便利屋稼業 作:散々酸味
新エリー都の夜は、金がある奴に優しい。
逆に言えば、金のない奴にはとことん冷たい。
「金が無え……」
テーブルにおでこを叩きつけるように伏せてから、もうかれこれ三十分が経過していた。
ついさっきまで一緒にギャンブルで盛り上がっていた飲み仲間達も、アタシの財布にもう金が無い事察して帰って行った。
薄情な奴らだ。
「おい、いつまでそこに突っ伏してる気だ。うちの卓を一つ丸々占領しておいて、グラスの中身は氷すら溶け切ってるぞ」
頭上から降ってきたのは、重厚で低い、呆れを含んだ声だった。
六分街の路地裏にひっそりと店を構えるバーのマスターだ。使い込まれたグラスを布巾で拭きながら、冷ややかな視線をアタシ──目の前のテーブルで絶望に身を沈めている女に注いでいる。
「あー……うるせぇなマスター。少しは敗者に優しい言葉ってもんをかけられないのかね……」
アタシはテーブルに冷たい木目に頬を押し付けたまま、片目だけを開けてマスターを睨み返した。
返ってきたのは、鼻で笑うような短い吐息一つだ。
「敗者ね。勝手に自分の手に余る大勝負に出て自滅した愚か者の間違いだろう。ツケを払えない客に優しい言葉をかけるほど、うちの店は裕福じゃないんでね」
「ぐっ……」
痛いところを突かれ、アタシは唸り声を上げながらようやく体を起こした。
頭をぐしゃぐしゃとかき回すと、肩まで届かない短く無造作な茶髪がさらに跳ねる。
目の前にあるのは、水滴すら乾ききった安物のグラスと、油が染み出た段ボールのピザ箱。
箱を開ければ、端っこが乾燥して固くなったカピカピのピザが一切れだけ、惨めに取り残されていた。
「だいたい、お前のその雑な金遣いはどうにかならんのか。先週入った大きな仕事の報酬はどこへ行った」
「消えたんだよ! 装備のメンテナンス費と、腰の打撲の医療費と……今さっきヘボ野郎共に巻き上げられた」
「最後が余計だ」
マスターは呆れたように首を振ると、カウンターの奥へグラスを片付けた。
「いいか、ツケで飲み食いするやつは客とは呼ばん。今月分、どうするつもりだ?」
「ちょっと待てって」
アタシは茶色のロングコートのポケットに手を突っ込み、使い古した革の財布を取り出した。
指先で中身を確かめ、テーブルの上に滑り出させる。
ぽつんと置かれたのは、くしゃくしゃになったディニー札が一枚、二枚。
「二千ディニーだ。これで今日のところは見逃してくれ」
「ふん、子供のお小遣いか。いいかアザミ、うちの店は慈善事業じゃない。次に来る時は、せめて数字のゼロがもう二つ増えた札束を持ってこい」
マスターはそう吐き捨てながらも、二千ディニー札を回収すると、カウンターの奥から冷えた水を入れたグラスを出してテーブルに置いた。なんだかんだで世話焼きなのだ、このオヤジは。
アタシは出された水を一口飲み、干からびたピザを口に放り込んだ。湿気て固くなった生地が口の中でボソボソと音を立てる。ペパロニ・ピザは冷めても美味いなんて言うし実際美味いが、溶けた熱々のチーズが見る影もなくなっているのは妙な哀愁があった。
二十八歳、便利屋兼ホロウレイダー。
世間じゃ危険と隣り合わせの裏稼業なんて言われてるが、実態はこのザマだ。
本当なら今頃、危険なホロウなんざとおに引退して、安全な街で綺麗なマンションでも買って、毎晩好きな酒を飲みながらピザを腹いっぱい食ってるはずだった。
なのに、怪我をすれば医療費が飛び、装備が壊れれば修理費が飛び、情けない顔をした貧乏な依頼人に泣きつかれれば支払いを待ってやる事もある。
挙句の果てに、一発逆転を狙ったギャンブルでこのザマだ。
