冒険者ギルドは、今日も朝から賑わっていた。
依頼を受ける冒険者。
報酬を受け取る冒険者。
仲間と話しながら掲示板を眺める冒険者。
風魔龍――トワリンによる襲撃から、まだそれほど時間は経っていない。
それでも、モンドの人々は少しずつ普段の生活を取り戻していた。
俺は掲示板の前で、依頼書を眺めていた。
「……これにするか」
隣から、おじさんが依頼書を覗き込む。
「魔物討伐か」
「ああ。モンド郊外に出た魔物を数体倒すだけみたいだ」
「簡単そうだな」
「昨日みたいな騒ぎにならなければな」
「クレーのことか?」
「そう」
昨日のことを思い出す。
街中を走り回るクレー。
爆弾。
追いかける俺たち。
そして最後にはジンさんとアンバーに引き渡した。
あれは依頼ですらなかった。
「今日は普通に終わらせたい」
「分かった」
「本当に分かってる?」
「何がだ?」
「いや……いい」
俺は諦めて依頼書を手に取った。
その時だった。
「――そこにいる者たち!」
「……?」
背後から、妙に芝居がかった声が響いた。
振り返る。
そこにいたのは、一人の少女だった。
紫色の衣装。
長い髪。
そして、片目を覆う眼帯。
隣には黒い鴉がいる。
「我が名は――」
少女は胸を張った。
「フィッシュル! 断罪の皇女である!」
「……」
俺は固まった。
知っている。
もちろん知っている。
原神を知っている俺にとって、目の前の少女が誰なのかは一目で分かった。
フィッシュル。
そして隣にいるのはオズ。
ゲームで何度も見たキャラクターだ。
だが。
実際に目の前で自己紹介されると、話が違う。
「……」
何て返せばいいんだ?
こんにちは?
よろしく?
それとも――。
「断罪の皇女……?」
俺が小さく呟く。
「そうだ!」
フィッシュルが力強く頷いた。
「我こそは闇夜を統べる運命の――」
「お嬢様」
黒い鴉が口を挟んだ。
「まずは普通に挨拶されたほうがよろしいかと」
「オズ!」
フィッシュルが振り向く。
「これは我が威厳を示す重要な場面なのよ!」
「承知しております」
オズは落ち着いて答えた。
「ですが、相手が困っています」
「……」
俺は思わずオズを見る。
「分かるの?」
「はい」
「助かる……」
フィッシュルがこちらを向く。
「では改めて――」
少しだけ姿勢を正す。
「我はフィッシュル。断罪の皇女!」
「……たかふみ」
「たかふみ?」
「俺の名前」
「なるほど」
フィッシュルが頷く。
「異界の旅人、たかふみか」
「そう」
なんだか普通に話せている。
いや。
正確には、フィッシュルの言葉が独特なだけで、オズが補足してくれるから会話が成立している。
「そして、こちらは……」
フィッシュルが隣を見る。
「我が眷属、オズ!」
「よろしくお願いします」
オズが頭を下げる。
「こちらこそ」
俺も頭を下げた。
すると、フィッシュルがじっとおじさんを見る。
「では、そちらの者は?」
「俺はおじさんだ」
「おじさん……」
フィッシュルが目を細める。
「異界の魔術師……」
「そういうことにしておいてくれ」
「お嬢様は、あなたを異界の魔術師と認識されたようです」
オズが説明する。
「分かった」
おじさんはあっさり頷いた。
俺はおじさんを見る。
「もうちょっと警戒しろよ」
「何を?」
「いや……」
この人に何を言っても無駄な気がする。
フィッシュルはまだおじさんを観察していた。
「異界の魔術師よ」
「なんだ?」
「汝からは、不思議な力を感じる」
「ああ」
「我が知る元素とも異なるようだ」
「そうだな」
「いったい何なのだ?」
「精霊魔法だ」
おじさんが答えた。
「精霊?」
オズが反応する。
「精霊と契約し、その力を借りる魔法だ」
「なるほど……」
オズが考え込む。
フィッシュルの目が輝いた。
「異界の秘術……!」
「そんな大げさなものじゃない」
おじさんが言う。
「いや、十分大げさだよ」
俺は思わず口を挟んだ。
「この世界にはない力なんだから」
「そうなのか?」
「そうだよ」
フィッシュルが一歩近づく。
「ならば、その力を我が目に示すがいい!」
「ここで?」
俺が聞く。
「そうだ!」
「ギルドの中だけど」
「……」
