「…………は?」
目の前にいるのは、さっき見つけたものと同じだった。
六メートルを超える巨体。黒い身体に、輪郭が歪むほど肥大化した灰色の装甲。
でも、違う。
あれは。
「…………カレン、先輩?」
返事はない。
「カレン先輩……?」
ほんの少し前まで普通に話していた。刀を直して、私の武器を作ってみたらって言って、地上へ来てからもずっと「コトハっち」って呼んでいた。
それが今は、目の前に立っている。
「コトハ!」
「…………」
「コトハ!!」
腕を強く引かれて、ようやくイチカの方を向いた。
「え……」
「逃げるよ!」
「でも、カレン先輩が……」
「今は無理! 私たち、武器ないんだよ!」
「…………」
そうだ。
私もイチカも一年生で、まともに戦える武器なんて持っていない。
「でも――」
地面が揺れた。
「っ!?」
「来る!」
カレン先輩だったものが、こちらへ向かって走り出した。
「飛んで!」
「う、うん!」
翼を出して飛び上がり、イチカの後を追う。
でも、どうしても後ろを見てしまう。
追ってくる。
さっきまでカレン先輩だったものが。
「…………」
『コトハっち』
あの声が、まだ頭に残っている。
「コトハ、前見て!」
「あっ」
慌てて向き直り、高度を上げる。それでも距離はほとんど開かなかった。あれだけ巨大なのに、魔女よりずっと速い。
「カレン先輩……」
「今はカレンじゃない!」
「でも!」
「分かってる!」
イチカが叫んだ。
「私だって分かってるから! 今は逃げて!」
「…………っ」
飛ぶ。
逃げる。
それでも、逃げ切れなかった。
◇◇
「――っ!!」
飛び起きた。
「はっ……はっ……」
息が苦しい。何度吸っても、まだ走っている途中みたいに心臓が鳴っている。
でも、ここは地上じゃない。
寮の部屋。
いつものベッド。
「…………」
戻った。
「カレン、先輩……」
名前を口にした瞬間、さっきの光景がまた浮かんだ。
灰色の装甲。
大きくなっていく身体。
声が出なくなって。
最後には。
「…………っ」
布団を強く握る。
あれがカレン先輩だったなんて、まだ信じられない。
そのあと、私も死んだ。
イチカも。
カレン先輩だったものに、殺された。
「…………」
しばらく、そのまま動けなかった。
でも。
今は。
「……カレン先輩」
生きてる。
この時間なら、まだ生きてる。
地上にも行ってない。あの化け物にも会ってないし、灰も浴びていない。
「…………よかった」
声に出したら、少しだけ実感できた。
本当に。
よかった。
カレン先輩は、まだ大丈夫。
「…………」
そこでようやく、別のことが頭に浮かんだ。
戻った。
ということは。
「…………」
指を折る。
今まで死んだ回数。
そして、残っていた回数。
「……六回」
あと六回。
「…………」
また一つ、減った。
ベッドから降り、鞄からノートを取り出して机に置く。
忘れないうちに、今回分かったことを書いていった。
地上にいた巨大な化け物。魔女に似ているけど、遥かに大きいこと。身体から大量の灰を出し、攻撃するとさらに大量の灰を噴き出したこと。
そして。
『カレン先輩が、その灰を大量に浴びた』
そこでペンが止まる。
「…………」
少し迷って、その下に続けた。
『数十秒後、同じ姿になった』
書き終えても、何一つすっきりしなかった。
あれは何だったのか。
なんでカレン先輩まで、あんな姿になったのか。
元に戻せるのか。
灰をどうすればいいのか。
考えても、分からない。
「……どうしよう」
ノートを見る。
答えが欲しい。
でも、誰に聞けばいい?
