「…………灰まみれ?」
聞き間違いかと思った。
「今、全人類が灰まみれになるって……」
「正確には、ほぼ全ての人間です」
「いや、そうじゃなくて!」
思わず身を乗り出す。
「何言ってるんですか? そもそも、なんで全人類が灰まみれになるんですか?」
「俺も聞いてない」
「…………」
隣から声がした。
ミカゲ
さっきまで黙って話を聞いていたミカゲが、机の向こうにいる人たちを見ている。
「Zデイとは何ですか」
「…………」
「終幕作戦とは別なんですよね?」
「そうです」
「それが起きたら、地上も地下も関係なく灰まみれになる?」
「ええ」
「そんな話、俺は一度も聞いてません」
ミカゲの声が少し低くなる。
「どういうことですか?」
「ミカゲ」
「何ですか」
「君に開示されていないのは当然です。Zデイは最高機密に指定されています」
「…………」
「終幕作戦に関わる人間すべてが、その全容を知っているわけではありません」
「でも俺は――」
「待て」
別の人が口を挟んだ。
説明をしていた人へ、険しい顔を向ける。
「そもそも、これ以上話すつもりか?」
「そのつもりです」
「正気か? Zデイは最高機密だぞ」
「分かっています」
「なら、なぜ一般人の前で――」
「この人は、地下の電気化を実現可能な段階まで持ってきました」
「…………」
何人かの視線が私へ集まる。
「我々が長年解決できていない問題に対して、少なくとも一つ、実際に結果を出している」
「電気化とZデイは別問題だ」
「だからこそです。地下の灰問題をここまで短期間で解決した人間なら、Zデイについても我々が見つけられなかった方法を見つける可能性がある」
「可能性だけで最高機密を開示するのか?」
「何も知らせずに帰して、その可能性を捨てるよりは有益だと考えます」
「…………」
話が。
どんどん大きくなってる。
私はただ、終幕作戦を止めに来ただけなのに。
「仮にそうだとしても」
別の人が口を開く。
「情報が外部へ漏れた場合はどうする?」
「…………」
「Zデイの存在が一般市民に知られれば、社会的混乱では済まない。対策そのものが立ち行かなくなる可能性もある」
説明役の人が私を見る。
「あなたは、ここで知ったことを誰にも話さないと約束できますか?」
「…………」
怖い。
何を聞かされるのかも分からない。
でも。
知らないままじゃ。
また、何をすればいいのか分からない。
「……約束します」
「…………」
「誰にも言いません」
少しの間、上の人たちだけで話し合いが続いた。
やがて。
「……分かった」
一人がため息をつく。
「彼女には話そう」
「ありがとうございます」
「ただし」
その人の視線が、私の隣へ動いた。
「ミカゲ。君は退室してください」
「…………」
ミカゲがわずかに眉を寄せた。
「理由を伺ってもよろしいですか」
「ここから先は、Zデイの詳細に関わります」
「承知しています。ですが、俺も終幕作戦に関わっています」
さっきまでより少し硬い声だった。
「今後の任務に影響する情報であれば、俺も把握しておく必要があると思いますが」
「その必要はありません」
「…………」
「君に与えられている任務は、Zデイの詳細を知らなくても遂行できます」
ミカゲはすぐには返事をしなかった。
「……彼女には必要で、俺には必要ないという判断ですか」
「そうです」
今度は、私を見る。
「彼女は実際に地下の灰使用量を減らす計画をここまで進め、結果を出しました。我々が解決できていない問題についても、別の方法を見つける可能性がある」
「…………」
「その可能性に情報を開示する価値があると判断しました。しかし、君に同じ情報を開示する必要性はありません」
はっきりしていた。
ミカゲは黙ったまま、しばらくその人を見ている。
納得しているようには見えない。
当然だと思う。
さっき初めてZデイなんてものを知らされて、それが起きれば地上も地下も関係なく、ほとんど全員が灰まみれになるとまで聞いた。
それなのに、自分だけここから先は聞くなと言われている。
「…………」
それでも、ミカゲはそれ以上食い下がらなかった。
「……承知しました」
立ち上がる。
扉へ向かいかけて、一度だけ私を見た。
「…………」
目が合う。
何か言われると思った。
でも、ミカゲは何も言わなかった。
「失礼します」
そのまま部屋を出ていく。
扉が閉まった。
「…………」
なんか。
ものすごく気まずい。
「では」
静かになった部屋で、さっきの人が話を戻した。
「まず、《灰まみれ》について説明しましょう」
「……はい」
「では、まず《灰まみれ》について説明しましょう」
