不死を得ても、朝の茶と雑務からは逃れられない。
私の一日は一盞の茶を喫することから始まる。
――と言いたいところであるが、生憎にも今の私には口もなければ、それを飲み下す胃腑も存在しない。
私はとうの昔に肉体を失った存在なのである。
それでも私は、毎朝必ず茶を用意させる。
銀の盆の上に載せられた、薄手の茶器。縁には間近でようやく見分けられるほど細い金の線が巡っている。
六千万年前、我が王朝が眠りにつくよりもなお昔に、ひとりの職人が焼き上げたものだ。
職人の名は失われた。
彼が生涯にいくつの器を作ったのかも、もはや分からない。
だが、この一盞だけは私の前にある。
中には、ゆらゆらと湯気を立てる黒い液体が満たされていた。かつて生身の肉体を持っていた頃、私が朝ごとに好んで口にした茶を、可能な限り忠実に再現させた代物である。
温度も、色も、茶葉を浸す時間も、記録と寸分違わぬよう定めてある。
ただし、その記録が正しいかどうかを確かめられる者は、もういない。
味も、香りも、舌に触れる滑らかさも、喉を焼く熱さすらも、遥かな記憶の底へ沈んでしまった。思い出そうとすればするほど、それらは霧の向こうへ退いてゆく。
しかし、古びた茶器を目の前に据えると、不思議にも「朝が来た」という心地が湧く。
我が墓所に本物の朝はない。頭上を覆う岩盤の外で恒星が昇ろうと沈もうと、この広間には同じ緑の燐光が満ちている。それでも、茶が運ばれれば一日が始まる。私はそう決めた。
幾星霜と続けてきた習慣を、今更やめる理由などないのである。
以前、ある家臣団の一人が、私のこの振舞いを指して言った。
「無意味ではございませんか⋯そもそも生体組織という構造自体が不合理なのです。脆弱で、非効率で、病原体の温床となり、時間とともに必ず腐る。それをわざわざ煮出し、この清浄なる墓所へ持ち込み、毎朝卓上へ置くなど――」
その者はいま、南棟の冷え切った動力炉の底で、三百年にわたる点検という名の徒労に勤しんでいる。
あそこには有機物など一片たりとも存在しない。本人もさぞ満足していることであろう。
何が有意義であり、何が無意味であるかを決めるのは、この私だ。一介の下級貴族ではない。
脇に控えた従者が、音もなく進み出た。かつては宮廷で私に仕えた家の者だという。私自身、その家名を思い出せない。従者は一度も尋ねてこなかった。
「報告を」
空洞の眼窩に宿る緑色の燐光が、わずかに強まった。
「第七墓所区画におきまして、ウォリアー二千三百十二体の再起動に遅延が生じております」
「原因は何か」
「制御中枢の老朽化にございます」
「カノプテックスパイダーは?」
「既に手配いたしました」
「よろしい、修復の見込みは」
「三日との報告でございます」
「ならば五日と見ておこう」
従者は異を唱えなかった。これまでにも、三日で済んだためしはない。
私は茶へ視線を落とした。細い湯気が、緑の光をくぐって立ち上っている。香りを味わえる者は、この部屋には存在しない。とはいえ、玉座の傍らに茶器がひとつあるだけで、朝の報告はいくらか宮廷らしく見えた。
「次だ」
「セクメト家とアンクテプ家の両氏が、領地境界の件につき、再び異議を申し立てております」
「またか。昨日も同じ報告を聞いたぞ」
「昨日はネフル家とアンクテプ家でございます」
私は顔を上げた。
「……アンクテプ家は、誰彼構わず揉め事を起こす癖があるな」
「記録を参照いたしますに、その傾向は生体転移前から顕著でございます」
「当人の言い分はどうか」
「『自らの主張は一貫して正当である』と」
「六千万年前から、少しも進歩しておらんではないか」
「恐れながら、左様にございます」
従者が広げた立体図には、二家の領地と、問題の境界標が映し出された。標を挟んで向かい合う二つの監視塔は、互いを睨みつけるためだけに建てられたように見える。
生身の肉体を投げ打ち、星々の位置が移ろい、幾多の文明が興っては塵と消えた。それでも彼らは、この細い境界線を挟んで言い争っている。
私は呆れると同時に、かすかな安堵を覚えた。
変わらぬものもあるらしい。
「境界標を再確認させよ。それでもなお不服を申すならば、双方の当主を同じ部屋へ押し込め。決着が着くまで外へ出すな」
「武装の解除は」
「させておけ。部屋を失いたくない」
「御意」
立体図が消え、広間の壁が元の暗さを取り戻した。
「次だ」
「第四研究区画が拡張されております」
私はしばし従者を見つめた。
「そのような命を出した覚えはないが」
「出されておられません」
「誰だ」
従者は一拍置いた。
それだけで答えは分かった。
「クリプテック・メクハーにございます」
「またあの男か。先月も研究区画を三つ増やしたはずだ」
「正確には、四つにございます」
「……今度は何を研究している」
「本人に問い質しましたところ、『その説明には三百二十七年を要する』とのことでした」
「説明は却下だ。拡張も止めさせよ」
「承知いたしました」
「すでに建てた部分は取り壊しを命じますか?」
私は考えた。メクハーが何を持ち込んだのか分からぬ場所に、カノプテックを入れるのは得策ではない。
「まず中身を調べさせよ。報告は三百二十七年より短くまとめさせろ」
「何年以内といたしましょう」
「今日中だ」
従者の眼窩の光が、一度だけ瞬いた。
我が王朝の朝は、おおむねこのように過ぎてゆく。
征服。戦争。星系の支配。
支配者について、生ある者どもが語りたがるのは、決まってそうした事柄である。無論、私にも艦隊を率いて戦場へ赴いた日々はあった。だが、奪った領土には境界ができ、兵を眠らせれば墓所が傷み、勝利を記録させれば報告書が生まれる。
王は、敵を屈服させた瞬間だけ王であればよいわけではない。
そして私の悠久たる時間の大部分は、壊れたものを直し、貴族たちの口論を裁き、研究者を監督するうちに過ぎていく。
不死というものに、随分と華美な幻想を抱く者がいる。
永遠の征服。永遠の知識。永遠の栄光。
まことに結構な話である。
永遠、その実体とは昨日片づけたはずの仕事が、別の名をつけて翌朝の報告に戻ってくることだ。
「以上でございます」
従者が告げた。
「そうか」
私は重厚な椅子から立ち上がった。銀の盆の上で、茶は一滴たりとも減っていない。
ふと、器の縁に目が留まる。金の線が一箇所だけ途切れていた。
いつからそこにあった傷なのか、私は知らない。まだ生身だった頃、私がつけたものかもしれない。あるいは、長い眠りの間に生じたのかもしれない。
黒い液面を覗き込むと、湯気の向こうに、もう二度と見ることのできぬ空の色が浮かんだ気がした。
その色が何であったかを思い出す前に、像は消えた。
「明日もまた、同じものを用意せよ」
幾度口にしたか分からぬ命令である。
従者は深々と頭を垂れた。
「御意のままに」
こうして、私の一日は始まる。
明日も、その明後日も。百年後も、一万年後も、茶は冷め、報告は続くのであろう。
この王朝が滅び去らぬ限り。
あるいは――この古びた茶器が砕け散らぬ限り。