「この魔女たち――どこから来たのでしょうね?」
「どこって……」
ノノカに手を引かれたまま走る。
少し前まで、私たちは他の生徒たちと一緒に校舎から逃げていた。
正門はもうすぐそこ。校庭には避難してきた生徒が集まり始めていて、先生たちが大声で誘導している。
そっちへ行けば安全だ。
なのに今、私たちはその流れに逆らっていた。
背中側には正門。
正面には、たった今逃げてきた校舎。
西側の校舎から、生徒たちが次々と飛び出してくる。その後ろでは、黒い魔女が校舎の中を動いているのが見えた。
「ノノカ! やっぱりこれ危ないって!」
「分かっています」
「分かってるならなんで戻るの!?」
「今なら、魔女がどこから来ているのか辿れますから」
「だからって……!」
怖い。
めちゃめちゃ怖い。
今日の活動可能時間はもう残っていない。
魔女に見つかっても、私もノノカも戦えない。
「コトハちゃん。今回、地下の天井は壊れていませんよね?」
「……うん」
つられて上を見る。
地下世界を覆う天井は、いつもと変わらない。
穴なんてどこにも空いていない。
「でしたら、少なくとも今ここにいる魔女たちは、先ほど地上から入ってきたわけではないのかもしれません」
「……じゃあ、どこから来たの?」
「それを確かめに行きます」
「やっぱり行くんだ……」
正門の方を見る。
みんな、そっちへ逃げている。
本当は私も逃げたい
今すぐノノカを引っ張って、みんなと一緒の方向へ行きたい。
魔女に見つかったら、今の私たちは何もできない。また死ぬかもしれない。
でも。
ここで逃げたら。
何も分からないまま、また魔女が来るかもしれない。
また学校が襲われて、今度はもっとたくさんの人が死ぬかもしれない。
それは、もっと嫌だ。
「……分かった。行こう」
「はい」
ノノカと一緒に、逃げてくる人の流れに逆らって校舎へ向かった。
◇◇
「すみません!」
西棟から走ってきた先生を、ノノカが呼び止める。
「魔女はどちらから来ましたか?」
「は?」
「最初に見た場所で構いません!」
「西階段だ! 上から降りてきた! だが君たちは正門へ避難しろ!」
「ありがとうございます!」
「おい! 戻るな!」
先生の声を背中に聞きながら、西棟へ入る。
「……ごめんなさい」
小さく呟く。
言うことを聞いた方がいいのは分かってる。
それでも、今しか辿れない気がした。
廊下には鞄や教科書が散らばっていた。開いたままの教室では机が倒れ、割れた窓ガラスが床一面に散っている。
西階段へ向かう途中、数人の生徒がこちらへ走ってきた。
「魔女見た!?」
「えっ!? う、うん!」
「どこから来た!?」
「上! 3階の渡り廊下から!」
「ありがとう!」
階段を上がる。
「……やっぱり、繋がっていますね」
「西階段の次が、渡り廊下?」
「はい」
2階へ着く。
長い廊下の先に、西側の実技棟へ続く渡り廊下が見えた。
そこからも何人もの生徒が逃げてくる。
「そっちに魔女いる!?」
「いる! 西門の方から入ってきてる!」
「西門……?」
学校の西端にある通用門。
普段は正門ほど人が出入りしない場所だ。
「学校の外から来ているようですね」
「じゃあ……もっと先?」
「行ってみましょう」
目撃された場所を1つずつ遡るたび、周りから人が減っていく。
渡り廊下へ入る。
左右は大きな窓になっていて、下には校庭が見えた。
遠くの正門には、避難している人たちが集まっている。
あそこまで行けば安全なのに。
私たちは、どんどん離れていく。
渡り廊下を半分ほど進んだところで、ノノカが突然私の腕を掴んだ。
「っ!」
「静かに」
近くの柱の陰へ引っ張られる。
向こう側から、何かを引きずるような音がする。
ずる。
ずる。
黒い影が現れた。
魔女。
「……っ」
息を止める。
逃げる場所がない。
見つかったら、変身できない私たちじゃ何もできない。
魔女が渡り廊下へ入ってくる。
近づいてくる。
お願い。
来ないで。
お願いだから――。
