「地上人類としてって……どういうこと?」
「そのままの意味だ」
「無理だよ!?」
思わず声が大きくなる。
「私、地上のこと全然知らないんだけど!」
「だから今から必要なことを教える」
「いや、そうじゃなくて! 私、地下に帰りたいんだけど!」
「今は無理だ」
即答された。
「地上門周辺ではまだ戦闘が続いている。お前は今日はもう天使になれないんだろう?」
「……うん」
「なら、なおさら戻せない。戻れる状況になるまでは、ここにいるしかない」
「…………」
嫌だけど。
今、一人で地下へ帰れるかと言われたら無理だ。
「でも、地上人類のふりなんて……」
「完璧にやる必要はない。数日間、怪しまれなければいい」
「その数日が無理だって言ってるの!」
「やるしかない」
「…………」
この人、全然折れない。
ミカゲは机の上を片づけると、紙とペンを持ってきた。
「まず、お前の身分を決める」
「身分?」
「名前はコトハのままでいい。偽名にすると、自分の名前を呼ばれた時に反応する可能性がある」
「……なるほど」
「年齢は?」
「15歳」
「出身は……」
ミカゲが地図を広げる。
見たことのない地名がいくつも書かれていた。地上では一か所に全員が住んでいるわけではなく、いくつもの集落に分かれて暮らしているらしい。
「ここにする」
「どこ?」
「今いる集落から少し離れている。俺も何度か行ったことがあるから、最低限のことは教えられる」
「ふーん……」
知らない場所の出身になる。
もうそれだけで不安なんだけど。
「仕事は?」
「学生」
ミカゲの手が止まった。
「……天使学校か?」
「うん」
「なら、それは使えない」
「なんで?」
「地上には天使学校はない。当然だろう」
「あ……そっか」
言われてみればそうだった。
「15歳なら、普通は何してるの?」
「働いている」
「…………」
「地下も同じじゃないのか?」
「天使じゃない人はそうだけど……」
自分で言って、気づく。
私が15歳で学校に通っているのは、天使だからだ。
「じゃあ仕事、決めないとダメ?」
「ああ。修繕の補助にしよう」
「修繕?」
「古い建物の片付けや資材運びだ。専門的なことを聞かれても、補助しかしていないと言えばある程度は通る」
「私、やったことないよ」
「だから補助なんだ」
「……なるほど」
さっきから、こういうところだけ妙にしっかりしてる。
◇◇
「次に、地上について知っていることを確認する」
「……テスト?」
「そう思ってもいい」
嫌だな。
「知っていることを言ってくれ」
「えっと……魔女がいる」
「ああ。他は?」
「旧文明の建物とか、道具が残ってる。あと、灰がずっと舞ってる」
「ああ」
「地下の天使が地上に来て、使えそうなものを回収してる。魔女を倒しながら」
「他は?」
「…………」
考える。
地上任務で何度か来たことはある。でも、今まで見ていたのは魔女と旧文明の残骸ばかりで、ここで暮らしている人たちのことなんて何も知らなかった。
「……それくらい」
「以上?」
「……はい」
ミカゲが黙った。
「何」
「よくそれで地上まで来たな」
「来たくて来たんじゃないよ!」
「それはそうだな」
「…………」
否定しないんだ。
そこから、外で怪しまれないために必要なことだけ教えられた。
今いる集落の名前。
食べ物や物資の受け取り方。
地上では何が珍しくて、何が普通なのか。
魔女が出た時にどうするのか。
知らないことばかりだった。
全部覚えられる気がしない。
「……もう無理」
「まだ一つある」
「まだあるの……?」
「ああ。俺とお前の関係を決める」
「関係?」
ミカゲが少し考える。
「俺がお前に好意を抱いていることにする」
「…………」
何て?