(楽して暮らしたい……切実に金が欲しい……)
アタシが二度目のため息をつこうとしたその時、店の入り口に吊るされた真鍮のベルが、カランと涼やかな音を立てた。
「こんばんは、マスター」
入ってきたのは、聞き覚えのある穏やかな声だった。
黒髪の落ち着いた佇まいをした青年。六分街でビデオ屋『Random Play』を営む店長──そして裏の顔は、熟練のプロキシ『パエトーン』……その片割れである、アキラだった。
「おう、アキラ。珍しい時間に立ち寄りだな」
「ちょっと探し物をね」
アキラは店内を見回すと、一番奥の卓で死にそうな顔をしているアタシに視線を止め、少し困ったような苦笑いを浮かべた。
「やっぱり、ここにいた」
「……なんだよアキラ。アタシの惨めな顔を見に来たのか?」
アタシは不機嫌そうに目を細め、足を組み直した。
アキラは向かいの席に静かに腰を下ろすと、テーブルの上の空のピザ箱と、アタシのやつれた顔を交互に見比べる。
「相変わらずの生活みたいだね。怪我の方は? 前回のホロウ探索で肩をやられたって言っていたけれど」
「痛むのは財布の中身だけだ。体なんざ、寝て起きて酒飲めば治る」
強がりを叩くアタシに、アキラは説教をするでもなく、ただ静かに眼差しを向けてくる。
この男のこういうところが、たまらなく居心地が悪い。
見透かすようなその姿勢にばつが悪くなり、思わず視線をそらした。
「で? 売れっ子のプロキシ様がわざわざこんな場末のバーにアタシを捜しに来たんだ。単なる世間話ってわけじゃねぇんだろ」
「そうだね。実は、アザミに頼みたい仕事があるんだ」
アタシの発言にマスターの鋭い視線が飛ぶが、事実だろと心の中で毒づいた。
そんな視線はどこ吹く風といった様子のアキラは上着のポケットから、茶封筒を取り出し、テーブルの上に静かに滑らせた。
「仕事……?」
「うん。あるクライアントから急ぎの依頼が入ってね。特定のホロウでの素材採取と、その護衛。現地の環境が少し特殊でね、知識があって、土壇場で機転が利く信頼できる探索者が必要なんだ。……アザミの力と経験が必要なんだよ」
アタシはテーブルの封筒を睨みつけた。
二千ディニーしか持っていない今のあやふやなアタシにとっては、後光が差して見えるほどの金だ。
だが、アタシの胸の奥で、嫌な警戒心が鎌首をもたげた。
「おい……アキラ。お前、アタシが金欠だからってわざわざ仕事でっち上げたわけじゃねぇだろうな? 施しならお断りだぞ。アタシは便利屋だ。金に困っちゃいるが、哀れみで食わせてもらうほど落ちぶれちゃいねぇよ」
アタシの荒い口調にも、アキラは表情を崩さなかった。真っ直ぐにアタシの瞳を見つめ返してくる。
「そんなわけないだろ。僕はプロキシだ。クライアントの依頼を適当に処理したりしないよ。それに……アザミの腕を信頼しているから頼んでいるんだ。君の実力と経験を評価しての依頼だ」
アキラは封筒をトントンと指で叩いた。
「これは正式な依頼の『前金』だよ。契約してくれるかい?」
静かだが、強い意志の籠もった言葉だった。
「頼りにしている」と言われて、嫌な気がする男も女もいない。ましてや、それが「仕事の報酬」として正当に提示されているならなおさらだ。
「……チッ。たく、そういう言い方をされたら断れねぇだろ」
アタシは頭を雑にかきむしると、半ばひったくるように茶封筒を手元に引き寄せた。
中身をちらりと確認すると、当面の生活費どころか、事務所の維持費などの頭を悩ませる原因はなんとかなりそうな額が入っていた。
「助かった……これでまたしばらく生き延びられる……」
思わず漏れ出た本音に、アキラはくすりと笑った。