魔女は私たちの隠れている柱のすぐ前を通り、そのまま校舎の方へ進んでいった。
姿が見えなくなっても、動けなかった。
心臓がうるさい。
「……行きましたね」
「…………」
足に力が入らない。
今の、少しでも見つかるのが早かったら。
「……ノノカ、戻ろう」
ノノカは少し黙った。
「……もう少しだけ、付き合っていただけませんか」
「…………」
怖い。
今度こそ本当に死ぬかもしれない。
でも、ここで戻ったら。
何も分からないまま、また魔女が来るかもしれない。
また学校が襲われて、今度はもっとたくさんの人が死ぬかもしれない。
それは、もっと嫌だ。
「……分かった」
「ありがとうございます」
柱から離れ、魔女が来た方へ進んだ。
◇◇
渡り廊下を抜けると、実技棟に出た。
ここにもほとんど人はいない。
普段なら実技を終えた生徒で混んでいる廊下も、今は静かだった。壁際には、変身した時に出る灰を入れる回収箱だけが並んでいる。
廊下を走り抜け、西門へ向かう。
その途中。
「――助けて!」
「……!」
声がした。
近くの実習室だ。
「待って!」
「コトハちゃん!」
扉へ駆け寄る。
「大丈夫!?」
「開かない!」
中から声がする。
扉が歪んでいた。近くの壁が壊れたせいか、枠に引っかかって動かなくなっている。
「ノノカ、手伝って!」
「……分かりました」
2人で扉に手をかける。
「せーの!」
動かない。
「もう1回!」
力を込める。
少しずつ隙間が開く。
「もうちょっと……!」
最後に思いきり引くと、扉が大きな音を立てて開いた。
中から男子生徒が飛び出してくる。
「怪我してない?」
「う、うん」
「走れる?」
「走れる!」
「このまま渡り廊下を戻って、正門まで逃げて! みんなそっちにいるから!」
「分かった! ありがとう!」
男の子が走っていく。
渡り廊下へ入って、向こう側へ消えるまで見届けた。
「……行きましょうか」
「うん」
急がないと。
実技棟の1階へ降りる。
そして、西門を抜けた。
◇◇
学校の外へ出た瞬間、息を呑んだ。
「……何、これ」
学校だけじゃない。
いつもなら人が行き交っている通りを、大勢の人がこちらへ走ってくる。
子供を抱えている人。
泣きながら誰かの名前を呼んでいる人。
靴も履かずに逃げている人。
この人たちは、私たちみたいに変身できない。
天使になれるのは、生まれつき適性を持った一部の人だけだ。だから魔女に襲われても、ほとんどの人は戦うことなんてできない。
逃げるしかない。
「......っ」
店は開いたままなのに、中には誰もいない。
道路には鞄や買ったばかりらしい食べ物が散らばり、窓ガラスが割れている。
その向こう。
建物の壁が、大きく抉れていた。
「……街も」
「襲われたようですね」
学校だけじゃなかった。
魔女はここを通って、学校まで来たんだ。
「魔女! どっちから来ました!?」
逃げてきた男の人にノノカが聞く。
「向こうだ! 大通りの奥! 何体もいた!」
「ありがとうございます!」
指された方向へ走る。
みんなと逆方向。
逃げてくる人の間を抜けて、魔女が来た方へ進む。
少し行くと、道の真ん中に人が倒れていた。
「……っ」
足が止まりそうになる。
血が流れている。
動いていない。
見ただけで分かってしまった。
もう、助けられない。
少し前の私なら、近づいて確かめようとしていたかもしれない。
でも今は。
「……行こう」
「はい」
走る。
その先にも、倒れている人がいた。
壊れた店の前。
路地の入口。
壁にもたれたまま動かない人。
見ないようにしたかった。
でも、見えてしまう。
進むほど、街の被害が大きくなっていった。
建物の一部が崩れている。
道には大きな瓦礫が転がっていて、まっすぐ進めない。
「こっちです」
ノノカと一緒に脇道へ入る。
「誰か! 手伝ってくれ!」
声がした。
崩れた建物の前で、何人かの大人が瓦礫をどかそうとしている。
瓦礫の隙間から、人の腕が見えた。