「……はい」
「灰まみれとは、人間が一定量を超える灰を体内へ取り込んだ結果、変異した状態、およびその状態になった人間を指す呼称です」
「…………」
何となく。
分かるような。
分からないような。
「……どういうことですか?」
「…………」
「一定量を超えると、変異……?」
説明していた人が少し黙った。
「簡単に言えば、灰を大量に身体へ取り込みすぎると、人間は《灰まみれ》になるということです」
「あ」
それなら分かる。
「魔女が、もっと灰を取り込んだら灰まみれになるってこと?」
「そうです。地上では一般にも知られている現象ですね」
「聞いたことあります。魔女になった後も灰を取り込み続けると、最後は灰まみれになるって」
「その認識で構いません」
「…………」
説明していた人が、何とも言えない顔で私を見る。
「……失礼ですが」
「はい?」
「本当にあなたが、地下の電気化計画をここまで進めたのですか?」
「…………」
「先ほどの資料を見る限り、複数の技術者を動かし、地下側の設備まで調査した上で計画を組み立てていますよね」
「……はい」
「その本人が、『一定量を超える』という説明で躓くとは思っていませんでした」
「…………」
痛い。
「一人で全部考えたわけじゃないので……」
「それにしても、どうやってここまで?」
「…………色々あって」
「またそれですか」
「すみません……」
納得はしてなさそうだったけど、それ以上は聞かれなかった。
「話を戻しましょう」
「はい」
「先ほど、魔女がさらに灰を取り込めば灰まみれになる、と言いましたね」
「はい」
「ただし、一つ訂正があります」
「?」
「灰まみれになるのは、地上人類だけではありません」
「……え?」
「地下人類も同じです。大量の灰を取り込み続ければ、最終的には灰まみれになります」
一瞬、意味が分からなかった。
「地下人類も?」
「はい」
「でも……地下人類ですよ?」
「そうですが」
「魔女じゃなくても?」
「魔女である必要はありません」
「…………」
そこで。
カレン先輩が浮かんだ。
「あ……」
大量の灰を浴びて。
最初は何ともなくて。
それから手に灰色のものが浮かんで、腕へ、身体へ広がって。
数十秒で、あの化け物と同じ姿になった。
カレン先輩は、何かおかしなことが起きて灰まみれになったんじゃない。
地下人類でも。
なるんだ。
「…………」
じゃあ。
「なんで?」
「何がですか?」
「なんで地下人類まで、灰をいっぱい取り込んだらあんな姿になるんですか?」
「灰には生体物質と非常に結合しやすい性質があります。体内へ侵入した灰が細胞へ沈着すると、細胞が利用可能なエネルギー量が異常に増大し――」
「…………」
「通常の人体が許容できる出力を大幅に超過するため、その環境下で生存するための身体的な変化が――」
「…………」
分からない。
途中からじゃない。
ほぼ最初から分からない。
「……理解できていますか?」
「…………ちょっとだけ」
「どこまで?」
「灰が身体に入るところまでは」
「ほぼ何も理解していないじゃないですか」
「すみません……」
説明していた人が、少し黙った。
「……では、もっと簡単に言いましょう」
「お願いします」
「灰には、非常に大きなエネルギーが残っています」
「はい」
「それが大量に身体へ入ると、人間の身体では扱いきれないほどのエネルギーを抱えることになる」
「......なるほど」
「本来なら、それに耐えられず死にます」
「…………」
「しかし、現在の人類には、そうならないために身体そのものを変化させて生き残ろうとする性質がある」
「身体を変える……」
「ええ。灰が『人間を怪物に変えよう』としているわけではありません。灰はただの物質です」
「…………」
「大量の灰が身体へ入ってくる。それまでの身体では耐えられない。だから、人間の身体の方が灰に耐えられる形へ変わる」
「あ……」
やっと分かった。
「その変わった結果が、灰まみれ?」
「そういうことです」
少し。
分かった。
「じゃあ」
さっきの話を思い返す。
「地上人類が魔女になるのも、そのせいなんですか?」
「その通りです」
「灰をいっぱい取り込んで、そのままじゃ生きられないから、身体が変わる」
「ええ」
「…………」
だったら。
「地下人類は?」
「地下人類?」
「天使になるのも、同じ?」
「はい」
「……そう、なんだ」
「地下人類が天使になるのも、一定量以上の灰を体内へ取り込んだ結果です」
............。
待って。それじゃあ、あれはどういうこと?
