「……すみません。誰のことです?」
「…………」
ユウは少し首を傾げている。
でも、見た。
ミカゲの名前を出した瞬間、ほんの一瞬だけ表情が止まった。
「知ってるよね?」
「……何をです?」
「ミカゲ。ユウの親友」
「…………」
また、ほんの少しだけ間があった。
「人違いじゃないです?」
「でも――」
「僕、ミカゲって人に知り合いいないですよ」
柔らかい声。
笑ってる。
普通に話していた時と、ほとんど変わらない。
「地上にいる人だよ」
「…………地上?」
「うん」
「地上に人がいるってことですか?」
「いるよね?」
「…………」
ユウは困ったように笑った。
「何を言っているんですか? どうしてそう思ったんです?」
「えっと……」
なんでまだ隠すんだろう。
私はてっきり、事情を話せば。
『そういうことだったんですね』
ってなって。
ミカゲのところまで連れていってくれると思っていた。
でも。
そっか。
ユウからしたら、いきなり知らない人にミカゲの名前を出されたんだから、警戒するのも普通なのかもしれない。
「それはね――」
「ユウ」
イチカが口を挟んだ。
「何?」
「もういいよ」
「……何が?」
「私、知ってるから」
ユウがイチカを見る。
「何を?」
「ユウが地上から来たこと」
今度は。
はっきり分かった。
ユウの表情が止まった。
でも、それも一瞬だった。
「姉さんまで何言ってるの?」
「地上から来たんでしょ?」
「……いや、だから。地上に人なんていないでしょ」
「いるよ。ユウがそうじゃん」
「僕は地下で保護されたんでしょ。記憶がなかったから、どこから来たのかなんて――」
「記憶喪失も嘘」
ユウが黙った。
「何の話?」
「半年前、通信してるところ聞いたから」
「…………」
「地上の本部に、地下で調べたこと報告してたよね」
今度は、すぐに返事がなかった。
「それ、一回だけじゃないよ」
「…………」
「そのあとも何度か聞いた。通信する場所も大体分かってる」
さっきまで浮かべていた笑顔が消えている。
「…………そっか」
小さく呟いて、立ち上がった。
「ユウ?」
「何?」
イチカにはいつも通り答える。
そのまま、こっちへ歩いてきた。
「…………?」
何だろう。
そう思った時には、もう近い。
ユウの手が服の内側へ入る。
「コトハ、下がって」
「え?」
イチカの声と同時に、ユウの手に小さな刃が見えた。
「――っ!?」
折り畳み式の、小さな作業用ナイフ。
ユウが一気に距離を詰める。
「ユウ」
イチカの翼が開いた。
「…………」
ユウが止まった。
天使化しているイチカの方を見る。
「やめた方がいいよ」
「…………」
「言っとくけど、この子も天使だよ」
ユウの視線が、今度は私へ向く。
「え、あ、うん」
慌てて私も翼を出す。
「…………」
ユウが私とイチカを順番に見た。
しばらくして。
「……二対一。それに加えて天使なんだから、流石に分が悪いかな」
手に持っていたナイフが下がる。
諦めるの早。
いや。
その方が助かるけど。
違う。そうじゃなくて。
「今……私、殺されそうになった?」
「そうですね」
「…………」
普通に認めた。
ユウはナイフを畳んで、元の場所へ戻す。
それから、もう一度座った。
「それで」
「……何?」
「何が目的です?」
今度は笑っていなかった。
「僕が工作員だと知ってる。通信してることも、その場所も知ってる。でも、上の人間には話してない」
「…………」
「捕まえるつもりなら、姉さんと二人で家に来る必要もないですよね。最初から天使を何人か連れてくればいい」
「あ……」
「それをしないで、わざわざ僕に正体を知ってるって教えた」
少し間を置く。
「僕に何をさせたいんです?」
「…………」
そこまで聞いて。
私は最初から説明することにした。
「ミカゲに会いたいの」
「…………」
ユウの表情がほんの少し止まった。
「……誰のことです?」
「もういいでしょ」
イチカが言う。
「何が?」
「さっき自分で工作員だって認めたじゃん」
「工作員だからって、ミカゲって人を知ってるとは限らないでしょ」
「…………」
まだそこは隠すんだ。