「……」
助けないと。
そう思って足が止まる。
でも、すでに何人もの人が助けようとしている。
「コトハちゃん」
「……うん」
今は任せる。
全部を私が助けられるわけじゃない。
それより、また同じことが起きないように。
先へ進んだ。
◇◇
学校を出てから、10分ほど経った。
逃げてくる人に何度か話を聞いた。
全員が、同じ方向を指した。
地下都市の西側。
古い建物が多い区画。
そこへ近づくにつれて、逃げてくる人の数が減っていった。
店も住宅も減る。
「……この辺、来たことない」
「私もありません」
さっきまで聞こえていた悲鳴も、もう遠い。
代わりに、私たちの足音がやけに大きく聞こえる。
さらに進む。
閉まったままの店。
文字の消えかかった看板。
割れた窓を板で塞いでいる建物。
人が住んでいる気配が、どんどんなくなっていく。
「……急に静かになったね」
「そうですね」
「さっきまで、あんなに人いたのに」
周りを見る。
もう逃げてくる人はいない。
ここまで来る間は、魔女を見た人に聞けば次の場所が分かった。
でも、ここから先はそれもできない。
「……どうする?」
ノノカは少し考えてから、周囲を見回した。
「コトハちゃん。これだけの魔女が、今日突然地下に現れたと思いますか?」
「え?」
「地上から入ってきた形跡はありません。それなのに、何十体もの魔女が一斉に現れた」
「……うん」
「だとすれば、襲撃される前から地下のどこかにいた可能性があります」
「前から?」
「はい。ですが、あれだけの数です。人が大勢いる場所に隠しておくのは難しいでしょうね」
「あ……」
言われてみればそうだ。
もし街の真ん中に魔女が何十体もいたら、今日まで誰にも見つからないなんて無理だと思う。
「じゃあ……人がいないところ?」
「可能性は高いと思います」
ノノカが、通りのさらに奥を見る。
「ここまで魔女の目撃情報は繋がっています。そして、この先にはほとんど人がいない」
「……だから、このまま人がいない方に行く?」
「他に手掛かりもありませんからね」
「…………」
めちゃくちゃ怖い理屈なんだけど。
でも、他に探す方法も思いつかない。
「……分かった」
人のいない方へ。
さらに奥へ進む。
街灯が減っていく。
店はもうない。
住宅らしい建物も、ほとんど見かけなくなった。
道の両側にあるのは、何に使われていたのかも分からない古い建物ばかり。
窓が板で塞がれているものもあれば、入口そのものが崩れているものもある。
人の声はしない。
私たちの足音だけが、静かな道に響いている。
「……ノノカ」
「はい」
「私、帰りたい」
「奇遇ですね。私もです」
「じゃあ帰ろうよ……」
「それはできませんね」
「だよね……」
さらに人気のない方へ進む。
道はだんだん細くなり、最後には建物と建物の間を通る狭い路地になった。
「……本当にこっち?」
「分かりません」
「分かんないの!?」
「ここから先は目撃情報がありませんから」
「うぅ……」
「ただ」
ノノカが周囲を見る。
「何かを隠すのであれば、こういう場所は都合がよさそうですね」
「それは……そうかもしれないけど」
角を曲がる。
行き止まりだった。
「……あれ?」
正面には古い建物の壁があるだけ。
「違った?」
「そのよう――」
ノノカが途中で言葉を止めた。
「どうしたの?」
「コトハちゃん。これ、壁じゃありません」
「……?」
指された方を見る。
「……何これ」
見上げるとそれは、大きな金属の扉だった。
周りの古い建物とは明らかに違う。
私の背よりずっと大きくて、厚い。
壁に埋め込まれるように作られている。
通りからは建物に隠れていて、近くまで来なければ存在そのものに気づかない。
「こんなの、あったんだ……」
「少なくとも、普通に歩いていて見つける場所ではありませんね」
扉は少しだけ開いていた。
隙間の向こうは暗い。
「……ここ?」
「分かりません」
「だよね」
「ですが」
ノノカが扉を見る。