「は!?」
「声が大きい」
「いやいやいや、何で!?」
「俺が突然、別の集落から来た人間と頻繁に行動していれば理由を聞かれる」
「友達でいいじゃん」
「いつ知り合った?」
「…………」
「共通の知人は?」
「…………」
「なぜ俺がお前の世話をしている?」
「…………」
何も答えられない。
「俺が一方的に好意を持っているなら、説明することが少なくて済む」
「でも……」
「お前は特に何もしなくていい」
「それはそれでなんか嫌なんだけど……」
「なぜ?」
「分かんないけど!」
本当にこれで大丈夫なのかな。
◇◇
着替えも用意された。
地下の制服を脱いで、地上側の服へ着替える。
「…………」
変な感じ。
鏡の中にいるのは私なのに、学校へ行く時とも、天使になった時とも全然違う。
地上の人。
そう言われたら、そう見えるのかな。
「どう?」
「見た目は問題ない」
「見た目は?」
「喋らなければ、まず問題ない」
「喋ったら!?」
「……できるだけ気をつけてくれ」
「不安なんだ」
「かなり」
「…………」
そこまで言わなくてもいいじゃん。
◇◇
秘密基地を出る。
外へ出た瞬間、さっきまでとは全然違う緊張が戻ってきた。
誰かいる。
それだけで怖い。
あの人も地上人類。
向こうにいる人も。
私が地下から来たと知ったら、どうなるんだろう。
無意識にミカゲの後ろへ寄る。
「近い」
「だって……」
「不自然になる。普通に歩いてくれ」
「普通って何……」
「少なくとも、俺の背中に隠れながら歩くことではない」
「…………」
仕方なく少し離れた。
それでも、周りを見るたびに体が固くなる。
しばらく歩いて。
集落が見えてきた。
「…………」
最初に目に入ったのは、高い壁だった。
旧文明の建物や金属板を継ぎ合わせて作られていて、ところどころ形も色も違う。その上には見張りらしい人が立っていて、銃を持って周囲を見ていた。
怖い。
やっぱり。
そう思った。
でも。
中へ入ると、少し違った。
「…………」
古い建物が並んでいる。
どれも新しくはない。壁にひびが入っていたり、割れた場所を違う材料で塞いでいたり、元々何の建物だったのか分からないくらい直されているものもある。
その間に、洗濯物が干されていた。
道の端では誰かが壊れた椅子を直している。少し先では、大きな鍋から湯気が上がっていて、その前で何人かが話していた。
子供たちが走っていく。
「待てって!」
「やだー!」
笑い声。
別のところでは、店の人と客が何か言い合っている。
「だから高いって!」
「こっちだって材料がないんだよ!」
「…………」
普通。
そう思った。
建物はボロボロだし、銃を背負って歩いている人もいる。地下とは全然違う。
でも。
みんな普通に喋ってる。
働いて。
ご飯を作って。
子供が遊んでる。
誰かが笑ってる。
もっと。
ずっと怖い場所だと思ってた。
「……ミカゲ」
「何だ?」
「…………」
何て言えばいいんだろう。
「いや……なんでもない」
そのまま歩く。
◇◇
「ミカゲ?」
「……ああ」
突然声をかけられて、肩が跳ねた。
男の人。
ミカゲの知り合いらしい。
「珍しいな。こんなところで」
「ああ」
その人の目が私へ移る。
「その子は?」
「コトハだ。別の集落から来ている」
「へえ」
見られる。
怖い。
変なところない?
何か間違ってない?
「なんでミカゲと一緒に?」
「俺はこの女性に好意を抱いている」
「…………」
「…………」
え。
本当に言った。
知り合いの人も固まってる。
「……は?」
「聞こえなかったか?」
「いや聞こえたけど。え、お前、好きな人とかいたの?」
「ああ」
「え、ていうか……今この子の前で言ったよな?」
「ああ」
「それ告白じゃないの?」
「告白ではない」
「え?」
「好意は既に伝えている」
「…………は?」
知り合いの人が私を見る。
やめて。
私も何て顔すればいいのか分からない。
「じゃあ何? この子、お前が自分のこと好きなの知ってんの?」
「ああ。現在は交際の承諾を得られるよう努力しているところだ」
「…………」
すごい。
よくそんな真顔で言えるな、この人。
しばらく黙っていた知り合いの人が、なんとも言えない顔で頷いた。
「……いや、まあ。うん。お前らしいわ」
「どういう意味だ?」
「いい。気にすんな」
「曖昧にされると気になるんだが」
「いいって!」
そのまま知り合いの人は去っていった。
「…………」
「何だ?」
「いや……」
なんでもない。
この人、演技上手いのか下手なのか全然分からない。
◇◇
集落の奥へ進む。
私が泊まることになる共同宿舎は、もう少し先らしい。
歩きながら、また周りを見る。
修理中の建物では、若い男の人が二人で壁を直している。その向こうでは、私と同じくらいの女の子が荷物を運んでいた。
子供たちが走っていく。
店に立っている人も若い。
食べ物を運んでいる人。
道具を直している人。
銃を背負って歩いている人。
「…………」
十代。二十代。また十代。さっきから、そんな人ばかりだ。
たまたま?
もう少し周りを見る。
でも、やっぱり。
「…………」
そういえば。
前に地上から降りてきた人たちもそうだった。
私を撃った女の子。他にいた銃を持った人たちも。
みんな、少年か少女だった。
「……ミカゲ」
「何だ?」
「ここって……若い人、多くない?」
「そうか?」
「だって」
もう一度周りを見る。
子供はいる。
私くらいの人もいる。
二十代くらいの人もいる。
でも。
「……お年寄りは?」
「…………」
ミカゲが足を止めた。
「年寄り?」
「うん。さっきから一人も見てないんだけど」
「…………」
「50歳とか、60歳とか。そのくらいの人って、どこにいるの?」
ミカゲの顔を見る。
何、その顔。
「……ミカゲ?」
「…………コトハ」
「何?」
ミカゲは、本当に意味が分からないという顔で私を見た。
「お前、何を言ってる?」