「ミカゲ。ユウの親友」
「…………」
「地上にいる人」
「……何を言っているんですか?」
ユウはあくまで知らない顔を崩さない。
「どうしてそう思ったんです?」
「私、前の時間で会ったの」
「…………前の時間?」
「うん。私、タイムリープしてるの」
「…………」
ユウが止まった。
「…………はい?」
「死んだら、12月1日に戻るの」
「…………」
しばらく、何も言わない。
「……何を言ってるんですか?」
「タイムリープ」
「いや、それは聞こえましたけど」
ユウが眉を寄せる。
「急に何の話です?」
「私がミカゲを知ってる理由」
ユウは、完全に意味が分からない、という顔をしている。
そりゃそうか。
いきなり知らない名前を出されて、その理由が「未来で会ったから」なんて。
「本当なんだよ」
「……本気で言ってます?」
「うん」
「…………」
全然納得してない。
「ノートがあるの」
「……ノート?」
「タイムリープするための」
ユウが、さらに怪しいものを見る顔になった。
仕方ないので、ノートの仕組みから説明した。
死ぬと12月1日に戻ること。一人につき十三回までしかできないこと。前の時間で知った情報を次へ持っていけること。そして、もう八回使っていること。
「だから、残ってるのはあと五回」
「…………」
話し終えても、ユウはしばらく黙っていた。
「それを、僕に信じろって言ってるんです?」
「……できれば」
「無理がありません?」
「……あるとは思う」
「ですよね」
「でも、本当なの」
「そう言われてもなあ……」
困ったように笑っている。
信じてない。
でも、話をやめるつもりもないみたいだった。
「まあ……今の話が本当かどうかは置いといて」
「うん」
「あなたが普通なら知らないことを知ってる、っていうのは分かりました」
「…………」
「それで、その『前の時間』でミカゲに会ったんです?」
「うん。ユウを探しに、地下まで来てた」
ユウの表情が少し変わる。
「……ミカゲが?」
「うん」
「地下に?」
「そう」
「…………」
まだタイムリープを信じたわけじゃない。
でも、ミカゲという名前を知っていること自体は、もう無視できないんだと思う。
「なんで僕を探しに?」
「その前に色々あって。12月31日に、地上と地下で戦争が始まったの」
「…………」
ユウが黙った。
戦争そのものに驚いた感じじゃない。
「……そこまで知ってるんですか?」
「うん」
「…………」
見る目が少し変わった。
「その前の12月1日に、地下にいる工作員をまとめて捕まえようとした時間があったの。でも、ユウだけ捕まらなかった」
「僕が?」
「うん。それで、イチカも同じ日にいなくなってた」
「姉さんも?」
ユウが隣を見る。
「らしいよ」
「多分、イチカがユウを連れて逃げたんだと思う」
「……ちょっと待ってください」
ユウが額に手を当てた。
「あなたの話の中では、僕と姉さんが12月1日にいなくなって、そのまま見つからなくて」
「うん」
「それで、そのミカゲという人が僕を探しに地下まで来た?」
「そう」
あくまで『ミカゲという人』。
さっきから、知っているとは一度も認めない。
「…………」
やっぱり、隠し通すつもりなんだ。
ユウはしばらく黙っていた。
「情報が多いですね……」
「ごめん」
「いや……」
タイムリープも、未来の自分たちの失踪も、まだ信じてはいない。
ただ、私が12月31日のことまで知っているせいか、最初みたいに全部を突拍子もない話として流すこともできなくなっているようだった。
「それで、私がその人に会いたい理由なんだけど」
「…………」
「戦争を止めたいの」
「12月31日の?」
「うん」
ここから、この三日間で調べたことを話した。
地上側が地下を攻撃する理由は、地下が大量の灰を使い続けているから。このまま地上へ出る灰が増えれば、地上の人たちが生きられなくなる。
なら、地下が灰を使わなくても生きられるようになれば、戦争そのものを止められるかもしれない。
「灰を使わずに?」
「うん」
「どうやって?」
「電気」
「…………電気?」
「地上では、今も使ってるんだよね?」