イチカはあれを知らない。
カレン先輩は、そもそも今の時間では何も経験していない。
ミカゲなら。
「…………」
違う。
ミカゲも、あの化け物について知ってるとは――
「…………あ」
顔を上げる。
「……あ!」
いた。
知ってるかもしれない人。
それどころか。
『まだ諦めてない』
「…………」
エル。
前の時間のエル。
あの人、最後に。
『全部救えるかもしれない』
「…………!」
そうだ。言ってた。
何か思いついてた。
何を思いついたのか聞く前に、死んだだけで。
「エル……」
場所も知ってる。
会える。
今のエルは私を知らないけど。
それでも。
「……行こう」
椅子から立ち上がった。
◇◇
前の時間で来た場所。
迷わず辿り着けた。
「…………」
目の前には、あの扉がある。この先に、大量の魔女がいる。
エルもいるはず。
でも。
「……開かない」
当然だった。
前はエルたちがいたから中へ入れただけで、私が勝手に開けられるような場所じゃない。
「…………」
どうしよう。
叩く?いや。
「エルー!!」
扉に向かって叫ぶ。
「エル!! いる!?」
返事はない。
「エルー!!」
「――何してる」
「ひゃっ!?」
真後ろから声がした。
振り返る。
「…………」
いた。
「エル!」
「…………誰だ、お前」
エルは私ではなく、一度扉を見た。
それから、もう一度私を見る。
「なんで俺の名前を知ってる」
「えっと――」
「それ以前に」
目が鋭くなる。
「どうやってここを知った?」
そうだった。
今のエルは、私を知らない。
「待って、違うの!」
「何が違う」
エルの手が動く。明らかに警戒されている。
「前に来たことがあるの!」
「……何?」
「でも今じゃなくて、その……」
「何を言ってる」
駄目だ。
最初から全部説明してたら、その前に捕まる。
「まだ諦めてない!」
「…………」
エルの動きが止まった。
「……今、何て言った」
「まだ諦めてない」
「…………」
「これ、エルから聞いたの」
「は? 俺から?」
「うん」
「俺はお前を知らない」
「知ってる。今のエルは」
警戒は消えていない。
でも、さっきとは明らかに違う。
「どこで聞いた」
「前の時間」
「……前?」
「前の時間のエルから」
「…………」
エルは何も言わなかった。
「私、時間を戻ってるの」
「…………何?」
「死んだら、12月1日に戻る」
「…………」
当然、すぐには返事がない。
エルは私を見たまま黙っている。
「……何を言ってる?」
「本当なの」
「死んだら時間が戻る?」
「うん」
「お前だけが?」
「うん」
「…………」
信じてない。
そりゃそうだ。
「前の時間でも、ここに来たの。それでエルに会って――」
「待て」
「え?」
エルが片手を上げた。
「…………」
何か考えている。
「お前の話が本当だとして」
「うん」
「いや、まだ本当だとは思ってない」
「…………はい」
「仮にだ」
もう一度、少し考える。
「……どこまで戻る?」
「12月1日」
「毎回そこか?」
「うん」
「…………」
エルの視線が少し下がる。
「戻る条件は?」
「私が死ぬこと」
「記憶は残る?」
「残るよ」
「未来で知ったことも?」
「うん」
「…………」
質問が止まる。また考えてる。
「エル?」
「少し黙ってろ」
「はい」
何かを一つずつ確認しているみたいだった。
エルは少し考えたあと、さらに聞いた。
「それは何度でもできるのか?」
「……できない」
「上限がある?」
「一人につき十三回」
「今まで何回使った」
「七回」
「なら、残り六回か」
「うん」
そこで初めて、エルが黙った。
視線が私から外れる。何かを考えている。
「……お前」
「何?」
「その七回で、何を見た?」
「え?」
「未来で起きることを知ってるんだろ。何が起きる?」
「あ……」
どこから話せばいいんだろう。
「今日、魔女が地下を襲う」
「…………」
エルの表情が変わった。
「どこを」
「学校の近く。放課後に、たくさん」
「…………」
「前の時間では、来る場所も時間も分かってたから、先に天使を集めて迎撃した。死んだ人はゼロだった」
「待て」
「?」
「なんで場所と時間まで知ってる」
「それも、前の時間で調べたから」
「…………」
エルはしばらく私を見ていた。
「その魔女がどこから来るかも知ってるのか?」
「うん」
一瞬、扉を見る。
「……ここ」
「…………」
「この施設にいる魔女を放して、地下を襲わせるんでしょ?」
今度こそ。
エルが完全に黙った。
「…………」
「違う?」
「……いや」
声が少し低くなる。
「合ってる」
「前の時間では、それを止めたの」
「…………」