フィッシュルが周囲を見る。
確かに、ここは冒険者ギルドだ。
「では、外へ!」
「いや、見せなくていいって」
俺が止める。
だが。
「少しならいいだろう」
おじさんが言った。
「おじさん?」
「簡単なものなら問題ない」
おじさんが片手を上げる。
「――ワーグレント・マグナ――疾風操作」
次の瞬間。
小さな風が生まれた。
掲示板から剥がれかけていた紙が、ふわりと浮く。
床に落ちるはずだった紙が風に乗り、ゆっくりとおじさんの周囲を回った。
フィッシュルが目を見開く。
「……!」
オズも驚いている。
「風元素……ではありませんね」
「ああ」
「それなのに風を操っている」
「精霊の力だ」
おじさんが簡単に答える。
俺はため息をついた。
「だから、それを普通の魔法みたいに扱うなよ……」
「普通に使えるからな」
「使えることと普通であることは別だろ」
フィッシュルが勢いよく振り返った。
「異界の魔術師!」
「なんだ?」
「汝の秘術――実に興味深い!」
「そうか」
「もっと見せてほしい!」
「依頼が終わったらな」
「本当か!」
「おじさん!」
俺は思わず声を上げる。
「勝手に約束するなよ!」
「何か問題があるのか?」
「ある!」
フィッシュルは嬉しそうに笑った。
「ならば、我も共に戦おう!」
「戦う?」
「ちょうど良い依頼があるではないか」
フィッシュルが掲示板を見る。
「魔物討伐……」
オズも依頼書を確認する。
「モンド郊外の魔物討伐ですね」
「これなら一緒に受けられそうだな」
俺は依頼書を見た。
確かに、人数が増えて困るような依頼ではない。
「おじさん」
「ああ」
「どうする?」
「構わない」
「じゃあ、決まりだな」
こうして俺たちは、フィッシュルとオズと一緒に依頼を受けることになった。
◇
モンド郊外。
街から少し離れた草原を進む。
風が吹き抜け、草が揺れている。
「この辺りだな」
俺が依頼書を見る。
「魔物が出たのは」
「はい」
オズが空から周囲を見渡している。
「……いました」
「どこ?」
「前方です」
オズが翼を広げる。
「ヒルチャールが数体。さらに少し離れたところにも一体います」
フィッシュルが弓を構えた。
「なるほど……」
目つきが変わる。
「ならば、ここで我が力を――」
「おじさん」
「分かった」
「ちょっと待て!」
フィッシュルが止める。
「まだ我が宣言を終えていない!」
「早く倒したほうがいいだろ」
おじさんが歩き出す。
「だから待て!」
「敵が来てるぞ」
「む……!」
ヒルチャールがこちらに気づいた。
「来た!」
俺が叫ぶ。
おじさんが前に出る。
光の剣が手の中に現れた。
「……!」
フィッシュルが目を見開く。
「光の剣……!」
おじさんは構わず走った。
一体目。
攻撃をかわす。
二体目。
横からの攻撃を光の剣で弾く。
三体目。
そのまま斬り抜ける。
「……」
俺は呆気に取られていた。
「速いですね」
オズも冷静に言う。
「うん……」
「敵は残り二体です」
「もう?」
「はい」
おじさんが最後の一体を倒した。
静かになる。
「……」
フィッシュルが固まっていた。
「……」
俺も何も言えない。
オズだけが冷静だった。
「討伐完了です」
「早すぎるだろ……」
俺が呟く。
フィッシュルがようやく動いた。
「待て!」
「ん?」
おじさんが振り返る。
「我の出番は!?」
「必要だったか?」
「……!」
フィッシュルが絶句する。
俺は思わず吹き出した。
「いや、悪い」
「笑うな、たかふみ!」
「だって……」
「我は断罪の皇女だぞ!」
「知ってるけど」
「ならば我の活躍を!」
「敵、もういないぞ」
「……」
フィッシュルが拳を握る。
「次だ!」
「まだいるの?」
俺が周囲を見る。
その時。
「右側です!」
オズの声が響いた。
「敵が一体!」
草むらから魔物が飛び出してくる。
「来た!」
フィッシュルが弓を構えた。
「今度こそ――」
おじさんが一歩前へ出る。
「おじさん!」
「任せろ」
「任せるな!」
俺が叫ぶ。
しかし、おじさんは止まらない。
魔物が飛びかかってくる。
おじさんが身をかわす。
光の剣が一閃。
魔物が倒れる。
「……」
フィッシュルが震えている。