「調べてみる価値はありそうです」
「……行くんだよね」
「はい」
「……うん」
学校はもう、ずっと後ろだ。
助けを呼んでも、多分誰にも聞こえない。
それでも。
扉の隙間から、中へ入った。
◇◇
入った瞬間、空気が変わった。
「……臭い」
湿ったような、変な臭い。
何の臭いか分からないけど、好きじゃない。
狭い通路が奥へ続いている。
壁も床も灰色で、窓は1つもない。
天井に並んだ小さな照明だけが、足元を照らしている。
外の街の音も、もう聞こえない。
ノノカの後ろを歩く。
少し先に、また扉があった。
ノノカがゆっくり近づく。
私も後ろからついていく。
扉の向こうを覗いた。
「…………え」
最初、何がいるのか分からなかった。
広い通路。
その両側に、壁で仕切られたいくつもの部屋が並んでいる。
まるで牢獄のようだ。
柵の向こうで、何かが動いていた。
1体。
2体。
違う。
もっといる。
「……魔女?」
喉から、小さな声が出た。
魔女だ。
1つの部屋だけじゃない。
隣にも、その隣にもいる。
1つの部屋に何体もの魔女が閉じ込められていて、同じような部屋が通路の奥まで続いている。
「何……これ……」
頭が追いつかない。
なんで。
なんで魔女が、こんなところにいるの?
地上にいるはずなのに。
しかも、こんなにいっぱい。
「コトハちゃん」
ノノカが小さな声で言う。
「先ほどの魔女は、ここから出てきたと考えた方がよさそうですね」
「……でも、なんで?」
「分かりません」
魔女が自然に入り込んだようには見えない。
部屋ごとに分けられて。
逃げられないように、太い柵で閉じ込められている。
「……これ、誰かが閉じ込めたってこと?」
「そう考えるのが自然でしょうね」
「じゃあ……」
学校に来た魔女も。
街を襲った魔女も。
誰かが、ここから――。
「――そこで何をしている」
「っ!?」
後ろから声がした。
振り返る。
人がいる。男の子。
私たちと、そんなに歳は変わらない。
17歳くらいだろうか。知らない人。
向こうも、私たちを見て一瞬固まっていた。
「……誰?」
聞いても、答えない。
男の子は私たちを見る。
次に、開いている扉を見る。
そして。
表情が変わった。
右手が服の中へ入り、何かを取り出す。
「……?」
小さな、金属の道具。
手のひらより少し大きいくらい。
筒のような部分があり、その先に小さな穴が空いている。
その穴が、私たちの方を向いた。
「……何、それ?」
「コトハちゃん!」
突然、ノノカが叫んだ。
「え?」
「覚えてください!」
「……何を?」
「見て! 今ここにあるものを全部! 観察してください!」
「え、なんで――」
パンッ!!
大きな音がした。
体が跳ねる。
「…………え?」
ノノカが、倒れた。
「……ノノカ?」
床に倒れたノノカの頭の近くから、赤いものが広がっていく。
動かない。
「ノノカ……!」
駆け寄ろうとして――止まった。
『覚えてください!』
さっきのノノカの声が、頭の中に響く。
覚える。
何を?
全部。
ノノカがそう言った。
顔を上げる。
怖い。
目の前に、あの男の子がいる。
でも見る。反射的に考えていた。
覚えないと。
男。私より少し年上。黒い服。髪は短い。背は私よりずっと高い。
右手に、金属の道具。
その後ろには、私たちが入ってきた扉。右にも通路が続いている。左には大きな柵。
魔女。
何体?
分かんない。いっぱい。
奥の部屋にもいる。
覚えて。
忘れないで。
「……何をしている?」
男の子が言った。
答えられない。
声が出ない。
怖い。
でも観察する。
服。顔。髪。部屋。魔女。扉。
男の子が右手を上げた。
金属の道具。
小さな穴が、私の方を向く。
さっき。あれがノノカを向いた。
その直後、大きな音がして。
ノノカが倒れた。
「……それが」
震える声が出た。
「それが、ノノカを……?」
男の子の指が動いた。
パンッ!!
額に、何かがぶつかって。
そこで、私の意識は途切れた。