モンドの街に戻ってきた夕方。
俺は、冒険者ギルドで受け取った依頼書を片手に、街の中を歩いていた。
今日の依頼は、森の調査だった。
最近、ヒルチャールの目撃情報が増えている。
その原因を調べてほしい。
依頼そのものは、そこまで珍しいものではなかった。
だが――。
「……妙だな」
俺は足を止めた。
「何がだ?」
隣を歩くおじさんが振り返る。
「いや」
俺は少し考える。
「最近、妙に事件が続いてる気がする」
「そうか?」
「風魔龍の件があって、アビスの魔術師も出てきて……」
俺は依頼書を見る。
「今回のヒルチャールも、ただ増えてるだけならいいんだけど」
「調べれば分かるだろう」
「まあ、そうなんだけど」
俺は歩き出す。
おじさんも続いた。
そんな二人の前から。
「やあ!」
聞き覚えのある声がした。
「……あ」
俺が顔を上げる。
木箱の上に座っていたのは、小柄な少年だった。
緑色の服。
羽根のついた帽子。
そして、どこか人を食ったような笑顔。
「こんにちは、旅人さんたち」
「ウェンティ」
おじさんが普通に名前を呼ぶ。
「おや、覚えていてくれたんだね」
「一度会っているからな」
「それは嬉しいなぁ」
ウェンティは笑った。
俺は少し離れたところから、その様子を見る。
――やっぱり、この人。
知っている。
もちろん原神の知識としてだ。
ただ、実際に目の前にすると妙な感覚がある。
見た目は少年。
口調も軽い。
態度も気楽。
なのに。
「……」
俺はウェンティをじっと見る。
「どうしたの、たかふみ?」
「いや……」
ウェンティが首を傾げる。
「僕の顔に何かついてる?」
「そういうわけじゃないけど」
「ならよかった」
ウェンティは笑う。
「それにしても、二人とも最近忙しそうだね」
「まあな」
おじさんが答える。
「冒険者ギルドの依頼を受けている」
「へえ。すっかり冒険者らしくなったんだね」
「生活費が必要だからな」
「現実的だねぇ」
「モラがないと何もできない」
「それは確かに」
ウェンティが頷く。
俺は思わず苦笑した。
「そこは意外と普通なんだな……」
「僕はいつだって普通だよ?」
「……そういうところが怪しいんだけど」
「おやおや」
ウェンティが楽しそうに笑う。
「たかふみは僕を疑ってるのかな?」
「なんとなく」
「正直だね」
その時だった。
「蛍!」
別の方向から声が聞こえてきた。
振り返る。
蛍とパイモンが歩いてくるところだった。
「おじさん! たかふみ!」
パイモンが手を振る。
「また会ったな!」
「蛍、パイモン」
おじさんが軽く手を上げる。
「何してるんだ?」
俺が尋ねる。
「ウェンティを探してたんだ」
蛍が答えた。
「ボクも一緒だよ!」
パイモンが胸を張る。
「……何かあったの?」
俺が聞く。
ウェンティが少しだけ表情を変えた。
「うん」
いつもの軽い笑顔。
その奥に、わずかな真剣さが見える。
「話しておきたいことがあるんだ」
俺は黙った。
「トワリンのことだよ」
その名前を聞いた瞬間。
空気が少し変わった。
風魔龍。
モンドを襲った巨大な竜。
そして――。
苦しんでいた存在。
「トワリンを助けたい」
ウェンティが言った。
俺は黙ってウェンティを見る。
「アビス教団が関わっている可能性が高い」
蛍が頷く。
「だから、助ける」
迷いのない声だった。
「おじさんは?」
パイモンが聞く。
おじさんは少し考える。
そして。
「なら助ければいい」
「……即答?」
俺が思わず口を挟んだ。
「何か問題があるのか?」
「いや、ないけど」
あまりにも迷いがなかった。
「普通、もうちょっと考えない?」
「困っているなら助ける。それだけだろう」
「……まあ」
俺は言葉を止める。
確かに、その通りだった。
おじさんはウェンティを見る。
「トワリンは苦しんでいるんだろう?」
「ああ」
「なら助ける」
ウェンティは少しだけ目を細めた。
そして、笑った。
「君って、本当に面白いね」
「そうか?」
「うん」
ウェンティは静かに頷く。
「そういう人、僕は嫌いじゃないよ」
俺はそのやり取りを見ていた。
――なんだろう。
妙に自然だ。
もっと警戒してもいいはずなのに。
おじさんはいつも通り。
蛍もいつも通り。
パイモンもいつも通り。
そしてウェンティだけが、どこか違う。
まるで。
この世界の事情を、全部知っているような。
「たかふみ」
蛍に呼ばれて、俺は我に返った。
「どうした?」
「準備する必要がある」
「そうだな」
俺は頷いた。
「今すぐ行くわけじゃないんだよな?」
