モンドで暮らし始めて、少しずつ生活のリズムができてきた。
朝起きる。
食事をする。
冒険者ギルドへ行く。
依頼を探す。
依頼を受ける。
終わったら報酬をもらう。
そして宿へ戻る。
日本にいた頃とは、まるで違う。
それでも、毎日続けていると不思議なもので、少しずつ慣れてくる。
「……今日は何にする?」
俺は冒険者ギルドの掲示板を眺めながら尋ねた。
「簡単な依頼でいい」
隣に立つおじさんが答える。
「珍しいな」
「なぜだ?」
「いつもなら『強い魔物はいないのか』とか言いそうなのに」
「今日は腹が減っている」
「理由それ?」
俺は苦笑した。
昨日はモナと会った。
一昨日はベネットと依頼を受けた。
その前はフィッシュルと一緒に魔物討伐。
毎日のように新しい人と出会っている。
それ自体は悪くない。
むしろ、この世界で生きていくなら、人との繋がりは大事だ。
ただ――。
「最近、知り合い増えたな……」
「そうだな」
「最初はアンバーと蛍、パイモンくらいだったのに」
「今ではかなり増えた」
「騎士団にも顔を覚えられてきたし」
「いいことだろう」
「まあね」
俺は掲示板に貼られていた依頼書を何枚か眺める。
討伐。
採取。
荷物運び。
街の外へ出るものから、街の中だけで終わるものまで様々だ。
「これにしよう」
俺は一枚の依頼書を取った。
「何だ?」
「酒場への荷物運び」
「それだけか?」
「うん。簡単そうだし」
「分かった」
二人はギルドを出た。
モンドの街は今日も平和だった。
風が吹き、旗が揺れている。
市場では店員が声を張り上げ、通りを歩く人々もいつも通りだ。
「こういう日が続けばいいんだけどな」
俺が呟く。
「風魔龍の件もまだ終わったわけではない」
「分かってる」
街の外には魔物がいる。
アビスの動きもある。
そして何より、二人はこの世界に来たばかりだ。
安全とは言い切れない。
だからこそ。
こういう普通の日が、少し嬉しかった。
「……ん?」
酒場へ向かって歩いていると、前方に小さな人影が見えた。
猫耳。
小さな身体。
弓を背負っている。
俺は足を止めた。
「……ディオナ?」
名前が自然と口から出た。
少女が振り返る。
「……誰よ、あんたたち」
警戒するような目。
俺は少し驚いた。
ゲームで知っているキャラクター。
でも、実際に目の前にいると印象が違う。
ディオナはおじさんをじっと見た。
「……そっちの変なおじさん」
「変なおじさん?」
おじさんが自分を指差す。
「そうよ」
「そうか」
「なんでそんな普通に返すのよ……」
ディオナの眉がぴくっと動いた。
「あなた、怪しい」
「そうか?」
「そうよ」
「なぜ?」
「……」
ディオナが言葉に詰まる。
おじさんがあまりにも普通だからだ。
「異世界から来たって聞いたけど」
「そうだ」
「そんな簡単に認めるの?」
「隠しても仕方ない」
「……」
ディオナは俺を見る。
「ねえ、こいつ本当に大丈夫なの?」
「まあ……」
俺は少し考えた。
「怖くないから」
「本当に?」
「うん」
「でも怪しいじゃない」
「それは否定しない」
「おい」
おじさんが俺を見る。
「冗談だよ」
ディオナは呆れた顔をした。
「……あんたたち、変なコンビね」
「よく言われる」
「誰に?」
「最近会った人たちに」
「それなら本当に変なのね」
ディオナは小さくため息をついた。
そのとき、俺は手にしていた依頼書を見る。
「そうだ」
「何?」
「酒場への荷物運びをするんだけど、ディオナも一緒に来る?」
「なんであたしが?」
「いや、近くにいたから」
「……」
ディオナは依頼書を見る。