「それだけじゃなくて、そのあと地上が地下をもっと大きく攻撃することも知った。地下の天井を壊して、そこから大量の魔女を落としてくる」
「…………」
「本当は12月31日にやる予定なんだよね?」
「……終幕作戦まで知ってるのか」
「うん」
エルが何も言わなくなる。
さっきまでとは、明らかに違った。
この施設のこと。今日の魔女襲撃。終幕作戦。
今の私が知るはずのないことを、いくつも知っている。
「…………」
エルはしばらく考えていた。
「……分かった」
「何が?」
「まだ全部信じたわけじゃない」
「うん」
「でも、お前が何か知ってるのは間違いない」
エルが私を見る。
「少なくとも、話を聞く価値はある。それに――」
一度、言葉が止まった。
「もし本当に、未来で失敗した結果を持って戻れるなら……」
「?」
「いや」
エルはそれ以上言わなかった。
「分かった。お前に協力する」
「…………え?いいの?」
「ああ」
「でも、まだ私そんなに説明してないけど」
「必要なことは聞いた」
「…………」
何が必要だったんだろう。
「そういえば、聞きたかったんだけど」
「何だ」
「『まだ諦めてない』って、何?」
「…………」
「前のエルに、次の自分へ伝えてって言われたの。でも、何を諦めてないのか聞く前に死んじゃったから」
エルはしばらく黙っていた。
「地上と地下だ」
「……なんの話?」
エルは扉の方へ視線を向けた。
「今、地上側は地下を滅ぼす方向で動いてる。地下が灰を使い続ければ、いずれ地上は保たない。だから地下を止める。それが、今の俺たちが持ってる一番確実な方法だ」
「…………」
「でも」
少し間が空く。
「だからって、地下を滅ぼしていいとは思ってない」
「…………」
「地下を残せば地上が死ぬ。地上を救うなら地下を止めるしかない。今はそれ以外の方法が見つかってないだけだ」
「じゃあ……」
「ああ」
「まだ、他の方法を探してるの?」
「そうだ」
「…………」
「忘れないように、毎日日記の最後に書いてる」
「『まだ諦めてない』って?」
「ああ」
「…………」
同じだ。
私も。
地下と地上。
どっちも助けたい。
「そっか」
「何だ」
「ううん」
少しだけ。この人なら、と思った。だから。
「……エル」
「何だ」
「もう一つ、聞きたいことがある」
「何だ?」
「地上に……変なのがいたの」
「変なの?」
「魔女に似てるんだけど、違ってて」
思い出す。
大きな身体。灰。カレン先輩。
「六メートルとか、七メートルくらいあって……黒い身体に、灰色の装甲があった」
「…………」
「でも魔女より、灰色のところがずっと大きくて。身体の形が変になるくらい」
喉が少し詰まる。
「それで……ずっと、灰を出してた」
「…………」
「ものすごい量」
エルの表情が変わった。
「……灰まみれか」
「…………灰まみれ?」
「ああ」
「何それ」
「地上人類が灰を取り込み続けると魔女になる。それは知ってるな?」
「うん」
「でも、そこで終わりじゃない。魔女になった後も灰を取り込み続けて、さらに一定量を超えると、もう一段階変化する」
「……へ」
「それが灰まみれだ」
「…………」
じゃあ
「元は……魔女?」
「ああ」
「魔女になる前は?」
「地上人類だ」
「…………」
地上人類が、灰を取り込んで、魔女になる。
さらに灰を取り込んで、灰まみれになる。
「…………」
そこまで考えて。
別の光景が浮かんだ。
カレン先輩が、灰を浴びて。手が変わって。
「…………え」
「何だ?」
「待って」
「……おかしい」
「何が?」
「カレン先輩」
「誰だ?」
「一緒に地上へ行った人」
声が少し早くなる。
「その人、天使なの」
「…………」
「地下人類。魔女になんかなってない」
「…………」
「なのに」
あの光景がまた浮かぶ。
「灰まみれが出した灰を大量に浴びたら、数十秒で……」
「待て」
今度はエルの顔が変わった。
「天使が?」
「うん」
「魔女になったことは一度もない?」
「ない」
「それで、灰まみれになった?」
「…………うん」
「…………」
でも、カレン先輩は今ならまだ普通に生きている。
地上へ行かなければ、あの灰を浴びなければ、多分大丈夫。
「…………」
そこで、もう一つ思い出した。
「あ」
「今度は何だ」
「そうだ。これ聞きに来たんだった」
「多いな」
「ごめん」
でも、ずっと気になっていた。
「前の時間のエルもね、私がタイムリープしてるって知ったら、今みたいに色々聞いてきたの」
「そうか」
「それで、『全部救えるかもしれない』って言った」
「…………」
「私、それが何なのか聞く前に死んじゃって」
エルを見る。
「何を思いついたの?」
「…………」
エルはすぐには答えなかった。
少しだけ考えてから、口を開く。
「電気だ」