「うん」
ウェンティが答える。
「準備が必要だよ。トワリンのいる場所へ行くなら、それなりの覚悟もね」
「場所は?」
「それは――」
ウェンティが空を見上げる。
「風が教えてくれるさ」
「……」
俺は無言になった。
「なんだ、その顔?」
「いや」
俺はため息をつく。
「急に詩人になるなと思って」
「僕は吟遊詩人だからね」
「そうだった」
パイモンが笑う。
「ウェンティはいつもこんな感じだぞ!」
「それは知ってる」
俺も苦笑する。
蛍が少しだけ笑った。
「戦い方を確認しておこう」
蛍が言う。
おじさんと蛍が向かい合う。
「俺は近距離が中心だ」
「私も剣を使う」
「空中戦になる可能性がある」
「その場合は私が対応する」
短い会話。
必要なことだけを確認している。
俺はその横で聞いていた。
「俺とパイモンは?」
「後ろから状況を見る!」
パイモンが答える。
「何か分かったことがあったら教えてくれ!」
「分かった」
俺も頷く。
「戦闘そのものは任せるよ」
おじさんが俺を見る。
「無理はするな」
「分かってる」
俺は苦笑した。
「俺は戦闘要員じゃないから」
「そうか」
「だから、おじさんが無茶しそうになったら止める役」
「必要ない」
「必要だよ」
俺は即答した。
「おじさんの場合、敵が強いほど普通に突っ込むから」
「問題ない」
「それが問題なんだよ」
蛍とパイモンが笑った。
ウェンティも楽しそうに笑っている。
「いいね」
「何が?」
「こういうの」
ウェンティが言った。
「誰かを助けるために、それぞれが自分のできることをする」
その声だけは。
いつもの軽さとは少し違っていた。
俺は黙ってウェンティを見る。
「……本気なんだな」
「もちろん」
ウェンティは笑う。
「僕は、トワリンを助けたいんだ」
俺は小さく頷いた。
「なら、俺も協力する」
「ありがとう」
「俺は何もできないかもしれないけど」
「そんなことないよ」
ウェンティが言う。
「知識っていうのも、大切な力だからね」
俺は少し驚いた。
「……そうかな」
「そうさ」
ウェンティは帽子を直す。
「特に、この世界を知っている人がいるならね」
「……」
俺は少しだけ黙った。
ウェンティがどこまで知っているのか。
やっぱり分からない。
それでも。
今は、それを追及する必要はない気がした。
「じゃあ、一度別れよう」
蛍が言った。
「準備をしてから、また集まる」
「そうだね」
ウェンティも頷く。
「僕は準備しておくよ」
「俺たちも依頼の整理をしておく」
おじさんが言う。
パイモンが手を振った。
「じゃあ、またな!」
「うん。またね」
蛍とパイモンが歩き出す。
ウェンティも別の方向へ向かう。
おじさんと俺も、冒険者ギルドへ戻ることにした。
しばらく歩いたところで。
「……おじさん」
「なんだ?」
「本当に行くんだよな」
「何がだ?」
「トワリンを助けに」
「ああ」
「怖くないの?」
「怖い?」
「竜だぞ」
「そうだな」
「……」
俺は苦笑した。
「おじさんらしいわ」
「そうか?」
「うん」
街の外から風が吹いてきた。
旗が揺れる。
木々が揺れる。
モンドの街を、風が静かに通り抜けていく。
「風って、なんだか変だな」
俺が呟く。
「何がだ?」
「同じ風なのに、気分によって全然違って感じる」
「そういうものだろう」
「……そうかもな」
二人は歩き続ける。
その頃。
モンドの外では。
一羽の鳥が空を飛んでいた。
風に乗って、高く。
高く。
そして――。
遠く離れた場所で。
巨大な竜が、苦しそうに身をよじった。
風が大きく渦を巻く。
その声は、遠くモンドまで届くことはなかった。
だが。
決戦の時は、確実に近づいている。
アビス教団。
トワリン。
そして、モンドを覆う異変。
これまで別々に見えていた出来事が。
少しずつ、一つにつながり始めていた。
「……明日は忙しくなりそうだな」
俺が空を見上げる。
「そうだな」
おじさんが答える。
二人の頭上には、モンドの夜空が広がっていた。
無数の星。
静かな風。
そして、その向こうに待つ戦い。
俺は一度だけ深呼吸した。
「……帰る方法も、見つけないとな」
「ああ」
「その前にトワリンを助ける」
「そうだ」
「順番がおかしい気もするけど」
「困っているなら助ける」
「……分かったよ」
俺は笑った。
「じゃあ、やるか」
二人は宿へ向かって歩き出した。
モンドの夜に、風が吹く。
静かで。
どこか寂しい風だった。
そして、その風の先には――。
トワリンとの決戦が待っていた。