「あ、あの。それはおかしいです」
「なぜ?」
「地下で天使になれるのって、一部の人だけですよ。地下人類だからって、皆天使になれるわけじゃない......」
「地下では、そう認識されているようですね」
「……違うんですか?」
「厳密には」
少し間を置いて。
「地下人類であれば、誰でも天使になる可能性があります」
「…………え?」
「全員?」
「はい」
「…………」
そこで、ふと引っかかった。
「……あの」
「何でしょう」
「なんで、そんなこと知ってるんですか?」
「そんなこと?」
「天使のこと。地下でも、天使になれる人となれない人がいるって思われてるのに」
なのに、この人たちは違うと言い切った。
それだけじゃない。
天使になる原因が灰だということまで知っている。
「地上の人なのに、なんでそこまで……」
「ああ」
その人は、特に隠す様子もなく答えた。
「過去に天使を捕らえ、調査したことがあるからです」
「…………」
一瞬。
意味が入ってこなかった。
「捕らえた……?」
「はい。天使がどういった条件で変異するのか、灰をどの程度取り込んでいるのか。身体にどのような変化が起きているのか。複数の事例を調査しています」
「…………」
捕まえて。
調べた。
天使を。
「……ひどい」
思わず言葉が出た。
「その調査は、現在は行われていません」
その人は否定しなかった。
「ですが、当時得られた記録は残っています。我々が天使について知っているのは、そのためです」
「…………」
だからって。
捕まえて調べていいことにはならないと思う。
何をされたんだろう。
その天使たちは、その後どうなったんだろう。
「…………」
目の前にいる人たちを見る。
この人たちがやったわけじゃないのかもしれない。
でも。
さっきまでより、少しだけ怖く見えた
「……じゃあ」
そのまま、さっき聞いた話を頭の中でもう一度思い返した。
「地下の人たちのほとんどが天使になってないのは、なんでですか?」
「それは、天使になるために必要な灰の量が、人によって違うからです」
「…………え?」
「全員?」
「はい」
「でも、地下の人たちのほとんどが天使になってないですよ......?」
「それは、天使になるために必要な灰の量が、人によって違うからです」
「必要な量?」
「例えば、少量の灰を取り込んだだけで天使になる人がいる。一方で、その何倍もの量を取り込まなければ変化しない人もいる」
「…………」
「地下で普通に生活していて、身体へ入ってくる灰の量には限界があるでしょう?」
「はい」
「その程度の量でも、天使になるのに必要なところまで届く人間がいる。それが、地下社会で『天使になれる人間』と呼ばれている人々です」
「あ……」
少しずつ。
意味が分かってくる。
「じゃあ……普段は天使になれない人も、もっといっぱい灰を取り込んだら?」
「天使になります」
「…………」
知らなかった。
天使になれる人。
なれない人。
そういうふうに、最初から分かれているものだと思ってた。
「もう一つ。必要な灰の量は、個人差だけでなく年齢によっても変わります」
「年齢?」
「若いほど、少ない灰で天使になりやすい。成長するにつれて、天使になるために必要な量は増えていきます」
「…………」
「だから、地下で実際に天使になっている人間には少年少女が多い」
「あ……」
言われてみれば。
学校にいる天使も。
今まで会った天使も。
若い人ばかりだった。
「子供の方が天使になる才能があるわけじゃなかったんだ……」
「そういうことです」
まだ。
一個分からない。
「じゃあ、なんで?」
「何がですか?」
「同じ灰なんですよね?」
「はい」
「地上人類は魔女になるのに、地下人類は天使になる」
どっちも。
灰を大量に取り込んで。
それでも生きるために、身体が変わっている。
なのに。
「なんで地上人類と地下人類で、変わった後の姿が違うんですか?」
「…………」
説明役の人が、少し考えるように黙った。
「それを説明するには……そうですね」
机の上で手を組む。
「人類の歴史から話す必要があります」