇って……」
「…………」
「もう、動かなくて……」
セナ先輩が少し目を伏せた。
「……そっか」
また遠くから悲鳴が聞こえた。
「……行かなきゃ」
「コトハクン」
飛ぼうとする。
ふらついた。
「っ……」
腕を掴まれる。
「休んで」
「……嫌です」
「コトハクン」
「まだ……」
向こうを見る。
「まだ、助けてって言ってるから」
「…………」
セナ先輩が私を見る。
何か言われると思った。
休めとか。
もう無理だとか。
でも。
「……分かった」
「え?」
「じゃあ、一緒にやろう」
「…………」
「一人より二人の方が、いっぱい助けられるからね」
返事はできなかった。
でも、また飛んだ。
◇◇
「こっちです!」
怪我をした人を運ぶ。
セナ先輩が魔女を倒す。
また次。
でも。
「……これじゃ駄目だな」
セナ先輩が立ち止まった。
「……?」
周りを見る。
何人もの天使が戦っている。
魔女を追いかけている人。怪我人を運んでいる人。誰かを探して飛び回っている人。
みんな動いている。
でも、ばらばらだった。
「セナ先輩……?」
「コトハクン、ちょっと待ってて」
セナ先輩が大きく息を吸う。
「動ける天使、ちょっと聞いてー!」
大きな声が響いた。
近くにいた何人かが振り返る。
「まだ戦える人は魔女をお願い! 活動時間が少ない人は、怪我人を安全なところまで運んで!」
「え?」
「飛ぶ時間が残ってる人は、一度上から周りを見て! 動けない人がどこにいるか教えてほしい!」
「わ、分かりました!」
「そこの君!」
「私!?」
「そう君! あっちの通り、人が逃げ切れてるか見てきてくれる?」
「はい!」
「ありがと!」
セナ先輩が次々に人へ声をかけていく。
「戦えない人は無理して残らない! 動ける人を見つけたら、ここに怪我人がいるって伝えて!」
「こっちの魔女は!?」
「私がやる!」
答えた直後、セナ先輩が飛び出す。
ステッキを振る。
魔女が吹き飛ぶ。
「はい次! そっち二人お願い!」
「了解!」
さっきまで、みんな自分の近くにいる人を助けていた。
でも。
少しずつ変わっていく。
「負傷者、こっちへ!」
「この先は避難できてる!」
「魔女が二体、西側!」
「分かった、行く!」
声が飛び交う。
誰かが見つける。誰かが助ける。誰かが戦う。
「……」
セナ先輩はもう次の場所へ飛んでいた。
すごい。
そう思う暇もなく、声がした。
「誰か! こっち!」
同時に。
「助けて!」
「……っ」
二方向。
また。
どっち。
一瞬、足が止まる。
「コトハクン、右お願い!」
「え?」
「左はそこの二人!」
「はい!」
別の天使が飛んでいく。
「……!」
私も右へ飛ぶ。
「大丈夫ですか!?」
瓦礫をどかす。人を引っ張り出す。
「立てますか?」
「なんとか……」
「向こうへ! あっちに人がいます!」
顔を上げる。
さっき、もう一つ声がした方。
別の天使が、怪我をした人を抱えて飛んでいる。
助かってる。
二人とも。
『私たちだけでは、全員を助けられない』
「…………」
ノノカ。
「コトハクン!」
「……はい!」
また飛んだ。
◇◇
どれくらい経ったのか分からない。街が元に戻ったわけじゃない。
壊れた建物もある。怪我人もいる。
遠くからは、まだ悲鳴も聞こえる。
でも。
「こっちは避難終わりました!」
「負傷者、あと三人!」
「了解! 運ぶよ!」
さっきまでとは違う。
少しだけ。
本当に少しだけ。
追いつき始めている。
「……?」
魔女を殴り飛ばしたセナ先輩が、急に上を見た。
「セナ先輩……?」
「…………」
「どうしました?」
「減ってる」
「え?」
「魔女」
つられて上を見る。
地下世界の天井。
大きく崩れた穴。そこから、ずっと魔女が降ってきていた。
でも。
「……あれ?」
少ない。
さっきまでは、黒い影が次から次へと落ちてきていた。
今は。
一体。
少し間を空けて、もう一体。
それだけ。
「魔女が……」
「止まり始めてるね」
周りの天使たちも気づいたらしい。
「来なくなってる……?」
「終わったのか?」
声が聞こえる。戦闘の音も減っていた。
ずっと聞こえていた悲鳴も、少し遠くなっている。
「……終わる?」
自分でも驚くくらい、小さな声が出た。
セナ先輩が穴を見上げる。
「……そうだといいね」
「…………」
終わる。これで。
もう。
「……?」
セナ先輩が目を細めた。
「何……?」
穴の向こう。
白いものが見えた。
一つ。
いや。
その後ろにもある。
さらに、その奥にも。
次々と穴の向こうから現れて、ゆっくりとこちらへ降りてくる。
「……また魔女?」
「いや」
セナ先輩がじっと見る。
白いものは、まだ増えていた。
十や二十じゃない。
大きな穴を埋めるように、いくつもの白いものが広がっている。
「何、あれ……」
魔女みたいに落ちてこない。
どれも同じような速さで、ゆっくりと高度を下げている。
遠くてよく見えない。でも、その白いものの下には、それぞれ小さな黒い影がぶら下がっていた。
「……何か、いる?」
目を凝らす。
白いものの群れが、少しずつ降りてくる。
その下にぶら下がった黒い影も、一緒に。
「あ……」
高度が下がるにつれて、少しずつ、形が見えてきた。
頭。胴体。その両側から伸びるもの。脚。
「天使……?」
人の形をしている。
戻ってきた?
地上に行っていた天使たち。
「セナ先輩、あれ――」
「待って」
「え?」
セナ先輩の声が変わった。空を見たまま動かない。
「……あれ、天使じゃない」
「…………え?」
もう一度見る。
輪がない。翼もない。
代わりに、大きな白い布みたいなものにぶら下がって、ゆっくり降りてきている。
「……天使じゃ、ない?」
じゃあ。
何。
「…………人?」
自分で言って、意味が分からなかった。
「……は?」
人?
地上から?
「え……何……?」
一人じゃない。
その後ろにもいる。
さらに、その後ろにも。
同じ白いものが、次々と穴から現れる。
「ちょ……待って」
十人。
二十人。
もっと。
「人……?」
みんな、似たような服を着ている。
「なんで……?」
地上に。人なんて。
「セナ先輩……」
セナ先輩も何も言わない。
あのセナ先輩が。ただ空を見ている。
『地上だ』
「……っ」
エルが言っていた言葉を思い出す。
『地下も。地上も』
「……地上……」
何で。エルは知ってた?地上に人がいるって。
白いものは、さらに増えていく。
地上から、穴いっぱいに人が降りてくる。
「……救助が、来たの……?」
口から出た。
そうであってほしかったのかもしれない。
セナ先輩は答えない。
「……セナ先輩?」
少しして。
「違うよ、コトハクン」
いつもの声じゃなかった。
「あれは――」
セナ先輩が空を見上げる。
「侵攻だ」