「酒場?」
「うん」
「……ちょっと手伝ってあげてもいいけど」
「助かる」
「別にあんたたちのためじゃないからね!」
「分かった」
「だから、そういう普通の返事やめてよ!」
ディオナが少し怒った。
俺は思わず笑ってしまう。
「何笑ってんのよ!」
「いや、ごめん」
「……もう」
こうして三人で依頼へ向かうことになった。
◆
街の外へ出ると、空気が少し変わった。
街中よりも静かだ。
風が草原を揺らしている。
「この先に荷物を届ければいいんだな?」
おじさんが依頼書を見る。
「そう」
俺が答える。
「そんなに遠くない」
「なら早く行きましょう」
ディオナが先頭を歩く。
小さな身体なのに、歩く速度は意外と速い。
「ディオナ、速いな」
「これくらい普通よ」
振り返りながら答える。
「……あんたたち、冒険者なの?」
「最近なった」
「へえ」
ディオナが二人を見る。
「戦えるの?」
「おじさんは」
俺は少し間を置く。
「俺は……」
自分を指差す。
「情報担当かな」
「何それ」
「戦うのは得意じゃない」
「ふーん」
ディオナは少し考える。
「じゃあ、危なくなったらあたしが守ってあげる」
「え?」
「勘違いしないでよ」
ディオナはそっぽを向く。
「あんたたちが怪我すると依頼が面倒になるだけだから」
「ありがとう」
「……だから普通にお礼言わないでよ」
「なぜだ?」
「調子が狂うの!」
俺は笑った。
この子、かなり素直じゃない。
そんなことを考えていた、そのときだった。
「止まって」
ディオナが足を止めた。
「どうした?」
「何かいる」
草むらの向こうから音がする。
俺は目を凝らした。
「……ヒルチャール?」
「三体」
ディオナが弓を構える。
「こっちに気づいたみたい」
草むらからヒルチャールが飛び出してきた。
「来るぞ!」
俺が叫ぶ。
ディオナが矢を放つ。
氷の力をまとった矢が一体の足元を凍らせる。
「今!」
おじさんが動いた。
光の剣が一閃する。
ヒルチャールが吹き飛んだ。
「……え?」
ディオナが目を丸くする。
残り二体がこちらへ向かってくる。
「右!」
俺が叫ぶ。
おじさんが横へ動く。
攻撃を避け、そのまま一体を斬り倒す。
「左からもう一体!」
ディオナが振り向く。
「分かってる!」
矢が飛ぶ。
氷が敵の動きを止める。
そこへ、おじさんが最後の一撃を入れた。
静かになった。
「……終わった?」
ディオナが周囲を見る。
「終わった」
おじさんが答える。
「……」
ディオナはおじさんを見る。
「強いじゃない」
「そうか?」
「そうよ」
少しだけ、警戒が薄れたように見えた。
「さっきまで変なおじさんだと思ってたけど」
「今は?」
「……ちょっと変なおじさん」
「ほとんど変わってないな」
俺が笑う。
「何よ」
「いや、なんでもない」
ディオナは弓をしまった。
「でも……」
「ん?」
「ちゃんと仲間を守ろうとしてるのは分かった」
おじさんは少しだけ頷いた。
「当然だ」
「……そう」
ディオナは小さく笑った。
「なら、悪い人じゃないのかもね」
俺はその言葉を聞いて、少し嬉しくなった。
この世界に来てから、こうやって少しずつ人との関係が増えている。
それは、思っていたよりも悪くない。
◆
依頼先へ到着すると、荷物を渡す。
「ありがとう。助かったよ」
依頼主からモラを受け取る。
「これで終わりだな」
俺が言う。
「うん」
ディオナが頷く。
「じゃあ、あたしは帰る」
「一緒に戻る?」
「……まあ、いいけど」
三人で街へ戻る。
帰り道は、行きよりも少し静かだった。
しばらく歩いたところで、ディオナがぽつりと口を開く。