「おじさん……」
「なんだ?」
「次は我に任せて!」
「分かった」
「本当に!?」
「ああ」
フィッシュルが満足そうに頷いた。
「ならば次なる敵を――」
「もういないです」
オズが言う。
「……」
フィッシュルが再び固まった。
俺は肩を震わせた。
「……ごめん。もう無理」
「笑うな!」
「だって!」
フィッシュルが怒っている。
でも、本気で怒っているわけではないことは分かった。
オズもどこか楽しそうだった。
「お嬢様」
「何よ!」
「今回は、敵が少なかったのです」
「そうね……」
「次回はもっと大きな依頼を受ければよいかと」
「なるほど!」
フィッシュルがすぐに元気を取り戻した。
「たかふみ!」
「ん?」
「次はもっと強大な敵を!」
「……ほどほどにな」
「異界の魔術師も頼むぞ!」
「分かった」
「おじさんも普通に受けるなよ……」
討伐を終えた俺たちは、街へ戻ることになった。
◇
道中。
フィッシュルはさっきの戦いについて熱心に話していた。
「先ほどの光の剣……実に見事だった」
「そうか?」
「うむ!」
「おじさん、褒められてるぞ」
「ありがとう」
「……」
フィッシュルが少し驚いた顔をした。
「どうした?」
「いや……」
フィッシュルはおじさんを見る。
「汝はずいぶん普通に話すのだな」
「普通だろ」
「そうね……」
オズが笑う。
「お嬢様が珍しく戸惑っております」
「オズ!」
「失礼しました」
フィッシュルが咳払いをする。
「ともかく、汝らの力は理解した!」
「理解したの?」
「……少し」
「正直だな」
俺は笑った。
しばらく歩いていると、オズが俺に尋ねた。
「たかふみ」
「ん?」
「あなた方は、これからどちらへ向かうのですか?」
「俺たち?」
「はい」
俺は少し考えた。
「日本に帰る方法を探してる」
「日本?」
「ああ」
フィッシュルもこちらを見る。
「汝らの故郷か?」
「そう」
「なるほど……」
フィッシュルはしばらく黙っていた。
そして、突然大きく胸を張った。
「ならば、我が運命の瞳に誓おう!」
「え?」
「汝らの旅路が、必ずや故郷へと続くことを!」
俺は目を瞬かせた。
「……」
何を言っているのか、よく分からない。
オズがすぐに補足した。
「お嬢様は、あなた方が無事に故郷へ帰れるよう応援しているのです」
「ああ」
そういうことか。
「ありがとう」
俺が答える。
隣のおじさんも頷いた。
「ありがとう」
「……」
フィッシュルが満足そうに微笑む。
俺はその様子を見て、思わず呟いた。
「そこだけ普通なんだよな……」
「何がだ?」
「おじさんだよ」
「俺はいつも普通だ」
「それは違う」
即答した。
オズが小さく笑う。
フィッシュルも笑った。
「ふふ……」
そのまま四人でモンドへ戻る。
フィッシュルとは今日会ったばかりだ。
それなのに、妙に印象に残る相手だった。
大げさな言葉。
独特な振る舞い。
でも、その根っこにあるものは意外と真っ直ぐだ。
そしてオズ。
フィッシュルの言葉を理解し、必要なときには普通の言葉に訳してくれる。
この二人は、かなり良いコンビなのだろう。
「たかふみ」
「ん?」
フィッシュルがこちらを見る。
「また会おう!」
「ああ」
「次に会う時は、我が華麗なる戦いを見せてやろう!」
「楽しみにしてるよ」
「うむ!」
フィッシュルが嬉しそうに笑った。
モンドの街が近づいてくる。
俺たちは冒険者ギルドへ向かう。
依頼は無事に終わった。
報酬ももらえる。
そして、日本へ帰る方法は――まだ分からない。
それでも。
こうして少しずつ、この世界で知り合いが増えていく。
それは悪いことではなかった。
「おじさん」
「なんだ?」
「次の依頼は、本当に普通のやつにしよう」
「分かった」
「昨日はクレー。今日はフィッシュルだぞ」
「そうだな」
「明日はもっと普通の人に会いたい」
「それは無理じゃないか?」
「なんで?」
「ここは異世界だからな」
「……それもそうか」
俺はため息をついた。
そして、隣を歩くおじさんを見る。
「まあ……」
少しだけ笑った。
「こういうのも、悪くないけどな」
「そうだな」
モンドの風が、俺たちの間を吹き抜けていった。