ユウは答えなかった。
「前の時間で聞いたの。地上では今も電気を使ってるって」
否定もしない。
「だから地下でも使えないか、この三日間ずっと調べてた」
空調、水循環、工場、農業設備、天井の照明。
地下では生活を支えるほとんどの設備が灰に依存していて、その中でも都市全体を動かす大型設備の消費量が大きかった。
「全部を一気に変えるのは無理だと思う。でも、灰をたくさん使ってるところから電気に変えられれば、消費量はかなり減らせる」
「…………」
「そうすれば、地上に出る灰も減らせるかもしれない。地上の人も助かって、地下も今まで通り生活できる」
「......なるほど」
「でも、地下には旧文明の資料しか残ってなくて、今の電気設備を実際に作るための技術が足りないの。だから、今も電気を使ってる地上の人に話を聞きたい」
「地上の人に?」
「うん。ミカゲに」
「…………」
そこでは、やっぱり何も言わなかった。
「地上でどうやって電気を作ってるのか。地下で使うなら何が必要なのか。こっちだけで用意できるものと、地上の協力が必要なものも知りたい」
ユウの目を見つめる。
「それで、ユウに一緒に来てほしいの」
「僕に?」
「うん。今のミカゲは私のこと知らないから、私一人で行っても信用してもらえないと思う。でも、ユウが一緒なら話くらい聞いてくれるでしょ?」
ユウは答えない。
「だから、ミカゲのところまで一緒に来てほしい」
そこで初めて、少し長い沈黙があった。
これなら、分かってくれるんじゃないか。
ユウは地上の人だ。
地上の人たちを助けられるかもしれない。それに地下も助かる。
「……話は分かりました」
「じゃあ――」
「でも、それとこれとは話が別です」
「……え?」
声は大きくない。
でも、さっきまでとは違った。
柔らかい笑顔が消えている。
「僕は、協力する気はありません」
「…………」
本当に想像してなかった。
「なんで?」
「…………」
「だって、これが成功したら地上の人も助かるんだよ?」
「そうかもしれませんね」
「だったら――」
「関係ありません」
「…………」
横で、イチカがユウを見ている。
「僕は地上側の工作員です」
ユウの声は静かだった。
「上から通達された任務を達成すること。それが僕の責務です。だから、協力しません」
「でも……」
意味が分からない。
地上を助けたいから、地下を攻撃するんじゃないの?
だったら。
「このままだと、イチカも死ぬよ」
ユウが止まった。
「12月31日に終幕作戦が始まったら、地下にいる人はいっぱい死ぬ。イチカも」
ユウが隣を見る。
イチカは何も言わない。ただ、ユウを見ている。
「電気に変えられたら、それを止められるかもしれない。地上の人も助かって、イチカも死ななくて済む」
「…………」
しばらく。
ユウはイチカを見ていた。
それから、私へ視線を戻す。
「……元より、覚悟の上です」
「…………」
「僕には、任務があります」
さっきより少しだけ声が低かった。
嫌じゃないわけじゃない。
イチカが死んでもいいと思ってるわけでもない。
それなのに。
「でも――」
まだ何か言えば。
何か伝えれば、変わるんじゃないか。
「ユウ、私――」
「コトハ」
「?」
イチカだった。
さっきまでずっと黙ってユウを見ていたイチカが、立ち上がる。
「もういいよ」
「…………え?」
「行こう」
「え?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「いや、でも……」
ユウはまだ目の前にいる。
何も解決してない。
ミカゲにも会えてないし、ユウにも協力してもらえてない。
「イチカ、まだ話――」
「いいから」
イチカが私の手を取る。
「え、ちょっと待って。まだ終わってないって」
「うん」
「だったら――」
「あとで話す」
「…………」
そのまま扉の方へ引っ張られる。
振り返る。
ユウは止めなかった。
追いかけてもこない。ただ座ったまま、私たちが出ていくのを見ている。
「イチカ、待ってって!」
返事はない。
扉が閉まる。
「…………」
なんで?
まだ何もできてないのに。