「ねえ」
「何?」
「おじさん」
「なんだ?」
「その魔法」
「精霊魔法か?」
「それ」
ディオナが興味深そうに見る。
「元素じゃないんでしょ?」
「そうだ」
「……変なの」
「そうか?」
「でも」
ディオナは少し考えてから言った。
「仲間を守るのには使えるんだね」
「ああ」
「なら、いいんじゃない」
それだけ言うと、ディオナは前を向いた。
俺は思った。
この子なりの評価なんだろう。
「ありがとう」
おじさんが言う。
「……だから、そういうの!」
ディオナが振り返る。
「普通にお礼言わないでよ!」
「なぜだ?」
「恥ずかしいの!」
「そうか」
「もう……!」
俺は吹き出した。
「何笑ってんのよ!」
「ごめんって」
◆
モンドへ戻ると、昼を少し過ぎていた。
酒場の前を通る。
中から賑やかな声が聞こえてくる。
「……ちょっと寄っていく?」
俺が尋ねる。
「俺は構わない」
「じゃあ、軽く食べよう」
三人で酒場へ入る。
ディオナは少し嫌そうな顔をした。
「……酒場、嫌いなんだけど」
「そうなの?」
「大人がお酒ばっかり飲んでるから」
「なるほど」
おじさんが料理を眺める。
「これは美味そうだ」
「何頼む?」
「これだ」
おじさんが料理を指差す。
料理が運ばれてくる。
おじさんは一口食べた。
「……」
「どう?」
俺が聞く。
「日本の味とは違うな」
「そりゃそうだろ」
「だが、これはこれで悪くない」
「珍しく普通の感想だな」
俺も料理を食べる。
「……うん」
「美味いだろう?」
「まあね」
ディオナも少しだけ料理を見る。
「……あたしは甘いものがいい」
「頼めばいいだろ」
「おじさん、分かってるじゃない」
「そうか?」
「そうよ」
ディオナは少し笑った。
さっきまでの警戒した表情は、もうほとんどない。
俺はそれを見ながら思った。
モンドに来たばかりの頃。
俺たちは誰も知らなかった。
アンバー。
ジンさん。
ガイアさん。
リサさん。
ノエル。
蛍。
パイモン。
そして、最近出会ったフィッシュル、ベネット、モナ。
今日もディオナと知り合った。
少しずつ。
本当に少しずつだけど。
この世界での人間関係が広がっている。
「……なんか」
「何だ?」
「いや」
俺は笑った。
「こっちで生活してるって感じがしてきたな」
「そうだな」
おじさんも頷く。
「日本へ帰る方法は、まだ分からないけど」
「ああ」
「それでも、ここで生きていく必要はある」
「その通りだ」
ディオナが二人を見る。
「何の話?」
「日本に帰る話」
「日本?」
「俺たちの故郷」
「ふーん」
ディオナは少し考える。
「じゃあ、帰れるといいね」
「……うん」
俺は笑った。
「ありがとう」
「別に」
ディオナはそっぽを向く。
「……」
そんな穏やかな時間が流れていた。
風魔龍の事件。
アビスの暗躍。
異世界から来た二人。
そんな大きな問題を、一度忘れられるくらいに。
モンドの日常は、普通に続いていた。
◆
その頃。
モンドから少し離れた場所。
人の姿はない。
崩れた遺跡の奥で、一体のアビスの魔術師が立っていた。
「……異界の力」
静かな声が響く。
手元に集めた情報を確認する。
「元素とは異なる」
その周囲には、いくつかの痕跡が残されていた。
「そして、あの人間たちは……」
魔術師が目を細める。
「何者なのだ?」
答える者はいない。
風だけが吹き抜ける。
「いずれ、確かめる必要があるな」
魔術師はその場を離れていった。
まだ。
二人はそのことを知らない。
モンドの日常の裏側で。
別の物語が、静かに動き始めていた。